第三話 普通の町
二人の女性が、隣町にある駅を降りた。次の日の朝。その姿は、町と町の境目付近にあった。見た目では、単なる大きな道に間を阻まれているにしか見えない。だが、女性の一人の目からはそれこそ天国と地獄の境目に見えていた。
「ここが例の町とこの町の境界線よ」
「ここから一歩、先に入ればその街に入るってことになるんですよね?」
「そうね」
少女の言葉を補強するように付け加えた。昨日は、色々とありすぎて結局町の中に入ることはできなかったため、仕方なく駅前にあるビジネスホテルに泊まることとなった。
本当は一日でも早く町の中に入りたかったけど、もしもあのまま町の中に入っていたら自分は自分でいられなかっただろう、そう回顧するほど彼女はその時の自分の行動を賞賛した。
確かな準備と、体力を持たなければ、きっとすぐに染められてしまうから。
「はたから見れば、普通の街に見えるんですけれど……」
のどかな街並み、とも言うのかもしれない。でも、それが逆に不気味なのだ。
「そうね、閑静な住宅地。子供たちの笑い声も響いて、でも猟奇的殺人事件が頻発する町……」
最後の言葉が無かったら文字通り普通の町。この町の詳しいデータを事前に入手していたのだが、町の人口は総勢三十万人。一軒家の家も多いが他にもマンションがたくさん存在しているために小さいとも大きいともいえない絶妙な広さの町となる。
コンビニ、複合娯楽施設、デパートその他もろもろが所狭しと並んでいて、町の外に出なくともその町中ですべて解決できてしまうかなり利便性の高い町、住みやすそうな町だ。前述した、猟奇殺人事件以外は、である。
いや、それも違うか。実はこの町は猟奇殺人事件以外にも多くの小さな事件が乱発している。主に空き巣や車上荒らし、それから恫喝、恐喝、詐欺などなど。数えだしたらきりがない。治安が悪い、とまでは言えないはずなのにそこまで事件が多発しているのは、やはりこの町が異常である証拠なのだろうか。
「もしかしたら、住人全員が……ってこともあるかもしれないわね」
「そんな、それほどまでに強い効果があるなんてこと……」
住人全員が染まってしまっている。それが普通の事だと感じてしまっている。そう言う可能性だって思い浮かんでしまった。別に今更そうだったとしても関係はない。問題は≪昨日の事件を含めて≫力を消費している自分がどこまで耐えることができるか、である。
昨日、自分はとある≪怪異≫を封印した。少女の背後に立ち、彼女の命を絶とうとしていたその怪異。そのタイプの怪異と出会うのはこれで三体目だった。自分はその度その存在を≪退治≫してきたのだが、しかし問題なのはそのたびに大きく力が削られて行くこと。
一晩経った今も、体力は完全には回復できなかった。自分は本調子ではないのだ。少女には気がつかれていないはずだ。もし、彼女に知られたら、不安になるだろうから。
女性は、彼女の頭をポンと撫でると言った。
「≪あんな男≫が学校一つ丸々手中に出来たくらいよ、その元締めともなろうものならそれくらい軽い物でしょ?」
「……」
≪あんな男≫。そう、あんなどこにでもいるような不潔で堕落した男であったとしても多くの人間の人生を、隣にいる少女も含めて壊してしまったのだ。その元をたどった人間であったとしたら、この町一つくらいを手中に収めてもおかしくはない。
それほどまでの説得力をもたらした事件というのはどういう物なのかは今は置いておくとしてだ、女性は、少女に爽やかな笑顔を向ける。
「さぁ、覚悟は良いかしら?」
「はい、先輩!!」
と。そして、二人は一歩を踏み出した。
≪破滅≫へと続く、その一歩を。
全ては、神江家の謎を解き明かすために。そして、≪あの少女たち≫と神江家の関係を調べるために。
「ッ!」
刹那。
彼女たちの身体を駆け巡ったのは全身をボディーソープで包まれたかのような感覚だった。ヌメっとした、しかしどこか心地の言い感覚。フワリと浮かび上がったかのような浮遊感が襲うと共に、まるで身体が医師になったかのようなずっしりとした感覚。
頭が思考停止を起こし、ボーっとなっていく意識。
どうして、私たちはここにいるんだっけ。
記憶障害。
いや、そんな生温い物じゃない。
記憶を、書き替えられている。そんな感覚がした。
記憶という棚の中に無理やりまた別の棚を作られているような、そんな感覚。
自分が自分で無くなる。
でも、それすらもまた良いことだと思えるような、そんな感触。
この感覚にずっとしたることができるのなら、どうなったって構わない。
彼女たちを多幸感が包み込んでいた。
けど。
「う、ぁ……ッ!!」
そんな感覚を味わうことができたからこそ。彼女は、少女の背中を掴むことに成功した。女性は、少女の背を持つと、そのまま倒れこむように自分たちが先ほどまでいた町の方へと倒れこんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ、ハッ……い、今の感覚って……」
荒い呼吸をしながら自分の中を駆け巡った快楽を思い出す少女。いや、違う。正確に言うと≪今≫駆け巡ったと言った方がいいのかもしれない。女性によって背中を引っ張られるまで、自分にはその感覚がなかった。あったのは、町から町へと一歩を踏み出す記憶と、それから女性によって背中を引っ張られ時の記憶だけ。その間の記憶は一切残っていなかった。
その様子を見た女性は、片膝を立てて座りながら言った。
「徒歩で来て正解だったわね。この町に電車で入ろうものなら、こうやって避けることはできなかった……」
やはり、昨日の判断は間違っていなかったのだ。もしも昨日のように電車で町の中に入ろうものなら、こうして避けることなんてできなかっただろう。この強力な攻撃を。
それに、やはり自分の力がやや衰えているのも感じる。今は、一番調子のいい時の四分の一と言ったところか。いや、もしも調子が良かった時であったとしてもこの力から逃れることができただろうか。
彼女は自分を突き動かしたのは使命感であると思っている。目の前の少女を守りたい。そんな途方もない使命感のおかげで、彼女を救い出すことができた。そんな少女が、うつむきながら言う。
「あの時と同じ……私が、私たちが私達じゃなくなった時と同じ……」
最初と最後を覚えている。でも、その途中の事なんて二の次三の次。気がついたときにはその途中の事が思い出されて、心の中に悪夢が広がっていって、そんな身の毛もよだつような経験をした時と同じ感覚だった。
「ここまで強い≪催眠効果≫があるなんて……」
ここまで強く、他人の意思を捻じ曲げようとする邪悪を目の当たりにしたことはなかった女性は、想像していた以上のソレに、冷や汗をかいた。
「そ、それじゃ……」
「えぇ、もし私が急いで後ろに引っ張らなかったら、今頃あなたはオモチャにされていた……野蛮な人間の粗雑なオモチャにね」
「ひッ……」
少女の顔が引きつる。きっと思い出しているのだろう。自分が味わった恥辱。快楽が絶望に変わった瞬間。楽しいと思っていた物が全部他人という存在によってそうさせられていたのだと知った時のあの悲しさを、全部。
「思い出させちゃったわね」
「だ……大丈夫、です!」
気丈に振舞うところに、どこかもの悲しさを覚えた女性は、立ち上がり、スカートに付いた土埃を払うと。
「そう……さて、ここからどうしましょうか?」
と街中にそびえたつ高級マンションを見据えて悩む。この町に、どうやって入るかと。
“ん?”
今の感覚、何だろう。気のせいか。この体質になってから何度か味わった感覚、でも今までのは細胞と細胞の間をすり抜ける感覚だったのに、今回のはむしろ拒絶していたような、そんな感覚がした。それも≪二つも≫。こんなの、初めてだ。
“どうしたの、ライク?”
“……いや、ちょっと”
気になることがあって、ライクはそう続けたのだった。




