(初稿版)第六章・第六節:何も賭けないのがギャンブルの秘訣
1959年・OIA仮設庁舎/深夜の執務室
秘書官は、ドロスの机にそっと書類を差し出した。
その表紙には、こう書かれていた。
> 【1960年度 特別戦略予算概算要求(試案)】
【PROJECT APOLLO(仮称)】
【備考:予備提案段階につき、議会通過の見込みは極めて低い】
若い秘書官が、少しだけ声を低めて言った。
> 「……長官、こんな要求、議会が通すとは思えません。
いくら“宇宙の軍事的優位性”って名目があっても、人命の損失が前提になる計画ですよ。
自由民主主義国家では、そんな予算、通りませんよ」
ドロスは、カップの中の冷えた紅茶を見下ろしていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
> 「君の言う通りだ。
この国では、人命は何よりも“高い”。
だから、人命を賭けてしまえば、勝てないんだよ。」
秘書官が言葉を失った。
ドロスは続ける。
> 「戦争も、諜報も、宇宙開発も同じさ。
“民主的な承認”の下で行われる以上、命が値札にされる世界では、最初に制限されるのが“本気”なんだよ。」
彼はゆっくりと立ち上がり、部屋の隅にある古い地球儀を指で回した。
南極のあたりに小さなピンが刺されている。
それは、かつて「黄金の潜水艦」があったとされた地点だった。
> 「だから私は、“命を掛けない作戦”を選ぶ。
議会の外で、予算の裏で。
偽ドルを刷り、麻薬で資金を得て、空白を演出し、敵を動かす。
結果として人が死んでも、私は人命を“使って”などいない」
沈黙が落ちた。
秘書官はただ立ち尽くしていた。
そして、ドロスは微笑む。
> 「君は、まだ若い。
でも覚えておきなさい。
この国において、“本気”はすべて非合法から始まる。
それが、この自由な世界を守る唯一の方法だ。」
夜の窓の向こうで、月が淡く光っていた。
その光はまるで、「人命を賭けずに進むための象徴」のようだった。




