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セーブ&ロードのできる宿屋さん ~カンスト転生者が宿屋で新人育成を始めたようです~  作者: 稲荷竜
十五章 メリンダとリンジィの償い

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203話

 修行はつけてもらうことにした。

 決断する前にモリーンが色々――主に『やめた方がいい』という方向で色々話してくれはしたものの、メリンダはけっきょく修行を受ける方向で決意したのだ。


 理由はいくつかあった。

 もちろん金策のために他にいい手段が思いつかなかったというのが一番大きい。

 同じぐらい大きい理由があるとすれば――メリンダが常々『強くなりたい』と思っていたことが、理由になるだろうか。


 メリンダは弱かった。

 それは肉体的な話ではない――もちろん肉体も強くはないが、それ以上にメリンダが気にしているのが、精神的な弱さだった。


 自分に自信がなく、また、自分の意思というものが薄弱だ。

 そのうえ人見知りで、姉からも、よく『おどおどしないの』とたしなめられる。


 昔からなにかあると、いつも姉にかばってもらっていた。

 だからだろう。……自分が冒険者なんていう危険な職業をどうにかこうにかこなせているのも、その姉が満足に歩けなくなったから、奮起できたのだと、そう思う。


 でもやっぱりそう簡単に強くなれるわけはなくて、だからメリンダは強い人に憧れる。

 たとえば、ロレッタ。

 彼女も姉と同じで、精神的な強さを感じる。


 そういう人になりたかったから――

 そういう人が行っていたという修行をやってみようと、思えたのかもしれない。



「……どうもあなたは放っておけませんわね。わたくしも修行に同行させていただきますわ」



 モリーンはなにを思ったのか、そのように提案してくれた。

 メリンダの中では彼女も店主――アレクと一緒に『なんかシンプルに怖い人』というカテゴリに入ってしまったので、実はあんまり嬉しい提案ではなかったのだが、心配してくれるのはありがたい。


 そういうわけで、彼女の同行を断らず、お礼を述べた。

 ……人を殺しておいて、跳ねて喜ぶ人に逆らうのが怖かったというのもあるかもしれない。



 最初の修行場に、向かった。

 時刻はもう夕方だった。

 ここは――王都南にある絶壁だ。


 夕方の赤い光が大地を染めている。

 赤は血を連想させて怖ろしい。

 ましてメリンダの右には『俺を殺してください』でおなじみの、妙に大きな包みを背負った宿屋店主アレクがいて、左にはアレクの申し出をあっさり受け入れて彼の頭を吹き飛ばしたモリーンがいる。

 あいだに挟まれているメリンダは生きた心地がしなかった。


 三人で底の見えない断崖をのぞきこむ。

 しばらくよくわからない沈黙があってから、右隣のアレクが口を開いた。



「今からする修行は、ここから落ちていただくというものです」



 メリンダにとって彼の言葉は理解するのにワンテンポ必要なものだった。

 たぶん今の発言は比喩でも哲学でもなく、言葉のまま、言った通りなのだとは思う。


 でも――

 メリンダは立っている場所から下を見た。


 見えない。

 薄い靄みたいなものは見えるのだけれど、底がまったく見えない――だてに『世界の果て』とか言われてないなと思う、それは見事すぎる断崖絶壁だった。


 落ちたらどうなるだろう?

 メリンダの想像力では、『死』以外の未来が描けなかった。


 ああ、そうだ、死ぬのだ。

 何度も何度も確認した通り、『最終的には生きてるけれど途中経過では死ぬ』というのがこれから行われる修行なのだった。


 死んでも生き返る実例を見せてもらった。

 覚悟だって決めたつもりだった。


 でもなぜだろう。

 メリンダの瞳からは、一筋の涙がこぼれた。


 妙に静かな心で崖下を見下ろしていると――

 左隣のモリーンから、声があがった。



「あ、あの、アレク様、前々から思っていたことを申し上げてもよろしいでしょうか?」



 意を決して、というような真剣な表情だった。

 これから『申し上げる』ことは、彼女にとってとても勇気が必要なのだろう。


 アレクは首をかしげる。

 それから、笑顔で、



「なんでしょうか?」

「いきなり『落ちていただく』と言われても、びっくりするだけだと思うのです。もっと穏やかでおどろきのない説明の始め方など、ありませんの?」

「しかし、いきなり『落ちていただく』と言わないと、落ちないと勘違いされても困りますからねえ。下手に比喩を用いたりして誤解があってもいけませんので」

「あ、あの、でしたら一度、わたくしに説明を任せてくださいませんか? もっと人の心に配慮をした修行説明ができるかと思いますわ」

「ふむ。……まあ、モリーンさんでしたらお任せしてしまっても大丈夫でしょう。思うようにやってみてください。新しいバージョンと古いバージョンを連続で行いますのでそのように」

「あ、ああ、先日わたくしもやった、あの、アレク様のお母様考案の……と、とにかく、期待に応えられるよう、精一杯励みますわ!」



 モリーンが拳を握りしめる。

 そして、視線をアレクからメリンダへと下げた。



「よろしいですかしら、メリンダさん? いきなり『崖から落ちてもらう』と言われては、おどろかない方が無理な話だと思いますけれど、順を追って説明を聞けば、そうおかしな話でもないとわかっていただけるはずですわ」

「は、はい」



 メリンダはなぜだか姿勢を正した。

 モリーンは安心させるように微笑み、続ける。



「これから行うのは、基礎体力作りのようなものなのですわ。この先待ち受けるつらい修行に耐えられるよう、誰でもできる方法で体と心を強くしていく――言ってみればそのようなものなのです」

「だ、誰でもできる……?」

「ええ。崖から落ちるのは誰でもできます。……あっ! いえ、もちろん、普通の人は死ぬとわかっていることを軽々にできないものですわ。けれど、行為としてはとても簡単だと思いませんこと? だって、ここに立っている今、一歩踏み出すだけで落ちることができるのですから」

「は、はあ……」

「ようするに、この修行はどこまでも『気の持ちよう』ということなのですわ。決意さえできるならば、どんくさいと言われ続けてきた、わたくしにも簡単にできました」

「そ、そうなんですか……」

「ですからどうか、崖を見下ろして足がすくんでしまった時は、自分が強くなりたいと思った理由を思い返してみてくださいまし。きっと、あなたの中の大事なものが、あなたの背中を押してくれるはずですわ」



 背中を押してくれる――

 崖の端に立っているタイミングでそういう表現をされると、誰かに殺されるみたいであまり気分がよくないのだが……


 言っていることは、なんとなくわかった。

 少なくとも、いきなり『崖から落ちていただく』と言われるよりは、心の準備が整いやすく思える。


 たしかに――崖から落ちるという行為そのものは、誰でもできる。

 一歩前へ踏み出すだけだ。

 問題は本当に心の中にしかない。


 だからこそ、アレクは最初にこの修行をさせようとしたのかもしれない。

『銀の狐亭』の修行は命懸けだ。

 本当に命を懸ける覚悟がある人だけが、一歩前へ踏み出し、これから先の修行を受ける資格を得るのだろう――そのように、メリンダは好意的に解釈してみる。


 メリンダは心の中に熱いものがこみ上げてくるような感覚を覚えていた。

 ついでに崖下を見て『これから落ちる』と思うと吐き気までこみあげてくるのだが、それは気付かなかったことにする。


 拳を握りしめる。

 そして、モリーンを真っ直ぐに見上げた。



「め、メリンダは、やります……! 気の持ちようなんですよね……? 一歩踏み出せたら、メリンダも強い子になれるんですよね……?」

「そうですわ。愚図だのどんくさいだの馬鹿だの言われ続けてきたわたくしも、今では鼻歌まじりにレベル八十のダンジョンに通えるようになったんですもの。あなたもきっと、強くなれますわよ」



 そこまで強くならなくてもいいのだけれど、勇気の出る発言だった。

 メリンダはムフーと鼻息を荒くして、アレクへ向き直る。



「め、メリンダ、落ちます……!」

「結構。それでは俺は、セーブポイントを出しますね」

「はい……!」

「あとモリーンさんから説明がなかったようなので補足しますと、崖から落ちる修行は二つのパターンがあります」



 メリンダの背中側――モリーンから「あっ」という声があがった。

 ひどく嫌な予感がした。

 でも、メリンダは黙ってアレクの説明に耳をかたむける。



「一つは、たった今モリーンさんから説明があった、『自ら落ちる修行』です。そしてもう一つが、『ロープで崖にぶら下げられてランダムなタイミングで落とされる修行』です。こちらは『落とされる前にロープをのぼりきれたらクリア』というようになっています」

「……」



 なにそれ。

 メリンダはモリーンを振り返る。

 彼女ならば、このどう聞いても命を弄ぶ行為でしかない修行を、共感できるように、メリンダでもできそうな感じに解説してくれると思ったのだ。


 しかし――

 モリーンの目は泳いでいた。



「……えーっと」



 モリーンは考えこむ。

 そして。



「……だ、大丈夫! そのうち、『ロープをのぼりきること』以外なにも考えられなくなりますわ!」



 その発言から漂う絶望感は、モリーンの『フォローしよう』という気持ちが伝わってくるだけにすさまじいものがあったが――

 大丈夫。

 全部――気の持ちようだ。


 やれる、とメリンダは口の中でつぶやいた。

 何度も何度も。

 気持ちさえあれば不可能ではない――そう己に信じ込ませるために。

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