最終話 HOME
雨。これでもかと言うくらい雨。
しかも北部に向かうにつれて、徐々に温度が下がっていくもんだから、この雨はきつい。
「はぁ、どーすっかなぁ」
門まではたどり着いた。降りしきる雨で、人通りは少ない。
今日はビクサムが門番じゃなかったらしく、柄にもなく、俺はほっとした。
理由を問われても、分からないけど。
ぴたぴたと、前髪から雫が零れる。びしょ濡れの俺を、通りすがりの人は慌てて避ける。
俺もこんな不審者見かけたら物陰に隠れるから、傷ついたりはしないけど。
あー……シャツが張り付いて気持ち悪い。早く帰ろう……。
とぼとぼと、通りを歩きながら俺は空を見上げた。
青空覆う厚い雲を見て、不意に、王都で会ったエコデを思い出す。
『さよなら、先生。……ごめんなさい、来て』
そう、エコデは言った。
決別の言葉だ。あぁ、くそ。
あの時のエコデ、笑ってたけど、泣いてた。
無理してそんな台詞を言わなければならない状況を作ったのは、俺だ。
俺が全部忘れてたから。
サチコが封じてたってのはあるけど、それを解除できなかったのは俺自身の能力のなさだ。
何で、そんなに能力が落ちてたのかは、わかんないけど。
そんな事を言わせた俺が、帰っていいのか?
俺が、勝手に帰りたいって思ってるだけなのに。
大体俺は、いつもエコデを怒らせてばっかだし。飯どころか家事全般頼りっぱなし。
俺に出来る事なんて、悲しいかな診療して稼ぐだけロヴィが手配した医者がいれば、別に俺じゃなくたっていいんだ。レイラもポアロもビクサムも、他の患者も……俺じゃなくたって、別にいいはずなんだ。
こだわってるのは、俺だけで。
何か急に寂しくなった。俺って、何なんだろう。
転生した俺が望んだのは、平穏で、老衰で死ねる人生。俺は生まれから平穏じゃなかった。
ギフォーレ爺さんが死んで、本当に老衰が幸せかも分からなくなって。
だけど。
「……馬鹿だなぁ、俺は」
それでも、ここへ戻ってきてしまう。
見慣れた、診療所の入口。
『休診』と札がかかった玄関。
あの日、ずる休みしたままみたいに。
小さく苦笑して、俺は裏口へ回る。正面玄関と比べると、狭い入口だが、緊張感は半端ない。
気合を入れ直して、そっと扉を開ける。扉の向こうはキッチンと、奥にダイニング。
キッチンは空っぽで、ダイニングのテーブルの上には二人分の食事が用意されていた。
それが、何か無性に、胸を締め付ける。夢に見た、エコデの様子と今目の前にある光景が被る。
もしかして、毎日作ってくれてんのかな。俺が帰ってくるかもって。
――ぱんっ。
頬を自分で叩いて、俺は自分を叱る。
都合よく考えるな、俺。だってもう、ロヴィが医者を手配してるかもしれないんだ。
そのための食事の可能性だって十分あるだろーが。
ただ、エコデの姿は、どこにもなかった。
ふと、微かに開いた診療所受付へ続く扉に気づく。
受付で、何かやってんのかな、エコデ。
ぎゅっと拳を握りしめ、俺は診療所側へ足を向けた。
◇◇◇
がらんとした、受付。誰もいないフロアには沈黙が降りている。
電気もついてないし、こっちにはいないのか?
「あれ……」
診察室に、電気がついていた。まさかな。エコデ、滅多に入ってこないし。
でも、気になって仕方ない俺は、そっと中を覗き込んで、絶句する。
背中にスカルマークの入った黒いパーカーを羽織ったエコデが、俺の診療用の椅子に座ってすうすうと寝息を立てていた。
目の周りを若干赤く腫らして、大事そうに見覚えのある服を抱き締めていた。
いや、正しくは、俺の脳内には存在する服。
ていうか、泣いてたのか? 俺のせいで、苦しい思いをさせたのか?
あぁ、くそ……自分が心底呪わしい。
「……ごめ、……なさ……」
不意に聞こえたエコデの呟きに視線を向けると、エコデの頬を一筋、涙が伝い落ちた。
……ごめんな。俺が、何にも言わないていたばっかりに。
エコデが泣く必要なんて、ないのに。思わず手を伸ばして、頭を撫でようと……
「せん、せい……?」
ぴたりと、手が止まる。薄く開いた眼を、俺に向けるエコデがいた。
しばしの沈黙の後、エコデはがたっと勢いよく立ち上がる。
「うぉっ?!」
「びしょ濡れじゃないですかっ、先生!」
あ、うん。まぁ。
抱き締めていた服を机の上に放って、エコデは棚からタオルを素早く取り出して、俺の顔面に押し付けた。
ちょっと痛いんだが。
タオルを引き受けて、ごしごし頭の水分を拭き取る。
どうしよう。俺、何を言ったらいいんだろう。
視線を伏せたまま、俺は水分を拭き取るふりをして、考える。
俺は、ほんとに帰ってきて良かったのか?
頭拭いたら、帰れって言われたらどーしよ。
微かに視線を少し上げると、不安げな目をしたエコデが見えた。
……あぁ、そっか。
「……ただいま、エコデ」
ちゃんと笑えたかは怪しい。ぎこちなかったかもしれない。
だけど、俺はこの言葉を、言いたかったんだ。
そして、微かに目を見開き、ついでエコデは嬉しそうに笑う。
「おかえりなさい、先生」
エコデにそうやって、応えて欲しかったんだ。
何だろう。それだけで、俺、戻ってきて良かったって思った。
俺を待っててくれる人がいるって、凄く嬉しいことだって、心底そう、思ったんだ。
◇◇◇
なぁ、母さん、父さん、由美。俺、こっちに来て四年になるけど、やっとほんとに必要なものが分かった気がするんだ。俺が欲しかったのは、そうやって普通を分かち合える人生なんだって。
あの神様が勝手に設定した、しょうもない俺の転生条件はやっぱり納得いかないけど。
でも俺は、この場所に辿り着けて良かったって思うよ。
この場所は、俺の帰りを待ってくれる人が、たくさんいたから。
「先生朝ですよー。早く起きないと、患者さんが待ってますよー」
寒い空気を無視して、片っ端から窓を開け放ち温度差を見る間に埋められる。
より一層布団から抜け出たくない俺の脇に、可憐なる悪魔が立つ。
「早くしないと、朝ごはんトマトとピーマンの炒め物にしちゃいますよ!」
「朝から俺に悪魔祓いと言う過酷労働を強いるのか?!」
ばっと起き上がると、呆れた様子で俺を見下ろすエコデ。
おぉ、相も変わらずその冷たい視線がたまらん。
「早く着替えてきてくださいね。今日は先生の大好きなキッシュですよ」
「すぐいくっ!」
◇◇◇
欠伸交じりに、診察準備。
あー、今日も飯が美味かったぁ。これで昼まで頑張れる。
――からんからーん。
「この時間だと……」
ちらっと時計を確認。まだ開店前。
大体その前に来るのは一人だ。俺は診察室の扉を開ける。
で。
「エコデさん今日も麗ぶごぉっ!」
容赦なく鎧男を蹴り倒す。加減はしたはずなんだが、壁に激突したビクサムを、唖然とした表情でエコデが見つめる。
がっくりと動かなくなったビクサムに、エコデが心配そうに俺に問いかけた。
「先生、やりすぎたんじゃ……」
「エコデ、俺を誰だと思ってる」
「……お医者さんが患者を作るなんて、本末転倒です。……でも」
「でも?」
「……何でもないです!」
顔を赤くして、エコデはくるっと背中を向けると居住区へ続く扉の向こうへ消えて行った。
しかし、白いセーラー服も良く似合うな、あいつは。
流石、史上最高峰の男の娘だ。
「さてと」
伸びているビクサムの首根っこを掴み、ずるずると引きずって、そのまま外へ放り投げた。
がしゃん、と朝から賑やかな音を撒き散らすビクサム作曲のBGMを聞きながら空を見上げた。
ふわふわと、白い雲が流れていく青空。
どうか、今日も一日、この診療所に来る人たちが平和に過ごせますように。
なんてな。
「今日も頑張るか。飯と来月のエコデの衣装代のために!」




