三十一封 渦に落ちる笑みの仮面
暗く重い空間に立つ。バツが悪そうにこちらを見るフューレン。また心配をかけさせてしまう、また嘘をついてしまう。
そんな私を、どうか、どうか。――許しておくれ。
軋む扉を押し返し、二度目の埃に咽る。心なしか、以前よりも明るく感じる。鼻を刺す本の山、目を刺す蝋燭の灯り。私にはそのどれもが、命の灯を揺らす風になる。
床に落ちている紙、あの時の、手紙。
夢から覚めた後、逃げるように出ていったから、何もかもがそのまま。石の冷たさを膝に感じ、心にひびを入れたかさつく言葉を手に取る。
この秘密に、真実に、触れる時が来たんだ。
手紙と本を机の上に置き、傍の本棚を照らし目を移す。
魔女との契約、魔女と人間の戦争、魔女の歴史。どれもこれも魔女魔女、魔女。表では出せない、見せられない。そんな本を扱うこの部屋。――――さあ、より深い処へ。落ちていく準備は、いいかい?
魔女と人間の仲が悪かったこと、幾度となく戦争が起こってきたこと、魔女が人間に施した悪逆非道の数々。
時に目に雫をためて、時に唸り声と主に鬱憤を晴らして、時に浮かぶ影を追い払って。
時に頷いて、時に息をのんで、時に目をひそめ。学び、驚愕、嫌悪。
心の底から、腹の底から、沸き立つそれらを無視し続けた。それがどんな感情なのか、最早分かりっこない。ただ普通に平然と、明かされる真実を受け止める。
そして「魔女との契約、召喚儀式、その他諸々」探し物リストに載っている、最後の一つ。
あの日、ここを離れる前。横目で見た本棚の中に、これがあるのを知っていた。本来なら、あの日部屋までもっていって、魔女さんに預けなきゃならなかったんだ。
それをしなかったのは、この本を手に取らなかったのは、あの時の私にはもう、深淵へ踏み入れる意思があったからだろうか。
魔女との契約、召喚儀式、その他諸々。
「魔女との契約」これは意外と簡単に行える。それが同意の上であれ、強制であれ。――そのどちらも「魔女の名前」を必要とする。
同意の上であれば、詠唱後の問いかけに、魔女が答えるだけでいい。
強制的なやり方、これは少し厄介な方法になる。魔女の名前を得た後、魔女に自分の方が上だと、分からせる必要がある。そのやり方は問わない、魔女に「自分はこの人に勝てない」そう思わせればいい。
――そして契約は、上書きできる。
ただ上書きには、元契約者の大切な物と、新契約者の大切な物を触媒とする。
ただ頷いているのもひと時だけ。
覚えのある道具たちが目に入ったから、ヴァルプルギスの夜に行う儀式はきっとこれだろうって、そう思っただけなのに。
その瞬間、自分の存在を思い知らされた。――ただ貴方を知りたかっただけなのに。いや、それ以外も、あったかもしれないけど。
亡くなった人の魂を呼び出すのには入り鳥緑、様々な道具と――依り代を必要とする。
ありとあらゆる道具で魂を呼び起こし、依り代の中に憑依させる。そうして儀式は成功、魂と強さの蘇り。
代償は――人間の命。そして召喚者の生命力。
人間の……命? なに、本当に私、死んじゃうの? 四月三十一日に私は存在していないって、あの言葉は本当だったってこと?
頑張って、頑張って頑張って頑張って。魔女さんのためにって、精一杯頑張って、お館を走り回って、一生懸命探したのに? 最後には死んじゃうの? そんなことある?
嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。
だってあの時、あの時だって、私に、笑顔を見せてくれたのに。あんなに、良くしてくれたのに。
それも全部全部全部、私を、儀式に、使うために?
駄賃がなくたって、何もお返しがなくたってよかったのに。貴方の笑顔が、幸せがあるだけで――それでよかったのに。
利用されて、挙句の果てには死ぬだなんて、そんなの、そんなのあんまりだ……。
この怒りを、絶望を、悲しみを。一体どこに向ければいいの。
――いやその前に、やらなきゃいけないことがあるだろ。まだ、まだ彼女の口から聞いていない。
お願い。お願い。否定して、大丈夫だと言って。それだけでいいの……それだけで、いいから。
「――フューレン。このこと、内緒にしててね」
この世のものではない、ただただ渦に落ちる笑みの仮面。




