02-11 夜陰
路地で何もんかが言い争ってんのが聞こえてきた。
家ン中からじゃ、いささか遠い。隊の中から耳のいい奴を呼び寄せる。
「聞き取れそうか?」
「やってみます」
五斗米道どもへの餌としてこしらえた倉の隣、崔宏が一晩だけ借り上げた家の中。
総勢ン十名の野郎どもが押し込まされてんだ。当然狭っ苦しい。かといって迂闊に声なんぞ上げようもんなら、外の奴らに気取られる。いい加減どいつも我慢の限界、みてェなツラになってた。
「片方が言いました。人道に悖る行いをして得た財貨を一度手にすれば、必ずや報復を受ける事になる。まだ間に合う、引き返せ」
どこの莫迦が余計なことを、寄奴ァ内心で毒づいた。
「面倒くせえことしやがんな。で、相手は?」
「そいつを聞いて笑いました。中原から畜生どもに追いやられてんのに、何を今更人道だ、って、全く取り合おうとしません。片方は更に食い下がろうとしてましたが、あっさり突き飛ばされました。尻餅をついたみたいです」
「そうか、ならいい」
真夜中。この刻限だけ見回りの経路に穴が出来、西の蔵が丸裸になる――ことになってた。
崔宏が、そういう情報を阮佃夫どもに握らせ、五斗米道どもに垂れ込ませたんだ。どうやって奴らに握らせたか、ましてや垂れ込ませたか、って辺りについちゃ言ってこなかった。「そこまで教える義理はない」って言われちまえば、もうどうしようもねェ。
二階から、石が落ちてきた。一つ、二つ。
蔵周りを見張らせてた奴からの合図だ。五斗米道どもが、蔵の中に入った。外に二人の見張りをつけてる。
寄奴が振り返る。どいつも早く飛び出したくて堪んねェ、って顔してる。
「心強ええぜ、お前ら」
蔵ん中に嵌りこみゃ、向こうから勝手に袋の鼠になったようなもんだ。もう息をひそめてる必要もねェ。玄関を開けると、
「――孫恩?」
寄奴一人が、足止めを食う。
そこにすかさず、後ろにいた孟龍符が寄奴の肩を小突いてきた。
「オイ大将、何やってんだよ」
振り返り、龍符の怪訝そうな面を眺める。
それから、改めて尻餅ついたままでいた孫恩を見た。
「悪りいな、龍符。先に突っ込んでてくれるか。こんなとこに顔見知りだ。偶然たあ思えねえ」
「構わねえが、後悔すんなよ」
「何をだ」
「お前が蔵に来る時にゃ、もう狩り尽してっかんな」
「それなら楽でいい。任せるぜ」
へ、と龍符が笑い、兵たちに合図を出した。
先陣切る龍符に、すぐに他の兵士どもも続く。
蔵の内外が、たちまち剣戟と喧騒のるつぼになる。
そっちを少しの間眺めた後、寄奴ァ改めて孫恩と向き合った。
「項大夫。まさか、ここで貴方に見えるとは」
十三夜の月の下。満月ほどじゃねェにせよ、それでも人の顔を見分けられる程度にゃ明るい。そんなほの明かりが照らす孫恩の顔に浮かぶのは自嘲か、あきらめか。そんな感じの笑みだった。
「五斗米道だったんだな、あんた」
「仰る通りです。この通り、歯牙にもかけられておりませんが」
孫恩も蔵のほうを見た。
曲がりなりにも晋の正規軍と強盗崩れだ。元々勝負になんざなりゃしねェ。そこに加えて、完全に不意打ち決めてんだから、もうどうしようもねェ。あっちゅう間に、喧騒ァ収まりつつあった。
「我々は、踊らされていたのですね」
口をつぐむ。
その通りだ、なんて簡単に言えるはずもねェ。何から何までが、崔宏の差配。そこに寄奴ァちょこんと乗っただけだ。
五斗米道どもがどんな奴らかもまともに調べ上げられてねェのに、あれよあれよとそいつらをぶっちめる役を請け負う羽目に陥った。パシりを褒める奴なんざそうそういねェ。なのに、パシらされてることに感じ入られてる。
こん時寄奴ァ、誰も見てなきゃ、盛大に反吐をぶちまけてェ気分でいた。だが、そいつァ一隊を任された身の上、どころか、心ならずも認めちまった奴が目の前に佇んでるような折りにやらかせる失態じゃねェ。
龍符が蔵から出てくる。
「おゥ大将! 何だよ、終わっちまったぞ!」
剣を持った手にゃ生首ふたつ、もう片方の手にゃ髪の毛をふん捕まえた野郎が引きずられてる。そいつァ「っや、やめてくれ……」なんて情けねェ声上げやがる。
「悪りぃな、朱幼と申伯宗は殺っちまった」
「おいおい――ま、一匹残っただけマシか」
そう言って、龍符が連れてきた野郎の正面に回り込み、屈み込んだ。
「よう、久しぶりだな」
「な、なんだよ、いきなりそんなこと、――!?」
泡食ってたそいつ、阮佃夫ァ、寄奴の顔を見るなり、いよいよ色を失った。
どんな奴の前に連れて来られたのか、ようやく理解したらしい。たった今龍符みてェな化けモンにボコボコにされ、その上で、先日に為すすべもなくぶちのめされた奴が正面に来る。
己が阮佃夫みてェな境遇に立たされたら、恐怖だけで死ぬ自信がある。
「っな、なんでアンタが、こんなとこに――」
喚く阮佃夫のアゴを、寄奴が平手で払う。そんだけで、奴のアゴの骨が外れた。声にならない悲鳴が上がる。
「どの道うるせえんだな、鬱陶しい。龍符、黙らせとけ」
「アイヨ」
言うが早いか、龍符が元佃夫の首筋を突いた。「はがっ――」って漏らし、その頭がかくんと落ちる。
「首尾は?」
「殺したのが朱幼、申伯宗込みで六人。三人は逃がした」
「追えてるか?」
「ああ、繋ぎもつけてる。今晩じゅうに片は付きそうだぜ」
「分かった、己も後を追う。根城を炙り出してくれ」
「今度は間に合うといいな」
「うるせえよ」
崔宏が言うにゃ、孫泰自身ァそう簡単にゃ動かねェだろう、ってことだった。あくまで手下どもを使っての盗み働き。ってこた、きっちり五斗米道どもをお縄にするにゃ、根城に待ち受ける孫泰をふんづかまえる必要がある。たァ言え、奴さんだってそんな簡単に尻尾は掴ましてくんねェだろう。
だから、わざと逃がし、わざと見失ったよう振る舞わせた。生き残った奴らを根城に向かわせるように仕向け、一網打尽にする。
そいつが、崔宏の引いた絵図だった。
「項大夫」
龍符らを一通り見送ったとこで、よろよろと孫恩が立ち上がる。
「何だ」
「叔父を――孫泰を、よろしくお願いいたします」
孫恩を見る。
哀願、ってわけでもねェ。この騒ぎの先に孫泰が捕まるってんなら、その後どう扱われるかってのも、奴ァ重々把握してたはずだ。その上での言葉、ってことなら。
「ああ」
手配しといた馬が届けられた。
飛び乗る。
「分かった。せめて、苦しまねえようにしてやるよ」




