07-01 楚氏戴冠
「劉建武、凱旋!」
無駄に大げさな呼び出しと、うすら寒みィ拍手とに包まれ、寄奴ァ京口府の鍛錬場をのっしのっしと進む。設けられた演壇の上にゃ、桓玄。
寄奴ァいちど目をつむり、細く、長く、息を吐く。
拳を握り、ゆるめ、それから目を開ける。
壇上に進むと、桓玄に拱手した。それから寄奴ァ、練武場のほうに向き直る。顔、顔、顔だ。寄奴に羨望の眼差しを投げかけてくるやつもいりゃ、あからさまに蛇蝎でも見るかみてェなやつもいる。そりゃそうだ、劉牢之将軍よりいただいた恩も忘れて、おめおめと桓玄にシッポ振ってんだからな。
「この国を長らく苛み続けた妖賊、孫恩! こたび、劉建武の奮戦にて、ついに彼の者が打ち果たされた! いまだ残党こそ残りおるものの、それも時を置かず、蕩尽されようぞ!」
桓玄がよく通る声で叫びゃ、大晋、建武の大合唱だ。桓玄ァ、敢えてそこに桓氏の合唱ァ求めねェでいた。何が北府兵の心を掴むか、よくよくわきまえちゃいたらしい。
「桓将軍。なんで己ゃ、こんな茶番に付き合わされてるんすかね?」
大衆の前でそれなりのツラを演じながら、寄奴ァ手前ェの後ろにいた桓脩に問いかける。
「耐えよ。英雄が要る。それも、破格のな。今の北府で、その名に耐えうるのはそなたを措いて他になかろう」
いただろうさ。
あんたらが殺さなきゃな。
そんな、言ったとこで仕方のねェ思いがよぎる。っが、そいつァ振り払う。奴らの思惑に乗り、武名を高める。それ以外のこたァ忘れるべきだ。
「わかってますよ」
顎を引き、胸を張る。何だっていい。北府の奴らが、従わざるを得ねェ奴になりゃいいだけの話だ。
「大将軍よりのご紹介にあずかった、建武将軍、劉裕だ!」
たったひとりで、北府兵どもの歓声にも負けねェくれェの、がなり声。
「この江南の地を蝕む、五斗米道の残党、盧循! 北に向きゃ、ヤオ、ムロン、そしてトゥバのクソども! 余計なこた考えなくていい、殺すぞ! 手前らの友のため、家族のために!」
寄奴が拳を突き上げると、歓声が更に高まる。
寄奴ァ思う。
待ってろよ、劉将軍の仇ゃ、己が取らしてやる。
京口府の大会堂に、酒だ食いもんだがところ狭しと並ぶ。他でもねェ、寄奴をもてなすための宴だ。遠慮なくがっつき、盃を乾す。その飲み食いっぷりに、周りの奴らが感嘆の声を上げる。
「そう焦らんでも良かろうに」
「こいつだけが楽しみだったんすよ」
そう言いながら新しい牛の腿にかぶりつく寄奴に、桓脩ァ苦笑を浮かべた。
盛大に食い散らかしながらも、寄奴ァほうぼうに目を飛ばす。当たり前だが上座近くァほとんどが西府の奴らで占められてた。桓玄に桓脩、それから皇甫敷、卞範之。他にもその手下みてェな奴らばっかだ。北府系の奴らァ、ようやく虞丘進と孟龍符、それからちらほらほかの将軍の下で働いてた数人が、部屋の隅に散らばってる。下手にくっつかねェよう、「配慮」がよく行き渡っていらっしゃる。
「配下が気になるかね?」
「多少は。どうせならここに並んでるような飯を食わせてやりてえとこじゃありますが」
「もっともだ」
空になってた寄奴の酒盃に、桓脩が手ずから酒を注ぐ。口ン中の牛をひと飲みにすると、両手で酒盃を取り、いちど額のあたりに掲げてから、飲む。
桓脩ァうなずくと、正面に向き直った。寄奴もそれにならう。
「これは、周りから耳にするうわさ話なのだが」
持ってまわった前置き。七面倒臭えな、内心でこそ思うが、口にゃ出さねェ。
「宮中、国内では、大将軍の威徳が既に、帝をも上回っているのでは、と囁かれているそうなのだ。この点について、そなたの見解を伺ってみたい」
来たか、寄奴ァ思う。
桓玄を見る。上座にあって、いかにも重い肩書きの乗っかっていらっしゃりそうなお歴々と歓談を交わしてる。
この辺についちゃ、あらかじめ穆之と話し合ってた。いつか、聞かれるだろう。そう見越して。
「申し訳ねえが、徳だ何だについちゃ、己りゃ全くわかんねえですよ。こちとら戦場で敵をぶっ殺すことしかやってこれてねえんだ」
わざと、そう前置きする。
桓脩の顔に、やや陰りが指す。
「己が分かるんなぁ、誰がいっちゃん強ええか、です。そしたら親父どのから勢力を引き継がれ、いまや宮中をも握ったお方、って答えるっかねえでしょう。そいつぁ残念ながら、帝じゃねえ」
嘘をつく気にゃなれねェ。だからと言って、桓玄を帝位につけねェ訳にも行かねェ。そいつを進めなきゃ、やつを倒す隙を作れねェからな。
だからこいつが、寄奴に言える、ギリギリの線。
「――そうか」
そうつぶやいた桓脩の声ァ、どうしてか、力無ェもんだった。
「そなたにそう言ってもらえるのであれば、もはや事は成ったようなものだな」
桓脩が、ぐい、と一杯を飲み乾す。
寄奴ァ酒壺を取り、桓脩に一献を注いだ。
桓玄の戴冠の義が執り行われたんなァ、それから間もなくのこと。「楚」と国号をぶち上げ、もとの帝ァいち地方領主に格下げされた。
桓玄の即位を、だれが助けたか。聞くまでもねェ、西府の奴らだ。
名家のお歴々も、名こそ連なるが、西府系の奴らに比べりゃどうしても影が薄い。王謐のオッサンもすっかり縮み上がっちまってて、見てて痛々しい限りだった。
そん中で、むしろ幅を利かした家もあった。
王恭の一門、太原王氏だ。いとこ筋の王愉って奴が、ぞろぞろと取り巻きを連れ、肩に風。
式典も終わり、寄奴がやれ京口に戻ろうか、ってとき。うっかりそんな王愉一派に出くわしちまう。
ずいぶんなお大尽だな、そう思いながらも、寄奴ァ黙って通路の脇に避け、拱手し頭を垂れた。ああいう手合いァ、大人しくやり過ごすに尽きる。
っが、そうそう都合よく行かねェのが世の常、ってな。
王愉ァ、寄奴の正面で止まる。
「その風体、貴様が劉裕だな」
「はぁ」
フワついた、キンキンした声。耳にするだけでサブイボが立つ。
っが、そいつも、次の一言で吹き飛ぶ。
「いつぞやは、我が宗門が大いに世話になったそうだな? どこぞで礼をせねば、と考えておったのよ」
王。
思わず、寄奴の口元が歪む。
なるほど、劉牢之将軍が手を出せずにいたわけだ。
あのクソ、王道隆に。
王愉ァその後もネチネチ寄奴に言ってきたが、そんなんにゃ付き合っちゃいらんねェ。
思いついたんなァ、ひとつ。
――ようやく、クソ共の根っこに近づけた。




