九封 目を薔薇で覆われる女。
肩に乗るカラスの嘴を撫でながら振り向く、顔の見えない黒い影。
「ようこそいらっしゃいましたね。美しいお嬢さん」ドレスの端を片手の指でつまみ、軽く会釈する。身長の高く、女性の声に、床にたれ広がる黒のドレス。彼女こそが。手紙を書いた張本人。
広い部屋の真ん中に丸いテーブルと椅子が二つ。静かに可憐に鳴り響くクラシック。あたりを見回してあるのは本棚にドレッサー、クローゼットにピアノ、其の他諸々。ごく普通の、ゴシックで洋風な部屋。テーブルの少し後ろ斜めには、手紙を届けてくれたであろうカラスが止まり木にいた。薔薇のアーチをくぐった後からいなくなったとは思っていたけれど、まさか先回りしていたなんて。あとは……奥の椅子の隣に積み重なる、鎖に巻き留く棘のある薔薇とツタ、だろうか。
どうしたらいいか、なにをすればいいか、分からず立ちつくしていた時。
「まあそう警戒しないで。とりあえずお座りなさいな」
そう手前の椅子を引き座るよう促した。彼女はドレスを引きづり、奥の椅子に座ってティーポットから紅茶をそそぎ、こちらに滑らせた。流石に長く慣れない森の道を歩き、今なお立ち続けているのは正直辛かった。大人しく手前の椅子に座ろうとした時、先程から見えなかった彼女の顔がようやく見えた。
――――ひっ。
思わず後ずさる。これを人と呼んでいいのだろうか。それとも、ハロウィンのとても凝った仮装なんだろうか。それにしては趣味が悪い気がする。本格的すぎる。
両目を赤い薔薇で覆われ、手足から腕太ももまで赤く染まり、薔薇がそこらに絡みついている。豪華なドレスに豪華で散らかった部屋に目が行き気づかなかった。
ここを去らなきゃ、来た道を戻らなきゃ。どうしようどうしよう――――攫われる。
脳を駆け巡る警告音に目をくらませ、手を後ろに引き逃げようとしたとき。手を左右上下に振り回し、自分よりあわあわしている彼女を見て、警告音が段々と止んでいったのが分かった。
「そ、そうよね。初対面でこんなんじゃ怖いわよね、失礼」
パチンと指を鳴らした途端、少しの風と赤い花びらが彼女を包み、彼女の纏うドレスが先ほどまでのとは変わったものになった。帽子から目を覆うほどにヴェールが垂れ、レースの手袋から腕を覆う薔薇が見えない位置までに長い黒い手袋に変わり、足の見えていたふわっとしたドレスから足の見えないタイトなドレスに変わった。彼女は私が怯えたのを見て、わざわざ服を変えたんだろうか。威圧感のあった重い空気から溢れ出て微かに感じるこの優しさは、なんなのだろう。
「これで、大丈夫かしら……? 怖がらせるつもりはなかったんですの。ただ久しぶりのお客人で……」
「気が緩んでいましたわ、先ほどまでの非礼をどうか許してちょうだい」
その落ち込んだ表情を、目元が見えなくても分かった。私は今、彼女を傷つけてしまったんだ。
「あ、……いえ。私の方こそすみません、後ずさりまでしてしまって」頭を下げる。
「いいのよそんなの。当然の反応です。さあ、お座りなさい」手前の椅子を指さし、二度目のお誘い。今度は素直に座り、膝にこぶしを置いた。




