第39話 顔と体と魔法
「お、おお、お前たち……、助けてくれ」
俺たちに助けを求めるフィッシャーの目は、ひどく濁っているように見えた。顔つき、体つき、そういうものに変化はない。しかし、目に光がないとでも言うか、力と輝きが鈍いように見えた。
恐怖におびえているでもなく、どこかに怪我があるようにも見えない。ただ、活力や精神力といった類のものが薄れているのだ。
フィッシャーは老婆と距離を取るように、地面を這いながら後退し、俺たちににじり寄る。
「フィッシャー、大丈夫か!?」
俺はフィッシャーの元に駆け寄りつつ、彼と対峙している人物をそっと覗き見た。
不思議なことに、はじめ、その者は俺たちのことを相手にしていないように見えた。姿は、そう、老婆といった所か。背が低く、黒に近い紺色のフード付きのローブを身に着けている。昔話によくある、典型的な魔女のような風貌だ。
他に注目する点があるとすれば、その者の見た目に不気味な点があること。それはフィッシャーと逆のように見えた。つまり、目だけが炯々として輝いており、他にはどことなく生気がないのだ。不思議な存在感を持つ人物であった。
俺が警戒を露わにしつつ、どう動こうかと迷っていると、背後から声が轟いた。
「道を開けろ、ロジタール、こういう不気味な奴に対して取るべき行動は一つしかないだろう」
ロングランが懐から杖を取り出しながら、恐れを知らない堂々とした足取りで老婆に近づいていく。そして毅然とした声を投げつける。
「その姿、何やらまやかしを感じる。姿を見せよ、そうでなければ、そのまま燃え落ちるがよい!」
声と共に小さな火炎が杖の先端に生じたかと思うと、その位置を中心として吹き出すように燃え盛り始めた。やがて炎の先端が伸びて、渦をまくように老婆を取り巻き始める。眩いほどの輝きと熱気を発しながら、辺り一帯を等しく照らし出し、陰影を強く、濃くしていく。
やがて炎は完全に上空に舞い上がった。そしてロングランが腕を一振りすると、老婆の周囲をゆるやかに包み込み、収斂して、そのまま締め上げるように焼き尽くさんとした。
老婆は苦々しそうにロングランを一瞥するや、焦りを見せない平然とした表情で、その姿に似つかわしくない俊敏な動作を開始した。その場で身を身を屈めたかと思うと、背後へ向かって駆け出し、一飛びして炎の渦を飛び越えてしまったのだ。
「なっ……」
一瞬とも言っていい出来事を前に、ロングランも言葉を失う。
「ほう、野暮ったいの。なかなかの腕だな。少々見掛け倒しだが」
にやりとした老婆の顔は、俺たち一同に等しく不気味な印象を与えた。深く刻まれた皺、それとは反比例するような輝きを持つ目、見た目にそぐわない素早い動作。
一方で、ロングランの攻撃、そして老婆の移動を契機にフィッシャーに力が戻ったのか、彼はその場から立ち上がると更に数歩後退した。
「大丈夫か、いったい何があったんだ」
「突然だ。部屋に入った時、暗がりに何かの気配を感じたかと思うと、次の瞬間、体が言うことを聞かなくなった。気をつけろ、奴は何か異質だ」
俺は再び老婆に視線を戻した。この者が、俺が屋敷に入ろうとした時に感じた恐怖の正体だろうか。だがそれとはどこか違うような気もする。老婆も危険なにおいに満ちているが、まだこの屋敷には何かがあるはずだ。
「おい、そこの……」
老婆が俺を見て口を開いた。ややしわがれた不気味な声だが、口調は柔らかくあまり敵意を感じない。しかしそれ以上に、この老婆に対しては異質さが勝る。俺は思わず身構えた。
「な、何だ」
「一つ聞く。お主がこの屋敷の主人で間違いないか?」
恐らくこの老婆も異世界からの訪問者であると見える。ただ、俺と屋敷との関係を予め認識している点が決定的に異なる。
これは、俺と屋敷、そしてあの老人の謎を解くための重要な人物なのかも知れない。俺は無言のまま、ロングランに目くばせをした。屋敷の謎を追い求めているのは彼も同じだ。ロングランも同じく、ごくりと唾を呑み込む。
「ああ、俺はロジタール。それで、一体、あなたは何者か」
俺は短く、歯切れのよい質問をした。
しかし老婆はすぐには答えず、しばらく黙然と俺の顔に視線を合わせ続けた。人の顔をまじまじと見たかと思うと、やがてフィッシャーに視線を送り、そしてロングランを見る。俺はその一連の所作にどことなく寒気を感じた。
「ふむ、顔はロジタール、体はそこのフィッシャーという男、魔法はそこの野暮ったい男と言った所だな」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
男たち三人から、なかなか聞かない声色が飛ぶ。戸惑う俺たちに対し、老婆は口角をわずかに上げて、俺たちの中に恐ろしい言葉を投げ入れた。
「勘違いするでない、男としての魅力のことだ」
「顔……」
「体……」
「ま、まあ俺は実力といった所か……」
もしかして、俺たちが駆け付けなければフィッシャーはとんだ事になっていたのではないか……。
しかしそれは別として、この者は強力で、得体の知れない力を持っている。俺はルルーゼの冷ややかな眼差しを受け流しつつ、会話を続ける努力をした。
「それで、あなたは一体なぜここに?」
「なるほど、この屋敷も……。言われてみれば少し名残があるな、ふむ」
老婆は相変わらず質問に答えないまま、館内をまじまじと眺めつつ、何事かぽつぽつ呟き始めた。そこへロングランが俺にそっと耳打ちをする。
「おい、こりゃあ会話が成り立たないタイプだ。害が無いようなら、相手のペースに乗せられる前にさっさと切り上げようぜ」
そこへ鋭く老婆が切り込む。
「聞こえておるぞ、野暮ったいの」
「うおっ、それより俺の名前はロングランだ。聞こえているのなら質問に答えな。しかし、姿に似合わない地獄耳だな」
老婆は一つため息をつきながら俺たちに改めて向き直った。
「そうか、貴様らは私の美しさを知らないんだな」
「……っ!」
これにはさすがのロングランも絶句したと見える。しかし老婆は意に介さず言葉を続けた。




