プロローグ、蛸顔の兎
プロローグ、蛸顔の兎
門歯がちょろりと突き出した男と肥満体の男と原始人顔の若い男は、瀬戸内海に浮かぶ大久野島へ、年休を消化する為、兎達との触れ合いに来て居た。
「先輩達、兎さん達のお出迎えですよ!」と、原始人顔の若い男が、はしゃぎながら、目を細めた。
「餌を貰えると思って、来て居るんだろ?」と、肥満体の男が、素っ気無く言った。
「かもな」と、門歯がちょろりと突き出た男も、相槌を打った。兎達が、見ず知らずの者に近付くと言えば、餌が見え見えだからだ。
「先輩達ぃ〜。そんな、夢の無い事を言わないで下さいよぉ」と、原始人顔の若い男が、口を尖らせた。
「確かに。どう思おうと、お前の自由だもんな。すまなかったな」と、前歯がちょろりと突き出た男は、詫びた。気分を害させるつもりは、無かったからだ。
「でも、ここって、“毒ガス研究所”だったんだろ?」と、肥満体の男が、顔を顰めた。
「そうらしいな」と、前歯がちょろりと突き出た男も、頷いた。大久野島の歴史には、興味が無かったからだ。
「ぼ、僕は、初耳ですよ! でも、兎さんを駆除する為に、飼育していたんでしょうかねぇ〜」と、原始人顔の若い男が、小首を傾いだ。
「まるで、“ゴキブリ”みたいな物言いだな」と、肥満体の男が、ぼやいた。
「おいおい。戦時中に、兎を飼ってまで、駆除剤の実験でもすると思うか?」と、前歯がちょろりと突き出た男は、溜め息を吐いた。毒ガス研究所で、しかも、戦時中に、兎の駆除用の毒薬を、開発している訳が無いからだ。
「でも、鼠谷先輩。これだけ沢山の兎さんが居るんですよ! 他に、考えられないじゃないですか!」と、原始人顔の若い男が、異を唱えた。鼠谷。比手元の頭じゃあ、多分、他の発想は無いと思うぜ」と、肥満体の男が、が、溜め息混じりに言った。
「確かに、兎の駆除までが、関の山だろうな」と、鼠谷も、同調した。額面通りに見れば、兎を駆除する為の駆除剤の施設跡と思っても、不思議じゃないからだ。
「この兎さん達は、駆除を免れた子孫なのでしょうね」と、比手元が、思いを馳せた。
「比手元。半分は、正解だが、半分は、間違いだ」と、鼠谷は、訂正した。そして、「毒ガス用の実験用の兎だろうぜ」と、口にした。毒ガスの効果を試す為に、連れて来られたのだと考えられるからだ。
「鼠谷先輩。兎さんに、毒ガスを吸わせて、効き目を見る実験なんですよね?」と、比手元が、小首を傾いだ。
「そうだ。人間が、どれだけ、“速くくたばる”かのな」と、鼠谷は、冷ややかに、回答した。本土決戦を想定していて、この島で、秘密裏に、毒ガス実験をしていると推察したからだ。
「だってよ!」と、肥満体の男が、相槌を打った。
「豚崎先輩も、本当のところは、分かって居なかったんじゃないんですか?」と、比手元が、半笑いで、指摘した。
「う、うるせえ!」と、豚崎が、怒鳴った。
「その様子ですと、知らなかったみたいですねぇ~」と、比手元が、からかった。
「このお!」と、豚崎が、激昂した。
「二人共、兎達が、びっくりして居るぞ!」と、鼠谷は、注意した。二人の険悪な雰囲気を察知して、兎達が、距離を取って居るのを、視認したからだ。
「しかし、鼠谷。お前、どうして、毒ガス研究所の跡地だなんて、知っているなぁ〜」と、豚崎が、感心した。
「前に、テレビで、観た事が在ったんだよ」と、鼠谷は、口にした。何年か前に、民放の旅番組で、放送していたのを覚えていたからだ。
「でも、毒ガス研究所の跡地でしたら、まだ、毒ガスが、残っているんじゃありませんか?」と、比手元が、顔を顰めた。
「ヤバかったら、立ち入り禁止区域になっているだろう。だったら、“原爆ドーム”周辺は、未だに、立ち入り禁止だぞ!」と、豚崎が、指摘した。
「確かにな。まあ、兎が住めるのだから、毒ガスが無いと証明されているようなもんだろう」と、鼠谷は、あっけらかんと言った。
「比手元、ビビってんのか? これだけ、兎さん達が、跳ね回って居るのにな」と、豚崎が、冷やかした。
「ははは…。そんな、まさかぁ〜」と、比手元が、あからさまに、虚勢を張った。
「豚崎。跡地だからって、まだ、毒ガスが、無くなったとは限らないぜ。まだ、地中の何処かに、埋まっているのかも知れないからな」と、鼠谷は、可能性を述べた。未だに発見されていない未使用の毒ガスが、残っている可能性も、有り得るからだ。
「鼠谷、嫌な事を言うなよ。毒ガスが気になって、楽しめなくなったじゃねぇかよ!」と、豚崎が、表情を曇らせた。
「すまん、すまん。脅すつもりは、無かったんだ」と、鼠谷は、詫びた。嫌な気分にさせる気など、更々無いからだ。
「鼠谷先輩は、悪くないですよ。豚崎先輩が、見下すような事を言うから、嫌な気分になったのですよ」と、比手元が、転嫁した。
「俺の所為にするな!」と、豚崎が、突っ撥ねた。
「お前らなぁ〜」と、鼠谷は、呆れ顔をした。くだらないからだ。
突然、「何だ? この不細工な兎はよ!」と、若者のからかう声がした。
「兎というよりは、“蛸顔”しているぜ!」と、別の男子の声がした。
「近寄るんじゃねえ!」と、若者が、怒鳴った。
程無くして、鼠谷達の前へ、一羽の黄ばんだ兎が、飛来した。そして、着地をしたままで、四肢を、小刻みに震わせて居た。
「酷い事をするなぁ〜」と、鼠谷、飛来した先を見やった。次の瞬間、数名の茶色い学生服の男子生徒が、視界に入った。
「すいませぇ〜ん! 気色悪い物体が、当たりませんでしたかぁ〜?」と、背の高いボサボサ頭の男子生徒が、悪怯れる風も無く、口にした。
「君が、この兎を、飛ばして来たのか?」と、鼠谷は、問い掛けた。一応、確認をしておきたいからだ。
「ええ。何となく、蹴飛ばしたくなったんで、蹴っちゃいましたぁ〜」と、ボサボサ頭の男子生徒が、半笑いで、あっけらかんと言った。
「何となくじゃないだろう。心が痛まないのか?」と、鼠谷は、不快感を露わにした。何となくで蹴られては、兎としても、堪ったものではないだろうからだ。
「おっさん、そんなに怒んなよ。俺は、軽く蹴っただけだぜ。そうしたら、そいつが、思ったよりも、飛んだだけだぜ」と、ボサボサ頭の男子生徒が、自己弁護をした。そして、「行こうぜ」と、仲間達に促した。
程無くして、学生の集団が、立ち去った。
「どういう教育を受けているんだ!」と、豚崎が、腹を立てた。
「そうですね。この兎は、もう、駄目かも知れませんね」と、比手元も、顔を顰めた。
「そうだな。内臓が、破裂しているかも知れないな。黒い血を…って! おい!」と、鼠谷は、目を見張った。兎の血も、一応、赤い筈だからだ。
「まさか、“突然変異”って事は、無いだろうな?」と、豚崎も、表情を強張らせた。
「ちょっと、気味が悪いですねぇ。毒ガスの影響を受けた“毒兎”とか…?」と、比手元も、声を震わせた。
その直後、「やれやれ。まさか、蹴飛ばされるとは、思わなかったよ…」と、黄兎が、喋った。そして、「何事も無かったかのように、起き上がった。
鼠谷達は、顔を見合わせた。目の前の出来事が、信じられないからだ。
「君達、何を驚いて居るんだい?」と、黄兎が、振り返った。
その瞬間、「鼠谷先輩。どうやら、“突然変異”みたいですよ!」と、比手元が、口にした。
「確かに、“突然変異”で、蛸みたいな顔になったのだろうな」と、鼠谷も、同調した。異形の顔になるには、毒ガスも、一役買っていると思われるからだ。
「こんな気味の悪い奴と絡んで居たら、碌な事にならんから、離れようぜ」と、豚崎が、提言した。
「確かに!」と、二人は、即答した。豚崎と、同意見だからだ。
「ちょっと待て!」と、黄兎が、呼び止めた。そして、「兎を差別するのかっ! 憲法一四条の“基本的生物の平等”に、違反する事になるぞ!」と、怒鳴った。
「は? 何処の国の憲法だ? “基本的人権”なら、知っているがな!」と、豚崎も、凄んだ。
「何か、ズレて居ますねぇ」と、比手元が、眉間に皺を寄せた。
「そうだな。まるで、“異世界”の入口に来た感じだな」と、鼠谷も、同調した。何だか、調子が狂うからだ。
「何だ? このラノベ的な展開は⁉」と、豚崎が、周囲を見回しながら、口にした。
「何だい? その“ラノベ”って?」と、黄兎が、小首を傾いだ。
「若者が読む、“小説”だよ」と、比手元が、口を挟んだ。
「小説? 何かしらの“読み物”かい?」と、黄兎が、眉間に皺を寄せた。
「そうだね。俺は、読まないけど、色んな種類の話が在るそうなんだよ」と、鼠谷は、冴えない表情で、説明した。自分の知っているのは、これだけだからだ。
「単行巻って事かな?」と、黄兎が、口にした。
「単行本じゃないのか?」と、豚崎が、指摘した。
「本? 何だい? それは?」と、黄兎が、表情を曇らせた。
「現物が無いから、難しいな」と、豚崎が、顔を顰めた。
「豚崎先輩。呼び方が、違うのかも知れませんよ」と、比手元が、したり顔で、告げた。
「そうだな。同じ物でも、別の呼び方が在るもんな」と、豚崎も、理解を示した。
「そうだ! 僕、単行巻を持って居るんだった!」と、黄兎が、あっけらかんと言った。そして、何処からともなく、巻き物を出現させた。
「巻き物の事を言っているみたいだな」と、豚崎が、呆気に取られた。
「僕らとは違う媒体なのですね」と、比手元も、見解を述べた。
「だな」と、鼠谷も、頷いた。まさか、巻き物が、読書の主流とは、思って居なかったからだ。
「どうやら、君達の呼ぶ“本”とは、別物みたいだねぇ」と、黄兎が、察した。
「そうだな」と、鼠谷も、相槌を打った。確かに、媒体が、別物だからだ。
「で、どんな作品を読んでいるんだ?」と、豚崎が、好奇の眼差しで、問うた。
「僕も、興味が在りますねぇ」と、比手元も、眼差しを向けた。
「そうだねぇ。黄河物かな?」と、黄兎が、得意顔で、告げた。
「黄賀物って、忍者のやつか?」と、豚崎が、口にした。
「忍者物ですか! 面白そうですねぇ!」と、比手元が、食い付いた。
「いいや。違うよ」と、黄兎が、淡々と否定した。そして、「何か、勘違いしているみたいだね」と、溜め息を吐いた。
「ひょっとして、“コウガ”ってのは、大きい川の事を指しているんじゃないのか?」と、鼠谷は、尋ねた。自分達の知るところの“大河”と同義語のような気がするからだ。
「うん。多分、気味の言っている事と同じ意味だと思うよ」と、黄兎が、頷いた。
「何だぁ〜。忍者物じゃないんだぁ〜」と、比手元が、落胆した。
「大河なら、“歴史物”だろうなぁ〜」と、豚崎も、冷めた表情で、ぼやいた。
「この二人は、何を残念がって居るんだい? “茶盥合戦”を題材にした作品なんだよ!」と、黄兎が、熱っぽく語った。
「茶盥?」と、鼠谷は、眉を顰めた。何を言っているのか、さっぱりだからだ。
「ええ⁉ “段ノ浦”で在った合戦ですよ!」と、黄兎が、素っ頓狂な声を発した。
「“壇ノ浦”なら、“源平”合戦なんだけどな…」と、鼠谷は、口にした。言っている事は、何となく分かるのだが、話が噛み合わないからだ。
「どうやら、俺達は、“並行異世界”に迷い込んだのかも知れないな」と、豚崎が、可能性を口にした。
「う〜ん。そっちの兎さんが、僕達の世界へ来たのかも知れませんよ」と、比手元が、逆説を述べた。
「ひょっとしたら、蹴飛ばされた時に…」と、黄兎が、言葉を詰まらせるのだった。




