幕間 壁の向こう
幕間 壁の向こう
地獄ってのが、本当にあるなら、それはこんな場所だろうな。
俺は、ベラスコ、ただの傭兵だ。今は、帝国に雇われている。
今回請け負ったのは簡単な任務のはずだった。傭兵隊長から指示されたのは、適当に戦って、敵をおびき出し、合図があったら後退。その後、味方が、秘密兵器を使うから、その後、敵にとどめを刺す。言い換えれば、おとり役と、残敵掃討。な、簡単そうだろ。場所は、ロターリア地方の中心都市、メスの郊外だ。
ロターリア地方っていうのは、いろいろ曰く付きの土地だ。昔から帝国と、隣国のイルリック独立都市連合が奪い合っていて、300年以上前、大戦の時以後は、イルリックの支配下にある。ただ、ロターリアの住民はガロマ族中心で、帝国と同じだ。イルリック族中心のイルリック国が支配してるってことは、異民族支配が続いてたってことだ。それで、帝国は、ロターリアの奪還を掲げて、何度もイルリックと小競り合いをしていた。ただ、それも芳しい結果を得られなかったから、未だにロターリアはイルリックのものってことだ。
帝国が、イルリック奪還に失敗し続けていたのには、勿論、理由がある。世界一の大国、グランミュール王国の存在だ。グランミュールは、この世界で人口も広さも1番で、兵力も四大国家の中でも頭ひとつ抜けている。そして、ロターリアは、帝国、イルリック、グランミュールの3カ国に囲まれた土地だ。帝国とイルリックが、本格的に戦争をやらかせば、グランミュールに漁夫の利をさらわれかねない。それで、帝国は、ロターリアに本格的に部隊を送り込むことができなかった、ってわけだ。
帝国ってのも、変わった国で、帝国皇帝だけが、世界で唯一の正当な支配者だっていう、お題目を掲げている。なんでも、600年以上前まで、世界は全て帝国の領土で、他の国は帝国に刃向かった反逆者って理屈らしい。勿論、そんな国とまともに外交関係をもとうなんて馬鹿な国はない。必然的に、帝国の周囲は敵だらけだった。
俺たちの世界では、大戦以来、300年以上、大国同士の本格的な戦争がなかった。一応平和な時代ってことで「パックス・ムルス・グランディス」なんていう奴もいる。今風に言えば「グランミュールの平和」ってことになるが、それだけグランミュールの存在感がでかかった、ってことだ。まあ、戦争がなかった、ってのも表面上の話で、実際には、水面下で、各国、いろいろやっていたはずだ。
俺は、普段は歩兵で、精々馬に乗れる程度だが、この世界には魔導従士っていう鋼鉄の巨人兵器があって、それに乗れる奴らのことは、魔法騎士と呼ぶ。人間の5倍くらいの大きさの、鋼鉄の巨人が魔法の力で動く。勿論、馬鹿みたいにたくさんの魔力が必要だ。ただ、その魔力を生み出す部品の魔力転換炉を作るには、魔獣の魔力結晶が必要らしい。魔獣ってのは、俺たちの世界では、400年くらい前に、絶滅したらしいから、魔力転換炉を新しく作ることはできない。四大国家は、どの国もそれなりの数の魔導従士を揃えているが、心臓部の魔力転換炉だけは、400年以上使い続けられている、骨董品ってわけだ。
前置きが長くなったが、ここからが本題だ。西方歴2987年9月。帝国は、ロターリア地方奪還のために、本格的に動くことになった。グランミュールの横槍が入る前に決着をつける、電撃戦の積もりでだ。今更になって、そんな作戦をやるのは、そのための新兵器が出来たからの様だが、俺たちのような下っ端には、それが何なのかは、教えられてない。
ロターリアに向けて進軍している途中、皇帝陛下直属の騎士たちを見かけた。騎士様連中は、黒ずくめの「魔導師」の護衛を務めているらしい。魔導師は、フードを目深にかぶっていて、人相は分からないが、全員が口の端を同じ形に歪めていて、見ていて気色悪かった。
帝国の大部隊が、イルリックとの国境に迫った時には、向こうも歓迎の準備を整えて、待って居やがった。
俺たちの隊は、前衛で、立派な黒鎧に身を包んだ騎士様や、魔導従士の部隊は、後方待機だった。強力な兵器である、魔導従士を最初から前衛で使わないのは、数が充分揃ってないのと、補充がきかない兵器だからだろう。ここぞ、という決戦の時に、投入される。
国境を挟んでの睨み合いは長くは続かず、すぐに両軍の前衛同士がぶつかった。イルリックは商人の国と呼ばれていて、イルリックの兵隊は全員、俺のような傭兵らしい。ただ、歩兵や騎兵のぶつかり合いは、所詮前座に過ぎない。帝国もイルリックも、士気は高くなかった。俺は隊長の指示通り、相手を適当にあしらいながら、後退の合図があるのを待った。
先に動いたのは、イルリックの方だ。後方に待機していた、魔導従士の部隊を動かしてきた。イルリックの魔導従士「ステルビオ」は、帝国の「ラングリル」のデッドコピーと呼ばれていて、数が同じなら、確実にラングリルが勝つ。それでも、イルリックが先にステルビオを動かしたのは、こっちの動きを見て、帝国がラングリルを温存している内に、こっちの数を削りにかかろう、という腹なのだろう。
歩兵が魔導従士に対抗する術はない。このまま、歩兵同士の戦場にステルビオの部隊が乱入してきたら、こちらは全滅だ。命あっての物種。後退指示を待たずに下がろうかと考えた時、隊長から、
「予定通り後退だ。急げ。」
という、指示が出た。俺は、手近な敵兵に蹴りを入れて距離を取ると、振り向いて後退に移った。
味方の本陣まで後退したところで、その本陣から見たこともない目映い光が漏れて、直後、緑色の液体が、雨の様に降ってきた。液体は、地面に降り注ぐと、速やかに揮発して、黄色いガスになった。あれは毒だ。俺は直感した。
毒のガスは、俺たちを追いかけていた、イルリックの部隊を覆っていた。ガスで視界が霞む中から、
「うぎゃああ。」
「目が、目がぁ。」
と、敵兵の悲鳴が響き渡る。ステルビオも動きを止めていた。そして、しばらくして、バタバタと、敵兵が倒れていった。俺たちも後退が少しでも遅れていたら、あの毒に巻き込まれていただろう。俺たち傭兵の命なぞ、その程度にしか見られていない。
幸い、俺たちの隊で、逃げ遅れた間抜けはいなかったようだ。全員で、毒ガスが広がってこない安全圏まで下がり、敵兵の断末魔を聞いていた。
断末魔が奏でる音楽が終わるころには、毒ガスも充分希釈されて、再度進軍することが可能になった。ここから残敵掃討任務に移るはずだったが、毒ガスが覆っていた場所には、戦える敵兵は残っていなかった。俺たちは、喉をかきむしりながら、
「ぐふ。」
と言って息絶える敵兵を踏み越えて、メスへ向けて進軍したのだった。
メスは、重要拠点のはずだが、守備隊はすでにおらず、もぬけの殻だった。だから、簡単に軍事施設を接収できた。
不自然に感じた俺は、拠点の中を細かく見て回った。竈の残り火がない。もし、国境での敗戦を知って慌てて逃げたなら、残り火くらいあるはず。数日前には、ここはもう無人だったことになる。何より、国境での戦いで、生きて撤退した敵兵を見ていない。これは何かの罠だと、俺の直感が告げていた。
俺は、隊長に自分が感じたままを報告した。隊長も不自然さを感じていたのだろう、
「分かった。指令とは、俺が話してくる。」
と言って、司令室に向かった。隊長が帰ってくる前に、これがどういう策略なのか解き明かすため、俺は拠点を出て、街の方へ向かった。
入城した時には気付かなかったが、注意して見ると、街は不気味なほど静まりかえっていた。それに、道で寝転んでいる奴もいる。俺は警戒しながらそいつに近づいたら、寝ているのではなく、倒れているのだと分かった。触るとすごい熱がある。それに、手足に赤い発疹が出ていた。
「おい、どうした?」
「うう…。」
すでにまともに受け答えが出来る状態ではなかった。この街では、確実に何かの異変が起きている。俺はまともに話ができる人間がいないか、探し回った。
目抜き通りに面した民家から、
「み、みずを…。」
と、うめき声が聞こえた。どうやら住民が全滅、ということはない様だ。俺は、井戸から水を汲んできて、その家に入った。
「おい。水を汲んできてやった。代わりに答えろ。何がどうなってやがる。」
住民の男は、俺が汲んできた水をむさぼる様に飲んだ。それから、
「ゴホッ。3日前、街の守備隊が突然出て行ったのです、ゴホッ。一体何かは、ゴホッ、その時は分かりませんでしたが、ゴホッ、昨日から、謎の病気が、ゴホッ、流行り出したのです、ゴホッ。」
「もういい、喋るな。」
「ゴホッ。」
男もすごい熱で、手足に発疹があった。俺は、背筋に寒気が走るのを感じた。変な汗が出てくる。もしこれが敵の策略だとしたら、メスに入城した時点で、俺たちは敵の術中に嵌まっていたことになる。口の渇きが不快で、俺も水を飲んだ。
俺が拠点に戻ると、ちょうど隊長が司令室から戻って来たところだった。
「騎士様って言うのは、なんであんな石頭ばかりなんだ。俺が罠の可能性を指摘しても、『こちらの陣容に恐れをなして逃げ出したんだろう』の一点張りだ。」
「隊長、街に出て、分かったことがあります。」
「そうか、報告しろ。」
俺は、街で見聞きしたことを報告した。
「分かった。ご苦労。しかし、謎の病気か。イルリックの奴らが病気を操るとは考えにくいが、確かに、不自然だ。住民との接触は、これから最小限にしろ。それと、ベラスコ、お前は、よく体を洗っておけ。病気が伝染るといかん。」
「了解。」
その日は、井戸水でよく体を洗って、床についた。
翌日、目を覚ました俺は、体全体が何だか重くだるいような感じがした。ただ、熱は出ていなかったし、他にこれといって病気の兆候はなかったから、予定通り、哨戒任務に出た。勿論、隊長の命令通り、住民との接触は避けた。
異変が始まったのは、その日の夜だった。俺の隊で一番の若手が、高熱を出して倒れた。手足に赤い発疹も出ている。あの謎の伝染病だ。俺は、住民と接触していないはずのこいつが何故、と思った。
拠点の中で情報収集していると、他の隊にも、騎士の中にも、高熱を出して倒れた者がいるらしい。みんな若い奴だった。病気の原因が分からない以上、そしてこれが伝染病である以上、発症した奴は隔離するしかない。拠点の1室が隔離部屋になった。
翌日。体のだるさは治まるどころか、増悪していた。でこに触ってみると熱い。熱も出ている様だ。立ち上がろうとしたが、無理だった。自分の手を見る。よく見ると、小さな赤い発疹が出ていた。どうやら、俺も年貢の納め時らしい。俺はそのままベッドで意識を失った。
再び目を覚ました俺は、拠点の隔離部屋に寝かされていた。ただ、隔離部屋にいる人数が昨晩とは比較にならない。俺たちの知らぬ間に、拠点中に伝染病が蔓延していたらしい。
体が熱い。喉が渇く。誰かが、
「み、みずを…。」
と、うめいている。
それから、1人、また1人と、味方が動かなくなっていった。若い奴から順に死んでいったから、もしかしたら若いと病気の回りが速いのかも知れない。
体はどんどん言うことを聞かなくなってくる。喉が渇く。視界が霞む。そろそろ俺の番だろうか。もう隔離部屋の中で、誰がまだ生きていて、誰がもう死んでいるのかも分からない。喉が渇く。
「み、みず、を…。」
我知らず、俺はうめき声を漏らした。
■
狭い執務室で、1人の男が書類仕事をしている。そこに1つの影が現れた。
「報告します、室長。」
「何だ。」
室長と呼ばれた男は、影に振り返りもせず答えた。
「帝国が、イルリックに侵攻しました。その際、儀式魔法が使用された模様です。」
「儀式魔法か。何の魔法だ?」
「毒液散布です。」
「そうか。それで、どうなった。」
「国境を守備していたイルリックの部隊は全滅。ただ、そのままメスに進駐した帝国の部隊も、伝染病で全滅しました。今は、メスには、イルリックの守備隊が再入城して、国境守備隊を再編しているようです。」
「伝染病か。例の?」
「は。イルリックは、病死した家畜の臓物で井戸水を汚染する実験をしていましたから、今回もその手と思われます。現在、こちらで入手した病原体のサンプルを分析しています。」
「手回しのいいことだ。」
「報告は以上です。」
「分かった、任務に戻れ。」
影は音もなく、執務室から姿を消した。室長は、別の部下を呼ぶと、
「参謀本部長に伝達。帝国とイルリックの戦争は痛み分けだった、とな。」
と伝えた。
〈完〉




