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紫苑に露  作者: 花信風描
第七章 落花
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第八十四話

「おい、行くぞ」


両手を固く結ばれ、蓮司は半ば引き上げられるように無理矢理立ち上がらされた。


「ッ!!」

「おい!何してるんだ!?立つんだ!」


「も、うしわけ……ありません」


すっかり足は骨に皮だけのような無惨な姿になり、きちんと身体を支えられるだけの力なんてどこにも残っていなかった。

それでも容赦なく引っ張られるものだから、蓮司は引きずられるような形になっても、前に進むしかなかった。



陽の光があまりにも眩しい朝だった。

身体はすっかり暗闇に慣れてしまったのか、全身から太陽を拒否する悲鳴が聞こえてくる。



(………………今日で終わる)


長い間監禁されすぎて、蓮司の思考は既に壊れていた。

なにもかも空っぽで乾いていて、突けば砂のように崩れそうな、もはや生き物ではなかった。

裸足に鋭い砂利が刺さっても何も痛くはなく、例え血が出始めても、ぼうっと眺めるだけだった。


蓮司の話は王宮の者なら皆知っていたにせよ、実際に姿を見たことがある者はほとんどおらず、蓮司は処刑場まで行くまでに沢山の人の見せ物になった。


蓮司を見る皆の目は様々で、今にも嬲り殺したいというほどの目を向けてくる者、ただただ野次馬をしているだけの者、屍同然の蓮司の姿に少しばかり憐れみを向けるような者までいた。


けれど、蓮司の頭の中は全く別の場所にいた。


(……あぁ、ここは)


なんてことのない広場を通り過ぎた。

芝は綺麗に手入れされているが、いたって何も無い。


けれどここは蓮司にとっては馴染みのある場所だ。

かつての猛龍はよくここで武術の稽古をしていて、何回も怪我するものだから蓮司はよく薬品庫とこの場の往復をした。



(……ここも変わっていない)


そこには大きな桜の木が凛と立っていた。

桜といっても、もう花の時期は去り、すっかり若葉が生い茂っている。


ここは他でもない、寧々と蓮司が黒蛇を怒らせ、半ば命乞いをした場所だ。

あの時は桜盛りで息を呑むほど美しい風景だったはずだが、そんなことよりも「終わった、」そんな気持ちの方が大きかったことを蓮司はよく覚えている。




_____それと、



(……………君は、誰だ?)


日差しの眩しさに目を瞑った瞬間、蓮司の脳裏に誰かが映った。

子どもではないようだけど、大人でもない。

そんな、まだ少しあどけない背中。


『_______じ、蓮司!!』


その青年が振り返り、なぜか名前を呼んできた。

まるで今日の太陽のような弾ける笑顔で、笑った時の口は絵に描きだせそうなほど綺麗な形をしている。


その笑顔を向けられた途端、蓮司の心は灼けるように熱くなり、同時にどこからか痛みが広がる。忘れていた古傷だろうか。




(……………君は、誰なんだ?)


___ グシャリ

鈍い音によって意識が現実に戻された時、蓮司は砂利に藁莚が乱雑に敷かれた場所に跪かされていた。


この場所が自らの死に場なのだとなんとなく悟った。

普通ならば逃げ出したくなるぐらい悲観的に、投げやりになるだろう。

けれど蓮司は本当におかしくなってしまったのか、心の中は優しく包み込まれているように温かかった。


「………君か。来てくれたんだ」


ずっと心の中にいた、けれど無意識に思い出さないようにしていた、最愛の存在。

今は亡き“彼”が、迎えに来てくれたみたいだ。


「秀………やっと君に会える」


だから蓮司はもう何も怖くなかった。

きっと、蓮司は今微笑んでいるだろう。たいそう不気味だろう。けれど、そんなこともどうでもよかった。




「_____随分と幸せそうだな」

最大の皮肉を込めた、男の声。


蓮司が顔を上げると目の前には猛龍と寧々、そして多くの観客がいた。


人が残虐に殺されるところを見たいなど、随分と悪趣味だな、と思ったが、蓮司にとってそれもどうでも良いことだった。


「逃げて終われるのだから、さぞ気分が良いであろう。我が子を殺された私たちの苦しみは一生続くというのに」


“こうなる”前の蓮司なら、少なからず「私は殺していない」と抵抗しただろう。

けれど、今、蓮司の心は湖のように静かだ。

入手した覚えのない劇薬がなぜか医院から見つかった。そしてそれが決定的な証拠となった。

そのことを聞いた瞬間、思考も、感情も全て消え失せてしまった。何も感じない、無な時間がただただ流れているだけだった。


”もう、いい。そんなに殺したいなら殺してくれ_____”

おそらく、そんな投げやりな気持ちだったのだろう。どうしてこうなってしまったのか、何一つ分かっていないけれど、もうどんな言葉を投げても罪人の言い訳としか見られない。


猛龍は心底人が悪そうに笑った後、すっと左手を挙げた。

するとすぐに、奥がやたら騒がしくなり始めた。

誰かの抵抗する声が聞こえてくる。その声は、どこか聞きなじみがある。


「やめろっ!!離せ!離せって言ってんだろうが!!どこへ連れて行く気だ!」


威勢のいい声の主が姿を現した。

_____その人物を見た瞬間、音は消え、全てが止まったような感覚に襲われた。

もはやただの物体だったはずの蓮司の身体は勝手に震えだし、血の気が引いていくのが気持ち悪いぐらいに分かった。身体に水分など残っていないはずなのに、涙のようなものまで意図せず出てくる。


「う、嘘だ………嘘だと言ってくれ、」


猛龍は、やっと正気を取り戻した蓮司を見て、満足気に笑った。


「嘘じゃない………嘘じゃないさ!!ハハハハッ!このまま楽に死ねると思ったか!?お前はやはりどこまでも身勝手な奴だな!あの時と何も変わっていない!」


「父さんッ!!!父さん!」


「父上!!」


現れたのは、怜と凛だった。

二人とも、身体をきつく結ばれ、まるで家畜のように繋がれている。

頬は痩せこけ、身体にはいくつも痣がある。


「………どうして、どうしてこんなことを、」

蓮司の声は、苦しみを越え、もはや怒りさえ含んでいた。

その場にいた皆は、蓮司が初めて感情を露わにしたことに驚きを隠せなかったが、猛龍だけはフン、と鼻を鳴らし、落ち着き払っていた。


「………どうして、か?」

猛龍は呆れ笑いながら、大きな溜息をついた。


「この国の王子を殺したのに、家族が無事でいられると思ったか!?なんとおめでたい奴なのだお前は!!大馬鹿者だな!ハッハッハッハッ」


猛龍の高笑いが処刑場に響く。猛龍の顔はもはや狂人に見えた。

猛龍の声が、蓮司の鼓膜に刺さるように響く。

震えが止まらない。今、繋がれていなければ蓮司はきっと猛龍に襲い掛かっただろう。


「ふざけるなよ…………」

耐えられなくなったのは凛だった。


「王子を殺しただと!?寝言は寝て言え!!」


(やめろ……やめるんだ、)


「……………私は父とともに医院の管理をしていましたが、あのような薬を入手したことはありません!何かの間違いです!」


「止めるんだ二人とも!!」

蓮司が怒号を上げた。


案の定、猛龍の顔から笑顔が消えた。

「なんだ、お前らは父親が悪くないと言うのか?……………お前らには幾分か温情を施し流刑ぐらいにしてやろうと思っていたが、父親をかばうならば話は別だ」


猛龍は脇に構えていた執行人に目配せをし、怜と凛を顎で指した。

執行人は表情ひとつ変えずに傍らに置いてある刀の柄を掴んだ。

怜と凛の顔から血の気が引く。いくら二人でもこれから何をされるか分かったのだろう。カタカタと震えるだけで、恐怖のあまり言葉など出てこなかった。


猛龍と執行人以外の見物者も少し騒めき始めた。

「………誠か?」

「いや、どちらにせよ罪からは逃れられぬのだ。流刑地で死んだような生活を送るぐらいならば今この場でともに死んだ方が幾分か良いのでは?」

「ひえぇ、残酷だなぁ!」


寧々までも少し居心地の悪そう顔を示した。


けれど、猛龍は何がおかしいと言った様子で深く腰掛けている。

「私は大切な青藍をあいつに殺されたのだ。だったらあいつも目の前で息子を殺されてみるといい。それでやっと自分のしたことの罪深さが分かるだろう」


そう言われてしまえば何も言えず、皆一斉に口を閉じた。

そうしている間にも、執行人は淡々と怜と凛に近づき、刀を清めている。


「やめろ………やめろ!!」

蓮司は身体を四人がかりで押さえつけられているにも関わらず、抵抗を続け、縄との摩擦で血だまりができていた。

けれど、そんな蓮司の抵抗も虚しく、目の前のことは着々と進んだ。


「……………では」


怜と凛は一点を見つめたままただただ震えていただけだったが、いざ後ろに気配を感じると、ぎゅっと目を瞑った。

血も涙も無さそうな執行人が冷徹にそう言い放ち、刀を振り上げる。




「私がっ………青藍様を殺したんだ!!」

蓮司は力のかぎりそう叫んだ。

この場にいない者にまで聞こえるぐらいに。


そのあまりの勢いに時は止まり、執行人もピタリと刀を止めた。

隙を与えてはいけない。蓮司は足早に続けた。


「私が………あの劇薬を入手し、青藍様を殺した!息子たちは私が王家を恨んでいたことさえ知らなかった!!彼らは何も知らず、ただただ家族だから私をかばおうとしただけだ!今私が白状した瞬間、彼らは私を心から軽蔑したでしょう!!」


全て言い終わった後、聞こえるのは蓮司の荒れた呼吸だけだった。


「………………ほう」

静寂の中、猛龍は立ち上がった。


「やっと自らの口で罪を認めたな」



猛龍は階段を降りて蓮司に近づき、その髪を掴んだ。

「もう一度言え!!私が青藍を殺したと!!!」


「………他でもないこの私が!!王家への恨みを果たすために青藍様を殺した!!!」


猛龍は全身をわなわなと震わせた。こんな工作をしてまで求めていた自白をやっと得られたというのに、その表情は形容し難いものであった。



猛龍は蓮司を力一杯地面に投げ捨てた。

身体を支えきれず崩れる蓮司を、憎みと怒りでごちゃごちゃになった目で最後に見てから、執行人に向き直った。





「おい!!何を突っ立っているのだ!!!今すぐこの罪人を斬首しろ!!!」


「はっ!!!」



「やだっ!父さん!!父さんってば!!」


「父上ッ!!やめて!!父上!!」


執行人は猛龍からの指令が入るとすぐさま標的を変え蓮司へ近づいていった。

蓮司は、抵抗することなく、瞳を閉じてただ時が来るのを待っている。


「嘘だ!!絶対嘘だ!!!」


「お願いしますっ!父上を助けてください!!」


怜と凛の悲痛な叫びも虚しく、執行人は迷いなく刀を振り上げた。




蓮司は最期に、怜と凛を見た。


______情けない父親ですまない。


二人が見た蓮司の最期の顔は、そんな懺悔にまみれていた。

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