07-02 檄文
京口に魏詠之が出張ってきた。
なんで寄奴ァ、魏詠之とつるんで何無忌ん家に出向く。淝水の暁勇つながり、ってなもんだ。
門に姿を表した何無忌ァ、ほうぼうに包帯こそ巻いちゃいたが、思いもかけねェ来賓に頬をほころばせる。
「魏詠之殿! 息災でおられたか!」
「寿春は都より離れておるのでな。そなたらほど慌ただしくはなかったさ。しかし、」
そこで言葉を切り、何無忌の上から下までを見渡す。
「――ずいぶんと、痛々しいな?」
「ああ、それはな」
言って何無忌ァ、ぎろりと寄奴を睨む。
「この男のせいだ。ひとを次から次に激戦地へ放り込みおってからに」
「何言ってんだ、おかげでまた将軍に戻れたんじゃねえか。むしろ感謝して欲しいくれえだ」
「殺す気としか思えんかったが?」
魏詠之がくく、と笑う。
「引き続き仲が良さそうで、何よりだ。だが、怪我人をいつまで立たせおくのも忍びないな」
魏詠之が後ろに引き連れてきた車にゃ、土産やら膏薬やらがこれでもかって載せられてる。ついでに言や、酒も。
「これらを、そなたの家に運び込んでも?」
その量を前に何無忌ァしばし面食らったが、ここまで持ってこられたもんを突っ返すんなァ、そりゃそれでしょっぺェ。形ばかりに二、三度辞退こそしたが、四度目で「ならば、恐れながら……」って受け取る。
叔父上の処刑なんてことがあっても、何無忌ァ何とか家を追ん出されずに済んでた。そんかし、中ァがらんと寂しい。家財道具ってだけじゃねェ。多くの使用人たちが辞めてったって言う。
「少しゃ雇い戻しもできたのか?」
「そう上手くはいかんな。奴婢とて自分からわざわざ桓氏に睨まれたいとも思うまい。もっとも、人のおらん屋敷も、それはそれで趣があるがな」
その笑いにゃ、大した重みを感じさせねェ。心底から言ってんのかどうかァわかんねェが、少なくともまるまるが嘘、ってわけでもねェんだろう。
居間に案内されりゃ、何無忌のおふくろ殿と奥方が飯だ酒だを一通り並べてた。
おふくろ殿ァ、寄奴が入ってくると、もう、あからさまに睨んでくる。
それもそうだ。劉牢之将軍の姉上にあたるんだからな、北府の兵卒ども以上に、仇の下でのうのうと出世してやがる寄奴がムカついて仕方ねェんだろう。
「母上、娘子。手間をお掛けした」
何無忌の奥方ァ微笑みながらペコリと頭を垂れ、母上ァしかめっ面のまま。ただ、退室しようかってときに、ポツリと母上が漏らす。
「ご銘じおかれなさいよ、劉裕殿。桓玄めを確かに討ち果たすまで、そなたは私の仇です」
返事の代わりに、寄奴ァ床に正座し、手を、額をつける。そんな格好だ、二人の退出ァ見届けられねェ。
戸の閉まる音がすると、何無忌ァため息をついた。
「母上も、分かってはおられるのだがな」
「構やしねえさ。劉氏にゃ怨むだけの理由がある。ならそいつも預かって、まるごと剣に乗せるさ」
寄奴が顔を上げりゃ、目の前にゃ、盃。
受け取ると、何無忌が酒を注ぎ込んでくる。
次いで魏詠之の盃にも酒を注ぐ。何無忌の盃にゃ、寄奴と魏詠之とで、半分ずつ。
「大晋の光復に」
何無忌がつぶやき、三人揃って、一気に盃を乾す。いちど脇に除け、互いを見合う。
「寿春は今、どんな感じだ?」
開口一番に切り出すんなァ、寄奴だ。魏詠之のほうを見る。
「ここ近日で、流民が増えている。その対応に大忙しだ。その中には、ずいぶんと藁編みの子馬を持つものがおってな」
「へえ。季子、彭城あたりで大立ち回り決めたって聞いてたが、やるこたやって下すってんだな」
ニヤニヤ呟く寄奴を、何無忌がきっと睨む。
「劉裕! 不敬だぞ」
「へいへい」
盃を引き寄せ、酒で充たして、ひと呑み。手近なとこにある鳥のもも肉をふん掴む。
季子、ようは司馬休之どのァ亡命って態を取りながら、その裏じゃ反桓玄の仲間を募って回られてた。志に共鳴してくれたやつにゃ、わら編みの子馬を渡して。
表向き流民として、そいつらァ広陵に、寿春に集いつつあった。広陵なら長江を渡って京口に出、陸路で建康に攻め込める。寿春なら建康南西の町、歴陽まで出たとこで長江を渡り、北上。もしくァ歴陽の川港を占拠しちまい、水路を使おうとする奴らの足を止める。
そんなことを企んでた中、うっかり彭城でムロン討伐の旗印に担がれかけたってんだから笑うっかねェ。なんとかムロンの手も振り切れたそうじゃあったが、そんなんですっ転ばれちまや、洒落にもなんねェ。
全く、何無忌が嘆息のあと、一本の竹簡を寄奴に投げてよこす。
「何だこりゃ?」
「檄文だ。お前に読んでもらう、な」
開いてみりゃ、そこにゃみっちりと文字が居並ぶ。意味が取れねェ、わけじゃねェ。だが、ぞわっと背筋にさぶいぼが立つ。
「おい、無忌、こう言うんなあ己向きじゃ――」
「逃げは許さんぞ。お前が語るから意味があるのだ。いまや民の与望を背負った、お前がな」
有無を言わさぬ声色。
こうなったときの何無忌ァ、どう頑張ったとこで譲らねェ。しばらく何無忌の方を見て、そっからあからさまに口元をひん曲げて、改めて竹簡に目を通す。
「一応言っておくが、お前に丸暗記は求めておらんからな」
眉間にしわ寄せた寄奴に、やや穏やかな声で、何無忌が言う。
「檄文では、形式がどうしても重んじられる。故に本文は高札に張り出されるのが常だ。ならば、劉裕。お前に求めたいのは、大筋を拾った上で、お前自身の言葉で語りかけることだ」
何無忌を見る。
ニヤついてやがる。
寄奴ァ、やや大げさに舌打ちした。
「無忌。お前、変なとこで将軍そっくりだな」
竹簡を巻き、懐にしまう。
相変わらずの何無忌、魏詠之のにやけヅラを前に、寄奴ァいちど、盃にこぼれるくれェの酒を注ぎ、飲み乾した。
そしたら、ここで何無忌から預かった竹簡について語っとこうか。
家に帰ってから、そいつを穆之に見せる。
へぇ、って穆之ァ声を上げた。
「なるほどね。じゃ、兄貴。当日まで大事にね」
言って、竹簡を返してくる。そいつに寄奴ァ、思わずキョトンとしちまった。
「手直ししねえのか?」
「どうして? いい文だ。上手く形式に当てはめた中で、最大限に思いを伝えたい、ってのがわかる」
こうして聞いてっと、よくわかるよな。
褒めるってな、ほんに上からだ。たぶんこんときも、穆之ァその気になりゃいくらでも朱を入れられたんだろう。
「言葉は、誰の思いを、誰が、誰に伝えるか、さ。そいつが全てだよ。まったく何参軍のおっしゃるとおりだ。兄貴がこの文から、参軍の何を感じたか。そいつを、思ったままに伝えりゃいい」
話はそこまでだ、とばかりに、穆之ァ手もとの竹簡に目を落とし、筆を走らせ始めた。またたく間に一本が、かたわらの墨干し台に掛けられる。
手元に戻ってきた竹簡を、寄奴ァしばし眺める。
――おい、旿。
で、己に言ってきやがんだ。
――とりあえず、そっちで全文写しとけ。そしたらいちいち見返さずに済む。
ひでェ話だよな?
あの野郎、己のこと覚え書きくれェにしか思ってやがらねェんだ。




