3-1
スターバックスの店内は、豆から挽いた上品なコーヒーの香りで満ちていた。
有栖川と夜明は違うみたいだが、俺は人生初の来店である。
漠然とではあるが、俺みたいな根が陰キャの人間には敷居が高いと感じていたのだ。サイズ表記が一般的なものとは異なるだの、働くには容姿審査があって、そのせいか来店する客までもがオシャレ等々……興味はあったが二の足を踏んでいた。事実、カタカナだらけのメニューに眩暈がした。注文は熟練者に任せて、俺はテーブル席を確保する役を担った。
「ほお……」
座るなり俺は、田舎から上京した若者さながらに、感嘆の息を吐き出しながらきょろきょろしてしまう。ノートを広げて勉強している風なやつ、パソコンを開いてカタカタと仕事をしている風なやつ、英字の本を手にしたやつ――なんだこいつらアピール厨か。家でやれや家で。
それでも一見して陰キャっぽいやつはいない。店員は前知識どおりイケメンと美女ぞろいである。なんだってんだこの空間。俺が店長なら絶対に社内恋愛禁止にする。店長のみ可だ。
なるほど、やはりスタバは俺にとって敷居が高い。店員の顔面偏差値ぐらい高い。有栖川と夜明の言葉曰く俺は一見して変態っぽいらしいし、ひとりで来店したら通報されかねん。陰キャならぬ淫キャだな。……自分で考えて自分で悲しくなったわ。これがスタバか。
「お兄ちゃん、お待たせ!」
夜明のかわいい声と共に俺の前に現れたのは、かわいくない飲み物だった。
「よ、夜明。……これ、俺ひとり分か?」
忌憚なく表現すれば、運動部が使う水筒サイズのカップに白と薄茶色の液体が入っている。混ぜる前のカフェオレといった風情なのだが、その上には生クリームがソフトクリームのように渦を巻き、さらにその上にはチョコレートソースと思しき黒い液体が螺旋を描いている。
「なに? 夜明と一緒に飲む?」
「……飲みきれなかったら頼むかもしれん」
「んもー、しょうがないなあ」
言葉に反してどこか嬉しそうな夜明。そんな夜明が頼んだのは見るからにキャラメルといった色合いのものだった。上に生クリームとソースがかけられているのは一緒だが、いくぶんサイズが小さい。俺のと比較すると半分くらいだろうか。……俺もそのサイズでよかったな。
「いちおうお礼を言っておくわ。ごちそうさま」
最後にやってきた有栖川が、そう言いながら俺と夜明の対面に座る。なんのお礼だと当惑したのだが、確認する前に有栖川の手から俺の財布とレシートが手渡された。
「なぜ? なぜおまえが俺の財布を持っている?」
「あなたの妹に渡されたのよ」
たしかに俺は夜明に財布を渡したが、そこに有栖川の勘定まで支払う意味は持たせていない。
夜明のほうを向きそうになるのをぐっと我慢する。いくら変態で学校では猫をかぶっているとはいえ、こいつは美少女なのだ。余裕を見せておいたほうが得になるに違いない。
「――ッ!?」
しかし財布に入れようとしたレシートに記載された価格を見て驚愕した。普段は家にあるお茶か水、外でもほぼ同じラインナップの俺にとって、飲み物だけでの金額とは思えなかった。
おまけにもっとも高い値段を記録しているのは、おそらくは俺のメニュー。
エスプレッソアフォガートフラペチーノ。
うん、呪文かな? 杖でも振りながら叫べばそれらしい絵面になりそうだ。
俺の少ない知識によるとエスプレッソは苦いイメージなわけだが、追加トッピングされたホイップだのチョコレートソースなどといった甘未系は合うのだろうか。
戦々恐々としながらホイップとソースを崩して、すべてを絡めるようにして飲んでみる。
「お、うまっ」
意図せずして声に出るほどの味だった。苦味と甘味の見事な調和である。
「ふふふ、あなた、おもしろいリアクションするのね」
「う、うるせ。はじめてなんだからしょうがねえだろ」
一瞬、どこぞの柔和なお姉さんかと思ったが、やさしい声の主は有栖川である。ふふふ、て。照れ隠しのような態度を取ってしまったことが悔しかった。とんだ失態を犯してしまった。
「あなたのはじめてなんて欲しくないわよ」
「……なあ、おまえのその物言いはわざとなのか? わざと卑猥に聞こえるように――」
「アサ兄のはじめては、基本的に夜明のものですよ?」
俺の言葉を遮るようにして、俺自身も知りえない衝撃的な発言をする夜明。
「あ、あなた!? やっぱりそうなの!?」
「ちょ……待て待て待て待て。このシャレオツ空間でさっきのようなノリはやめろ。声をおさえろ。そして相変わらずのその『やっぱり』ってのはなんなんだ? 俺は清廉潔白を主張するぞ。自慢じゃないが、年齢イコール彼女いない歴だぞ?」
「……知らなくても損しない情報ね。わざわざ説明してもらわなくても察せられるし」
「おいこら、それはどういう意味だ。モテないって言いたいのか? あぁん?」
メンチを切りながら巻き舌をするつもりが失敗する。そもそもメンチってなんだよ。カツしか知らんわ。図らずもメンチを切る初体験までも捧げちゃってるし。よくわかってないけど。
「そんなあなたに、いいことを教えてあげるわ。忠告と言い換えてもいいわね」
急に意味深長な空気感をだす有栖川。俺は緊張から渇きを覚えて、フラペチーノをすする。
「処女は財産になり得るけれど、童貞は負債よ?」
「ブハッ!!」
俺はエスプレッソアフォガートフラペチーノを盛大に噴き出した。ストローによる嚥下だったので、有栖川にまで飛び散らなかったのが幸いである。……俺の眼前は悲惨な状態だが。
「なにをしてるのよ、私にかからなかったからよかったものの。まったく、お行儀の悪い男ね」
「こ、こんな場所で処女だの童貞だの口にするやつに行儀の是非を問われたくないわっ!」
咳き込みながら反駁する。ほんとにこいつはもう、なんつーか心臓に悪い。恥じらっていて欲しい整った顔から下世話な言葉がぽんぽんでてくるものだから、幻滅感もある。
「店内でまで大きな声を出さないでちょうだい。耳が痛いわ。……あなたは頭が痛いわ」
「さっきまでのおまえに言われたくねーよ!? さては俺に指摘されてムッとしてたな?」
「…………今度は私のホットコーヒーを頭から飲んでみたいですって?」
「い、いいい、言ってないです! すいません!」
図星をつかれたとはいえ、もう少し穏便な意趣返しをしろよ。まったく、文句も言わずに俺の噴き出した残骸を拭いてくれている献身的な夜明を見習えってんだ。
というか――、
「いい加減、本題に入らないか?」
皆無な女性経験とか悲しい現実じゃなくて、俺はストーカーの事情を聞きたいんだ。
「いい加減に? だから、私に責任転嫁しないでって、ずっと言っているでしょう?」
優雅な動作でコーヒーを口に運んだ有栖川が、カップをテーブルに戻しながら嘆息する。
「あなたが『俺のはじめてをもらって欲しい』とか気持ちの悪い願望を言いだしたのでしょう?」
「んなこと一言も言ってないが!?」
「そう? じゃあ、あなたのはじめてを妹がもらっているという話はどう説明するつもり?」
「それは事実無根だ! 俺も知らん!」
俺こそ夜明に説明して欲しいんだ。誤解を解かないと社会的に絶命しかねんぞ。説明だけに。
「……あなた、妹に夜這いされたとでも言うつもり? どこまで責任転嫁するのよ」
「いや、だからな? 責任転嫁もなにも、そもそも俺は――」
「夜明は、夜這いはしません」
俺のエスプレッソアフォガートフラペチーノを飲みながら話す夜明。いつのまにか俺の前には夜明が飲んでいたはずのキャラメル系のコップが置かれている。いつ交換したんだ。
「……夜這い『は』ってどういうことかしら? やっぱりあなた、なにか隠してるのね?」
「俺を睨むなよ!?」
有栖川の怒気を孕んだ視線と声の矛先は、なぜか俺である。自分で夜明に訊けばいいものを初対面だからって気が引けているとでもいうのか。同じクラスである俺も認識されていなかったから今日が初対面みたいなものだけど。……この扱いの格差はなんだろうな?
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