04
天気は、晴れ。
相変わらず綺麗な快晴で、雲行きが怪しいとかもありません。
オレの心中? の雲行きみたいなのはどんどん怪しくなってってるけどね! 何だ、常識捨てろって。どういう意味だ。泣くよ、泣いちゃうよ。
…………まぁ何と言うか、オレが泣こうが喚こうが、あんまり効果はないような気はするし、悔しいから泣かないけどさ。
とりあえず、第一回青空魔法教室開講です。
…………って、誰だ、こんな安直なネーミング付けたの。
「……ふむ?」
真剣な面持ちで呪文を唱える弟くんの後ろで、オレは小さく首を傾げた。
筋は ―――― 悪くない。
ていうか、ぶっちゃけいい部類だと思う。才能自体は飛び抜けてると言ってもいいぐらいだ。術の構成力も、なかなか。
だけど……。
「…………あれでは、無理だな」
隣で呟いたフィルに、うん、とオレも頷き返した。
そうだね。多分あれじゃ、効果ある術は発動しない。
魔法力とか構成力とか、そういうのじゃなくて、もっと根本的な所が抜けてるカンジだからね。
案の定弟くんの術は、発動寸前の状態で、ほんの少しだけ現れた効果を周囲にばら撒きつつ収束して消えた。
悔しそうな表情になった弟くんに、何だか苦笑が漏れる。
「何て言うか、『残念賞~』ってカンジ?」
あははー、とまるで悪びれなくセレが言って首を傾げた。
いや、セレ、それ何か抉ってる。弟くんの傷っていうかプライドっていうか、とにかくその辺。ホラ、こっち睨んでるじゃん!
睨んで……って、何でオレを睨む弟くん。発言したのはセレだよ。間違ってもオレじゃないよ。
うん、でも、アレだ。
セレの『残念賞』っての、割と間違ってはないんだよね。
ホントに何か、残念なカンジ。
弟くんのお悩みの原因は、すごーく初歩の部分にあったワケだ。
「えーっとね……、とりあえず、原因が判りました」
魔法がうまく発動しないって言ってた原因、アレが判ったと告げれば、振り返ってこっちを睨んでた弟くんの眼差しが、一瞬できょとんとしたものに変化した。
「……判っ、た?」
「うん」
「原因が?」
「うん」
「……今ので?」
「? うん」
……何かやたらと念を押すように訊かれるなぁ……。何だ?
ちょっと疑問に思いながらも頷いてたら、唐突に弟くんが目の前ではーっとため息を吐いて脱力した。……何なんだ。
「ど、どうかした?」
「…………いや、いい。何でもない。――――『常識は捨てろ』、だったか……?」
今ナンか聞き捨てならないことをぼそっと…………呟かなかったでしょーか、弟くんよ。常識は拾っておいてください。
しばらくして、ぐりぐりと指先でこめかみをも揉むように押さえていた弟くんが、気を取り直したように口を開いた。
「とにかく……原因が判ったんなら教えてくれ」
「うーん、何ていうか…………弟くん、魔法ってどういうものだか知ってる?」
「主に『風』・『火』・『地』・『水』の4つの属性に分かれ、それぞれの属性の精霊の力を借りることで発現する力のことだろう。その際に呼び集める精霊の数や強さによって、魔法として現れる効果や範囲も千差万別…………魔法使いの力量や呪文ひとつでも、また効果などが変化すると教わったが?」
「……そ、その通りデス」
い、今何かお手本のような回答がすらっと……そのまんま教本にでも載ってそうな説明だったよね……!?
すごい、弟くん。もしかして教本とか丸暗記してる? …………してそうだね! うん。うわ、オレ、先生的に立場ない。もともとないけど更にない。だってオレ教本の内容とかあんま覚えてないし。
……いや、それはともかく。ていうか、忘れよう、そんな事実。
とりあえず、気を取り直して、と。
「えぇっと、例え話なんだけどさ……」
「さっきから話に脈絡がなさすぎるぞ、お前」
……早速ツッコまれました。容赦ないな、弟くん!
「いやいやいや、関係あるよこれ。うん。例えばさ、弟くんがすんごい忙しい時…………明日が提出締切りの課題とか抱えてて、なおかつそれが全っ然進んでなくてどうしよう、って時に……」
「待て。何だその妙に細かい例え話は」
…………いいじゃん。オレの実体験だよ。
ていうか、『弟くん』呼びにはもうツッコまないんだね。流すんだ?
そして「わー、ラズ節炸裂~」とか「……ものすごく昔を思い出す例え話だな」とか言ってるそこの外野、うるさいよ。
「えーと……とにかく、だ。すんごい忙しくって自分のことだけでいっぱいいっぱい、って時にさ、他の誰かに『自分の課題を手伝え』とかって上から目線で来られたらどんなカンジ?」
「ふざけるな、出直して来い!」
即答。
力入ってるね、弟くん。ていうかオレでもそう言うなー。
そう思って、弟くんの台詞にうん、と頷いた。
「うん、それ」
「は?」
「つまりね、そういう話なんだよ。弟くんの魔法がちゃんと発動しない原因」
弟くんの顔を見ながらそう言えば、は? と弟くんはもう一度間の抜けた声を上げた。表情もその声に見合ったものになってて、キツイ目してこっち睨んでた時よりも幾分幼く見える。……ていうか、「何言ってんだお前」みたいな眼差しやめよう。弟くん。ちょっと切ないから。
でもさー……、本当にそういう話なんだよね。
「あのね、魔法って要するに精霊の力を『借りる』わけだからさ、やっぱ『お願い』しなきゃ駄目なんだよね」
「お願い……?」
「そ。力を貸してください、って。精霊に、お願い」
さっき弟くんも言ってたこと。
魔法は、あくまでも精霊の力を借りて発現する力のことだ。
どれだけ才能があっても、どれだけ凄い魔法力持ってても、それだけじゃどうにもならない。
呪文をちゃんと言えたところで、精霊がそれに力を貸してくれなきゃ何の意味もない。
魔法使い、って言っても所詮はただの人間だ。
不思議の力は、精霊が力を貸してくれることで成り立ってる。
だから。
「同じなんだよ。精霊には精霊の都合、ってモノがある。『力を貸せ』って命令調で来られたら、そりゃ怒って力を貸してくんなかったりもするよ?」
さっき弟くんが言ってた「ふざけるな、出直して来い!」ってヤツだ。
そういうところ、精霊だって人間だってあんまり変わらない。
どれだけ力があっても才能があっても、絶対に忘れちゃいけないこと。
それはホントに普通の ―――― 人間としてあまりにも当たり前のことだったりするんだよね。
「精霊に『お願い』してみなよ。そしたらちゃんと魔法が発動するはずだからさ」
弟くん、今までちゃんとお願いしたことなかったでしょー? と首を傾げて問えば、弟くんは何とも言えない表情でオレを見返した。
「…………それが、原因……?」
「うん」
「…………本当に、それだけか?」
「うん」
結構そんなもんだよ、魔法って。
たったそれだけのことが、術に大きく左右する。繊細なような大雑把なような、実によく判らない世界。
弟くんは、やっぱり何とも言えない表情をしていた。
何とも言えない表情でオレを見て、でも思い当たる所はあるのか反論の台詞はなかった。
「あははー、ホントに『残念賞』なカンジだったね、弟くん」
いや、だからそれ抉ってる。抉ってるってば、セレ。
で、だから何でそこでオレを睨むか、弟くん!? 言ったのはセレだって! 『残念賞』発言はオレじゃないよ!?
そしてそこから更にしっかりとオレの顔を見たまま、ため息ついて脱力したのは何でだ。え、何? オレ何か変なことした!? いや、してない。してないよ。……多分。
「えーっと……とりあえず、その辺のことを踏まえて、もっかい魔法使ってみてくれる?」
うーんと……、できれば被害の出そうにない穏やかな魔法がいいなぁ。……いや、何かオレの知ってる『地』属性の魔法って、攻撃的なのが多いんだよねー……。大地が割れたり揺れたり、ホント碌でもない…………って、あ。あれいいかも。
ふと目に入ったのは、花壇の隅に置いてあった小さな袋。その中には花の種らしきものがたくさん入ってた。
これ、ちょっと貰ってもいいかな? と弟くんに訊いたら、別に構わないだろう、と疲れたような声で返事があった。…………マジでどうしたの、弟くん。
えと、まぁ、貰ってもいいってことだよね……? ってことで、フィルに頼んで何個か種を持って来て貰った。
「それじゃ、魔法でこの種を芽吹かせてください」
「これをか?」
「そ。成長速度速めてね。できる?」
「……」
弟くんは無言で種を受け取った。
オレを見るそのカオは、やっぱりフクザツなまんまで。……何だろうね、ホントに。
でもね、もう絶対に使えると思うんだ。魔法。
弟くんに足りなかったのは、一番最初の心構えみたいなもの。
別に、魔法力が足りなかったせいじゃないし、術の構成が悪かったわけでもない。
だから。
「―――― ホラ、出来たじゃん」
弟くんの手の中、綺麗な白い花を咲かせたそれを見ながら微笑めば、弟くんはさっき以上の大層フクザツそうな表情になった。
…………だから何でそんなカオするかな。
「…………えぇと」
朝出掛ける前に言ってた通り昼過ぎに戻って来て、多分そのままの足でひょっこりと庭へと顔を見せたお兄サンが、何故だかそう呟いたきり絶句した。
あ、ちなみにお兄サンて、この街に常駐してる警備隊の隊長さんしてるんだって。その警備隊っていうのは、王都で言う騎士団と同じような働きをしてるらしい。
それってすごいんじゃないの? と弟くんに訊いたら、「すごいに決まってるだろうアホかお前は!」と息継ぎナシの怒声を貰った。
オッケー判った。そんなに凄いんだね。そんで何気なく弟くんお兄サンのこと好きだね。ちょっと尊敬入ってるカンジで。
ていうか、お兄サンてそういうトコも、モロにリト兄の血を引いてるカンジ。
リト兄が将軍でお兄サンが隊長…………何気なく人の上に立ちまくりだ、この家系。
「あ、お帰りなさいー」
まぁとりあえず、挨拶は基本だよね、ってことでそう声を掛けると、半ば条件反射のようにただいま、と声が返って来た。
お兄サンも律儀なひとだよね……。隊長さんなのに。
「えぇと、これは……」
「あー……」
お兄サンの視線の先にあるものを見て、オレは明後日の方に視線を飛ばす。
……いや、うん。別に変なものはないですよ? フツーに木とかがあるだけですよ?
ただ、朝の時点ではこの木、せいぜいオレの背丈ぐらいしか高さがなかったよねー、ってだけで。 ―――― 今、2階の窓よりも更に高ーく成長しちゃってるけど。
他にも、朝の時点ではこっちのキレーな花も咲いてなかったよねー、とか。―――― 今、いかにも満開、ってカンジに色とりどりに咲き誇ってるけど。
「……何事だろうか?これは」
「……さぁ?」
オレ知りません。
調子に乗って魔法教室続けてた結果がソレだなんて、オレは知りません。…………知らないってば。
隣で、セレが笑いを噛み殺してる気配がした。くそぅ、と思いながら視線を戻すと、上を見上げていたお兄サンの視線が、今度は別方向に固定されていた。
その視線の先にあったのは ――――……、
「…………ウチの弟は何でああも疲れているのかな?」
「…………さぁ?」
あ、そっちはホントにオレも知らない。
「常識が崩壊する……」
本当に何故だかぐったりとベンチの背もたれに懐いた弟くんが、「どうした?」というお兄サンの問い掛けに端的にそう呟いた。
……ん? それってどういう……。
「だから常識は捨てといた方が賢明、って言ったのにー」
「捨てた常識さえもぐりぐりと足蹴にされた気分なんだ! こっちは!」
え、ちょっと何、本気でどういう意味だそれ。何かとてつもなく失礼なことを言われてるのだけは判るんだけれども。
常識を足蹴になんて、してない。……してないよ!? ていうか、やっぱ捨ててたんですか、常識。そっちの方が切ないです。オレとしては。
んで、そっちでどんまい、とでも言わんばかりの口調で「……慣れろ」とか弟くんに言っちゃってるそこのフィル、オレに何か恨みでもあるのか。
「…………話が見えないんだが……」
お兄サンが真面目なカオで首を傾げる。
「とりあえず、庭のこの惨状は魔法を使った結果、ということでいいのか?」
…………そうとも言えなくもないです。ハイ。
いや、ていうか結果的にそうとしか言えない。すみませんごめんなさい。
弟くんの魔法力がどの程度のものかを知るのに、周囲の植物を有効活用してたら結果こうなりましたー、とか…………どんだけウカツなのか、オレ。
もうちょっと後先考えて物事進めれば良かったー、なんて思っても、それこそ後の祭りというヤツです。ハイ。
ふぅ、とひとつ息を吐き出して、オレは顔を上げた。
「まぁ、とりあえず……、お兄サンも帰って来たことだし、今日はこの辺にしとこっか?」
ちょうど良い頃合いではあるんだよね。弟くんの魔力も空っぽに近くなってきてるし、これ以上やっても多分成果は望めないだろう。何事もやりすぎは身体に毒だし。
「この辺にしとく、って…………、お前コレをどうするつもりだ」
…………うん、だからそれはまた明日。
弟くんが指差した先の、途方もなく茂った木とか、ありえないぐらいに咲き誇ってる花からは、軽く視線を逸らしてみた。
今オレは何も見えませんー。…………明日ちゃんと直すってば。オレじゃなくて、弟くんが。授業の一環で。……うん、頑張って。
「お前な……」
「何だ、ちゃんと魔法を使えるようになったのか?」
軽く驚いた、みたいな表情でお兄サンがそう訊いてきた。今まで弟くんが苦労してたのを間近で見てただけに、さすがに一日そこらで実際に使えるようになるとは思っていなかったらしい。
まぁそれも仕方のないことかもしれないけど……原因自体はものすごーく単純、かつ根本的なものだったんだけどなぁ。だから、弟くんが魔法を使いこなせるようになるまでに、そう時間はかからないだろう。弟くん、ホントに才能あるし。
「……まぁ、一応……」
「すごいじゃないか」
実にフクザツな表情で答えた弟くんをものともせず、お兄サンは嬉しそうに笑って弟くんの頭をぐりぐりと撫でた。見るからに不機嫌そうなカオになってく弟くんに構わず、ホントにぐりぐりと…………って、強いな、お兄サン! 弟くんの抵抗とかまるで無視ですか。そうですか。兄弟の力関係がとても良く見えたような気がします。今更だけど。
あー……でも、結局最後には弟くんも大人しくそれを受け入れてる辺り、光景的には割と微笑ましいよね。仲の良い兄弟ってカンジで。
昔オレもよくリト兄にあんな風に撫でられてたっけなー、とそんなことを思い出す。もしかすると遺伝かもね、アレ。
…………いや、何でかオレ、今でもフィルとかセレとかによく撫でられるけど。
なんで撫でる!? と訊いたら、ちょうどいい位置に頭があるんだよね、と返された過去もある。……確かにね! それなりの身長差があることは認めよう。でも、オレがちっちゃいんじゃないやい。お前らがでかいだけだい。泣くぞ。
ついでにどう考えてもいらないことを思い出して微妙な心持ちになりつつ、オレはとりあえず、と腰を上げた。
「今日はお開き、ってことで。お疲れ様でした。続きはまた ――――……」
「ラズ、お前立ち上がって……」
明日、と続けようとした言葉はフィルの声に遮られて、ん? と思った時にはズキンと足首に走った痛みにカクンと膝から力が抜けて、べしゃり、とその場に潰れていました。……簡単に言えば、前のめりに倒れました。
身体の下には、もはやおなじみの土の感触。家の中の絨毯ほどじゃないけど、十分オレにとっては優しい類の感触です。いや、石畳とかだと、本気でイッタイからね! …………って、違う。そうじゃなくて、えぇと……、
「……大丈夫なわけはないな」
「これまた見事に転んだねー、ラズ」
あははー、と笑うセレの傍らで、フィルがひょいとオレを抱えて立たせてくれた。
「今、思いっきり怪我した方の足に体重乗っけたでしょー?」
「あああうぁぁ……」
そうだった! オレ怪我してたんじゃん!
一瞬本気で忘れ去って普通に歩き出そうとして ―――― 転ぶよ、そりゃ転ぶさ! 普通に歩いてても転ぶオレが、足怪我してる状態で無事に歩けると思うな!?
「……大丈夫、か?」
弟くんの頭に手を乗せたまま、という体勢でお兄サンが訊いた。
ううう、すみません。お兄サンからその言葉を貰うのは、これで一体何度目でしょーか。
フィルがため息を吐きながらも、服に付いた汚れを叩いて落としてくれた。うう、ありがとー……。
セレがけらけらと笑いながら口を開く。
「あ、大丈夫ですよー。問題ないです」
「日常範囲内の出来事だ」
ひらひらと手を振って言うセレに加えて、フィルが淡々と言い添えた。弟くんが眉を寄せる。
「……どんな日常だ、それは」
「うううううう……」
弟くんのツッコミが、大変に痛かったです……。
兄が連れて帰って来た客人は、何と言うか、ひと言で言うならば変な奴らだった。
―――― 特に、一番小さいヤツ。
どう考えてもそうは見えないのに、魔法使いなのだと言った。他の二人も、それを肯定した。
最初はもちろん疑ってかかったが、その言葉は嘘ではなかったと知るまでにそう掛からなかった。
ほとんど藁をも掴む心境で「魔法を教えてくれ」と頼んだのだが、あいつはそれに想像以上の働きでもって応えた。僕の魔法が発動しない原因を瞬時に見抜き、それを取り除く術を知っていた。
まさかそんな単純なことで……とは思ったが、実際にそれで僕は何の問題もなく魔法を使えるようになってしまったのだから、今更反論の余地もない。
それからの授業も怖いぐらいに順調で、意外なことにあいつは教え方も上手かった。難しいことをごく簡単に噛み砕いて教えてくれる。……簡単に噛み砕くためなのか、身近すぎる例えを持ち出すせいで、それは一体何の話だと思うことも多々あったが、それはさておき。
まるで呼吸するように魔法を使う、そういう人間だということを、教わる最中に知った。
訳が判らない。
それが正直な感想だと思う。
印象がちぐはぐで、安定しない。凄いのかと思えば、そうでないのかとも思わせることをあいつはする。
他の二人は、常にあいつを気遣いながら行動していた。最初こそソレを奇妙に思ったものだが、今では納得している。
…………否、納得せざるを得なかった。
僕がそう思うに至った経緯はとても簡単だ。
気遣わなければ、コイツは普通に日常生活すら送れそうにない。
普通なら何の冗談かと思うところだが、恐ろしいことにそれは事実だ。
事実でしかない。…………それを、知ったからだ。
初対面の時、コイツは絨毯に倒れ伏していた。
……いや、まぁ、あれは僕にも原因はあったんだが、とにかくキレイに絨毯と仲良くなっていて。
聞けば、兄とも街中でぶつかって転んで怪我をしたのだという。……いや、転びそうになった、だったか……? 未然なら何故怪我をしたのかが疑問だが……今はそれは置いておこう。
それからというもの、気をつけて見てみるまでもなく、見かける度にあいつは転んでいる。それはもう盛大にすっ転んでいる。わざとでもああまでは無理だというレベルで、躓いたり滑ったり転んだりで地面に懐いている。…………最近は一種の才能だな、とまで思うようになった。
今も、また ――――……。
「……っ、だから! 何でお前は何もない所でそう器用に転ぶんだ!? 前を見ろ!」
「え、み、見てるよっ?」
僕の目の前、何もない所で器用にも躓いて転びそうになった人間の腕を咄嗟に掴まえてそう怒鳴れば、そんな答えが返ってきた。
「前を見て歩いて何で転べる!?」
「えーっと……、足元の注意がおろそかになるからです」
「阿呆か! そんなもの理由になると思うな!? 真っ直ぐ歩け、フラフラするな!」
足の怪我がまだ治りきっていない、という事実を差し引いても、どうにも危なっかしい歩き方をしている相手に更に怒鳴れば、あー……と視線を明後日の方向に飛ばされた。何だ、その反応は。
「えーっと……、ごめん多分それ無理」
「無理とか自分で言うな! 努力しろ!」
「いや、うん……。オレの運動神経は努力じゃどうにもならない域にね、あるような気がね……?」
「それこそ自分で言うなっ!」
ちょっとそれには僕も同意を返したいような気もするが! 自分で言うな、自分で。努力ぐらいはしてみせろよ。
「―――― 弟くん、弟くん」
不意に、それまでくつくつと笑いを噛み殺しながら僕たちを見守っていた男 ―――― 確かセレと呼ばれている方だ ―――― が、トントンと僕の肩を叩いた。
今日は金髪のフィルの方は姿が見えない。内心でちょっと珍しいな、と思いながら振り返る。…………というか、弟くんて呼ぶなよお前。
「……何だ?」
「弟くんは、剣術得意?」
脈絡のない質問が飛んできた。
「は?」
「うん、だから、剣術って得意かなー、って」
やっぱり、見事に脈絡はない。
しかも、それは……。
「……嫌なことを訊く奴だな」
あまり触れられたくはない類の話題に、僕は眉を顰めた。相手は気にした様子もなく、のほほんとした笑顔を浮かべている。
「あ、ということは得意じゃない?」
「あぁ。そっちの方面の才能は全部兄にいった。僕は護身さえもやや危ないといったレベルだ」
「あらま、随分と辛口な自己評価ー。んー、じゃ、その剣術で今すぐ兄君に鮮やかに一本勝ちして来い、って言われたらどんなカンジ?」
「馬鹿も休み休み言え。それは無茶というか、無謀だ。実現不可能だ」
にっこり笑顔で訳の判らない質問を続けて投げかける男に、眉を顰めたまま即答で返した。
わざわざ考えてみるまでもない。無理に決まっている。
僕のその返答に、男は我が意を得たり、といった表情で「うん、それ」と頷いた。
「……は?」
何だ? 本当に訳が判らないぞ。
首を傾げた僕の目の前に、人差し指がぴっと立てられる。
「あのね、ラズに転ぶなって言うのは、もはやそういうレベルの話なんだよ」
つまり、実現不可能。
にっこりと笑顔のまま、男は言った。
清々しいぐらいに、言い切った。
あんまり言い切っていいような内容ではない気もしたが…………しかし、実現不可能……。
「ちょ、さすがにそれは酷くないか、セレっ!?」
黙っていられなくなったのか、抗議の声を上げた奴がいたが。
「…………そうか」
そういう話なのか、と思った。
すとんと、なんの抵抗もなくその言葉は僕の中に落ちて来た。
「判った。―――― 納得した」
「納得しないでっ!?」
いや、納得した。




