07-08 朱齢石と胡藩
鐘山から上がる煙ァもくもくと空を覆い、その向こうから盛大にドラの音だ、閧の声だが上がる。
浮足立った皇甫敷軍なんざ、きっちり勢いを溜めてきた劉毅の相手になんぞなりゃしねェ。
最後の守りもぶち破られ、建康まで寄奴らを遮るもんなんざ、何もねェ。いちおう加勢っぽい奴らも来ちゃいたが、無駄に死体を増やしただけだった。
「またずいぶんな怪我だ。油断でもしたの?」
寄奴の肩口を見ながら、穆之ァ、言う。
あの野郎、劉毅らよか更に遅れて、ひとりのほほんと寄奴ンとこにやって来やがった。
「んなわきゃねえよ。そいつが己の見立てよか強かった、そんだけだ」
「へえ」
鎖骨をやられちまった朱齢石だ。拱手ァできねェ。そんかし、地面に額をぶっけようかってくれェの勢いで土下座する。
「沛国の朱齢石と申します」
「あぁ、いいよ。そんな堅くならないで。兄貴も僕もごろつき崩れだ。礼を尽くすような代物じゃない」
言うと穆之ァ、寄奴を見る。
「それより、兄貴。できる人なんだね?」
「ああ」
穆之にゃ、己と朱齢石が相撲でやりあったことも話してある。あいつも、そん時から朱齢石についちゃ目星ァつけてた。まさか、こんなうまいこと手元に転ぶたァ思ってもみなかったが――や、うまかァねェな。きちィ一撃もらっちまってるわけだしよ。
穆之ァ鐘山を見上げ、それから前線にも目をやる。
「この感じなら、建康までは抜けるだろうね。そうしたら桓玄がどう動くかになってくるだろう。朱齢石さんとしちゃ、どんな見立て?」
「はっ?」
まさか出会いしなで、いきなり意見聞かれるたァ思ってもみなかったんだろう。朱齢石ァ間の抜けた面を浮かべた。
ったく、この兄弟。いちいち速過ぎんだ。
「このあとの流れだよ。建康に詰めてた兵力と、桓玄の性格と。そこからあなたが想像する、このあと。どんな展開を、あなたなら予想する?」
初対面だってのに、まるで遠慮なんざねェ。っが、朱齡石もさるもの。「は、はぁ……」ってしどろもどろになったのもそこそこに、考え込み、穆之を見る。
「逸早く、南郡に戻ろうとされるでしょう。そして体勢を整えようとなさります。ならば義軍におかれては、速やかに追討の軍を編まれるべきでありましょう」
口ぶりにゃ、それでもまだ桓玄に対する忠節が見え隠れする。っが、さすがにそこまで突っ込んじまうんなァ、ヤボってモンだ。
に、っと穆之ァ笑い、懐から竹簡を引っ張り出す。
「なら、それで行こう。兄貴はケガもあるし、建康であれこれやんなきゃいけなくなるだろう。追討については、何将軍と劉毅将軍に任せるべきだろうね」
竹簡を引き、そこに筆を踊らせてく。その様子を見て、朱齡石ァおずおずとした感じで寄奴を見た。寄奴にしてみりゃ、苦笑で返すっきゃねェんだが。
朱齡石の見立て通りに、事態ァ転がった。
建康の南西にある川港、査浦。そこに待機してた水軍に乗り込み、桓玄ァ脱出。南郡に向かおうとする。
もちろんそいつを黙って見送るわけにゃ行かねェ。劉毅、何無忌を中心に水軍が編まれた。一方の寄奴ァ、いったんァ陸路で南下する。
桓玄をぶっ殺せたその場で寄奴が声を上げる。そいつがこの戦いの勝ちを叫ぶのに、いっちゃん手っ取り早えェからな。
が。
「何だってんだ、止められてんじゃねえか」
船と徒歩とじゃどっちが速えェって、聞くまでもなく、船だ。だってェのに、劉と何の旗ァ、建康のすぐ南、やや川幅が狭めェとこで食い止められてた。
伝令が寄奴のもとに飛んでくる。
「両将軍の行く手に、十隻よりなる船団が襲撃して参りました。上流の利を活かし、食い込みすぎず、両将軍よりの攻め手を躱しております」
「桓玄は?」
「も、申し訳ございません、取り逃した模様で……」
「お前のせいじゃねえだろう。わかった、よく伝えてくれた」
「っは、ははっ!」
ずいぶん恐れ入ったやり取りにゃ、いくぶんのいづらさを感じざるを得ねェ。そいつにも慣れてくっきゃねェんだろうが。
船団を見る。
いくら気張ってみたとこで、敵がぶち当たってんなァ劉毅と、何無忌。劉牢之将軍の才覚を色濃く継がれた二人だ。やつらの船にひとつ、ふたつと火の手が上がる。その半ばほどにまで火がついちまや、もはやこっちの船団を止める手立てなんざありゃしねェ。劉毅らの船ァ、燃え盛る敵艦の脇をすり抜け、船足を速める。
「齢石」
「は」
「やってくれたな。お前のもとお仲間のおかげで、まだまだケリゃあつけらんなさそうだ」
「それは、私が頭を垂れるべきなのでしょうか?」
「あ?」
思わず寄奴ァ朱齡石を見る。
どうにも、心底わからねェ、みてェなツラしてやがる。
ちみっとでも苛ついたんが確かなことだ。っが、一方じゃ、思う。朱齢石、いま、寄奴の目の前にすっ転がされてる奴ァ、そう考えるような奴。
「あいつらの働きに、お前が関わってたらな」
朱齢石にしちゃ、いまいち納得もしきれなかったんだろう。寄奴に対して何事かを言おうとした。
「っあー! 終めえ終めえ! ったく、とんだ貧乏くじだ!」
そいつが、いきなり川から上がってきた野郎の声にぶった切られる。
寄奴のそばにいた衛兵が、現れたそいつに槍を突きつける。
「何奴だ!」
しばし衛兵と見合ったあと、そいつァ身につけてた甲冑を脱ぎ散らかし、無造作にそのへんに投げ捨てた。
胡藩。
己と武昌で相撲を取った、その一番手だ。あん時もずいぶんふぬけたツラでいやがったが、敵に囲まれてもやっぱりおんなじようなツラでいられんだ。そしたらもう、大者って言うっきゃねェ。
「あの船で戦わされてたんだよ。で、用事が済んだんで出てきた。これでいいか?」
「貴様ッ……」
いきり立つ衛兵を手で制し、寄奴ァ前に出る。
「何、済ませてきたんだ?」
「劉裕軍の足止め。もう桓玄殿も逃げたし、このままあそこにいりゃ、俺も殺されるからよ」
「じゃ、己ぁお前にしてやられたわけだ」
「あ?」
やり取りしてる合間にも、わらわらと兵らァ集まってくる。
見るでもなしに周りを見る胡藩ァ、やがて寄奴の後ろ、朱齢石んトコで目を留めた。
「お、齢石! お前裏切ったんじゃなかったっけか?」
「裏切ったのではない、忠誠を誓ったのだ。私の正面におられる方に」
朱齢石に促され、胡藩も寄奴を見る。
「あー……」
ようやく状況がわかったらしい。たァ言え、それで恐れ入ったふうでもねェわけだが。
「そっか、あんたにゃ悪いことしたな。けどよ、戦いだしな。そんなもんだろ」
言って、豪快に笑う。
周りの奴らァめいめいに武器を突きつけてるわけだが、こんだけ堂々とされちまうと、変に動けねェ。まして、寄奴ァ寄奴で命令らしい命令も出さず、ニヤニヤ胡藩を眺めてやがる。
「名前は?」
「予章の胡藩ってんだ。なぁ、ところで劉裕さんよ。桓玄どのも行っちまったんなら、ここでの戦いは終いだよな? なら、いい加減帰りてえんだけどよ。馬、一頭貸してくんねえか?」
まるで悪びれも、おじけもせず、だ。
こんだけ豪快に言い切られちまや、寄奴にしたって笑うしかねェ。側仕えに言いつけて、本当に一頭を見繕ってやる。
「あとで馬代の取り立てに行かせるからな」
馬上のひとになった胡藩に、寄奴ァ言う。胡藩ァにやりと笑い、手綱を引っ叩いた。
何がなんだかよくわかってねェ奴らを左右にかき分け、胡藩ァ南に駆け去ってく。
そいつを見送ってから、寄奴ァ、朱齡石のほうに向く。
「齡石」
「は」
その顔つきゃ、どうにも硬てェ。寄奴でなくたって、そんなんイジらずにゃいらんなかったろうさ。
「胡藩の野郎見てからこっち、ずいぶん居心地悪そうだったじゃねえか。どうしたよ、いきなり?」
朱齢石ァ、見るからにうぐって詰まる。
いまさら先生に言うまでもねェだろうけどよ。朱齡石と胡藩ァ、みっちり稽古をつけあってた仲だ。
親しい、たァ言えねェだろう。っが、西府ン中で、才能の近けェアイツらが高め合ってたんなァ、間違いのねェこと。
寄奴の言いぐさについちゃ、こう言えちまうんだよな。「見てきたように」ってよ。なにせ実際に己が見てきたんだからな。正真正銘の千里眼だ。
朱齡石ァぐるぐる考え込んだあと、がっくりとうなだれ、言う。
「あれが将軍の行く手を阻んだのであれば、私が桓玄様の逃亡に一枚噛んだ、とも申せましょう」
寄奴ァははっと笑ったあと、改めて長江に浮かぶ船団を見た。残されてた船にゃ火が付き、わらわらと船員たちが飛び降りてる。
寄奴ァ手前ェの隊に向け、言う。
「川に落ちてったやつぁ、できるだけ引き上げてやれ! これ以上、殺す必要なんざねえ!」
応、って声が上がる。さっきまでと違い、何をすべきかがはっきりしてる。そうなりゃ、寄奴が仕込んだ奴らだ。あとの動きゃ早えェ。
そこに加えて、寄奴ァ言う。
「手早く済ませよ、あと一息だ! そうすりゃ、うめえ酒にもありつけらあ! 毅や無忌らに悪りいがな!」
そこかしこから笑い声が上がる。
そいつらを受けて、とどめの一言。
「己らの、勝ちだ!」




