第十四話:冒険の価値は
うう、またしても飲み過ぎた……。
痛む頭を抱えながら起きると、朝だった。鈍痛が居座る頭と対照的に、爽やかな森の息吹が感じられる朝だ。
綾子が荷物をまとめて、馬や牛の支度を整えて待ってくれている。
「ごめん綾子さん……お待たせ……」
「ふむ」
「……?」
綾子が手持ちの瓶を何やら弄り、それから祠の奥の香りを確認している。二つから漂ってくる気配は、どうも同じもののように思えた。
何かの確認を終えた綾子は不敵に微笑み、俺に振り向く。
「さあ、家に帰ろう三津谷!」
「な、なんでそんなに元気なのん……あ、シグネ様。おはようございます」
「おはようございます、葉介様。しっかりと護衛しなさいよ、綾子」
「はいはい」
「もうお立ちですか」
「ええ、今回のことでエルフの方々が望むものも分かりました。次回は塩だけでなく、綿や茶葉なども取り揃えてきます」
「まぁ、嬉しい!」
「では――」
そう言って別れの際に、服従の口づけをシグネの足の先にしようと這いつくばる。命を救ってくれた上に極上の美女とあらば、この人のために俺は何でもしよう。
忠誠を示し終わると、跪いた俺の頭をよしよしとシグネは撫でてくれた。ワンワン。
一メートル上から見下ろすシグネの美貌は、まさに女神のそれに匹敵するものだった。
「お元気で、シグネ様」
「葉介様も。一週間と言わず毎日おいでください。いつでも歓迎いたします」
手を振り続けてくれるシグネに見送られ、森の中へ。
行きよりも帰りの方が積み荷は少ない。少しだが早く帰れるだろう。
「お昼過ぎくらいには街に戻れそうだね、綾子さん」
「ええ」
「日帰りよりも、エルフの里で一泊して戻る方が日没まで余裕があっていいかも」
「そうだね。三津谷はエルフの女の子たちと仲良くできるしね」
さっきから綾子がこちらを向いてくれない。どうやら今日も朝から虫の居所が悪い様だ。
「あ、ああ……あの方々と友好的なら、交易もはかどりそうだし……」
「そうね、私も昨晩はエルフの男性と話をしたよ。情報収集がてら」
「……!」
エルフの男?
エルフの男だって?
しまった。シグネ達女性のエルフが居るように、当然男のエルフもここには暮らしている。魔力的な実力は女性の方が優れているので、首脳陣は女性陣が固めており影が薄いが、居ない方がおかしい。
そのエルフの男どもが綾子に声をかけたのか。昨晩。俺が見ていない間に。
馬の轡を引く手が震える。胃液が戻ってくるような不快な胸焼けが広がる。
「そっ、そうなんだ……エルフの男に……。は、話しかけられたの?」
「ええ、とっても私に興味があるみたいで、何人かと一緒に里のことを色々お話したんだ」
元の世界でも何度も、男性から声を掛けられたことがあるのだろう。事もなげに、さらりと髪をかき上げる綾子。それと対照的に俺の心中は全く穏やかではない。
エルフの男性陣が綾子に興味を持って当然だ。彼女はエルフの女性と遜色ない、いやむしろ上回るほどの美貌を誇っている。人種が異なると言えど、若い奴らが放っておくまい。
「どんな奴だった……の?」
「凄くイケメン」
「……!」
「金髪で、睫毛が長くて、カッコ良くて、背が高くて、力持ちで」
「……」
「お話が上手で、知的で、弓が上手くて、魔術も上手で、ロマンチストで」
「ぅ……」
「星のことが特に詳しくて、占星術について沢山教えてもらったよ。筋が良いって、いっそこの村で暮らさないかってスカウトされた」
「そっ、そっか」
全部ない。全部負けた。負けている。
上手く愛想笑いが出来ない。取り繕う様に持ち上げた口の端が、実に収まり悪く上下する。
どうしてこうも泣けてくるんだろう。エルフの男たちと比べても何一つ持たない、空っぽな俺が綾子と恋仲になれるはずもないのに。大体自分はシグネ達と仲良くしていて、綾子がエルフと交流するのを嫌がるなんて道理に合わない話ではないか。
けど羨ましいもんは羨ましい!
煩悶する俺を見て、何やら満足した綾子は畏れ多くも天啓を賜った。
「でもお断りしちゃった」
「……! こっ、こっ、断ったの?」
「うん。今の所生活が安定するまで、恋人を作るつもりは無いって」
「そ、うなんだ……。あ、あ、綾子さんて――」
「んー?」
「こっ、こっ、こっ」
「こ?」
「………………恋人とか……居るの?」
「今は居ないねー。その内いい男が見つかると良いんだけれど、昔からどうも吊り合う男が居なくてね」
居ないのか。
居ないのかー! そうなんだそうなんだ。
いやあ、良い朝だ。細々と悩んでいたのが馬鹿らしくなってくるくらいに爽快な朝だ。高揚感と安心感という名のシャワーをこれでもかと浴びながら、歩みを進める。
へらへらと笑いながら魔物を追い払っていたら、あっという間に森を抜けて街に着いた。
――
手元にジャラジャラと金貨が積まれていく。
ここはミッドランド王国の端の街オッカズム、その市場。先日塩を購入しに訪れたばかりだ。
「金貨、さんじゅうまい」
「ん、相場から見ても妥当ね」
「ああ、毎度。うーむ、かなり質の良い乳香だ。東の林でもこれほどのものはめったに……。それをこんなに大量に、一体どこで手に入れたんだい?」
取引相手の商人が、自身の生業を促進させようとギラリとした目を向けてくる。入手方法を教えても彼が真似することは出来まい。手に入れたのは化け物蔓延る森の奥、人間嫌いのエルフから入手したのだから。
それにしても……シグネから受け取ったのは、今回の塩の代価の一部。それだけで金貨三十枚。シグネからの前金でさらに二十枚。
合計五十枚でもほんの一部の売り上げ。最終的には元手の……、
「二十倍以上になるんじゃないのコレ。金貨二百枚」
「とんでもない利益率ね」
「シグネさんが、気を利かせすぎて最上級の品をくれたとか」
「いいえ、エルフにとっては比較的ありふれたものだよ。森ではなく草原に生きる人間にとって、凄く貴重なだけ」
「交易って凄いなあ」
たった片道半日の距離で。そんな距離を運んだだけで元手が数十倍に。
自分が想定していた以上の成果にめまいがしてくる。例え綾子と儲けを半分にしても、倹約すればひと月どころか一年近く暮らせるではないか。異世界生活が順風過ぎるぜ。
受け取った金貨を丁寧に仕舞う。周りにいる全員が盗賊に見えるので首を振り回しながら帰路、綾子の家へ。
「お、お、お金持ちになっちゃった……俺、お金持ち……」
「そうね」
「どうしよ、つ、使い道が……取りあえず衣食住、衣食住だ……! これでひもじい野宿とおさらば……服も清潔なものが買えるし、食事も……」
「……そうね」
「綾子さん?! なんでそんなに落ち着いているんだい?」
「チッ、多すぎる……これだとすぐに別の宿を……」
「綾子さん? おーい綾子さん?」
俺が今回の凄まじい成果の実感なく、何度も何度も金貨の枚数を数え直している傍ら、綾子の方は何やら思案している。なんでやねん。元々金を持っているからだろうが、これを二日で稼いだのだからもっと喜んでも良いはず。
ブツブツと呟き、悪いことを企んでいる顔だ。大体わかるようになってきた。眉を寄せていると悪いこと考えている顔。にっこりと笑っているともっと悪いことを考えている顔だ。
思案が終わったらしい綾子は、にっこりと微笑んで全額徴収を宣言した。
「三津谷」
「はいっ」
「これは元はと言えば私が出したお金だよね」
「……はい」
「じゃあ、私が管理します」
「えっ」
綾子が金貨五十枚を全部持って行ってしまった。ひどい!
まあ元手を銅貨一枚出していない俺は、厳密には出資者ではなく雇われ労働者という事になるのだが。
「何か文句ある?」
「全部持っていくことないだろ」
「もし三津谷が大金持っても、使い道が無いでしょう? 衣食住の内、食事と宿は私が管理してあげるし、服も今度一緒に買いに行くから」
「う、う……でも、そしたら俺一生独立出来ないような」
「……」
俺の弱弱しい抗議は無視されてしまった。ひどい! 鬼! 悪魔! ろくな嫁さんにならないぞ!
がっくりと諦めて綾子の家の扉をくぐる。情けない。本当なら独立して、しっかりと生計を立てられる男になるはずだったのに。
それでも「小遣い」という名目で渡された金貨一枚は、俺の懐を満たすのに余りあるものだった。
読んで頂きありがとうございます
しばらくは一日一回、投稿目指して頑張ります