10-08 大司馬司馬徳文
陛下の弟、司馬徳文様。
お国より授かってる官位ァ、大司馬。つまり晋軍の総取締りをなさる立場じゃァ、ある。なら名分的にゃ、この場にいらっしゃるんだって何らおかしかねェ、訳でも、ねェ。
ただ、そいつァ大司馬が「本当に取り締まってる」場合に限る。
今の晋軍ァ、寄奴がある程度思ったとおりに動けるよう、司馬休之殿が殿下の補佐役って名目で、ほぼ切り盛りをなさってた――はず、だ。
ただ、そこを考えてみたとこで仕方ねェ。とにもかくにも、拱手ァ示す。
「良い、火急の場であることは理解しておる。貴公を煩わせれば、そのぶん敵を利することになろうしな」
「はぁ、お気遣いにゃ感謝しますが――たぁいえ、どうして殿下みずからが、わざわざ?」
「おかしいかね? 我らが家を保たんと身を擲ってくれる者らに、礼と、激励をもたらさんとするのが」
「まぁ、こっちの仕込みを煩わせずにいてくださるんなら何だっていいですが」
なにぶん、貴顕も貴顕だ。どこでどんなやつが狙ってくるかもわかんねェし、それでなくたって、こういう急場じゃ支度だけでも死人が出たりする。ホイホイ近寄られてなんかに下敷きにでもなられちまや、たちまち戦どこじゃなくなる。
戰場を回すやつにしかやれねェことがあるように、国の頭近くに立ってる方々にゃ、その耳目でできること進めてってほしい、ってェのが、包み隠しようもねェ気持ちじゃあった。
そんな寄奴の言葉をどう受け取ったか、ピクリと殿下の眉間にシワが走る。
そこですささ、と殿下の目の前に出てくんなァ、王弘だ。
「将軍のご配慮、痛み入ります。なにぶんお恥ずかしながら、荒事に慣れぬ身。足らぬところがございましたら改めますゆえ、お申し付けくださいませ」
その言葉に、寄奴ァ。
ゾワッと、さぶいぼを立たせた。
なんだ?
殿下がそこにいんのに、どうして王弘がしゃしゃり出てくる? しかも、殿下だってそいつを止めようともなさらねェ。
――握ってやがる。
そもそも、どうしてここに司馬休之殿がいらっしゃらねェのか。しかも、そいつがこっちに伝えられてねェのか。
何にせよ、殿下じきじきの慰問があったってこた、ここの守りァ寄奴に一任された、って思っていいんだろう。いちいち突かなくていい藪をつついて、面倒な蛇を引っ張り出すこともねェ。
だから、寄奴ァただ拱手する。
「兵どもぁ、いまだ先の見えねえこの戦いに不安がってるでしょう。殿下からお声をかけていただけりゃ、あいつらも奮い立ちましょう」
邪魔だどっか行け、とも言うわけにゃいかねェ。それっぽい理由になったかはちィと不安じゃあったが、たぶん王弘のやつがそれなりにとりなすだろう――そう、見立てた。
案の定、まだ何か言いたげだった殿下に王弘が二、三の耳打ちをする。そいつがどんだけ戦後のあれこれに関わってくんのか、みてェなこた思ったが、そこにちまちまかかずらってられる余裕もねェ。
「ふむ。将軍の懸念、もっともである。ならばこの建康を守る鋭師らに、わずかなりとも心火を灯させるべきであろうな」
やや不承不承って感じじゃあったが、たァ言え殿下ァそう仰って引き下がる。そこに付き従 う王弘があれこれとりなしてたみてェだが、ちらと寄奴に向いたときに浮かべた笑みについちゃ、こう思うしかねェ。
何を、狙ってやがんのか。
多少無理してでも穆之も連れてくるべきだったか。や、そいつをやらかしゃ広固の収拾がつかなくなる。次善、三善での手が打ち切れねェ、この歯がゆさときたら。
第一、そこにまで気を回してられるほど、目の前のこたァ容易かねェ。後回しにせざるを得ねェんだ。
気ばっかりが急いちまう。だからこそ、いちど眉間を拳で殴る。一筋の血とともに、熱を抜く。
「さぁ、仕込みゃ上々だ! あのクソどもにひと泡、どこじゃねえ! 血の泡吹かせてわろうじゃねえか!」
半ば、手前ェ自身を奮い立たせるため。
寄奴ァ、拳を突き上げた。
眠れねェ時だって、眠る。やれる将帥ァこいつができなきゃ話になんねェ。あたりでドタバタとした音がまるで途切れねェ中、それでも寄奴ァ半刻ばかし目をつむる。
こんな時の夢で、よりにもよって臧愛親といたしやがんだこいつァ。どんだけず太てェんだ。
起きしなに膨らんでる手前ェの股ぐらを眺め、にやっと笑う。
「思う存分ぶちまけろ、ってな」
水瓶からがぶりとひとのみ、顔を濡らす。昨日流れるままに放り出した額のキズが、ピリリともやがかった脳天を晴れ渡らせる。
戦いのあとの飯と酒ァ格別だ。そいつをいただきてェがために戦ってる、って言っちまってもいい。建康城の奥で何がうごめいてんのかなんざ、どうせ嫌でもわかること。
「起きたか、劉裕」
そう言ってくんなァ、虞丘進。寄奴に代わって、仕込みの締めを請け負ってた。立場が立場なぶん、その顔つきゃ厳しい。たァ言え、
「助かったぜ、おかげでなんとか保ちそうだ。後ぁ、寝とけ、己が勝つか、くたばるまでよ」
ぽん、と肩に手を置き、そのままふわりとさっきまで寄奴が包まってた布地の上に流してやる。
「貴様はまたそう言う――死んでいたら、地の果てにまで追いかけて、殺し直」
す、って言い切るかどうかンとこで、すとんと虞丘進ァ落ちる。寄奴の隣で兵を振り回してんだ、こいつだって当然、やる。
そいつを見届けてから、今度ァ立ったまま寝てやがった蒯恩の胸甲を叩く。
「そろそろ始めんぞ、一世一代の大博打だ」




