第3話 お弁当
昨夜の猛烈な乙女アタックと胃の痛みに耐えかね、ロクに眠れないまま迎えた翌朝7時半。
太はボサボサの頭にスーツを着込み、重い足取りで部屋のドアを開けた。
(頼む……朝くらいは一人で静かに通勤させてくれ……)
祈るような気持ちで廊下へ足を踏み出した瞬間、隣の202号室のドアがガチャリと開いた。
「あ! おじさん、おはようございます!」
爽やかな朝の光を浴びて立っていたのは、ピシッと制服を着こなした光だった。朝からまぶしすぎる笑顔と、ふわりと漂う甘いシャンプーの香り。
「ぐっ……! お、おはよう……」
太は反射的に壁際へ後ずさった。
* 通勤時間帯の地獄絵図
* 木造アパートの廊下は、他の住人も出勤・通学で通りかかる時間帯。
* 45歳のおっさんが、朝から可愛すぎる女子高生(※太の認識)と仲良さそうに話している姿を見られたら、即座に不審者として通報されかねない。
「おじさん、これ! お弁当作っておきました♡」
光が嬉しそうに差し出してきたのは、可愛らしくラッピングされた二段のお弁当箱。
「い、要らん! 気持ちはありがたいが、朝から女子高生にお弁当もらうとか、社会的に完全にアウトなんだよ!」
「そんなぁ……おじさんのお昼ご飯代が浮くようにって、朝5時に起きて作ったのに……」
しゅんと眉を下げ、ウルウルとした瞳で上目遣いをしてくる光。
その完璧すぎる「恋する乙女」のしぐさに、太の心臓がドキンと跳ね上がる。
(くそっ……! 可愛い……じゃなくて、アパートの階段から誰か下りてくる音がする!?)
「わかった! もらう! もらうから早く行こう!!」
太はひったくるようにお弁当を受け取ると、光の手を引く勢いで駅までの道をダッシュする羽目になるのだった――。
昼休み、社内の休憩スペース。
午前中の激務でヘトヘトになった太は、疲れ切った足取りでパイプ椅子に腰掛けた。
鞄の中から取り出したのは、今朝、隣の部屋の光から半ば強引に押し付けられた二段のお弁当箱だ。
(可愛いラッピングにリボンまでついてる……。45歳の男が会社で開けていいデザインじゃないぞ、これ……)
周りの目を気にしつつ、意を決して結び目を解き、蓋を開ける。
「うわ……すご……」
思わず声が漏れた。
色鮮やかな卵焼き、綺麗に包丁が入ったタコさんウインナー、丁寧につくられたハンバーグ。重箱を開けたかのような完成度で、お米の上には海苔で「お仕事がんばってね♡」と文字が躍っている。
「……めちゃくちゃ手が込んでるな……」
朝5時に起きて作ったと言っていた光の姿を思い出し、胸の奥が少しキュッとなる。
箸を伸ばしてハンバーグを口に運ぶと、肉汁と甘辛いタレの味が口いっぱいに広がり、思わず目を見張った。
「……うんま……」
疲れ切った身体に、優しい手作りの味がじわりと染み渡っていく。
まさに至福のひととき――そう思った瞬間だった。
「あれ、佐藤さん? なんですかそのめちゃくちゃ可愛らしいお弁当!」
後ろから声をかけてきたのは、後輩社員の女子だった。
太は心臓が跳ね上がり、反射的に手でお弁当箱を隠そうとする。
「あ、いや! これは、その……!」
「えっ、キャラ弁!? しかも『お仕事がんばってね♡』って書いてありますよ! 佐藤さん、まさか……彼女できたんですか!?」
「ち、違う! 違うんだ! これは近所の……じゃなくて、コンビニの! 最近のコンビニはすごいんだよ!」
「いやいや、どう見ても手作りじゃないですか! すごい、佐藤さんをこんなに愛してる彼女さんってどんな人なんですか?」
(言えるわけがない……! 隣の部屋の女子高生(※太の認識)が朝5時に起きて作ってくれたなんて言ったら、一発で通報されて社会的に抹殺される……!!)
「な、なんでもないんだ! ただの知人が……!」
滝のような汗を流しながら必死に弁明する太。
しかし、噂好きな同僚たちの目は完全に「45歳で可愛い彼女ができた浮かれおっさん」を見るそれに変わっていた。
(光……ありがたいけど、美味いけど……俺の胃と社会的地位が持たない……!!)
太は逃げるように残りの弁当を口に詰め込み、冷や汗を拭いながら胃薬を飲むのだった――。




