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第51話 バレンタイン・ラプソディ③ 此処では、やるな!

 前号(さき)の様な次第(しだい)で、正太郎は一人(ひとり)、部室で後片付(あとかたづ)けをしていた。高志とひろみは練習が終わるや(いな)や、匇卒(そそくさ)と消えてしまっていたし、敬介といずなも割と早い段階で、雲散霧消(うんさんむしょう)していた。そんな(わけ)で、戸締りをしたのは、正太郎と明彦と凛子(りんこ)の三人だけであった。


 そうなのである。祐子と別れて(しか)(のち)()せば()いのに、正太郎は部室へと(おもむ)いたのである。特段(とくだん)、何か理由(ワケ)があっての事じゃない。()いて理由(りゆう)()げるとすれば、(ただ)の人恋しさと()(やつ)だったのかもしれない。(しか)し、()れは望むべくもないと()状況(じょうきょう)である事を、即座(そくざ)に理解した。何しろ、部室には()の3人の他は誰も居ないのである。つまり、正太郎さえ現れなければ、()の二人は部室に二人きり、(すなわ)ち、いちゃついていた状況(じょうきょう)にあったのである。()る意味、()れが正太郎の(つまづ)きの第一歩であった。


(あーあ、貧乏籤(びんぼうくじ)だ。くそ、真直(まっす)ぐに家に帰れば良かった)


 そう、思わざるを得ない。冷静に考えれば、今日は特別な日なのである。人恋しさの無聊(ぶりょう)他人(ひと)に求めて如何(どう)する。如何(いか)朴念仁(ぼくねんじん)の正太郎であろうとも、()状況(じょうきょう)不自然(ふしぜん)さは流石(さすが)に理解出来(でき)た。普通の日であっても、3割る2は、1余り1である。()してや、1年の内で、1番、1対1対応が好まれる()の日に在って、()の3人の中で明らかに剰余(モジュロ)演算(えんざん)を試みれば、2mod1、解は正太郎に他ならない。(しか)も、()の二人も、とっとと単独行動に移行すれば()い物の、何故(なぜ)か正太郎に気を使ってなのか、はたまた、照れ隠しなのか、妙に行動を共にしようとする。(しか)も今日は2月14日なのである。とっととアマルフィでもホテル・カルフォルニアでも、お好みの(ところ)へ雲隠れすれば()(はず)なのにである。


(クソー、(なん)か、すげえ気まずいなぁ)


 流石(さすが)朴念仁(ぼくねんじん)の正太郎でも、()れは居た(たま)れない。(さら)に、下駄箱(げたばこ)(ところ)でちょっとした事件(じけん)出来(しゅったい)した。正太郎は4組、明彦は5組である。当然(とうぜん)下駄箱(げたばこ)近隣(きんりん)近隣(きんりん)(ほぼ)、隣同士である。そんな明彦が下駄箱(げたばこ)(とびら)を開けた(まま)蒼白(そうはく)な顔色で凝固(フリーズ)している。

「おい、如何(どう)かしたのか?」

 正太郎が何の気無(きな)しに声を掛け、(のぞ)き込んだ。明彦の下駄箱(げたばこ)には、茶色い駄菓子屋(だがしや)(もら)う様な安っぽい紙袋が、(さなが)ら、場違いな闖入者(ちんにゅうしゃ)の様にポツンと其処(そこ)()る。(ほぼ)、背中合わせの位置には凛子(りんこ)がいるのである。明彦が()の不法な闖入者(ちんにゅうしゃ)を見て、困惑(こんわく)して固まっていたのも(うなづ)ける。今日は今日とて2月14日。バレンタインデーである。ずしりとした重さ。よもや大福などではあるまい。袋こそ、駄菓子屋(だがしや)テイストの袋ではあったが、()の中身は当然(とうぜん)、チョコレートに決っている。抑々(そもそも)下駄箱(げたばこ)は郵便受けなどでは無いのだ。目的外の使用は、(げん)(つつし)んでもらいたい。

「おい、正太。頼む。(しばら)くで()い。()れを預かって(もら)えないか? お前、いずなの猫も預かってくれてたじゃねーか。」

明彦は今手に入れたばかりのチョコレート(JOKER)を正太郎に押し付けようとする。

「あのなあ、何、馬鹿(バカ)な事、()ってんだ。冗談(じょうだん)じゃないぞ。やめろって」

「頼む。何なら、食べてくれても(かま)わない」

「わーっ、(かま)うだろ。そんな事、出来(でき)(わけ)、無いだろう」

 こんなやり取りが()わされた(のち)、明彦は自身のスポーツバッグに(くだん)の危険物を何とか滑り込ませた。だが、危険である事には変わりなかった。明彦の2m前方には、凛子(りんこ)今後(こんご)の展開を懸想(けそう)してか、ニコニコと楽しそうな顔をしている。次に明彦がとった行動は、きょときょとと、周囲の安全を確認する事であった。(まさ)しく、挙動(きょどう)不審の極みである。明彦は()る物を探していた。()れは確かいつも、玄関を出た(ところ)に設置されていた。公園なんかで良く見かける金属製の丸いゴミ箱である。明彦が()のゴミ箱に、たった今入手したばかりのチョコレート(JOKER)投棄(とうき)しようとしていたのは明白(あきらか)であった。


(おい、やめろ)


 明彦は凛子(りんこ)に気付かれる事無く、スポーツバッグのファスナーを開けた。


()せ。此処(ここ)では絶対にやるな。頼むから)


 正太郎の切実な願いである。(しか)し、明彦はそっと不審物(ばくだん)(つか)むと、不自然(ふしぜん)に背を丸め、少し猫背の(まま)、ゴミ箱に近づいて行った。


(おい、やめろって)


 だが、正太郎の声には出さぬ(せつ)なる願いは通じる(はず)も無かった。


 ドサッ。


 情け容赦(ようしゃ)の無い音を立て、(くだん)チョコレート(JOKER)は、まあるい口を開けたゴミ箱の中に吸い込まれて行った。

「おい、何も、こんな(ところ)で…」

 流石(さすが)の正太郎も、先程(さきほど)の六助同様、声に出して苦言を(てい)さざるを得なかった。

仕方(しかた)無いだろ…」

 そう()う明彦の気持ちも、(わか)らない(わけ)でも無い。今日、()の先、凛子(りんこ)と行動を共にするのであれば、(くだん)の茶袋はいつ爆発するか知れぬ危険物(バクダン)である事は、(すで)明白(めいはく)であった。だが、()行為(こうい)は意外な人物により阻止(そし)されたのである。

駄目(だめ)だよ、明彦。ちゃんと食べてあげないと…」

 凛子(りんこ)である。凛子(りんこ)にも()れが何であるかも想像がついていた。のみならず、凛子(りんこ)は少し涙を浮かべていた。(おそ)らく、誰とも知れぬ送り主に、感情移入してしまったのやも知れない。凛子(りんこ)はゴミ箱から救い出した贈り物の汚れを払い、明彦に手渡した。明彦は含羞(はにか)んだ様な笑顔を浮かべ、()れをきまり悪そうに受け取った。そして、中をこそこそと(のぞ)き見る。

「大福?」

 なんと中身は、草餅と豆餅の大福。本当に(ただ)の大福だったのだ。三人とも、眉間(みけん)(しわ)を寄せる。

「何の真似(いやがらせ)だ?こりゃ?」

 明彦が(あき)れた様に(つぶや)く。凛子(りんこ)怪訝(けげん)そうな顔付きである。とまれ、正太郎と明彦達は其処(そこ)で解散した。彼は大きく深い溜息(ためいき)()いた。(おそ)らく、明彦たちは駅の方角に向かうのであろう。明彦への謎の贈り物は寸での(ところ)で救われた(わけ)である。(しか)し、()れからの明彦たちの行き先も含め、送り主にとって、()れが何の救いにもなら無い事を、正太郎は良く承知(しょうち)していた。


 正太郎には、(ごく)、早い段階から、()れこそ贈り物を見た瞬間から、贈り主の正体には、うすうす(さっ)しがついていた。と()っても、常日頃の状況(じょうきょう)より、送り主を推定した(わけ)ではない。元より、正太郎には高志と違い、()の手の腹芸(はらげい)は得意な方では無い。何方(どちら)かと()うと、(むし)ろ、()対面(といめん)にあたる。(しか)()(まで)、再三、描写(びょうしゃ)して来た様に、彼には人並み外れた聴覚(ちょうかく)があった。4組、5組の下駄箱(げたばこ)の裏側は1年1組と2組である。だから、彼や明彦が下駄箱(げたばこ)を開けた時、()の裏側の下駄箱(げたばこ)に誰か人がいる事に当然(とうぜん)気がついていた。()の内の一人(ひとり)()の少女には多少(たしょう)蓄膿(ちくのう)()があるのだろう。()の口を主体とする呼吸音には、普段(ふだん)から聞き覚えがあった。だから、明彦が()れをゴミ箱に投棄(とうき)した(さい)に、此処(ここ)での()行為(こうい)自重(じちょう)(こいねが)ったのでもある。(たと)()の気の無かれども、何も本人の目の前で、()れをやる必要は(まった)く無い。彼は(とびら)(うし)ろに(ひそ)んでいた少女の気配(けはい)察知(さっち)していたし、()れが投棄(とうき)された(さい)に少女が(はっ)した、『ひぃっ』と()う悲鳴にも似た声をも認識していた。正太郎にしてみれば、()の袋の中身が、何故(なぜ)チョコレートではなく大福なのかは、(いささ)か疑問ではあったが、()の少女自身、学年でも有数な特異な感性の持ち主として定評がある。(ある)いは何らかの意味があるのやも知れぬ。結局(けっきょく)(ところ)凛子(りんこ)の登場により、幸いにして、ゴミ箱への投棄(とうき)阻止(そし)された(わけ)ではある。(しか)し、()れに何の意味があろう。明彦が()れをゴミ箱に投棄(とうき)しようとした、と()う事実は、何ら変えるべくも無いのである。(さら)に、凛子(りんこ)()(やさ)しい行為(こうい)とて、少女にとっては、敵に塩を送られた、としか(うつ)らぬであろう。


 何の救いにもならない。


 ()()いは、()うした(ところ)にある。正太郎は一人(ひとり)自転車置き場に向かっていた。()の少女も正太郎の後方(こうほう)約10m位をとぼとぼと歩いて来る。耳を澄まさ無くとも、()れは、はっきりと(わか)る。少女は込み上げてくる涙を(すす)り上げ、時折(ときおり)、しゃくり上げていた。愛する人に(ゆう)()して贈った(ささ)やかな思いを、ゴミ箱に投棄(とうき)されたと()う、最早(もはや)、救い様の無い事実は、16歳の少女に途方(とほう)も無く無慈悲(むじひ)な現実を突きつけていた。そうだ。彼女の正体は(わか)っている。(おそ)らく彼女のローファーの爪先(つまさき)には小砂利でもくすがっているのだろう。先刻(さっき)から彼女が歩く(たび)に、カチカチと些細(ささい)な音を立てている。()れを気にも留めない無神経な神経の持ち主(まあ、今は()(どころ)で無いのだろうが)。バレンタインデーに意中の人に大福を送りつける独特な感性の持ち主。()の様な人物が、そうそうざらにいる(はず)も無い。とは()え、正太郎は()れ以上、()の少女に関わる心算(つもり)は無かった。確かに、正太郎は()の少女のたった今体験した、悲しい出来事(できごと)を知ってはいる。だが、()れはあくまでも、正太郎の形而上(けいじじょう)出来事(できごと)である。形而下(けいじか)出来事(できごと)としては、何も知らない事になっているのである。涙を流している少女に何ら気がつかない振りをして、自転車で立ち去ってしまえば()いだけの話なのである。実際(じっさい)、正太郎もそうする心算(つもり)ではあった。(しか)し、()れは出来(でき)なかった。と()うのも、()の少女の不運は、何も明彦の事だけに(とど)まらなかった(ため)である。


「あっ」


 少女は自身の自転車の前で、小さな叫び声を()げた。何と彼女の自転車の前輪がぺしゃんこに(つぶ)れていたのである。パンクである。()の少女も、流石(さすが)()の不幸の連続には、(あらが)えなかった。ついに、()の場でしくしくと泣き始めてしまったのである。人目を(はばか)ろうともせずに、ぽろぽろと。涙を(こぼ)す彼女。()れでも、正太郎は、気が付かない振りは出来(でき)(はず)であった。(いささ)か非人道的ではあったものの、

『お先に』

 と(やさ)しげに声を掛け、如何(いか)にも他人の振りを(よそお)(なが)ら、立ち去る事が充分に可能であった。いや、黙って立ち去れば、(すこぶ)自然(しぜん)な流れですらあったのだ。何故(なぜ)ならば、パンクは()(かく)、贈り物をゴミ箱に捨てられたなどと()う事は、当事者以外、何人(なんぴと)も知る(よし)が無い(はず)出来事(できごと)であったからなのである。(しか)し、やむを得ず、近づいて行った正太郎は、迂闊(うかつ)にも一言声を掛けてしまった。


「まあ、気にするな…。人生悲しい事ばかりじゃない。また、()い事もあるさ」


 ()の一言が、実に余計(よけい)な一言であった。(まさ)蛇足(だそく)()うのは、()の様な事を()うのだろう。実際、声を掛けた正太郎ですら、


まずかったかな…。


 と思ったと()う。其処(そこ)には小柄(なが)らも、かなり長めのツインテールの少女が、きょとんとした顔立ちで、呆然(ぼうぜん)此方(こちら)を見上げている。やはり其処(そこ)には予想に(たが)わぬ(かんばせ)があった。(ひとみ)はかなり大きい。愛らしい子猫のようである。()れでいて切れ長の(ひとみ)で、鼻筋も整っている。男好きのする、所謂(いわゆる)可愛(かわい)らしいタイプと()っても過言(かごん)では無いだろう。(おそ)らく、()の感性が普通であれば、かなりもてた部類かも知れない。()の少女の顔つきは白地(あからさま)に、

何故(なぜ)()の事を知っているの?)

 そう()っている。


 まず、正太郎の一言。抑々(そもそも)、明らかにパンクを発見した少女へ掛ける言葉では無い。パンクを(なげ)いている少女への言葉としては、(いささ)か重過ぎる。少女にしても、パンクだけの事であれば、(のち)描写(びょうしゃ)される様な(きょ)には出なかったであろう。(しか)し、()れ以前の不幸な出来事(できごと)についても()の人は認識していると()う、驚きと不安と奇妙な安心感が入り混じっての動作(ふるまい)に過ぎない。

「うわーん」

 少女は大声で泣き出すと同時に、正太郎に抱きついた。

「うわっ、おいコラ、ちょっと待て」

 (たちま)ちのうちに、狼狽(ろうばい)する正太郎。少女の身長は然程(さほど)高くは無い。女性特有の髪の毛の甘い香りが妙に正太郎の鼻腔(びこう)(くすぐ)る。だが、()れ以上に学年でも屈指(くっし)規模(スケール)を誇る、両の胸(オッパイ)を正太郎の腹に押し付け、わあわあと泣いている。()る意味、実に(うらや)ましい状況(じょうきょう)ではあるのだが、正太郎にとっては、とてもではないが、()(どころ)では無い。場所は学校の自転車置き場である。(すで)何人(なんにん)かの生徒たちが奇異(きい)眼差(まなざ)しで(なが)めつつも、横を通り過ぎて行く。

「ちょっと待て、まずは涙を()いて落ち着け。みうみう」

 だが、正太郎の頼み(むな)しく、みうみうは大声を張り上げ、泣き止む気配(けはい)微塵(みじん)も無い。()の少女の正体は羽根田美羽こと、みうみうである。正太郎としても、みうみうの事は嫌いでは無い。(むし)ろ、好意的ですらある。顔立ちも()る事(なが)ら、()巨乳(おっぱい)好きの少年からすれば、好意(どころ)かお釣りが来る。(おそ)らく、祐子と付き合っていなければ、挑戦(アタック)した可能性すらある。


(いかん、いかん、いかん)


 正太郎は(あわ)てて首を振り、邪念を追い払ったものの、みうみうの欷泣(ききゅう)は治まりそうも無かった。

「なあ、泣くなよ。頼むから…」

 正太郎は、(なぐさ)めとも懇願(こんがん)ともつかぬ、()()無い言葉を掛けた。思えば、学年屈指(くっし)不思議(ふしぎ)ちゃんで、巨乳(おっぱい)の持ち主であるみうみうは、昨年の4月に吹奏楽(ブラスバンド)部の体験入部に来てはいた。だが、3日程で来るのを止めた。入部は自然(しぜん)立ち消えとなった。正太郎は思う。何時(いつ)ぞや、山梨旅行の(さい)()っていた、一身上の都合(つごう)の正体が、(おそ)らく()れであろう。みうみうにしてみれば、昔から(あこが)れていた、明彦との邂逅(かいこう)(まさ)に天の配剤(はいざい)とも()うべき僥倖(ぎょうこう)であった(はず)だ。()の点では、正太郎と祐子に近いものが有る。だが、已矣哉(やんぬるかな)(やが)()れは(すぐ)に絶望へと変る。何時(いつ)だって明彦の(ひとみ)が追っていたのは、凛子(りんこ)であった。当初、ボストンティーパーティーの面々は誰一人(ひとり)として、()れに気がつかなかった。抑々(そもそも)、明彦の挙動(きょどう)明白(めいはく)な物では無かった。(むし)ろ人知れず隠密に行動していたのではあった。(ゆえ)に周囲の人間はまるで気がつかなかった(わけ)であったのだが、みうみうだけは違っていた。彼女は他人の目が(まった)く気にならないと()う、特性(とくせい)を持ち(なが)ら、いや、()特性(とくせい)があったればこそ、明彦の事を常に冷静に観察し続けた。虚仮(コケ)一念(いちねん)()う言葉もある。みうみうの(あこが)れの彼、明彦の(ひとみ)がいつも追い続けているのは、自分では無い別の女性(ひと)である、と()うひとつの事実に気がついてしまったのである。()れは、失恋より明確な失恋であった。気がつけば、何時(いつ)しか吹奏楽(ブラスバンド)部に足が遠のいた。()の様な物を、()の先ずっと見せ付けられては、如何(いか)にみうみうと()えども、流石(さすが)(たま)った物では無い。

()(かく)、みうみう。流石(さすが)に寒い。前店にでも行っておでんでも摘もう。コーラ(あめ)とソーダ(あめ)も買ってやるから…」

 みうみうは涙を()(なが)ら力無く(たず)ねる。

「本当?」

 四方(よも)やコーラ(あめ)に釣られた(わけ)でもあるまいが、みうみうは意外と素直(すなお)について来た。(おそ)らくは、失恋の(さみ)しさと()うのが、最大の動機(りゆう)であったと思う。前店には幾つか古ぼけたテーブルがあり、古い漫画(コミック)などが置いてあり、奥にはおでんの鍋がある。学生の溜まり場の様な店である。基本、運動部系の生徒の御用達(ごようたし)ではあったのだが、他の生徒が使って悪いと()(わけ)でも無い。まあ、何処(どこ)の学校の(そば)にも一つはある、所謂(いわゆる)駄菓子屋(だがしや)であった。彼らが店に着いた頃には、数人の学生が(たむろ)していたのであるが、彼らは正太郎達と入替りに席を立つ形となった。


 二人の間には、()(がた)く残酷な静寂(しじま)が流れた。話など(はず)(わけ)が無い。みうみうの前に置かれた、低廉(ていれん)器皿(きべい)には良く汁の()み込んだと思われる、どす黒い色の大根があったが、彼女は(まった)(はし)をつけていなかった。

(頼む。誰か何とかしてくれえ)

 正太郎の絶望的な懇願(こんがん)である。彼が()の様な状況(じょうきょう)打破(だは)する、器用で変幻自在な(すべ)を持ち合わせている(わけ)でも無ければ、(たく)みな話術を持ち合わせている(わけ)でも無いのは明白(めいはく)である。()れは、最早、周知の通りであろう。


(まった)く、貧乏籤(びんぼうくじ)だ…)


 芥川的に()えば、()の様な状況(じょうきょう)に居るのは、地獄よりも地獄的である。誰か(うし)ろからそっと絞め殺してくれるものはないか?と、()った(ところ)であろうか。彼が果たして、そう思ったか如何(どう)かは、(さだ)かでは無いが、相当に居た(たま)れなかった事は容易に想像出来(でき)る。だが、永遠に続くと思われた、()の果てしなく無為(むい)な時間の連続は、新しい来訪者(おきゃく)によって不意(ふい)に終わりを告げた。


「うー、寒い寒い。おばちゃん、いつもの(やつ)ね」

 ()の男は、サッカー部のジャージで身を(まと)い、重そうなスポーツバックを背負っていた。

(まった)く、今日は厄日(やくび)だ。部長会でぶっ(たた)かれるわ、変なゴリラに(から)まれるは…」

 ()の男は何かぶつぶつ()(なが)ら入って来ると、

「あれ、高野じゃねーか?」

 暗い店内の中、目を(ほそ)(なが)(おもむろ)(つぶや)いたのは、サッカー部の現主将(キャプテン)である白坂だった。

「…ども」

 正太郎は重い口ぶりで応える。白坂と正太郎は女神(ヒュパティア)先生の(くだり)相識(そうしき)がある(第30話参照)。

()れに、奥に居るのは?…何だ、みうみうじゃねーか?如何(どう)したんだ?迷子(まいご)か?」

 みうみうは(うら)めしそうに白坂を見上げると、()()った。

「あっ、しらさかだ。迷子(まいご)じゃないよ。ただ、ちょっとおうちに帰れなくなっちゃっただけだよ…」

「白坂…さんだ。()れを世間一般では、迷子(まいご)っつーんだよ」

 白坂はやんわりと訂正(ていせい)しつつ、決め付けた。白坂は疑わしそうな眼差(まなざ)しで、疑問を(てい)する、

()れにしても、珍しい道行(みちゆき)だな」

 話を()らす様に正太郎が切り出した。

()れより、先刻(さっき)厄日(やくび)とか何とか…。一体(いったい)、何があったんですか」

「ああ、今日はバレンタインデーとかで、何奴(どいつ)此奴(こいつ)も浮かれやがってよ。でも、(おれ)には何故(なぜ)かチョコが一個もこねーし…」

()(あた)りが本音だな)

 正太郎は洞察(どうさつ)するが、構わず白坂はぼやき続ける。

(しか)も、部長会では袋叩きにされ、(じょ)バレでは痴漢(ちかん)呼ばわりされ、挙句(あげく)()てに、なんか梅高のバーサーカーモードのゴリラ野郎(ヤロー)(から)まれ…」

(修吾の(やつ)か…。彼奴(アイツ)此処(ここ)(まで)来たのかしら?)

 (じょ)バレ云々(うんぬん)(くだり)は何の事か(わか)らぬが、ゴリラ野郎(ヤロー)云々(うんぬん)(くだり)(すぐ)にぴんと来た。正太郎は自身が投じた石の矛先(ほこさき)が、思わぬ方向へと飛び火したらしい事に(おのの)(なが)らも、知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ。白坂守君は()のお話にも幾度(いくど)となく登場しているサッカー部の主将(キャプテン)である。彼は飄々(ひょうひょう)とした性格(キャラクター)で、個性派集団であるサッカー部を良く(まと)め上げている。サッカーの技術的には、突出(とっしゅつ)したものは無いものの、豊富な運動量と献身的な守備が持ち味で、中学校時代には県代表にも選出された事がある。ポジションはMFであり、昨年まではトップ下、六助が入部してからはボランチを務めている。面相(めんそう)は割りと細面(ほそおもて)狐面(きつねづら)で、然程(さほど)もてる様な面相(めんそう)では無かった。学力的には意外にも常時学年二桁順位であり、数学などは常時名前が貼り出される壁新聞組で、学期末に何時(いつ)も追試に呻吟(しんぎん)する赤点集団であるサッカー部の中にあって、ただ一人(ひとり)気を()いている。少々(しょうしょう)、口は悪いものの温厚で面倒見(めんどうみ)()性格(せいかく)が返って(あだ)となり、いつもトラブルに巻き込まれる。今日も今日とて、そんな彼を象徴(しょうちょう)する事件(じけん)出来(しゅったい)している。彼が部長会の連絡(れんらく)事項を伝える(ため)に、お供の一平を引き連れ、女子バレー部の部室を訪問した時の事である。一部着替え中の女子もいたのだが、突然(とつぜん)の一平の来訪に()き立ち、

「キャー、一平君よ。キャー」

「キャー、一平君。一緒に着替えようよ」

 と、黄色い声援が飛び()う一方、

「キャー、何よ白坂までいるわ。(のぞ)きよ。(のぞ)きに違いないわ」

「キャー誰か、殺虫剤を持って来て!」

 散々(さんざん)()われようである。()の対応の相違は何であろう? 『キャー』の意味合いが180度違うのである。まあ、()れとても人柄と()ってしまえば()(まで)なのだが、白坂にしてみれば、面白(おもしろ)く無い事、()の上無い。所謂(いわゆる)無意識の(アンコンシャス)偏見(・バイアス)。彼は、()まる(ところ)、典型的な三枚目キャラであったのである。


大体(だいたい)、高野。オメーはリア充の(はず)だろうが、なんで()りによって、今日の()の日に、こんなんとつるんでるんだよ?」

「こんなんじゃないよ。みうみうだよ」

「えーと、なんつったけか?あの、丸顔の体型も丸っこくておっぱいが大きくて、えらく勉強の出来(でき)る…、えーっと」

 白坂君、歯に衣着せぬと()うよりも、えらく粗野(ガサツ)であけすけとした物謂(ものい)いで祐子の事を表現する。

「ゆうちんだよ。でも、みうみうだって、巨乳(おっぱい)なら、ゆうちんにも負けて無いよ」

 白坂は、少々(しょうしょう)顔を赤らめ(なが)反駁(はんばく)する。

「テメーは、抑々(そもそも)全然(ぜんぜん)、勉強出来(でき)ねーだろーが…」

 そして、白坂がにやつき(なが)ら、決め付ける。

「ははーん。成程(なるほど)そうか分ったぞ。(さて)は彼女と喧嘩でもしやがったな。()れで、同じ位の巨乳(おっぱい)を持つ此奴(こいつ)に乗り換えようと…」

縁起(えんぎ)でも無いっす。根も葉もない妄想(もうそう)を、吹聴(ふいちょう)せんといて下さい」

 ()れで無くとも、自転車置き場でみうみうと抱き合っていると誤認する様な光景を、何人(なんにん)かの生徒から目撃されているのである。()れ以上、誤情報(ゴシップ)流布(るふ)されては(たま)らない。

「ねえ、(ところ)で白坂さん。抑々(そもそも)、みうみうとは知り合いなんすか?」

「ああ、中学ん時の後輩(こうはい)だ」

「近所のお兄ちゃんだよ」

 そうか、そう()えば、白坂はひろみの中学時代の一級上の生徒会長だった(はず)だ。と()う事は、みうみうとも同じ中学と()う事になるではないか。みうみうの家は確か北矢部だった(はず)だ。岡中学の学区は途轍(とてつ)もなく広い。清水区の中心部分から有度山(うどさん)(ふもと)までカバーしている。

「白坂さん。ひょっとして、家は矢部の方だったりしますか?」

「ああ、船越堤(ふなこしづつみ)の方だ…」

「違うよ!」

 みうみうが即座(そくざ)否定(ひてい)した。

「ふぁっ?!」

火葬場(かそうば)の方だよ」

「わーっテメーは、態々(わざわざ)不気味(ぶきみ)訂正(ていせい)を加えてんじゃねえ。船越堤(ふなこしづつみ)でいーじゃんか、(おおむ)ね、彼方(あっち)の方角なんだから…」

「そんな事無いよ。船越堤(ふなこしづつみ)は歩かないと行けないけど、わんわんとにゃんにゃんの火葬場(かそうば)なら石を投げれば、ちゃんと届いちゃうよ」

「テメーは、んな(ところ)に石を投げ込んでんじゃねえ。()の罰当たりが…」

「つまり、近所って事ですか?」

「違う。別の町内会だ」

「でも、白坂のいえは、みうみうの3軒隣のおうちの筋向いなんだよ。()の少し先に火葬場(かそうば)があるんだよ」

「おい、コラ、みうみう!テメーは(おれ)の家を説明したいのか?()れとも、火葬場(かそうば)の場所を案内したいのか?」

 如何(どう)にも話が微妙(びみょう)()み合わ無い。だが、正太郎は()かさず白坂の手を握り締めた。

「白坂さん、()れは天の配剤(はいざい)です」

「なんだ。なんだ。なんだ?」

 正太郎はみうみうの方を(あご)でしゃくり(なが)ら切り出した。

「実は此奴(こいつ)。今日、ちょっと悲しい出来事(できごと)Aがあったんです…」

「ほう…?」

()直後(ちょくご)、ちょっと不幸な出来事(できごと)Bにも見舞われて…」

「ほう、所謂(いわゆる)、not only A but also B(AのみならずBまでも)って()(やつ)だな。(まった)く、難儀(なんぎ)な事だな」

「違うよ。not A but B(Aでは無くB)なんだよ」

 みうみうが()かさず訂正(ていせい)する。

()れじゃあ、抑々(そもそも)意味が違ってくんだろ。もういい、テメーは黙ってろ!」

 白坂が()える。まあ、みうみうにしてみれば、not A but Bにしたくなる気持ちも、(わか)らんでも無い。

「だから、此処(ここ)は近所の(やさ)しいお兄ちゃんが、みうみうを家(まで)送って行ってくれれば、迷子(まいご)の心配も無いと…」

「おいちょっと待て。んで、テメーは?」

「僕は今から祐ちゃんと会わなきゃなんないと()う大切な使命があるんで…。()れじゃあ白坂さん。(あと)(よろ)しく」

 一瞬、白坂が毒気(どくけ)を抜かれている間隙(かんげき)()って、正太郎は立ちあがった。

「おい、こら待て。人にこんなん押し付けて、何の心算(つもり)だ…」

「こんなんじゃないよ。みうみうだよ」

 (あわ)てて、追随しかけた白坂であるが、其処(そこ)には(すで)に、正太郎の姿は何処(どこ)にも無かった。

馬鹿(ばか)野郎(ヤロー)。リア充、壊滅しやがれ!」

 白坂は前店の前で、中指立てて、呪いの言葉を()いている。だが(やが)て諦めた白坂は首を振り(なが)ら店内に戻って来た。


「しらさか、正ちんは?」

駄目(だめ)だ。あの野郎(ヤロー)、トンズラこきやがった」

「とう」

 みうみうは詰まった鼻のせいだろうか、同意を表す言葉が()の様な風に聞こえる。

大体(だいたい)、何だってオメーは野郎(ヤロー)とつるんでたんだ?野郎(ヤロー)はあー見えても、リア充だ。何も態々(わざわざ)バレンタインデーの今日に、オメーなんぞとつるんでいるのも妙だし」

「…」

「オメーだって、意中の人の一人(ひとり)くらいはいんだろ。チョコレートを渡さなかったのか?」

「…くすん」

 みうみうも悲しい記憶がまざまざと(よみがえ)って来たのだろう。再び、涙ぐんでいる。此処(ここ)(あた)りが白坂の人柄(キャラクター)であろう。かなりの高確率で、不用意(ふようい)地雷(NGワード)を踏んずばすのである。

「わあ、待て待て。泣くなみうみう。ほらソーダ(あめ)も買ってやるぞ…」

 みうみうの前には、正太郎に貰った3個のコーラ(あめ)があったが、白坂は(あわ)てて3個のソーダ(あめ)も追加した。こんな(ところ)でみうみうに泣き出されては(たま)った物ではない。()くして。バレンタインデーの壮絶(そうぜつ)なばばぬきの駆け引きの行方(ゆくえ)は、()の様な状況(じょうきょう)になった。現時点で、joker(みうみう)は白坂の手元に残されているのである。

前店に取り残された白坂とみうみう。其の何処か噛み合わないやり取りが続く。次回、バレンタイン・ラプソディー完結編、『第52話 バレンタイン・ラプソディ④ 途方に暮れているんだよ…』、お楽しみに。

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