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昇龍、扶翼を喪ず――南朝宋武帝 劉裕伝  作者: ヘツポツ斎
6   五斗米道と桓玄
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06-04 京口府     

 京口けいこう府の寄奴きどに割り当てられてる部屋の真ん中にゃ、穆之ぼくしが座る。その目の前に地図が開かれ、あちらこちらでコマを動かしてる。

「ああ、全く! はじめからここでやらせてもらえてれば、もっと楽だったろうに!」

 ぼやきながらもあっちの報告を受け、こっちの報告をもらい、次々と指示を飛ばしてく。次々と、黒いコマが地図上から弾かれる。

「兄貴、ここは大丈夫だ。そろそろ一度、町を見回ってやってほしい。誰が五斗米道ごとべいどうを追い払ったか、伝わってるだろうからね」

「ああ」

 甲冑を外し、汗やら埃、返り血だを拭き取って。こざっぱりとした服に着替え、改めて剣だきゃァ、佩く。京口府に残ってた馬のうち、できるだけガタイのいいやつを回してもらう。合わせて諸葛長民しょかつちょうみん檀道済だんどうさい王元徳おうげんとく王仲徳おうちゅうとくにも。

劉裕りゅうゆう殿、何ら官位を持たぬ我々を同道するのは、あまり良くないのでは?」

 だいたいが兄貴の補佐に回ってた、王仲徳。そういう役回りをずっとしてきたからか、それとも生まれついてのもんなのか、どうにも控えめ、控えめでいようとするところがあるみてェだった。

「いいんだよ。オレの名前についちゃ、思いっきり穆之が売り込んだ。なら、そいつでどれだけお前らの名前も売れるかだ。ここでお前ら兄弟の働きを知らしちまや、北府ほくふだってほっときゃしねえだろう。いつまでもせい田子でんしのお守りばっかさせてる場合じゃねえ」

 できるだけ、のんびりとした感じで言う。

 ――間もなく、桓玄かんげんが建康に出てくる。

 名目ァ襲いかかってきた五斗米道を打ち払うための支援、だろう。っが、そこまで出てきて、奴が司馬元顕しばげんけんをおめおめ見過ごすとも思えねェ。

 そしたら、さらにもう一戦、だ。

 いつまで経っても果てが見えねェことにげんなりする。っが、だからって備えなしでいられるはずもねェ。人を率いられるやつにゃ、少しでも早く肩書が要る。

 五騎で街をゆく。

 寄奴を先頭に、右手後ろにゃ諸葛長民と、檀道済。目立ちたがりの諸葛長民ァ、ここぞとばかりに浮かれ上がってた。みちみちで歓声を上げる女子供どもを前に、鼻高々だ。檀道済ァ例によって、ぬぼーっとしてるだけだったが。

 左手後ろにゃ王元徳と、仲徳。どっちも京口じゃそう知れた顔じゃねェ。っが、そんな奴らが五斗米道鎮圧に大きな働きをした。京口の民の多くがそいつを見てるし、もちろん穆之が二人の名を売るのにも手を回してた。奴らァ思いもかけねェ歓声にあい、戸惑うような、照れるみてェなツラになる。

 と、そこに早馬がやって来た。

「劉裕殿! 鎮北ちんほくよりの書状にござる!」

 そいつを聞き、寄奴の面がこわばる。

 寄奴ァ鎮北将軍、つまり劉牢之りゅうろうし将軍からの命令を受けるよりも早く動き出した。

 そいつァ詰まるとこ、命令違反だ。つーかどの口で「一人の乱れで五人が死ぬ」とかほざいてやがんだって感じじゃある。

 早馬から手紙を受け取ると、いちど諸葛長民に回し、読み上げさせる。

「お前、いい加減読み書き覚えろよ」

「まぁ、ぼちぼちな」

 そっから諸葛長民ァまだブツブツ言ってやがったが、やつ自身、手紙の内容ァ気になって仕方なかったんだろう。すぐに読み上げ始める。

「劉裕、貴様のことであるから、この書は平定のなされた京口で読んでいるものと思う。むしろそうでないならば、受け取った時点で自刃し、果ててみせよ」

 初っ端からのきちィお言葉に、思わず寄奴ァ苦笑した。

「京口を通過し、建康に向う孫恩に対しては、さしたる対策も取れぬ司馬元顕しばげんけんの代わりに、宗族の司馬休之しばきゅうし様が指揮を取っておられる、とのことである。吾輩は寡聞にして司馬休之様の詳細は存じておらぬが、かのお方が貴様を見出されたことを思えば、期待は持てるものと考えている」

 やや、寄奴の口元が引きつる。

 こん時の寄奴にゃ、司馬休之どのの将才を測れる手立てなんぞ、一切なかった。

 あのお方とのやり取りの間にゃ王謐おういつのオッサンと、その書記どもが挟まる。どこまでがあの方の言葉だったのかなんざ、まるで見当もつかねェ。

 と、ここで諸葛長民の顔色が変わる。

「だが、一方で別口の問題が現れた。西府せいふ桓玄かんげんである。彼の者が建康救援を旗印に、水軍にて長江を下っている、との報が入った」

 そいつが何を意味してんのか、諸葛長民も理解したらしい。

 桓玄が兵力を蓄えてんなァ、周知の事実。たァ言えそいつをうかつに動かしゃ、叛意あり、ってことで、正々堂々とぶちのめす大義名分も立つ。

 っが、孫恩っつう厄災が、実際に建康に迫ってる。

 こいつをどうにかするために、軍を動かした。桓玄にそう言われちまや、建康側にゃ何も突っぱねられる材料がねェ。どうにかできる、って言おうにも、とっくに五斗米道どもァ沿岸の要衝、京口を突破しちまってる。西府軍の到着ァ、悲しいかな、形の上じゃあ「得難い援軍」でしかねェ。

「建康よりの制止を振り払い、軍拡を続けてきた桓玄である。奴がこの期に建康を陥れん、と企むは必定。ともなれば、いま建康には、五斗米道ごとべいどう以上の危機が迫っている、とも言えよう。劉裕よ、京口を平定したる後、速やかに建康に向かうべし。鎮北将軍 劉牢之」

 手紙の内容ァ、そいつで仕舞ェだった。

 読み終えると、諸葛長民ァ手紙を投げてよこす。ニヤつきが、そのツラにゃへばりついていやがる。

「なかなかのんびりできねえもんだな。ま、俺らはなんだかんだで一回家に戻れたぶん、まだマシってとこか」

 寄奴ァ改めて手前ェで手紙を広げると、盛大に舌打ちひとつ、巻き取り、懐にしまいこんだ。

「京口府に戻るぞ。長民、道済。お前らで建康に向かう隊を編め。元徳、仲徳。もうちょい京口の留守を頼んだ」


 ひと晩休んだあと、すぐさま寄奴ァ出立した。

 出せる限りの最速っつっても、いちど強行軍を決めちまったあとだ。どうしても、その歩みは鈍びィ。京口を出て、長江沿いに進む。江乗こうじょう村を抜け、羅落橋ららくばしを渡る。

 そん頃にゃもう、三日が経ってた。

 と、孫季高そんきこうが言う。

「劉郎、西のかたに船影が見えるデ」

「数は?」

「十はくだらん。それと、白虎旗も見えん」

「へえ」

 白虎旗。

 晋を象徴する、金徳の霊獣をあつらえた旗だ。つまり、そいつを掲げてねェってこた――

「季高。悪いが、奴らにゃ構えねえぞ」

「分かっとる」

 表情に乏しい孫季高のツラが、これでもかってくれェにひしゃげちまってた。

 わななく肩と、きつく握られた拳と。

 船団ァすぐに見えるようになり、ぐんぐんデカくなっていく。先頭の船以外ァそこかしこに損傷が見て取れた。

 五斗米道の船団だ。

 どうやら建康ァ、奴らの魔の手を無事振り払えたらしい。

 先頭の船、その舳先に一人の男がたたずんでた。遠目にもわかる、孫恩そんおんだ。

 船の一隻も持たねェ寄奴だ。奴らの撤退についちゃ、見送るっかねェ。なら、変に睨みつけてみたとこでしかたねェ。行き違うがままにする。

 っが。

「劉裕、後ろだ!」

 いきなりの、諸葛長民の声。

 振り返ってる暇ァ、なかった。

 後ろに二、三人の楯兵どもが集まり、なにかを防ぐ。

 がん! って甲高い音がした。

 すぐさま他の奴らが寄奴の周りを囲む。

 一方で寄奴ァ、舳先に目が釘付けになった。孫恩の後ろにゃ、放ったあとの弓を手に持ちながら、こっちを睨みつけてきてる野郎がいた――廬循ろじゅん

「いっぱしの矢撃ちやがる」

 やつを最後に見たんなァ、もう十年以上前にもなる。寄奴に無謀にも躍りかかり、返り討ちにあって、ションベンたれてやがったクソガキだ。そいつが生意気にも、わざわざ寄奴に射掛けてきやがった。

 盾にぶち当たり、へし折れた矢にゃ紙が結び付けられてた。

 そいつを解き、開きゃ、書かれてたんなァたった四文字だ。

「仙堂已尽」――仙堂、已にして尽きぬ。

 寄奴ァ紙を握りつぶす。

 そいつを書いたんなァ、孫恩か、盧循だったのか。ただ、確実に言えるこたァある――奴らァ、それっぽい題目を捨てた。

 題目を捨てられるだけの力を手に入れた、って考えんのがいいんだろう。そいつァ、寄奴の目の前を通り過ぎてく大船団が証明してる。

「面白れえことになってきたじゃねえか」

 水平線の向こうに消えてく船団を見送ったあと、寄奴ァ、改めて建康のほうを見た。

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