第七話 銀の房、ふたつ
「あなたを、妻に迎えたい」
レイフは、飾らぬ言葉で言った。
「馬を見る目でも、羊毛を選る手でもなく――アデライド、あなたという人を、そばに置きたい。私は口下手だし、焼き菓子はいつも焦げる。世辞のひとつも言えない。それでも、嘘だけはつかない。あなたの仕事を『道楽』と笑うことは、生涯ない。あなたの弾く算盤の音を、私は一生、いちばん近くで聞いていたい」
私は、しばらく言葉を探した。五年、私は誰かに求められたことがなかった。私の稼ぎは求められても、私自身は、一度も。だから、胸の奥がこんなにも温かくなる感覚を、どう受け止めればいいのか、すぐには分からなかった。
「……ひとつだけ、条件がございます」私は微笑んだ。「私は、算盤を弾きます。帳面を読み、馬を御し、商いをします。妻になっても、それはやめません。屋敷を冷やすと厭われても」
「厭うものか」レイフは即座に言った。「あなたが弾く算盤の音は、この牧をいちばん温める音だ。冷えるどころか、あなたが来てから、ハルトの牧は生き返った。馬も、人も」
私は、笑った。今度は涙をこらえながら。
「では――謹んで、お受けいたします」
シャンドルが、私たちの背後で、祝うように高く嘶いた。
◇
その後、セドリックが一度だけ、ハルト領を訪ねてきた。やつれた顔で、彼は復縁を懇願した。ロウェルを立て直すために戻ってきてくれ、あの頃は自分がどうかしていた、お前がいないと何も回らない、と。
私は、静かに首を振った。
「私は、私を厭った家には戻りません。ロウェルの立て直しは、あなたご自身の手で。羊毛の織元も、馬の目利きも、今度はご自分で、名を覚え、脚を見て、一から築いてください。それが、女主人の椅子に、本当に人を座らせるということです」
彼は、うなだれて帰っていった。追いすがりはしなかった。門の外で振り返った彼に、私は最後にひとつだけ告げた。「あの牧の農夫たちに、どうか麦を。あの人たちは、あなたの領民です」と。それが、かつて女主人だった者の、最後の差配だった。私の中に、もう憎しみはなかった。ただ、静かな終わりがあるだけだった。終わったものは、終わったのだ。
◇
翌春、私はレイフと、ささやかな式を挙げた。
派手な宴はなかった。ギュンターが帳面を閉じて祝いの葡萄酒を注ぎ、トビアスが皺だらけの目を潤ませ、若い厩番たちが牧の花を編んで捧げた。北の織元からは、祝いにと、あの外套地で仕立てた上等な肩掛けが届いた。慕う者は、椅子ではなく人につく。私はもう、それを知っていた。
式の朝、レイフが、そっと私の手に何かを握らせた。銀の飾り房だった。私がシャンドルの手綱に結んでいたものと、揃いの意匠。彼が、鍛冶と機織りに頼んで、こっそり編ませたのだという。
「あなたの房は、みすぼらしくなどない」彼は不器用に言った。「あの馬が、いちばんに信じた印だ。私も、その隣に、同じ印を持ちたかった」
私は、二つの房を並べて見た。かつて夫が「みすぼらしい」と笑ったもの。けれど、名馬が舌先で確かめ、心を許した、たったひとつの証。今、それは二つになった。ひとつは馬の手綱に、ひとつは私の手のひらに。
牧に出ると、シャンドルが月毛の首をもたげ、私を迎えた。手綱の銀の房が、春風にきらりと揺れる。私は、そのざらりとした感触に指を触れさせ、それから、隣に立つ人の手を取った。大きく、温かく、剣だこのある手だった。
失った椅子のことは、もう思い出さない。
私の居場所は、椅子ではなかった。私を信じる者たちの、その真ん中に、ちゃんとあったのだ。ずっと、そこにあったのだ。
(了)




