第51話 バレンタイン・ラプソディ③ 此処では、やるな!
前号の様な次第で、正太郎は一人、部室で後片付けをしていた。高志とひろみは練習が終わるや否や、匇卒と消えてしまっていたし、敬介といずなも割と早い段階で、雲散霧消していた。そんな訳で、戸締りをしたのは、正太郎と明彦と凛子の三人だけであった。
そうなのである。祐子と別れて然る後、止せば良いのに、正太郎は部室へと赴いたのである。特段、何か理由があっての事じゃない。強いて理由を挙げるとすれば、唯の人恋しさと謂う奴だったのかもしれない。然し、其れは望むべくもないと謂う状況である事を、即座に理解した。何しろ、部室には此の3人の他は誰も居ないのである。つまり、正太郎さえ現れなければ、此の二人は部室に二人きり、即ち、いちゃついていた状況にあったのである。或る意味、此れが正太郎の躓きの第一歩であった。
(あーあ、貧乏籤だ。くそ、真直ぐに家に帰れば良かった)
そう、思わざるを得ない。冷静に考えれば、今日は特別な日なのである。人恋しさの無聊を他人に求めて如何する。如何に朴念仁の正太郎であろうとも、此の状況の不自然さは流石に理解出来た。普通の日であっても、3割る2は、1余り1である。況してや、1年の内で、1番、1対1対応が好まれる此の日に在って、此の3人の中で明らかに剰余演算を試みれば、2mod1、解は正太郎に他ならない。然も、此の二人も、とっとと単独行動に移行すれば良い物の、何故か正太郎に気を使ってなのか、はたまた、照れ隠しなのか、妙に行動を共にしようとする。然も今日は2月14日なのである。とっととアマルフィでもホテル・カルフォルニアでも、お好みの処へ雲隠れすれば良い筈なのにである。
(クソー、何か、すげえ気まずいなぁ)
流石に朴念仁の正太郎でも、此れは居た堪れない。更に、下駄箱の処でちょっとした事件が出来した。正太郎は4組、明彦は5組である。当然、下駄箱は近隣も近隣、略、隣同士である。そんな明彦が下駄箱の扉を開けた儘、蒼白な顔色で凝固している。
「おい、如何かしたのか?」
正太郎が何の気無しに声を掛け、覗き込んだ。明彦の下駄箱には、茶色い駄菓子屋で貰う様な安っぽい紙袋が、宛ら、場違いな闖入者の様にポツンと其処に在る。略、背中合わせの位置には凛子がいるのである。明彦が此の不法な闖入者を見て、困惑して固まっていたのも頷ける。今日は今日とて2月14日。バレンタインデーである。ずしりとした重さ。よもや大福などではあるまい。袋こそ、駄菓子屋テイストの袋ではあったが、其の中身は当然、チョコレートに決っている。抑々、下駄箱は郵便受けなどでは無いのだ。目的外の使用は、厳に慎んでもらいたい。
「おい、正太。頼む。暫くで良い。此れを預かって貰えないか? お前、いずなの猫も預かってくれてたじゃねーか。」
明彦は今手に入れたばかりのチョコレートを正太郎に押し付けようとする。
「あのなあ、何、馬鹿な事、謂ってんだ。冗談じゃないぞ。やめろって」
「頼む。何なら、食べてくれても構わない」
「わーっ、構うだろ。そんな事、出来る訳、無いだろう」
こんなやり取りが交わされた後、明彦は自身のスポーツバッグに件の危険物を何とか滑り込ませた。だが、危険である事には変わりなかった。明彦の2m前方には、凛子が今後の展開を懸想してか、ニコニコと楽しそうな顔をしている。次に明彦がとった行動は、きょときょとと、周囲の安全を確認する事であった。正しく、挙動不審の極みである。明彦は或る物を探していた。其れは確かいつも、玄関を出た処に設置されていた。公園なんかで良く見かける金属製の丸いゴミ箱である。明彦が此のゴミ箱に、たった今入手したばかりのチョコレートを投棄しようとしていたのは明白であった。
(おい、やめろ)
明彦は凛子に気付かれる事無く、スポーツバッグのファスナーを開けた。
(止せ。此処では絶対にやるな。頼むから)
正太郎の切実な願いである。然し、明彦はそっと不審物を掴むと、不自然に背を丸め、少し猫背の儘、ゴミ箱に近づいて行った。
(おい、やめろって)
だが、正太郎の声には出さぬ切なる願いは通じる筈も無かった。
ドサッ。
情け容赦の無い音を立て、件のチョコレートは、まあるい口を開けたゴミ箱の中に吸い込まれて行った。
「おい、何も、こんな処で…」
流石の正太郎も、先程の六助同様、声に出して苦言を呈さざるを得なかった。
「仕方無いだろ…」
そう謂う明彦の気持ちも、判らない訳でも無い。今日、此の先、凛子と行動を共にするのであれば、件の茶袋はいつ爆発するか知れぬ危険物である事は、既に明白であった。だが、此の行為は意外な人物により阻止されたのである。
「駄目だよ、明彦。ちゃんと食べてあげないと…」
凛子である。凛子にも此れが何であるかも想像がついていた。のみならず、凛子は少し涙を浮かべていた。恐らく、誰とも知れぬ送り主に、感情移入してしまったのやも知れない。凛子はゴミ箱から救い出した贈り物の汚れを払い、明彦に手渡した。明彦は含羞んだ様な笑顔を浮かべ、其れをきまり悪そうに受け取った。そして、中をこそこそと覗き見る。
「大福?」
なんと中身は、草餅と豆餅の大福。本当に只の大福だったのだ。三人とも、眉間に皺を寄せる。
「何の真似だ?こりゃ?」
明彦が呆れた様に呟く。凛子も怪訝そうな顔付きである。とまれ、正太郎と明彦達は其処で解散した。彼は大きく深い溜息を吐いた。恐らく、明彦たちは駅の方角に向かうのであろう。明彦への謎の贈り物は寸での処で救われた訳である。然し、此れからの明彦たちの行き先も含め、送り主にとって、其れが何の救いにもなら無い事を、正太郎は良く承知していた。
正太郎には、極、早い段階から、其れこそ贈り物を見た瞬間から、贈り主の正体には、うすうす察しがついていた。と謂っても、常日頃の状況より、送り主を推定した訳ではない。元より、正太郎には高志と違い、其の手の腹芸は得意な方では無い。何方かと謂うと、寧ろ、其の対面にあたる。然し此れ迄、再三、描写して来た様に、彼には人並み外れた聴覚があった。4組、5組の下駄箱の裏側は1年1組と2組である。だから、彼や明彦が下駄箱を開けた時、其の裏側の下駄箱に誰か人がいる事に当然気がついていた。其の内の一人、其の少女には多少、蓄膿の気があるのだろう。其の口を主体とする呼吸音には、普段から聞き覚えがあった。だから、明彦が其れをゴミ箱に投棄した際に、此処での其の行為の自重を希ったのでもある。例え其の気の無かれども、何も本人の目の前で、其れをやる必要は全く無い。彼は扉の後ろに潜んでいた少女の気配も察知していたし、其れが投棄された際に少女が発した、『ひぃっ』と謂う悲鳴にも似た声をも認識していた。正太郎にしてみれば、其の袋の中身が、何故チョコレートではなく大福なのかは、聊か疑問ではあったが、其の少女自身、学年でも有数な特異な感性の持ち主として定評がある。或いは何らかの意味があるのやも知れぬ。結局の処、凛子の登場により、幸いにして、ゴミ箱への投棄は阻止された訳ではある。然し、其れに何の意味があろう。明彦が其れをゴミ箱に投棄しようとした、と謂う事実は、何ら変えるべくも無いのである。更に、凛子の此の優しい行為とて、少女にとっては、敵に塩を送られた、としか映らぬであろう。
何の救いにもならない。
其の謂いは、斯うした処にある。正太郎は一人自転車置き場に向かっていた。其の少女も正太郎の後方約10m位をとぼとぼと歩いて来る。耳を澄まさ無くとも、其れは、はっきりと判る。少女は込み上げてくる涙を啜り上げ、時折、しゃくり上げていた。愛する人に勇を鼓して贈った細やかな思いを、ゴミ箱に投棄されたと謂う、最早、救い様の無い事実は、16歳の少女に途方も無く無慈悲な現実を突きつけていた。そうだ。彼女の正体は判っている。恐らく彼女のローファーの爪先には小砂利でもくすがっているのだろう。先刻から彼女が歩く度に、カチカチと些細な音を立てている。其れを気にも留めない無神経な神経の持ち主(まあ、今は其れ処で無いのだろうが)。バレンタインデーに意中の人に大福を送りつける独特な感性の持ち主。其の様な人物が、そうそうざらにいる筈も無い。とは謂え、正太郎は此れ以上、此の少女に関わる心算は無かった。確かに、正太郎は此の少女のたった今体験した、悲しい出来事を知ってはいる。だが、此れはあくまでも、正太郎の形而上の出来事である。形而下の出来事としては、何も知らない事になっているのである。涙を流している少女に何ら気がつかない振りをして、自転車で立ち去ってしまえば良いだけの話なのである。実際、正太郎もそうする心算ではあった。然し、其れは出来なかった。と謂うのも、此の少女の不運は、何も明彦の事だけに留まらなかった為である。
「あっ」
少女は自身の自転車の前で、小さな叫び声を挙げた。何と彼女の自転車の前輪がぺしゃんこに潰れていたのである。パンクである。此の少女も、流石に此の不幸の連続には、抗えなかった。ついに、其の場でしくしくと泣き始めてしまったのである。人目を憚ろうともせずに、ぽろぽろと。涙を零す彼女。其れでも、正太郎は、気が付かない振りは出来た筈であった。聊か非人道的ではあったものの、
『お先に』
と優しげに声を掛け、如何にも他人の振りを装い乍ら、立ち去る事が充分に可能であった。いや、黙って立ち去れば、頗る自然な流れですらあったのだ。何故ならば、パンクは兎も角、贈り物をゴミ箱に捨てられたなどと謂う事は、当事者以外、何人も知る由が無い筈の出来事であったからなのである。然し、やむを得ず、近づいて行った正太郎は、迂闊にも一言声を掛けてしまった。
「まあ、気にするな…。人生悲しい事ばかりじゃない。また、良い事もあるさ」
此の一言が、実に余計な一言であった。将に蛇足と謂うのは、此の様な事を謂うのだろう。実際、声を掛けた正太郎ですら、
まずかったかな…。
と思ったと謂う。其処には小柄乍らも、かなり長めのツインテールの少女が、きょとんとした顔立ちで、呆然と此方を見上げている。やはり其処には予想に違わぬ顔があった。瞳はかなり大きい。愛らしい子猫のようである。其れでいて切れ長の瞳で、鼻筋も整っている。男好きのする、所謂、可愛らしいタイプと謂っても過言では無いだろう。恐らく、其の感性が普通であれば、かなりもてた部類かも知れない。其の少女の顔つきは白地に、
(何故、其の事を知っているの?)
そう謂っている。
まず、正太郎の一言。抑々、明らかにパンクを発見した少女へ掛ける言葉では無い。パンクを嘆いている少女への言葉としては、聊か重過ぎる。少女にしても、パンクだけの事であれば、後に描写される様な挙には出なかったであろう。然し、其れ以前の不幸な出来事についても此の人は認識していると謂う、驚きと不安と奇妙な安心感が入り混じっての動作に過ぎない。
「うわーん」
少女は大声で泣き出すと同時に、正太郎に抱きついた。
「うわっ、おいコラ、ちょっと待て」
忽ちのうちに、狼狽する正太郎。少女の身長は然程高くは無い。女性特有の髪の毛の甘い香りが妙に正太郎の鼻腔を擽る。だが、其れ以上に学年でも屈指の規模を誇る、両の胸を正太郎の腹に押し付け、わあわあと泣いている。或る意味、実に羨ましい状況ではあるのだが、正太郎にとっては、とてもではないが、其れ処では無い。場所は学校の自転車置き場である。既に何人かの生徒たちが奇異の眼差しで眺めつつも、横を通り過ぎて行く。
「ちょっと待て、まずは涙を拭いて落ち着け。みうみう」
だが、正太郎の頼み虚しく、みうみうは大声を張り上げ、泣き止む気配は微塵も無い。其の少女の正体は羽根田美羽こと、みうみうである。正太郎としても、みうみうの事は嫌いでは無い。寧ろ、好意的ですらある。顔立ちも然る事乍ら、此の巨乳好きの少年からすれば、好意処かお釣りが来る。恐らく、祐子と付き合っていなければ、挑戦した可能性すらある。
(いかん、いかん、いかん)
正太郎は慌てて首を振り、邪念を追い払ったものの、みうみうの欷泣は治まりそうも無かった。
「なあ、泣くなよ。頼むから…」
正太郎は、慰めとも懇願ともつかぬ、遣る瀬無い言葉を掛けた。思えば、学年屈指の不思議ちゃんで、巨乳の持ち主であるみうみうは、昨年の4月に吹奏楽部の体験入部に来てはいた。だが、3日程で来るのを止めた。入部は自然立ち消えとなった。正太郎は思う。何時ぞや、山梨旅行の際に謂っていた、一身上の都合の正体が、恐らく此れであろう。みうみうにしてみれば、昔から憧れていた、明彦との邂逅は将に天の配剤とも謂うべき僥倖であった筈だ。其の点では、正太郎と祐子に近いものが有る。だが、已矣哉、頓て其れは直に絶望へと変る。何時だって明彦の瞳が追っていたのは、凛子であった。当初、ボストンティーパーティーの面々は誰一人として、其れに気がつかなかった。抑々、明彦の挙動は明白な物では無かった。寧ろ人知れず隠密に行動していたのではあった。故に周囲の人間はまるで気がつかなかった訳であったのだが、みうみうだけは違っていた。彼女は他人の目が全く気にならないと謂う、特性を持ち乍ら、いや、其の特性があったればこそ、明彦の事を常に冷静に観察し続けた。虚仮の一念と謂う言葉もある。みうみうの憧れの彼、明彦の瞳がいつも追い続けているのは、自分では無い別の女性である、と謂うひとつの事実に気がついてしまったのである。其れは、失恋より明確な失恋であった。気がつけば、何時しか吹奏楽部に足が遠のいた。其の様な物を、此の先ずっと見せ付けられては、如何にみうみうと謂えども、流石に堪った物では無い。
「兎に角、みうみう。流石に寒い。前店にでも行っておでんでも摘もう。コーラ飴とソーダ飴も買ってやるから…」
みうみうは涙を拭き乍ら力無く尋ねる。
「本当?」
四方やコーラ飴に釣られた訳でもあるまいが、みうみうは意外と素直について来た。恐らくは、失恋の寂しさと謂うのが、最大の動機であったと思う。前店には幾つか古ぼけたテーブルがあり、古い漫画などが置いてあり、奥にはおでんの鍋がある。学生の溜まり場の様な店である。基本、運動部系の生徒の御用達ではあったのだが、他の生徒が使って悪いと謂う訳でも無い。まあ、何処の学校の傍にも一つはある、所謂、駄菓子屋であった。彼らが店に着いた頃には、数人の学生が屯していたのであるが、彼らは正太郎達と入替りに席を立つ形となった。
二人の間には、耐え難く残酷な静寂が流れた。話など弾む訳が無い。みうみうの前に置かれた、低廉な器皿には良く汁の滲み込んだと思われる、どす黒い色の大根があったが、彼女は全く箸をつけていなかった。
(頼む。誰か何とかしてくれえ)
正太郎の絶望的な懇願である。彼が此の様な状況を打破する、器用で変幻自在な術を持ち合わせている訳でも無ければ、巧みな話術を持ち合わせている訳でも無いのは明白である。其れは、最早、周知の通りであろう。
(全く、貧乏籤だ…)
芥川的に謂えば、此の様な状況に居るのは、地獄よりも地獄的である。誰か後ろからそっと絞め殺してくれるものはないか?と、謂った処であろうか。彼が果たして、そう思ったか如何かは、定かでは無いが、相当に居た堪れなかった事は容易に想像出来る。だが、永遠に続くと思われた、此の果てしなく無為な時間の連続は、新しい来訪者によって不意に終わりを告げた。
「うー、寒い寒い。おばちゃん、いつもの奴ね」
其の男は、サッカー部のジャージで身を纏い、重そうなスポーツバックを背負っていた。
「全く、今日は厄日だ。部長会でぶっ叩かれるわ、変なゴリラに絡まれるは…」
其の男は何かぶつぶつ謂い乍ら入って来ると、
「あれ、高野じゃねーか?」
暗い店内の中、目を細め乍ら徐に呟いたのは、サッカー部の現主将である白坂だった。
「…ども」
正太郎は重い口ぶりで応える。白坂と正太郎は女神先生の件で相識がある(第30話参照)。
「其れに、奥に居るのは?…何だ、みうみうじゃねーか?如何したんだ?迷子か?」
みうみうは恨めしそうに白坂を見上げると、斯う謂った。
「あっ、しらさかだ。迷子じゃないよ。ただ、ちょっとおうちに帰れなくなっちゃっただけだよ…」
「白坂…さんだ。其れを世間一般では、迷子っつーんだよ」
白坂はやんわりと訂正しつつ、決め付けた。白坂は疑わしそうな眼差しで、疑問を呈する、
「其れにしても、珍しい道行だな」
話を逸らす様に正太郎が切り出した。
「其れより、先刻、厄日とか何とか…。一体、何があったんですか」
「ああ、今日はバレンタインデーとかで、何奴も此奴も浮かれやがってよ。でも、俺には何故かチョコが一個もこねーし…」
(此の辺りが本音だな)
正太郎は洞察するが、構わず白坂はぼやき続ける。
「然も、部長会では袋叩きにされ、女バレでは痴漢呼ばわりされ、挙句の果てに、なんか梅高のバーサーカーモードのゴリラ野郎に絡まれ…」
(修吾の奴か…。彼奴、此処迄来たのかしら?)
女バレ云々の件は何の事か判らぬが、ゴリラ野郎云々の件は直にぴんと来た。正太郎は自身が投じた石の矛先が、思わぬ方向へと飛び火したらしい事に慄き乍らも、知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ。白坂守君は此のお話にも幾度となく登場しているサッカー部の主将である。彼は飄々とした性格で、個性派集団であるサッカー部を良く纏め上げている。サッカーの技術的には、突出したものは無いものの、豊富な運動量と献身的な守備が持ち味で、中学校時代には県代表にも選出された事がある。ポジションはMFであり、昨年まではトップ下、六助が入部してからはボランチを務めている。面相は割りと細面の狐面で、然程もてる様な面相では無かった。学力的には意外にも常時学年二桁順位であり、数学などは常時名前が貼り出される壁新聞組で、学期末に何時も追試に呻吟する赤点集団であるサッカー部の中にあって、ただ一人気を吐いている。少々、口は悪いものの温厚で面倒見の良い性格が返って仇となり、いつもトラブルに巻き込まれる。今日も今日とて、そんな彼を象徴する事件が出来している。彼が部長会の連絡事項を伝える為に、お供の一平を引き連れ、女子バレー部の部室を訪問した時の事である。一部着替え中の女子もいたのだが、突然の一平の来訪に沸き立ち、
「キャー、一平君よ。キャー」
「キャー、一平君。一緒に着替えようよ」
と、黄色い声援が飛び交う一方、
「キャー、何よ白坂までいるわ。覗きよ。覗きに違いないわ」
「キャー誰か、殺虫剤を持って来て!」
散々な謂われようである。此の対応の相違は何であろう? 『キャー』の意味合いが180度違うのである。まあ、此れとても人柄と謂ってしまえば其れ迄なのだが、白坂にしてみれば、面白く無い事、此の上無い。所謂、無意識の偏見。彼は、詰まる処、典型的な三枚目キャラであったのである。
「大体、高野。オメーはリア充の筈だろうが、なんで選りによって、今日の此の日に、こんなんとつるんでるんだよ?」
「こんなんじゃないよ。みうみうだよ」
「えーと、なんつったけか?あの、丸顔の体型も丸っこくておっぱいが大きくて、えらく勉強の出来る…、えーっと」
白坂君、歯に衣着せぬと謂うよりも、えらく粗野であけすけとした物謂いで祐子の事を表現する。
「ゆうちんだよ。でも、みうみうだって、巨乳なら、ゆうちんにも負けて無いよ」
白坂は、少々顔を赤らめ乍ら反駁する。
「テメーは、抑々、全然、勉強出来ねーだろーが…」
そして、白坂がにやつき乍ら、決め付ける。
「ははーん。成程そうか分ったぞ。扨は彼女と喧嘩でもしやがったな。其れで、同じ位の巨乳を持つ此奴に乗り換えようと…」
「縁起でも無いっす。根も葉もない妄想を、吹聴せんといて下さい」
其れで無くとも、自転車置き場でみうみうと抱き合っていると誤認する様な光景を、何人かの生徒から目撃されているのである。此れ以上、誤情報を流布されては堪らない。
「ねえ、処で白坂さん。抑々、みうみうとは知り合いなんすか?」
「ああ、中学ん時の後輩だ」
「近所のお兄ちゃんだよ」
そうか、そう謂えば、白坂はひろみの中学時代の一級上の生徒会長だった筈だ。と謂う事は、みうみうとも同じ中学と謂う事になるではないか。みうみうの家は確か北矢部だった筈だ。岡中学の学区は途轍もなく広い。清水区の中心部分から有度山の麓までカバーしている。
「白坂さん。ひょっとして、家は矢部の方だったりしますか?」
「ああ、船越堤の方だ…」
「違うよ!」
みうみうが即座に否定した。
「ふぁっ?!」
「火葬場の方だよ」
「わーっテメーは、態々、不気味な訂正を加えてんじゃねえ。船越堤でいーじゃんか、概ね、彼方の方角なんだから…」
「そんな事無いよ。船越堤は歩かないと行けないけど、わんわんとにゃんにゃんの火葬場なら石を投げれば、ちゃんと届いちゃうよ」
「テメーは、んな処に石を投げ込んでんじゃねえ。此の罰当たりが…」
「つまり、近所って事ですか?」
「違う。別の町内会だ」
「でも、白坂のいえは、みうみうの3軒隣のおうちの筋向いなんだよ。其の少し先に火葬場があるんだよ」
「おい、コラ、みうみう!テメーは俺の家を説明したいのか?其れとも、火葬場の場所を案内したいのか?」
如何にも話が微妙に噛み合わ無い。だが、正太郎は透かさず白坂の手を握り締めた。
「白坂さん、此れは天の配剤です」
「なんだ。なんだ。なんだ?」
正太郎はみうみうの方を顎でしゃくり乍ら切り出した。
「実は此奴。今日、ちょっと悲しい出来事Aがあったんです…」
「ほう…?」
「其の直後、ちょっと不幸な出来事Bにも見舞われて…」
「ほう、所謂、not only A but also B(AのみならずBまでも)って謂う奴だな。全く、難儀な事だな」
「違うよ。not A but B(Aでは無くB)なんだよ」
みうみうが透かさず訂正する。
「其れじゃあ、抑々意味が違ってくんだろ。もういい、テメーは黙ってろ!」
白坂が吠える。まあ、みうみうにしてみれば、not A but Bにしたくなる気持ちも、判らんでも無い。
「だから、此処は近所の優しいお兄ちゃんが、みうみうを家迄送って行ってくれれば、迷子の心配も無いと…」
「おいちょっと待て。んで、テメーは?」
「僕は今から祐ちゃんと会わなきゃなんないと謂う大切な使命があるんで…。其れじゃあ白坂さん。後は宜しく」
一瞬、白坂が毒気を抜かれている間隙を縫って、正太郎は立ちあがった。
「おい、こら待て。人にこんなん押し付けて、何の心算だ…」
「こんなんじゃないよ。みうみうだよ」
慌てて、追随しかけた白坂であるが、其処には既に、正太郎の姿は何処にも無かった。
「馬鹿野郎。リア充、壊滅しやがれ!」
白坂は前店の前で、中指立てて、呪いの言葉を吐いている。だが頓て諦めた白坂は首を振り乍ら店内に戻って来た。
「しらさか、正ちんは?」
「駄目だ。あの野郎、トンズラこきやがった」
「とう」
みうみうは詰まった鼻のせいだろうか、同意を表す言葉が其の様な風に聞こえる。
「大体、何だってオメーは野郎とつるんでたんだ?野郎はあー見えても、リア充だ。何も態々バレンタインデーの今日に、オメーなんぞとつるんでいるのも妙だし」
「…」
「オメーだって、意中の人の一人くらいはいんだろ。チョコレートを渡さなかったのか?」
「…くすん」
みうみうも悲しい記憶がまざまざと甦って来たのだろう。再び、涙ぐんでいる。此処ら辺りが白坂の人柄であろう。かなりの高確率で、不用意に地雷を踏んずばすのである。
「わあ、待て待て。泣くなみうみう。ほらソーダ飴も買ってやるぞ…」
みうみうの前には、正太郎に貰った3個のコーラ飴があったが、白坂は慌てて3個のソーダ飴も追加した。こんな処でみうみうに泣き出されては堪った物ではない。斯くして。バレンタインデーの壮絶なばばぬきの駆け引きの行方は、此の様な状況になった。現時点で、jokerは白坂の手元に残されているのである。
前店に取り残された白坂とみうみう。其の何処か噛み合わないやり取りが続く。次回、バレンタイン・ラプソディー完結編、『第52話 バレンタイン・ラプソディ④ 途方に暮れているんだよ…』、お楽しみに。




