十封 お伽噺「謎のお館の誘い」
鼻をかすめる紅茶の匂いと飲み込む音。羽が擦れる音しか耳を流れなかった。あとは耳障りなほどに愉快な音楽。
先に沈黙を破ったのは私だった。
「あの」
「なにかしら?」
「いくつかお聞きしたいことが」こぶしをギュッと固く握り、怯えながら様子をうかがった。
「そうでしょうね、よろしくてよ」
コツン……。とカップをお皿に置く。組んでいた足をスマートにおろし、指を絡めコテンと首を傾げこちらを見つめる。その表情は、なんでもどうぞ? と言わんばかりの余裕の表情だった。かえってその表情が緊張を呼んだ。固唾を飲み、喉が上下するのが分かった。その喉を嚙み千切られないかの不安を覚える。
「なんで、私に手紙をくれたんですか」最初の質問がこれだと。分かっていたかのような笑みが、また更に不安を煽る。
――それは色々と事情がございますけれど。一言でいうなれば、「わたくしが貴方に会いたかったから」ですわね。
口元に人差し指をあて、ふふっと笑う彼女は少し、気恥ずかしそうだった。さっきのあわあわした様子といい、意外に怖いひとじゃないのかもしれない。そう思える、なんとなくのふわふわしたオーラがあった。
「それと……もう一つ」カップに口を近づけ、香りに微笑みを向ける彼女に、また一つと質問を投げかけた。
「さっきの、久しぶりのお客人とは、どういうことですか?」ふっとこちらに顔を向け、目線もこちらにあるのだと分かった。
「そのままの意味ですよ。何年前だったかしらね? もう覚えてないですわ」
「そうですねぇ……。一つ、お伽噺をお話ししましょうか」
――何百年も前から続く、若い男女達のお話。
ひとり、とある村の、とある農家のもとに生まれし若い娘だった。ごく普通の生活を過ごし、ごく普通に幸せに暮らしていた。
その娘に転機が訪れたのは、娘がその生活に不満を持ちだした頃。ごく普通の生活に退屈を見出し、ごく普通の生活に飽きていた時。娘のもとに一羽のカラスが現れ、そのカラスは手紙を持っていた。娘はその手紙を読み、その中に入っていた指環に誘われ、とあるお館に辿り着いた。娘は今までに見たことのない景色に興奮し、喜んで足を踏み入れた。
もうひとり、とある都会に生まれし青年。ごく普通に働き、ごく普通に不満も持ちながら暮らしていた。
その青年に転機が訪れたのは、青年がその生活から逃げ出したいと望んだ頃。ごく普通に働くことに嫌気が指し、ごく普通に不満を持ち生きるのが嫌になった時。青年のもとに一羽のカラスが現れ、そのカラスは手紙を持っていた。青年はその手紙を読み、その中に入っていた指環に誘われ、とあるお館に辿り着いた。青年は今までに見たことのない景色に期待をし、望みを叶えてもらえるかもと足を踏み入れた。
そしてまたもうひとり、とある国の王族に生まれし王子。ごく普通に稽古に勤しみ、ごく普通に不自由なく暮らしていた。
その王子に転機が訪れたのは、王子がその生活を覆したいと欲を溢れさせそうになった頃。ごく普通に稽古に勤しむことに無価値を覚え、ごく普通に年老いることに恐怖を持った時。王子のもとに一羽のカラスが現れ、そのカラスは手紙を持っていた。王子はその手紙を読み、その中に入っていた指環に誘われ、とあるお館に辿り着いた。王子は今までに見たことのない景色に呆れ、手始めにと傲慢さを持って足を踏み入れた。
そしてまたひとり、またひとりと誘われては止まない。謎のお館の誘い。




