幕間
「お兄ちゃん、なんだか嬉しそうな顔してるね」
スタバから家に向かう帰路で、夜明に言われた。
「んー、そうかー?」
「ネクタイで悶絶してたときと似た顔してるし?」
「こら夜明、それは忘れろ。ただ、あとでデータを見せることは忘れるな」
「それはいいけどさー」
ずいぶんとご機嫌な様子で、ずんずんと前を歩いていく夜明。
「ところでさ、アサ兄?」
俺は「んー?」と返事しながら、夜明の「アサ兄」と「お兄ちゃん」呼びの使い分けがわからないなあと感じていた。まあ、もう慣れているし、べつにどうでもいいんだけどさ。
「有栖川さんに報酬として求めてた江戸四十八手ってなんのこと?」
「……いや、求めてないからね? それに、どうせそれも知ってるんだろ?」
はいはい、天丼天丼。
「それって、夜明にもできるやつ?」
「無理だよ! いや、無理って言うかダメっていうか。いきなりなにを言い出すんだ、夜明!?」
「有栖川さんにはできるけど、夜明にはダメなの?」
「だからダメっていうか……まさかとは思うんだが、夜明、ほんとうに知らないのか?」
べつに知っていて欲しいわけじゃない。ただ、中折れ事件と同様に『実は知ってましたー』的な展開かと思っていた。夜明はあっけらかんとした様子で「知らなーい」と告げる。
「パパとママに訊いてみたらわかるかな?」
「……知らないってことはないだろうが。ちなみに、なんて訊くつもりだ?」
「んー、『お兄ちゃんがクラスの女の子に江戸四十八手ってやつを強要してたんだけど、どういう意味なの?』かな?」
「夜明!? 俺、強要なんてしてたかな!? お兄ちゃん家を追い出されるよ!?」
俺のその大袈裟な反応を見て、夜明がクスクスと笑う。
「なんだよ、やっぱりほんとは知ってんのか?」
「んーん、ほんとに知らないよ? ただ、はじめてのお兄ちゃんがたくさん見れたなって思ったら、なんだか楽しくて嬉しくて。……有栖川さんに鼻の下を伸ばすのはどうかと思うけど」
「そうか、夜明が喜んでくれてるならいいか、と思いたいところだが、情けない姿しか見せてない気がするから微妙な感覚だわ。ちなみに鼻の下は伸ばしてないからな」
「もう、アサ兄ったら素直じゃないなあ。有栖川さん、すごい綺麗な人だったし、たくさん話せて嬉しかったんでしょ? 楽しかったんでしょ?」
「まあ、それなりにな。……性格には難ありだが」
夜明になら、素直に認めてもいいだろう。俺は有栖川と会話できたことが嬉しいと感じていたし、あいつとの時間は楽しんでいた。夜明にも言ったとおりだいぶ性格に難があるが、しかしそれを補って余りある容姿のおかげでその難もギャップという魅力を生み出していた。
「かわいいは正義か……」
夜明にも聞こえない声量で、だれにともなくボソっと呟く。
正義かどうかは知らないが、とにかく、人間関係に置いてかわいいはプラスの作用をもたらすのは間違いないだろう。有栖川とのやり取りを振り返ってみて、俺は切実にそう思った。
これであいつがモンスターのような容姿をしていたならば、ストーカー行為を目撃した時点で警察に通報していただろうし、サングラス越しであろうと目が合った瞬間に全力疾走で駆け出していたはずだ。声をかけられても日本語が理解できない風で素通りをしたに違いなかった。
「ただ、アサ兄? わかってるとは思うけど、夜明のほうがずっとずっとかわいいんだからね?」
この俺の妹、夜明にしてもそうだ。
兄とは似ても似つかない端麗な容姿のおかげで、俺との関係は良好だ。もちろん、血のつながりってやつもあるだろう。だが、夜明の見た目が俺に似ているか、もしくは、ゴブリンのような妹だったならば、生意気な態度もわけのわからん言動も許容できずにいただろう。
なるほど。そう考えると、『かわいいは正義』とは至言である。俺の嫌いな『ただしイケメンに限る』の女性バージョンと言い換えてもいいかもしれん。
「江戸四十八手については、あとで自分で調べることにするし?」
「……ああ、そうしてくれ」
俺は妹のかわいい口から飛び出る下世話な言葉に苦笑する。中折れであったりとかまったくの性知識がないわけではないようだし、親父とおふくろに訊かれるよりはいいだろう。
まったく、俺はかわいいに屈していた。
不意に、腹の虫が鳴った。今日は親父もおふくろもふたりでディナーの予定となっている。夜明と献立を相談しながら帰宅する予定だったが、ずいぶんと時間が経過してしまった。
俺はふっと頭に出てきたメニューでいいんじゃないかと思って、夜明に声をかける。
「夜明。ちと金はかかるが、今日のところは出前で天丼を頼もうか」
振り返った夜明が、満面の笑顔で答えてくれた。
「オッケー!」
あんな屈託のないかわいい顔して、俺のこと変態だと思ってるんだもんな。
有栖川は有栖川で綺麗な顔して中身はド変態と来たもんだ。
かわいくなかったら正義ではなく、犯罪になるんだろうか?
明日から俺は名探偵にならなくちゃいけないし……こえー世の中だぜ、まったく。
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