北西の山
翌朝。
晴明の屋敷には、いつもより早い時間から客が来ていた。
「思ったより早かったな」
庭へ出てきた源一郎が声をかけると、門の前に立っていた綱が片手を上げた。
「頼光様のところで調べてもらった。昨日のうちに分かったこともある」
「もう調べたのか?」
「お前らが山へ突っ込む前にな」
「俺たちをなんだと思ってる?」
「何も分からねえまま山へ入ろうとする奴ら」
源一郎が言い返そうとしたところで、後ろから晴明の声が飛んできた。
「だいたい合っています」
「晴明まで言うのか」
その横では紫苑が楽しそうに笑っていた。
綱を屋敷へ通し、4人は縁側に集まった。
昨日、妖怪の首に刻まれていた焼印を逆に辿ったことで、北西という方角までは判明している。
ただ、それだけでは範囲が広すぎる。
晴明も陰陽寮を通じて周辺の情報を集めていたが、武家には武家なりの情報網があるらしい。綱は頼光のもとへ戻った後、その日のうちに周辺へ人を走らせていた。
「まず、北西の山で人が消えてる」
綱が話し始める。
源一郎の表情から笑みが消えた。
「何人だ?」
「正確な数までは分からねえ。木こりと狩人で、少なくとも4人。ここひと月くらいの話だ」
晴明が眉を寄せる。
「同じ場所ですか?」
「近い。山の麓にある村がいくつかあるんだが、その辺りじゃ最近、奥まで入る奴が減ってるらしい」
「人が消えるから?」
源一郎が聞くと、綱は首を振った。
「それだけじゃねえ」
少し間を置いて続ける。
「妖怪もいなくなってる」
晴明の目が細くなった。
紫苑も笑みを消す。
源一郎だけが、意味を掴みきれず2人を見る。
「いなくなったらいいんじゃないのか?」
晴明が源一郎を見る。
「普通なら、そう考える人もいるでしょうね」
「違うのか?」
「山には山の妖がいます。もちろん人を襲うものも多いですが、全てが人里まで下りてくるわけではありません」
紫苑も続ける。
「自分の縄張りからほとんど出ない子もいるし、人間なんて相手にしてない妖怪もいるわ。山そのものを棲み処にしてるなら、何匹か急にいなくなるだけでも妙なのよ」
「なるほどな」
源一郎は頷いた。
この世界へ来てから、妖怪というものを少しずつ知り始めている。
狡猾で、人を騙し、隙を見せれば襲いかかってくるような妖怪は珍しくない。
だが、だからといって全てが同じではない。
先日死んだ妖怪もそうだった。
誰かに命令され、人間を襲わされていただけだった。
綱が話を続ける。
「狩人の話じゃ、前までは山へ入れば何かしら気配があったらしい。姿は見えなくても、妙な声が聞こえたり、獣じゃねえ足跡を見たりな」
「それが最近は?」
晴明が問う。
「何もねえってさ」
「……何も」
「気味が悪いくらい静からしい」
晴明はしばらく考え込んだ。
昨日の妖怪が言っていた言葉。
暗い場所。
鉄。
仲間。
そして、山。
偶然として片付けるには、重なるものが多すぎる。
「他には?」
紫苑が尋ねる。
「夜中に荷車を見た奴がいる」
今度は源一郎が反応した。
「荷車?」
「ああ。何度か同じ道を山へ向かってる。夜だから何を運んでるかまでは見えなかったらしいが、荷台には布が掛けてあったそうだ」
「帰りは?」
「空だったらしい」
源一郎と晴明の視線が合った。
荷車が山へ何かを運ぶ。
帰りは空。
それだけなら珍しい話ではない。
だが、その山では妖怪が消えている。
昨日見つけた妖怪は、鉄の檻の中に閉じ込められていたと言っていた。
「かなり怪しくなってきたな」
源一郎が呟く。
「ええ」
晴明も頷いた。
「少なくとも、調べる価値は十分にあります」
綱が腰を上げた。
「なら俺も行く」
その言葉に晴明が綱を見る。
「今日は頼光殿のお仕事があるのでは?」
綱の顔が露骨に曇った。
源一郎は思わず笑う。
「あるのかよ」
「ある」
「なら行けないじゃないか」
「分かってるよ」
「さっき行くって言っただろ」
「言ってみただけだ」
「子供か」
「うるせえ」
綱は不機嫌そうに頭を掻いた。
昨日から相当気になっていたのだろう。
人が消えている。
妖怪も消えている。
しかも、それに人間が関わっている可能性が高い。
綱の性格なら、自分の目で確かめたいと思うのも無理はなかった。
「来ればいいだろ」
源一郎が言う。
綱は少し意外そうにこちらを見た。
「だから、行けねえんだよ」
「頼光に言えばいいんじゃないか?」
「そういうわけにもいかねえ。俺には俺の役目がある」
口調は不満そうだったが、言葉そのものに迷いはなかった。
頼光に仕える武人。
源一郎たちと気が合うからといって、好き勝手に動ける立場ではない。
源一郎はそれ以上言わなかった。
「じゃあ今回は3人だな」
「そうなります」
晴明が答える。
綱はまだ納得していない顔だったが、やがて小さく息を吐いた。
「何か分かったら知らせろ」
「もちろんです」
「特に源一郎」
「なんで俺だけなんだ?」
綱が源一郎を見る。
「死ぬなよ」
「心配してるのか?」
「違えよ」
返事が早い。
紫苑が横で小さく笑った。
綱は少しだけ目を逸らしてから続ける。
「次の手合わせが残ってる。勝ち逃げも負け逃げも許さねえ」
「引き分けだっただろ」
「だから次で決めるんだよ」
源一郎も笑った。
「安心しろ。お前に負けるまでは死なん」
「なら一生死ねねえな」
「言ったな?」
「言った」
2人はしばらく睨み合い、同時に笑った。
紫苑が呆れたように肩をすくめる。
「本当に仲いいわね」
「よくない」
また声が重なった。
晴明が静かに立ち上がった。
「そろそろ行きますよ。このままだと昼になってしまいます」
「晴明、最近俺たちの扱い雑じゃないか?」
「慣れました」
「それはそれで嫌だな」
綱と別れた3人は、準備を整えて都を出た。
北西へ進むにつれ、人家は少なくなっていく。
道も次第に細くなり、やがて土の道へ変わった。
源一郎は腰の妖刀を軽く押さえながら歩く。
鞘に収まっている間は、普通の刀と変わらない重さだ。だが、一度抜けば水鬼から吸った妖気の重さが戻る。
今日は何が待っているか分からない。
できれば抜かずに済ませたいが、そう簡単にはいかないだろう。
「源ちゃん」
隣を歩いていた紫苑が声をかける。
「ん?」
「今日は女の人が倒れてても、いきなり近づいちゃ駄目よ?」
源一郎が眉を寄せた。
「なんの話だ?」
「山って、人を騙す妖怪も多いから」
「そんなにいるのか?」
「いるわよ。綺麗な女になったり、子供になったり、老人になったり。助けてって言われて近づいたら、ガブッて」
紫苑が楽しそうに両手を動かした。
源一郎は少し顔をしかめる。
「それは卑怯だな」
「妖怪に正々堂々を求める方が間違っています」
前を歩く晴明が答えた。
「人間より長く生きている妖もいます。力だけでなく、人を騙すことに長けたものも多い」
「なるほどな」
源一郎は少し考えた。
「でも見れば分かるだろ。人間か妖怪か」
晴明と紫苑が同時にこちらを見た。
「……何だ?」
紫苑がにっこり笑う。
「源ちゃん。たぶん分からないわよ」
「なんでだ?」
「源ちゃん、妖気を見るの苦手でしょ?」
「見えん」
「じゃあ無理」
「そんな簡単に言うな」
晴明が小さく笑った。
「姿を変えるのが上手い妖なら、普通の人間と見分けるのは難しいでしょうね」
「お前らは?」
「私は妖気を見ます」
「私は同じ妖怪だから分かることもあるわ」
源一郎は少し納得いかない顔をした。
剣を持った相手なら、肩の動きや呼吸、足の置き方で次の動きを読むことができる。
人間の嘘も、長く生きてきた分それなりに見てきた。
だが、そもそも人間ではないものが完全に人間へ化けているとなれば話が違うらしい。
「面倒だな、この時代」
「今更ですか?」
「今更だ」
そんな話をしながら山道を進み、昼を少し過ぎた頃。
3人は目的の山へ入った。
最初は何も変わらなかった。
鳥の声。
木々の揺れる音。
足元を走り抜ける小さな獣。
どこにでもある山に見える。
だが、しばらく歩いたところで晴明が足を止めた。
源一郎も止まる。
「どうした?」
晴明は答えず、周囲を見渡した。
紫苑も少し遅れて立ち止まる。
その表情から、いつもの軽さが消えた。
「晴明」
「ええ」
2人だけで何かを理解している。
源一郎は周囲を見る。
木がある。
鳥もいる。
風も吹いている。
特に異常は感じない。
「何がある?」
晴明が静かに答えた。
「何もないんです」
「何も?」
「妖気が、ほとんどありません」
源一郎はもう一度周囲を見る。
やはり自分には分からない。
紫苑が近くの木へ手を触れた。
「ここまで綺麗にいないのは変ね」
「やっぱりそうなのか?」
「山なら普通、何かしらいるもの」
「人を襲う奴も?」
「もちろん」
紫苑は木から手を離した。
「むしろ、そういうのが多いわよ」
晴明も山の奥へ目を向ける。
「ここだけ、何かに持っていかれたようです」
源一郎の目が細くなる。
山から妖怪がいなくなった。
昨日の妖怪が言った。
仲間がいる。
たくさんいる、と。
「やっぱりここか?」
「まだ断定はできません」
晴明はそう言いながらも、声には警戒が混じっていた。
3人はさらに奥へ進む。
道は少しずつ険しくなり、木々も密集していく。
それなのに、奇妙なほど静かだった。
源一郎にもようやく違和感が分かり始める。
生き物の気配が少ない。
鳥の声も、先ほどより遠くなっている。
山の中なのに、まるで何かが息を潜めているようだった。
源一郎は自然と妖刀へ手を置いた。
「晴明」
「なんです?」
「嫌な山だな」
「珍しく意見が合いましたね」
「珍しくは余計だ」
紫苑がその間へ入るように歩く。
「気をつけてね。妖怪がいないから安全ってわけじゃないから」
「分かってる」
源一郎は答えながら、前方へ目を向けた。
その時。
微かに声が聞こえた。
「……けて……」
源一郎の足が止まる。
晴明と紫苑も止まった。
山道の先。
木々の向こうから、か細い女の声が聞こえてくる。
「……助けて……」
源一郎は目を細めた。
晴明は何も言わない。
紫苑も動かない。
3人の前に広がる山道は、相変わらず不気味なほど静かだった。




