お付き合いのテスト
「生クリームとバター買い忘れた」
俺の家にそんなものはない。なのに、買い忘れたことをチャラにしようと、梨恵は冷蔵庫を探している。冷蔵庫には、いつ買ったかわからない納豆の残り2パックとワサビのチューブ、ベーコンが所在なさげに居座っている。決してケーキには転生できないメンツだ。
「私買ってくるわ」
と勢いよく出て行ったのが、いまから1時間前。梨恵が帰ってこない。事故にでも遭ったのかと心配になるが、スーパーは俺のマンションのすぐ隣だ。LINEを送っても既読にならず、電話もつながらない。仕方がないので物理的に探すという方法にシフトする。
梨恵とは取引先の会合で知り合った。遊んでいたオンラインゲームが同じということで、小さく意気投合しそのあと彼女の行きつけの居酒屋で食事をした。
飲料メーカーで広報担当という、それなりに大きな会社でそれなりに責任のある仕事を任されていたと言うが、相手の仕事の詳細はいつだってわからない。前の彼女も、寺社仏閣のお守りを一手に請け負う卸業に勤めていた。そこで営業職に就いているものの、寺社仏閣にどういう営業をかけているのかよくわからずじまいだった。車のミラーにぶら下げていた交通安全祈願のお守りを見て「コレ、ウチが仕入れたやつだ」と言って、ご利益が薄らいだ気がした。
マンション隣のスーパー『やおろず』はお昼時で、随分と静かだった。トマトの特売がもう売り切れていて、仕入れ担当がレジのパートさんにこっぴどく嫌味を言われていた。冷房が効きすぎているせいで、五分と居られない。ついで買いを促すスーパーとしては致命的だと、店長に教えてあげたい。
生クリームとバター売り場を探す。普段買うことのないコンビだ。梅干しとキムチが近くにあることに驚くが、国境を越えた漬物カテゴリーなだけで、俺がどうかしていた。生クリームとバターは、どちらもメイドイン乳牛だ。イン? バイだっけ? そんなことよりも梨恵はどこに行った?
生クリームとバターはことごとく売り切れていた。マーガリンはまだここに居るよと手を振ってくれたが、そう言う問題ではない。
客を押しのけて、スナック菓子を並べているパート社員らしき女性に声をかけた。
「背の高い、ショートカットの、僕が言うのも何ですが、振り返りたくなるほどの美人で、白いブラウスに細身のジーンズ……」
あぁ、とため息が漏れるのを感じた。
「身内の方? 三城梨恵さんの?」
「あ、まぁ、友人です」
その、ふくよかな女性は機敏な動きで、スナック菓子の陳列をちょうどいいところで終わらせた。
「友人?」
「友人超、恋人以下かな」
以上未満ではなく、超以下。
友達よりは上で、恋人かもしれないぐらいのニュアンス。
すぅっと息を肺に押し込むようにして吸う。クーラーが効きすぎているのか、学生時代に部活で怪我をした右膝がしくしく痛い。
「まぁいいわ、恋人来たら、渡して欲しいって頼まれたものがあるのよ」
そのパートのおばさんは駆け足でバックヤードへと駆けて行った。数分で戻り、俺に封筒を手渡した。吉田と書かれたネームプレートが小刻みに揺れていた。
封を開ける、三つ折りにされた便箋を取り出す、走り書きではなく予め用意されていたように思える。
《回りくどいやり方でごめん。私、不安で不安で。坂江くんを試すような真似しちゃった。前の彼氏とディズニーランドではぐれて、そのまま置いて行かれたことがあって。そのまま捨てられたってことなの。トラウマになっちゃってて。だから、私を探してくれるテストをしたかったの》
さすが広報課と頷くほどの達筆ぶりと、内容の異様さのギャップに寒気がした。正々堂々と気持ちの悪いことを言われている。
だから、前の彼氏は、ディズニーランドで彼女を放流したのだ。別れるにしてもせめて楽しい場所であれ、との計らいか。元彼も大概だが、梨恵も似たようなものだ。この二人の需要と供給がマッチしている世の中じゃないと、今日の俺みたいに不毛な時間に心を砕く男が現れてしまう。元彼も然りで、このままだと気の毒な女性が増えるだけだ。
「なんて書いてあったの?」知らぬ間に俺の背中は、パート社員たちや店長、アルバイトたちに取り囲まれていた。
「ホラー小説の一節が書かれていました」
俺はくしゃくしゃと手紙を丸めて、ポケットに押し込んで、レンジでチンするご飯と卵を1パック買った。
玉ねぎを買えば良かったな、と久々に調理したキッチンで立ったままチャーハンを食った。冷蔵庫には、パックに入ったタマゴ8個とチューブワサビ、賞味期限が今日までだった納豆2パックが自分の出番を待っていた。




