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9.大変な掃除


私は満足に掃除をすることができない。

なぜ強迫性障害当事者で不潔恐怖を抱える人間の部屋が見るに耐えない汚部屋となってしまうのか説明したいと思う。

不潔恐怖は汚いものが、特に床を触れないことが大きい。

触れることができないのは床だけではない。

自分の足も触れないし、もっというと膝から下は触ることができない。

だから足の爪を切るなんてことは、もうずっとできていない。

伸びては折れて短くなるの繰り返しだ。

靴もまともに買えない。

試に履いてみるということに強く抵抗を感じるからだ。

靴も当然触りたくないのだから、靴紐は間違っても解けてしまうことが無いように始めから何重にも結ぶ。

だから、買ってからいざ履こうとしたときに足が入らない何てことが起こらないように、予め大きめのサイズを買っているわけだけど、切れない爪がぶつかって凄く痛い。

そのせいで、槌指の爪が巻爪になってしまっている。

強迫性障害のせいで不自由することは儀式以外にも結構ある。

常に触れないわけではないのだが、もし触ったら、意図せずにでもふれてしまったら、次に待っているのは儀式だ。

つまり、足だとか、床だとか、あるいは床に落ちてしまったものだとか、それらを触るには儀式がつきものだということだ。

ここに問題がある。

私にとって、儀式にかかる時間と労力はとてつもなく重いからだ。

少しでも触ってしまったら、触ったと感じてしまったら、実際には触れていなかったとしても、儀式をしなければならない。

大抵の場合は手洗いで済ませられずに、シャワーを浴びるのだが、頭から足まできっちり洗って、一緒に歯も磨いて、それがやっと終わると疲れ切っている。

そういった理由で簡単に掃除できる状態にないから、掃除を後回しにしてしまう。

儀式を回避するために掃除を回避するのだ。

そうやって部屋はどんどん汚れていく。

床を、汚いと感じているものを触ったら、既に手順が決まって作業化している儀式をすればいいのかというと、そういうわけではない。

わざわざ汚いと感じるものを触った時にする儀式というのは非常に疲れる。

何故かというと、儀式を何時もより念入りに行わなくては脳が納得してくれないからだ。

自分の脳が正常に思考しない。

そこで、少しでも脳を納得させるためにゴム手袋を使う。

100枚1000円くらいで販売されているゴム手袋を使って、全裸になって掃除する。

トイレの時と同様に、ここでも全裸になる必要がある。

全裸になるのは勿論服を汚さないためだ。

洗えばいいのだけど、洗っても納得できない場合は捨てるしかなくなる。

強迫観念が原因で服を捨ててしまう事で感じる罪悪感はとても辛いから回避したい。

それに、洗濯は大変なのだから服を消費したくない。

それならもう最初から着ていないのがいい。

そういう理由で全裸になる。

私には汚染の段階がある。

部屋の場所によって汚いという感覚にも階層があるのだ。

例えば最も汚染を感じる場所はトイレで、その汚染の感覚は床と比較してはるかに大きい。

この汚染にも段階があるという感覚は掃除をするうえで、かなり足を引っ張ることになる。

どういうことかというと、トイレを掃除した後に床の掃除をすることはできないということだ。

もしそれをしてしまうと、自分が感じている汚染度がトイレと床で同列となってしまう。

トイレを掃除した自分は最も汚染された状態にある。

この状態で部屋の床を掃除した場合、最も汚染された自分自身によって、床までもが最も汚染された場所と脳が判断してしまうのだ。

これは、その部屋で今後も生活を続けていくとなると、非常に面倒な事態になってしまう。

掃除をする前に、掃除をする場所の順番をしっかり決めておかないと、掃除の途中に何度も儀式、シャワーを浴びるということをしなくてはならなくなってしまう。

おまけに、不潔恐怖にとって掃除は回避したい内容であるから、往々にしてゴミの量はとても多い。

こまめに処理することができないから当然といえる。

そんなわけで掃除は大変な作業でとても疲れる。

ゴム手袋を用意して、全裸になって、事前に順番を決め、掃除して、儀式する。

全て計画通り上手くいく何て事は滅多にないのだから時々失敗して、途中に何度か儀式を挟む。

それで終わりかというと、それだけではない。

ゴミをどうするかも問題なのだ。

ゴミを入れたゴミ袋も当然汚い物と認識されている。

ゴミ袋は床に置くし、この時点で汚い。

仮に、ゴミ袋を床に直接置かず、かつ、掃除中にゴミ袋を触ることなく作業できたとしても、最後に口を結ばなければならない。

空気が漏れる。

そのゴミ袋から漏れ出してくる空気は汚染されている。

当然ゴミ袋は汚染されてしまう。

それに、非効率で時間がかかりすぎてしまうだろう。

ただでさえ時間と体力を使って、更に神経をすり減らして行う掃除がもっと大変な作業になってしまう。

ゴミ出しがまた厄介なのだ。

サラリーマンが出勤時、ついでにできるようなレベルの話ではない。

私がどうやってゴミ出しをしているかというと、儀式の後だ。

まず、シャワーを浴びた後、さすがに全裸でゴミ出しはできないから、決められた手順にのっとって服を着る。

次に、片手にゴム手袋をつけてその手でゴミを持つ。

ゴミ袋が服や壁、扉、何処にも接触しないように細心の注意を払って、ゴム手袋を着けていない手でドアノブに直接触らないよう、紙等を使用し外に出る。

ドアの開閉に使用した紙はゴミとなるから、ゴミ出しと同時にごみが発生する。

ゴミを無事ゴミ置き場に持っていったら、ゴム手袋を着けていない手を使って部屋に戻るのだ。

これを、ゴミがある分繰り返す。

掃除もゴミ出しも重労働であるから回避するせいで溜まってしまう。

だから何度も行ったり来たりを繰り返す。

ゴミを全てだしたら終わりではない。

最後にお決まりの儀式があるし、服は洗濯だ。

こんな姿を人に見られるのは困るから、ゴミ出しは皆が寝静まった深夜に行う。

可燃、不燃、資源と曜日がわかれていて休日にそれができるわけではなく、平日に行わざるを得ない。

仕事をしながらこれだけの作業を平日深夜にするなんてなかなかできることではない。

普段こんなことをしていたら、それだけで疲労困憊だ。

だからやっぱり、儀式を回避するために掃除を回避する。

そして不本意にも部屋は汚れていく。

汚れていけば、強迫観念が発生するリスクも高まる。

悪循環で負の連鎖だ。

回避するのは掃除だけではない。

ゴミそのものの発生も回避しようとしてしまう。

どういうことかというと、できるだけ物を部屋に持ち込まないようにするということだ。

必ず捨てる時のことを考える。

布団代わりに使っている薄手の毛布も基準は45Lのゴミ袋に収まるかどうかという点が最も重要で値段の安さがその次に来る。

持ち込まないように心がける中で、最も重要なのは食料品だ。

食料品はゴミの中でも汚染度を非常に強く感じてしまう生ごみになる可能性がある。

生ごみは不潔恐怖の私にとって処理が非常に大変だし、コバエが発生するリスクもある。

そのため、食料品の持ち込みを極力控えている。

それもあって私は自炊をしないので、炊飯器もトースターも持っていない。

捨ててしまった。

調理道具は鍋一つで、食器もない。

お茶碗一つ持っていない。

そうやって物事態を減らしても焼け石に水で、生活していればゴミは発生し、掃除して捨てられなければたまっていく。

こういう理由で不潔恐怖に苦しむ人間の部屋は汚れていってしまう。

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