02-04 江上にて
「なるほど。つまり劉裕殿、あなたは莫迦なのですね?」
「――どうにも否定できねえよ」
船の欄干に寄りかかり、寄奴は渋い面をする。片頬がリンゴよろしく真っ赤になってる。何無忌みてェなブン豪腕に殴られたってのにその程度で済んでたんだから、あいつも頑張って堪えてたんだな。本当、何無忌にゃ同情するぜ。
建康と広陵とを結ぶ船にゃ、建康に集められた食料だ衣料品だの他、おさむれぇたちも結構な数が乗り込んでた。何でも孟昶が建康にいたのも、広陵に寄せてきた流民たちに行き渡るだけの物資を買い集める為だったんだとか。おさむれぇたちは野盗対策で雇われたんだって言う。
「くれぐれも英雄でいて下さい。いま、広陵の子どもたちは講談師の語るトゥバ・ギと劉裕殿との一騎打ちに心躍らせているのですから」
ほとんど無表情のままの孟昶。英雄ならもう少しやさしく扱えねえのかよ、聞こえよがしの寄奴のぼやきも普通にしらん顔だ。
「招かれざる客ではありますが、こちらにも体面があります。先頃申し上げましたとおり、当家にて逗留頂けるよう手配を取っております。ですので、幾分は当家の予定にもおつきあい頂きますようお願い致します」
「わーってるよ、ただ、あんま堅っ苦しいのは勘弁な」
「ご安心を。此方もあまり英雄殿の化けの皮が剥がれるのは都合がよろしくございませんので」
出航前に穆之と孟昶がひそひそ話してたのがなんだったのか、嫌ってくらい味わってる訳だ。寄奴がぶすっとしてんのを己ァ遠いところから爆笑してたが、「手前ェ今度会ったら事だぞ」って脅されたもんだから我慢、
しきれねェで、やっぱり笑ってた。
「どうかしましたか?」
「何でもねぇ。不愉快な虫の知らせだ」
手前ェひとを虫扱いかよってツッコむが、あの野郎、取り合おうともしねェ。
「――? まあ、こちらに益のない情報であれば、それで構いません。ただ、この点についてはお伺いしてもよろしいでしょうか」
「あん?」
「今回の広陵入り、どちらに劉裕殿の益があるのです?」
平坦な表情に隠れちゃいたが、好奇心はだいぶ強えェほうなんだな。真っ直ぐに寄奴を見つめてくる。
孟昶の後ろにゃ船頭のがなり声、漕ぎ手の太鼓、おさむれぇどものいざこざ、そんなモンがとっちらかってる。そいつら全部を、青空がひっくるめる。
「義侠心じゃ駄目か?」
「ありえません」
「ひでえな。あるぜ、三分っかたくれえ」
「では残りの七分でお願いします」
「へいへい。――要るんだよ、手垢にまみれてねえ奴が」
「手垢、ですか?」
「ああ」
帯に提げた青銅環をちゃら、といじる。
北府兵だ、って身元を明かす為の代物だ。兵卒なら木、部曲長やら参軍のは青銅、将軍なら銀で出来てる。もちろん、金は誰もが憧れる大将軍。
「敵、味方。どっちでもねえ奴ら。季子の周りに何があんのか、今の己にゃ全く見えねえ。勿論オッサンからも、あんたからもいろいろ教えてもらっちゃいる。だがそこにゃ結局あんたらの色がつくだろ? 己なりの目がねえと、誰を殴っていいかで迷っちまう」
「なるほど、――孫子ですか」
「あー、それそれ」
適当な返事にもほどがあらァな。
王さま達が見聞きしてきたこと、ってんだから、そん中にゃ当然四書五経、諸子百家、史書なんぞの文字も軒並み残ってる。が、寄奴の奴ァその辺についてはわざと見えねェ振りしてやがった。だから孟昶の言う孫子、つまり「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」なんざ言われても頭ン中に浮かびゃしねェ。
そんかし、こん時に寄奴が思い出してたのァ、同じ孫子でも孫臏の方だったな。分かるだろ? 「龐涓ここに死す」、だよ。龐涓の性格を気味悪ィくれェ見抜いて、ひたすらガタガタにしてったアレだ。
「――貴方は、不思議な方ですね」
その呟きの声色は、今までの孟昶たァちょっと違った。いつも通りに固てェは固てェんだが、何つか、表が溶けた氷、ってのが合うかな。そんな感じだった。
「聞いていた話では、何処までも剛勇、あるいは蛮勇。それはそれで、この行き詰まった晋の国の行く先を切り拓くに相応しいか、とも考えておりました」
の割に随分噛みついてくれたじゃねえか、寄奴がそれこそ噛みつくと、虎に警戒せぬ人などおりますか? ってあっさり返して来やがる。
「こうして話していても、やはり、失礼ながら武辺者の印象は変わりません。しかしその言葉に、徐に将、どころか帥、の視野が交じってこられる。一体、劉裕殿に天下はどのように見えておられるのか」
ちょっと考え込み、寄奴は顎を掻いた。
「今は、一寸先も見えねえぼうぼうの草むら、って感じだけどな」
そいつを聞き、孟昶がきょとんとする。が、すぐに解れた。唇の端がわずかに持ち上がる。初めて見る孟昶の笑顔だった。
「餌を求めて方々を歩き回る虎、ですか。これ以上なく恐ろしい」
やがて水平線、その向こうから、広陵の町が顔を出し始めてた。
「ところで孟昶、広陵について、もうちょい詳しく教えてくれ」
「承知致しました。ご存知の通り淝水以降、五胡勢力の寇略を恐れた淮水域の民が流入、俄に人口が増えております。これによって食料不足が深刻化、併せて溢れかえる流民たちは賊徒にとって奴婢を得る又とない機会と言うことで、周辺に姿を見せる人攫いの類いにも頭を悩まされております」
「奴婢? どの辺に売り飛ばされんだ?」
「大部分は中原でしょう。あちらも淝水以後荒れに荒れ果て、人手はいくらあっても足りない、と聞いております」
「胸クソ悪りい話だな」
「誠に。その為広陵太守、高雅之はこの船の手配をしたほか、北府軍にも防備の援護を依頼致しました。恐らくはこちらとほぼ同時期に、京口よりの軍船も到着するものと思われます」
「統括は?」
「仄聞では北府軍副将の王恭徐州刺史、司馬に徐道覆将軍とのことです」
「そうか」
王恭どの、についちゃともかく、徐将軍についちゃ知らねェ顔でもねェ。あの豪快そうなオッサンのことをふと思い出す。
驍勇として都で褒賞を受けた寄奴らは、この時休みをもらってた。が、もちろん軍全部がお休み、って訳にゃいかねェ。特に、広陵なんて都に目と鼻の先の町でてんやわんやになってんだ。変にここでボヤが上がろうもんなら、下手すりゃ晋全体に飛び火することだって考えられる。北府軍としても、デケぇ厄介ごとはごめんだ、ってなモンで送り込んだんだろう。
「――それと、こちらは問題、とは違うのですが、流民の間に、五斗米道の者の姿を見た、と言う噂も立っております」
「五斗米道?」
「太上老君を始めとした神々を信奉する、と自称する集団です。流亡生活の不安に付け込み、信徒を増やそうと目論んでいるのでは、と」
「おいおい、メチャクチャじゃねぇか」
「仰る通りです。ですので、」
孟昶が、この上なくわざとらしく、拱手して来やがった。
「劉裕殿におかれては、この広陵で慎ましやかな時をお過ごし下さるとのこと、大変、大変有り難く思っております。ですので、くれぐれも騒ぎを起こされぬよう、よろしくお願い致します」




