ラーメン食べたい! ~真夜中の死闘~ 前篇
真夜中に、無性にラーメンが食べたくなる話です。
真夜中の死闘! 凰鵡 VS ラーメン
凰鵡は猛烈にラーメンが食べたくなった。
(なんでぇ?!)
心のなかに絶叫を響かせ自問する。
昼にラーメンの話なんかしたっけ? 修練で汗かきすぎた? ストレス? アレが近い?
答えは出ない。
原因はともかくとして、ではこの現状をどうするか。
食べたいのなら食ばれば……などと、事は単純ではない。
夜中の一時である。
こんな時間に、ラーメンなどというハイカロリーの権化を口にしていいワケがない。
《対妖組織・衆》のなかでも戦闘専門の《闘者》として日々修行中の凰鵡は、師代わりでもある兄によって、それなりに厳しい食事制限とカロリーコントロールを課されている。
とはいえ減量とは別である。闘者の運動量は世人の及ぶところではなく、まして凰鵡自身も成長期まっただなか。兄はその点もしっかり加味して管理してくれている。げんに、今日の夕食も決して少なくはなかった。
それに、ふだんの自分なら、小腹が空いたていどで眠れなくなることなどない。すこし我慢して寝ればいい……と最初は思った。それほどにまで寝付きはいいほうだ。
おまけに、あと三日もすれば〝解禁日〟──半月にいちど、食事制限が解かれて好きなものを食べられる日が来る。それを目標に耐えるなど、凰鵡にすれば慣れたことのはずだった。
(無理──!)
それが今夜に限って異常な食欲──というより、前代未聞の〝ラーメン食べたい欲〟──に一睡も出来ないでいる。そんなこんな、ベッドのうえで悶々とすること、かれこれすでに二時間半。
(どうする? どうする?)
考えれば考えるほど、頭はどんどん疲れて、余計にエネルギーを要求してくる。
エネルギー──つまりラーメンである。
あの塩味と油分たっぷりのスープに麺を絡めて今すぐにでも五臓六腑にブチ込みたい。否、むしろ己が五体のほうをこそラーメンにブチ込むべきだ。そう、これは義務である。宿命である。天啓であり福音である。自分はラーメンと合体する大使命を宇宙万物から授かったのだ。
(いやいや、落ち着けボク!)
思わず心中で独りツッコミを入れても、想像はありえない方向へと次々に連鎖し、ラーメン欲も際限なく膨れあがって思考を支配してしまう。心のなかの宇宙はすでに「ラーメン食べたい」という名のダークエネルギーで満ち満ちていた。
──凰鵡は起き上がった。
もう食べるしかない──ルールに逆らってでも。
(兄さんごめんなさい!)
罪悪感を振り切って、具体的な実行プランを模索する。
我が家に即席ラーメンはない。コンビニか何処かで買ってくるか?
否である。いま凰鵡が求めているのは家で手軽に食べられるラーメンではなく、チャーシューやメンマも添えられた、まさに〝ラーメン屋の味〟なのだ。
つまり、外に出るしかない。
暗闇のなかでスマートフォンを点灯し、地図アプリで深夜営業のラーメン屋を検索する。
そこそこ近くに、一件だけある。
──行くしかない。
そっとベッドから抜け出し、パーカーとハーフパンツに着替えた。
だが、兄に見つからずに、どうやって出る?
廊下を挟んだ向かいの部屋で寝ているであろう兄の顕醒は、闘者のなかでもトップクラスの実力者。とうぜん感覚も鋭敏で、こんな時間に自分が変な動きをすれば、すぐに何事かと起きてくるに違いない。
目いっぱい気配を断ちながら玄関まで行けたとしても、扉の(ことに鍵を施錠する)音などは消しようがない。
兄は物静かで、怒ることもほとんどない人だが、出来ればバレずに済ませたい。それは彼を兄として、師として、また育ての親として、誰よりも深く尊敬する凰鵡にとって、しごくまっとうな思考である。
ならそのラーメン欲も堪えろよ、という話だが、そのときの凰鵡の理性と知性はついに「食べる」という前提を覆せなかった。
(どうする……こういうとき、翔なら……)
おなじ《衆》に属する情報員である大鳥翔の顔を思い浮かべて考える。凰鵡の親友であり、洞察や発想力で一目置く存在だ。
一分ほど思案したのち、凰鵡はおそるおそる自室を出て玄関へとおもむき、スニーカーだけを手にして戻った。
部屋の窓をそっと開ける。
下を見ればアスファルトの地面が遠い。凰鵡が住んでいるのは、郊外にある七階建てマンションの最上階である。窓には落下防止柵が打ち付けられているが、高さは胸下までしかない。
凰鵡は臆することもなく、その柵を乗り越えた。
全身を外気に投げ出すも、柵を掴んで宙づりになる。その状態から、片手で窓を閉めなおした。
そして今度こそ、地上七階から己の身を落とした。
身長一五三センチの体が自由落下し、アスファルトに叩き付けられ──はしない。
凰鵡は両脚から着地しつつ、前転して衝撃を逃がす。落下によるダメージはゼロ。着地の足音すら鳴らない。
さらに無音のまま夜の道を駆けた。一〇〇メートルのタイムを計ることがあれば、その秒数は四秒を切る。
《雲脚》という、衆の闘者や情報員が用いる特殊な走法だ。
だが、街の灯りを目前にして凰鵡は足を止めた。
目的のラーメン屋は、夜も眠らぬ繁華街のなかにある。人通りのなかは普通に歩いた方がいい。気配を断ちながら走り抜けることも出来るが、それを止めた途端、傍目からは「突然その場に現れた」と認識されて逆に怪しまれることもある。
心の奥から溢れ出すラーメンへの情動を抑えつつ、凰鵡は街なかに繰り出した。
「んー? お姉ちゃんどうしたの?」
十メートルも進まないうちに、赤ら顔の男達に補足された。
「家出ぇ? こんなトコにひとりは危ないよ?」
こちらを心配している言葉とは裏腹に、誰も彼もが、なにか下品な展開を期待しているのが見え見えの目をしている。所謂〝神待ち少女〟と勘違いしているのだろうか。
大きな眼をもつ愛くるしい仔猫顔に、ハネッ気の強い癖毛と飾りげのない凰鵡の容貌は、ともすれば〝世間に対して無防備な少女〟に見えてしまう。
悲しいかな、本人にその気はなくとも、悪い虫の誘引剤になってしまうような人間というものが、この世にはいるものだ。
「いえ……ボク、大丈夫ですから」
無視できない性格ゆえに、やんわりと彼らの好意(?)を遠慮して通り過ぎようとする凰鵡だったが……
「大丈夫だいじょーぶ。お腹空いてない?」
男達はしつこく前に回り込んでくる。
「カラオケ一緒に行かない? メシも好きなの頼んでいいからさ。ね? いいよね。はい決まり。行こ行こ──」
男のひとりが凰鵡の肩に腕を回した。
「──のお?!」
直後、彼は一回転して背中から地面に墜落し、変な声をあげて気を失った。
その腕を取って、凰鵡が投げたのだ。
「てめぇ、このガキ!」「舐めてんじゃねえぞ!」
たちまち、他の男達が沸きたった。彼らにしてみれば親切心を不意にされるどころか仇で返されたのだから、怒髪天を突くのも無理からぬことである。
生意気な家出少女にオトナの世界の厳しさを分からせてやらねば……とまで考えたかどうかは怪しいが、とにかく怒りに任せて一斉に凰鵡へと襲いかかった。
「ごめんなさい!」
その六文字を言い切るより早く、凰鵡は男達の顎や鳩尾に、掌打を撃ちこんでいた。
五秒と経たずしてナンパ師達は全員仲よくアスファルトに沈み、その場に居合わせた通行人らも「信じられない」という表情で固まった。
(ああーやっちゃったぁー!)
凰鵡は顔を真っ赤にして、遮二無二その場から走り去った。
腕を振りほどいて逃げればいいものを、ラーメンへの道のりを邪魔されたことに苛立ちが募って、つい反撃してしまった。
穴があったら入りたい。工事か点検かでマンホールの蓋が開けられていたら、迷わず飛びこんでいたかもしれない。
だが運良く(?)そんな穴は見つからないまま、結局凰鵡が飛びこんだのは、穴のように狭くてうら寂しい路地裏だった。
しかも、目標のラーメン屋からは逆方向である。
(あーもー! ボクはーァ! ばかー!)
粗忽な自分に向けて、心のなかで怒鳴り散らす。
だが、それも長くは続かなかった。
ビシリと肌が粟立つ感覚に、凰鵡は表情を強張らせる。
ただでさえ暗い路地裏が、さらに闇を濃くしたようだ。
なにかがいる──さっきの男達とはまるで別格の、剥き出しの害意が。
真上──と感じるや、後ろへと跳び退った。
凰鵡と入れ替わるように、ひとつの〝影〟が音もなく地面に落り立った。
ヒトでも獣でも虫でもない怪物だった。
強いて例えるなら、二匹の蜘蛛を背中合わせにしたような姿をしていた。だが大きさは凰鵡をひと呑みに出来ようほど。しかもその体表は毛ではなく、虚のような歪な孔で満ち満ちている。
そいつが何という生物か、凰鵡は知らない。この世に存在するどんな図鑑や辞典にも載っていないだろう。
ゆえに「妖種」としか呼びようがない。
妖種……妖異、妖怪、悪魔、魔物……古来よりさまざまな名で呼ばれてきた超常の存在を、《衆》では〝人智の外にある種〟として、そう総称する。
あるものはヒトに紛れ、あるものは山野に暮らし、あるものはひっそりと生き、あるものはヒトに牙を剥く。
そして、彼ら妖種が関わる事件を人知れず捜査し、ときに闘い、ときに調停者となる。それが凰鵡の属する対妖組織《衆》の役目なのだ。
「待って……! 理由があってヒトを襲うのなら、話を聞かせてください」
手を前にかざし、目の前の妖種へと、凰鵡は交渉を持ちかける。それは衆で定められた手順だ。どれほど殺意に満ちた相手でも、やむを得ない事情を抱えている場合はある。好んでヒトを襲う個体も、妖種全体のなかでは一割に過ぎないとさえ言われている。
だが、今まさに相対しているのは、その一割の側だったようだ。
「──ッ!」
ふたたび強い殺気を感じて、凰鵡は跳躍した。
コンマ数秒の遅れで、〝幽魂のように揺らめく腕〟が、凰鵡を掴み損ねた。
その腕は、妖種の体表の孔から噴出されていた。
空中へ逃げた凰鵡を狙って、さらに別の孔から何本もの腕が上へと伸びる。
(駄目か……なら、ごめんさい!)
左右の壁のわずかな出っ張りを蹴りながら、凰鵡は〝腕〟の群れを躱しつつジグザクに、なおも飛び上がってゆく。
交渉拒絶──人語を解せないだけかもしれないが、さりとてもこうなった以上は、自分の身を守るためにも、闘わねばならない。
(唵!)
右手に念を籠め、二本指を立てて足元へと振り抜く。
ス──ッと、流星のように、光の礫が天地を一閃した。
射線上にあった腕の群れが、銃弾に撃ち抜かれた真綿のように破裂し、霧散する。
さらに礫は妖種本体をも直撃するや、巨体を大きく揺るがせた。
《気弾》──凰鵡の修める流派・《不動》に伝わる絶技のひとつである。その正体は《念法》という〝意志の力を物理に作用させる特殊な技法〟によって〝質量化した精神力〟だ。
兄の顕醒ともなればこの気弾の一発であらゆる相手を即座に焼滅させてしまうのだが、いまの凰鵡にはまだこれが精一杯である。
(──倶利伽羅竜王!)
妖種が怯むや、凰鵡は振り抜いた右手へと、別の念を込めた。
徒手だった掌に、突如として金色の物体が出現した。
密教の法具、金剛杵である。
だが通常の金剛杵ではない。その一端こそ五鈷杵の体を成しているのに対して、もう一端は竜の頭部を象っている。
《宝剣・倶利伽羅竜王》──これも不動に伝わる、世界に唯一無二の武具である。
普段はパーカーのポケットに入れて携帯しているのだが、今夜にかぎっては部屋に忘れてきてしまっていた。
それがなぜいきなり手のなかに現れたかといえば、凰鵡の念を受けて転移してきたからである。
この宝剣に限れば、空間の隔たりを超えて何処からでも呼び寄せられる。それは兄にすら成しえない、凰鵡のちょっとした自慢の技だ。
竜頭が、ガバリと顎を開いた。
喉の光が伸び、長さ一メートルの輝く刃を形成する。
凰鵡の闘志が具象化した気の刀身。金剛杵でありながら「宝剣」と呼ばれる由縁がこれだ。
(ごめんなさい!)
自由落下の勢いを乗せて、凰鵡は光刃を妖種に振り下ろした。
空気が震えた──ヒトの可聴域を超えた、妖種の断末魔の悲鳴だったのかもしれない。
左右に割られた巨体の断面が、束の間、光の粒子となって拡散する。
直後、まるで個体としての均衡を失ったかのように、妖種はドロリと融解した。
「……ッ」
湧きたつ悪臭に、凰鵡は跳び退る──竜が刃を呑み込んで顎を閉ざした。
妖種の多くは死を迎えると、細胞の一片も残さずに融けて消える。そのさいに発生する悪臭は、常人にはとうてい耐えられるものではない。凰鵡も、幾たびかの討滅の経験がなければ吐き気を抑えられなかっただろう。
さいわいなのは、その臭気すらも短時間で消失することだ。
(成仏してください)
宝剣をパーカーに仕舞い込んで、両手を合わせる。やむを得ないとはいえ命を奪ったのは事実だ。そこから目を背けることは、凰鵡には出来ない。
「……うぁ」
不意の鈍痛に、凰鵡は唸って、腹を押さえた。
その痛みが、当初の目的を思い出させた。
(ラーメン! お腹空いた!)
悪臭ごときで失せる食欲ではなかった。
凰鵡はそっと路地裏から出て、人通りに舞い戻った。




