048話.ヤクザ、軽トラの上で
あけましておめでとうございます。
本作はヤクザ×ファンタジーという、目出度さの欠片もないお話ではありますが、本年もお付き合いいただければ幸いですん。
今ではないいつか。
ここではない何処か。
子どもの頃、そんなフレーズをどこかで聞いた覚えがある。思い出せないのはきっと、あまりにも幼過ぎたせいだろう。
さしたる意味がある訳でもなく、幼少期の記憶をあっさりと手放して、伏見は周囲に視線を巡らせた。
契約商業都市アルカトルテリア――そう呼ばれている都市の外縁部。左側には都市圏をぐるりと囲む長大な蛇の身が城壁のようにそびえ立ち、今は見えないけれど、その向こうには人の手を拒むような深い森が広がっているはずだった。
右手側には呆れかえるほどにのどかな田園地帯が延々と続き、黄金色の麦が重たげにこうべを垂れる。刈り取るのは農民たちだ。鎌を手に、曲がった腰を伸ばして、麦穂の向こうからこちらを眺めていた。
無理からぬことではあるけれど、と伏見は嘆息する。
彼らが好奇を視線を向けているのは伏見達ではない。
「ここではない何処か」を走り抜ける、スズキの軽トラだった。
未だ馬車が隆盛を誇るこの時代に、現代日本の軽自動車が作れる訳もない。
異世界の荒れ道をのんびりと走行するスズキのキャリィは、伏見らと共にこの異世界へと転移してきたエンジニアリングの結晶だった。
二週間ほど前のこと。
伏見ら千明組の構成員は、ある日ひょんなことからタンクローリーに乗った鉄砲玉にカチコミをかけられてしまった。死を覚悟した次の瞬間、伏見らは異世界に組の屋敷ごと異世界に転移してしまったのである。
何を言っているか分からないと思うが、伏見だって何が何だか分からない。
その後はゴブリン――伏見的にはゴブリンと認めたくないけれど現地人がゴブリンと呼んでいるのでまぁゴブリン――をチャカで殺したりガソリンと鉄パイプでBBQにしたり、現地の蟹みたいな商人をぼったくりバーで借金漬けにしたりして現在に至る。
今更ではあるけれど。
冷静になってこの二週間を思い返してみれば、何をどうしてこうなったのか伏見にもよくわからなかった。
異世界を走る軽トラの荷台に座り込み、雲一つもない青空を仰いで、伏見は疲労の混じった溜息を吐く。
伏見はごくごく一般的な田舎ヤクザだ。異世界でも頑なに着続ける黒のスーツと金縁のサングラス。髪は整髪料で雑に撫でつけたオールバックで、余った髪の毛が額にはらりとかかる。最近の悩み事はストレスのせいか額が広くなったような気がすることで、久しぶりに会った高校の友人から「お前はカイジによく出てくる黒服かよ」とイジられたことを今でも根に持っている。そんな、どこにでもいそうな男だ。
この異世界においては、千明組若頭という立場とオタクとしての知識をフル活用して事態の究明と千明組の安全確保に奔走していた。
この二週間で得られた成果は現金債権合わせて金貨十三万枚。日本での知識や共に転移した屋敷の資産があったとはいえ中々の成果だと言えるだろう。一方で帰還への道筋は依然不明のまま、何故この異世界に転移したかもしれず五里霧中だ。
いっそ、世界を救えとでも言われた方が分かりやすかったのに。
千明組を召喚した魔法使いとか、導師とか、明らかに生命体としてやっていけない面白マスコット動物とかが説明してくれないだろうかと考えるけれど、残念なことにそんな都合のいいキャラクターは存在せず、代わりにいるのは、
「伏見さん伏見さん! なんですかコレ! コレ凄いです!」
――この異世界で伏見が助けた、ファティと言う名の金髪少女だ。
歳は十三か十四くらい。肩口まで伸ばした髪はよく実った麦の穂にも似て、風と陽の光に透けるよう。少しばかり背は低いが、年齢よりもしっかり者で――いや、普段はもっとしっかりしているのだ。本当に。今は語彙力が少々退化してしまっているけれど。
「伏見さん! コレ早いです! 気持ちいー!」
「落ち着けー。立ってると危ねぇぞー」
契約商業都市アルカトルテリアに存在する四つの祭祀座、そのうち一つを預かるアクィール商会の跡継ぎ娘がこの少女、ファティだ。
大人びて見えるのはその立場のせいだろう。
商売上の行きがかりで助けたような形になり、それ以来こうして懐かれている。
「そういえば伏見さん! 今日はなんで、トルタス村に向かってるんですかー!?」
「言ってなかったっけか。向こうにいる親父を迎えに行くのと、あとはまぁ、コレだ」
風に逆らってに叫ぶファティを伏見が見上げた。その左手には、随分重たげな革袋が握られている。
伏見が持ち上げると、革袋の中身がじゃらりと音を立てた。その音だけでファティはおおよその中身と枚数を察したようだ。少女の目つきが商人のそれに切り替わる。
「……今度は何を買うおつもりですか?」
革袋の中身は金貨だ。革袋の大きさと重量からすれば、数百枚は詰まっているのだろう。とてもではないが、買い物程度で使う額ではない。
次は何を企んでいるのかと探るような視線を、伏見は軽く手を振って否定した。
「別に何も買わねぇよ。強いて言えば融資ってところか」
「そのお金、うちと蟹野郎から回収したお金ですよね?」
「蟹野郎」
平然としているように見えて、意外と根に持っているらしい。けれど、今はそういう話ではなく。
「ちげぇよ。これはその蟹野郎に買い取ってもらった商品の代金、その一部だ」
商品の名前は「自白の音声データ」で、買い取ってもらったというより「脅迫して売りつけた」のだけれど、そこは割愛する。
マトロ――少女の言う蟹野郎は、アクィール家を潰し祭祀座を奪おうと企てた男だ。その陰謀において、被害者役に選ばれたのがこれから向かうトルタス村だった。
どれだけの人命が失われたのか、伏見にも分からない。直接村人を殺害したのはゴブリン共だが、その全貌を知ればきっと彼らはマトロを許しはしないだろう。ケジメは伏見が付けた――なんて言葉で納得出来るような恨みでもない。
両者を上手く利用したい伏見としては悩みどころだ。
「一応言っとくが、マトロのことは話すなよ。連中にとっちゃ、理由は分からないけれど神敵が急に繁殖して被害を受けたって体が一番都合がいいんだから」
「でも……やっぱり不公平じゃないですか。あの蟹野郎はトルタス村の皆さんと同じ目に合わせないと……」
「マトロに対して当たりが強いなお前」
ファティ自身もマトロの陰謀による被害を受ける直前だったので、気持ちは分からないでもないけれど。
「ま、到底償いには足りねぇだろうが……こちらから見舞金と無利子の融資、それにこちらの依頼料も上乗せさせてもらうからな。それで納得して貰うしかねぇんだよ」
憎悪の連鎖を止めるとか、そういうふわっとした話ではない。
村人らにそれ以上の補償を求められると、伏見ら千明組の利益が損なわれるというだけの話だ。
伏見がしたことは善行でも復讐の代理でもなく、ヤクザとしての筋を通したに過ぎない。そして、筋を通した今、伏見にはマトロを潰す理由はないのだ。借金漬けにしたマトロは千明組にとっての金蔓で、その金蔓を潰すというのなら今度はトルタス村が敵になる。
伏見の言葉をどう解釈したのか、ファティは神妙に頷いて見せた。間を開けず、次の質問を口にする。
「そういえば、伏見さんがトルタス村に依頼していたのって……」
少女の言葉を遮るように、軽トラが跳ねた。
地面の凹凸に足を取られたのだろう、荷台に立っていたファティがバランスを崩し、伏見の方へと倒れ掛かる。
咄嗟に、伏見は少女へと手を伸ばし――
「――ぐぇ」
その襟首を捕まえて、なんとか少女の体重を支える。
「だから危ねぇって言っただろうが。座っとけって」
「……はい」
助けられた少女は妙に不満げな表情を浮かべていたけれど、幸か不幸か、伏見は気付いていないようだった。




