幕間 北西春秋
いっくらべらべらくっちゃべったとこで、終わりなんざまだまだ見えやしねェ。そんな大したこたねェ人生っちゃ思ってたが、なんのなんの、一回口滑らしちまや、どこまでも尽きる気もしねェ。
揺らぐ柳の枝を見て、一息つく。
歩き通しで、節々が痛てェ。あっちゃこっちゃの切り傷やら打ち身ァ、じりじりと己の脳天を焼き焦がしてくる。
グダグダしてねェで、ニ、三日寝とくべきなんだろう。そいつァわかってる。っが、己ァ先生に伝えてェんだ。己が見聞きしたこと、その全て。そいつが、どんな意味を持ってるか。
や、意味なんざ、あってもなくてもいい。誰にも話せずにいたことを、誰かに吐き出してェ。なんもかも、包み隠さずに。己が望むんなァ、突き詰めりゃそんだけだ。
「――なァ、先生」
たァ言え、ずっとくっ喋ってりゃ、いやでも息切れしてくる。
だから己ァ、先生に聞く。
「何となくもやもやしてたんだがよ、つまるとこ、北府と西府ってな、いってェ何なんだ?」
少しの間だけでも、先生に喋ってもらっとこう、ってな。一息つけりゃ、また喋れんだろ。
そんな己の助平心、まァ先生に見抜かれねェ訳ゃあねェ。
真っ赤な団子っ鼻が、すん、って跳ねた。
「いまさらそれかい、順番がおかしすぎんだろ」
「つっても、わかんねェもんはわかんねェしよ」
はぁ、先生がため息をもらした。
「ま、話す分にゃ構わないんだけどね」
そんで先生ァ人差し指をおっ立てて、くるくるって回した。
その二つがなんなのかって、そりゃ晋の守り手だ、って言うしかないわけだけどね。
お馬さんに乗った胡族の足を取る湿地帯、問答無用で行く手を遮る長江。こいつらが建康に乗り込もうって言う胡族の攻めをおおいに妨げてんのは、ご存知のとおり。
だが、奴さんだってそいつでおとなしく立ち往生してくれるわけじゃない。あの手この手で、乗り越えてこようとしてくる。
なら、そいつらを防ぐためにゃどうすりゃいいか、って話になる。
都合のいいことに、建康を攻めるんなら、道筋が二つっかないんだよね。長江を乗っ取って下るか、湿地帯のマシな道を縫って攻め寄せるか。ならこっちも、軍府を二つ設けりゃいい。つまりそいつが、西府と北府だ。
……とまあ、ここまではおさらいだね。お前さんが知りたいのは、旿の。いったい西府と北府ってな、どんな奴らが作り、育ててきたんだ、ってことだよね?
この辺を話すにゃ、どうしても歴史の講義になっちまうけどね。寝るんじゃないよ?
先に言っとこうか。北府は流民たちの寄り合い所帯、西府は生え抜きの軍。こいつが、一等大きな違いだ。
我らが大晋のご先祖さまがたは、胡族らに散々にいたぶられ、江南の地に逃げ込んできた。
で、このときに逃げてきたんな、お貴族さま方だけじゃない。それこそ宋王どののご先祖様みたく、民草も我先に、って長江を渡ってきた。
彼らが行き着くんなあ、どうしても大きな港のある街になる。慌てて広陵にまで行き着いて、そっから船に乗れたやつは京口まで。
ただ、乗れようが乗れまいが、そいつらが根無し草なんにゃ変わりない。広陵も、京口も、どこの誰とも知らん奴らがわんさとひしめき合うわけさ。
盗み、殺し、かどわかし。ろくでもない騒ぎが起こらない日なんざ、なかった。
ただ、中にはこういった事態をうまく乗りこなしてくる方もいらっしゃったりする。
郗鑒、ってんだけどね。元々は中原の都でお偉いさんに取り立てられてた武将だったが、お偉いさんが、よりにもよって殺し合いをしでかし始めたもんだから、そいつを嫌い、江南の地にやってきた。
そこで中原に起こるのが胡族の強襲、いわゆる永嘉の乱。お偉いさんがたはほぼ皆殺しを食らって、国が国としてまともに動きゃしなくなる。その上胡族を恐れて江南の地に逃れてくる流民はさらに増える。増えまくる。
そんな様子を見て、あの方はすばやく動かれた。やってきた流民たちを、いち早く取りまとめられたんだ。
流民たちは胡族の恐ろしさを知り、また憎み、蔑んでた。けど、かれらにゃ復讐の手立てはない。そんな奴らは、ほっとけば江南の村々にちょっかいかけ始めるだろうし、そうなったらこっちまでぐちゃぐちゃになっちまう。
なら、どうすりゃいいのか。兵隊にしちまえばいい。
そんなん分かってても、そうそう実行なんざできなかろう。ましてや、やったらやったで、今度ぁどう取りまとめてくか、みたいな問題が出てくる。思い立つだけなら簡単なんだ。郗鑒様のすごいところは、実際に流民たちをまとめきったことにある。鬱憤のたまった荒くれどもを取りまとめんのなんざ、そんな簡単なこっちゃないと思うんだよね。
ともあれ、郗鑒様が取りまとめた流民たちゃ、武力と大義名分を得た。ただ、こいつらの手綱をどう捌くか、ってえのが、郗鑒様のあとを継いだ長官がたにも、ずっと問われ続けることになるんだ。
さぞかし、大変だった事だろうね。
いっぽうで、西府。
軍府の置かれてる荊州は、おっきな交差点みたいなもんだ。北の中原から沔水を通じて、長江につながってく。水陸の道を使や、いくらでも人やモノを動かせる。だから、しばしばこの地を巡っての戦いが起きてる。三国志の時代だって、劉備と孫権が喧嘩別れしたんなあここを取り合ったからだしね。
だから、晋が天下統一を果たしたときにも、ここには辣腕の長官が配属され、文武ともに鍛え上げられた将兵が取り揃えられた。つまりそいつは、そのまま大きな力を得る、ってことにもなるんだがね。
そしてやってくる、永嘉の乱だ。中原の戦乱は、当然荊州にも飛び火しかけた。だが、ときの長官、劉弘様が見事にそいつを食い止めなさった。
このとき、劉弘様の部下として大いに功績を挙げられたのがアタシのひいじいさん、陶侃様さね。地元出身の蛮族、川犬って呼ばれて中原の奴らにゃさんざん馬鹿にされたが、そいつらを実力で黙らせ、ついには劉弘様の後継者として指名されるにまでいたった。
ほうぼうが戦乱で荒れ果てる中、その武力で、比較的でこそあるものの平穏さを保ち続けたんだ。西府の将兵は、そいつを大層誇りに思ったそうだよ。
中原で帝が殺され、建康に立った新帝に、ひいじいさまは一応恭順の意は示した、っていう。っが、傍系のぼんぼんが勝手に名乗った皇帝の座についちゃ、だいぶ軽く見てたっぽい。そのせいもあってか、例えば大きな反乱が起こったりすると帝に協力こそするものの、あんまり仲良く足並み揃えようたあしてなかった。
ひいじいさまが亡くなってからこっち、中央の役人がやってきたりはしたけど、将兵たちゃ「おれたちゃ建康と対等だ」くらいの気持ちを抱えてた。で、そいつは結局今に至るまで引きずられてるわけだ。
さて、外敵から国を守るための武力として、北府と西府はすくすく育った。
もちろん相手にすんのは、国外の敵だけじゃない。南のほうにちらほら見かける異民族らだってどうにかしなきゃいけないし、国内で反乱起そうって不届き者をぶっちめんのにだって駆り出される。
だがね、そんな風にいつまでも都合よく使われてたいって思う奴なんざ、そうはいない。中にはこの国を乗っ取ってやろうって考える奴も、当然出てくる。
そいつが桓玄のおやじ殿だってんだから、まぁ良くできた話だよね。
そう、桓温だ。
その図抜けた文武の才、度胸、決断力。そう言った諸々を当時の西府の長官に気に入られて、西府の属僚に収まった。だが、あの人も一軍府に収まるような器じゃない。あっちゅうまに西府を掌握して、いきなりどでかい武功を上げ、中央に働きかけるだけの立場を手に入れる。
二つ軍府があるってこたあ、片方だけ抑えても意味ないのさ。もう片方も抑えなきゃならない。だから桓温がこの国を手に入れるんにゃ、どうやって北府も手に入れるか、ってことになる。
ここで桓温んとこに、追い風が吹いた。
西府に郗超、ってのがやってきたんだ。郗鑒様の孫さ。
この時、北府の長官は郗鑒様の息子、つまり郗超の父親だった。郗愔って言う。中央としても、何とか桓温の動きを牽制しようと思ってたんだろうね。北府長官の直系をねじ込んでくるとか、いくらなんでも意図が見え見え過ぎらあな。
が、結果としちゃ、そいつが災いした。
郗超は、凡人のおやじよりも、才気あふれる桓温を取った。その際立った策謀の才能で郗愔を引退に追い込み、桓温に北府の指揮権を持たせることに成功する。
中央も慌てたが、そうなっちまえばもう、遅い。桓温は、晋国内で最も大規模の軍を動かせるだけの実権を手に入れた。
たぁ言え、実権だけでどうにかできるほど世論ってな甘くない。実権に見合っただけの実績も残せなきゃ、ついてく奴なんざいない。
だから桓温は、北伐を行った。
中原の奪還、なんていや聞こえはいいけど、要は「俺の強さを内外に知らしめて、俺こそが王たるに相応しい事を証明する」って辺りの行動になるかね。
ま、そいつもムロン・チュイによって台無しにされるんだけどね。
そして、惨敗って結果は、実権をも削ぐ。
だから桓温は慌ただしく禅譲工作に走った。時の帝、簡文帝に「桓温に皇帝の座を譲る」と書かせようとしたんだ。だがそいつは謝安様に阻まれ、頓挫。意気消沈した桓温は、それで気力の糸が切れたか、死んだ。
この時桓温が後継者に選んだのが、他ならぬ桓玄だった。
と言っても、当時桓玄は四歳。何かまともな判断できる年なんかじゃあ、当然ない。後見人となった弟の桓冲に一通りのこたあとりしきらせて、ひとまず桓氏がこれ以上国を脅かさないよう見せ掛けなきゃいけなかった。
しかもこの桓沖がまたうまく立ち回り、謝安様に対して、西府の統括権だけは確保してもらった。
ってのも、この時がちょうど淝水の戦いの頃だ。苻堅は湿地帯を抜く道から攻めてきたけど、だからと言って長江の乗っ取りを考えてなかったわけじゃない。西府にも前秦軍の手は伸びてた。そいつを食い止められるんが、謝安様にとっちゃ不幸なことに、桓冲しかいなかった。
謝安様は甥の謝玄将軍を北府の長官に据え、何とか淝水の危地を乗り切られる。が、そこまでだった。戦後処理に追われる中、亡くなっちまう。あとには西府の桓冲と、北府の謝玄将軍が残された。
そして桓沖も、淝水後まもなくして病死。
いよいよ、桓玄にお鉢が回ってくる。
中央だって、このまま大人しく桓玄に西府の実権渡したらとんでもないことになんのは目に見えてる。だから中央から役人を派遣、何とか牽制しようとした。だが桓玄の奴ぁ、そいつをあっさりと排除しちまう。見事な手際だったよ、反逆者の汚名着せて、あっちゅう間に攻め滅ぼしちまったんだ。
こうして、おやじ殿と同じように西府を手にした。そしたら今度ぁ、どう北府を攻略するか、ってことになる。少なくとも謝玄将軍におられたまんまじゃ、どうしようもない。だから、何とかして排除しようって動いた。
その機会が巡ってきたのが、五橋沢の戦い。謝玄将軍自身も決して弱かない、だがそれ以上に厄介だったのが、劉牢之将軍の存在。あの方が謝玄将軍の周りに張り付いてたんじゃ、まるで手出しのしようがなかった。
だってのに、苻丕からの依頼で、謝玄将軍は最大戦力を派遣しなきゃいけなくなった。
そっからの桓玄の動きは速かったね。
わかるかい、旿の?
あんたが絡まれた、あの崔宏の諜報網も借り、謝玄将軍の動向を掴み、暗殺したんだ。しかも、それと分からない手立てでね。
こうして頭を失った北府にゃ王恭がついた。が、その王恭も司馬元顕によって殺され、あとに残されたのは戦術戦略ならともかく、いわゆる中央の腹芸には暗い劉牢之将軍。
桓玄にしてみりゃ仕込みは上々、あとは結果を御覧じろ、ってなもんだったろうね。




