第52話 バレンタイン・ラプソディ④ 途方に暮れているんだよ…。
「ほれ、みうみう。大根が残ってるぞ。知ってるか?大根、体に良いんだぞ」
「…」
「おばちゃん。卵ともつとはんぺんを追加ね。ほれ、みうみう。お前も、はんぺんを食え。青魚の練り物だぞ。DHAが豊富だぞ。背ぇ伸びるぞ。頭も良くなるぞ」
此の地方に在っては、はんぺんと謂えば世間一般で謂う白いはんぺんでは無く、青魚を原料に練り上げた黒いはんぺんの事を指す。此の地で育った子供たちの多くは、白いはんぺんを知らずに育つ為、他国に出た時に、初めて白いはんぺんを知り、カルチュアショックを受ける子も多々いる。人によっては、全国的に知名度のあるはんぺんを、態々『白はんぺん』と、細やかな侮蔑を込めて斯う呼び、故郷のはんぺんの事を誇りを込めて『はんぺん』と呼ぶのである。斯く謂う筆者も大学の時分、大学のサッカー同好会が清水で合宿を張った時の事である。夕食のおでんに件のはんぺんが供された。部員の一人が、徐に筆者に尋ねる。
「此れは何だ?」
「何って、はんぺんだよ」
「そんな訳あるかあ。抑々、色が変だろ」
いくら、筆者が懇切丁寧に説明を尽くしても、誰もはんぺんと認めてくれない。宛ら、マタンゴ状態である。然も、所詮は多勢に無勢である。結局、件のはんぺんはつみれ認定され、筆者は、はんぺんを知らぬ男として、散々バカにされた過去を持つ。実に不憫な話である。
扨、何とかみうみうの気を引く様にとりなす白坂であったが、みうみうの箸は一向に進まない。相変わらず、心持、俯いた儘である。
「其れにしても、一体、何があったんだ。」
白坂は誰に語るでもなく、自嘲した。暫くの無言の後、みうみうは重い口を開いた。
「みうみうだって…。贈ったよ。しらさか」
「大体、先刻からなんだ。人の事を呼び捨てに。白坂さん、だ。謂えるか?」
「しらさか、いーち、にい、さん」
「はっ???」
「みうみう発見したんだよ。しらさかの後に、いーち、にい、って謂うと極自然に謂えるんだよ」
白坂は俄に眩暈を感じたのだろう。額に人差し指を当てると、全てを諦めたかの如くに呟いた。
「分かった。唯のしらさかで良い。処で、贈ったって?お前がか?」
「ウッキー、そうだよ。今日は、男の子に甘い物を贈って良い日なんでしょ?」
白坂は、内心、此の幼女の様な少女にも、恋愛感情が芽生えている事に、聊か舌を巻き乍らも、其れは噯にも出さずに謂った。
「微妙に解釈がおかしいが、まあ、そんなもんだ。其れで如何したんだ?」
「うん。でも、目の前でごみばこに捨てられちゃった…」
「はあっ?」
白坂は余りに驚愕な展開に聊か驚いた。そして徐に呟いた。
「流石に其奴はひでーだろ。いくらこんなんでも花も恥らう乙女だ。やって良い事と悪い事があらぁ」
「こんなんじゃないよ。みうみうだよ」
白坂はみうみうに少し感情移入した。彼の言葉の通りいくらなんでも、少々酷い、少しやり過ぎであろう。
「おい、みうみう。俺が其の野郎に、ちょいと意見してやろうか?幾らなんでもひでーだろ。人道に悖り過ぎらぁ」
みうみうは慌てて止めた。
「待って、しらさか。明彦くんはなんにも悪く無いよ。悪いのはみうみうだよ。みうみうがちゃんとお名前を書かなかったから…」
如何やら差出人名の事を謂っているらしい。こんな処でも微妙にピントがずれているのがみうみうなのかもしれない。然し白坂はみうみうの不用意な一言を聞き逃さなかった。
「明彦?明彦ってレスリングの滝の事か?て事はオメーの対戦相手って1年の如月姫なのか?」
みうみうも少ししまったと謂う顔をしたが、やむを得ずこくりと頷いた。
「其れは…、流石に相手が悪いや」
白坂は渋い顔で自嘲する。如月凛子と謂えば、1年を代表するクールな美少女である。此の頃には、既に凛子と明彦は清高のベストカップルとされ、特に凛子は、『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』と上級生達からも崇められ、其の存在は他学年にも知れ渡っていた。一説に因れば、2,3年を中心にファンクラブまで存在する様なのである。
「みうみう…、悪いこたぁ謂わねえ。可哀想だが…、所詮、叶わぬ恋だ。諦めろ」
「ふえーん」
再び、白坂が地雷を踏み抜き、みうみうが泣き出しそうな気配を見せる。白坂も昔馴染みの誼で、みうみうを応援してあげたかったものの、清高屈指の評判の美少女相手とあっては、如何にみうみうがかわいかろうとも、流石に聊か分が悪いであろう。
「其れにしてもなあ、いくらなんでも相手が悪すぎるだろ。如月姫は美人である事は元より、勉強も出来るし、胸もでけーし、3年にはファンクラブもあるらしーぜ」
「胸なら、みうみう、凛子ちゃんにも決して負けないよ」
みうみうは気持ち胸を張る。制服の下の両乳房ははちきれそうである。上級生達からロリ巨乳と崇められる自慢の胸が其処にある。白坂はちらりと其れを見やり、顔を赤らめ乍らも吠えた。
「くだらねー事で張り合うな!」
「あー、しらさか、今、ちら見した。しらさかのえっち!」
「や、やかましい」
如何もみうみうとの会話は、全てに於いて何処か調子が狂う。白坂は子供の頃からそうであった。
「大体、相手はあの如月姫だぞ。才色兼備、羞花閉月、容姿端麗、眉目秀麗の誉れの高い…」
「みうみうだって、弊衣破帽、蓬頭垢面。おまけに、神出鬼没とかも良く謂われるんだよ」
「四字熟語だから良いってもんでもね―だろ。大体、其れ全部。絶対、褒められてねーだろ。3年の先輩たちが如月姫の余りの美しさに天衣無縫とかも謂ってたし」
然し、みうみうも決して負けてはいない。
「ウッキー、みうみうだって此の前、体育の授業中に、すってんころりんした時も、天地無用って謂われたんだよ」
「おいこら、脚韻を踏んでいれば良いってもんでもねーぞ。大体、意味が分からんぞ」
みうみうは白坂との不毛の会話の中にも、多少元気が出て来た様である。おでんを完食すると、正太郎や白坂に貰ったコーラ飴やソーダ飴に手を出し始めた。やはり、花より団子と謂う言葉もある。色気よりも食い気の方が頭を擡げてくるのである。其の内、みうみうは手遊びから飴玉でジャグリングを始めた。此の少女、一見どん臭くはあるものの、手先は頗る器用なのである。水色と赤色の飴玉がみうみうの手の内で踊っている。
「わっ、見て見て、しらさか。四つ玉成功!」
「ほう、意外に器用だな…」
白坂は素直に褒めた。みうみうの機嫌も大分戻って来ている様である。そんな中で再び白坂が呟いた。
「そう謂えば、先刻高野の野郎、なんか、不幸な出来事Bとか謂っちゃあいたが…。其れは一体如何謂う事なんだ?」
「うーんとね。みうみうの自転車がパンクしちゃってたの…。おうちに帰れなくなっちゃったの」
「ふーん。其奴は災難だったな…。其れにしても然し、オメーも踏んだり蹴ったりじゃねーか」
「そーなんだよ。だからみうみう。今、とても途方に暮れているんだよ。わっ、見て見て、しらさか!五つ玉成功!」
みうみうは自身の悲惨な境遇を釈明し乍らも、飴玉のジャグリングで五つ玉を成功させている。
「とても、其の様には見えねえ…。抑々、オメー、『途方に暮れる』の使い方、間違っちゃあ、いねーか?」
「そんな事無いよ。『方法や手段が尽きて、如何して良いか判らなくなる』事だよ。今、みうみうの状況が将に其れなんだよ。よし!、しらさか、次は六つ玉にチャレンジだよ」
「とても、そうには見えねえ…」
然し、六つ玉は流石に無理と見えて、飴玉は薄暗い店内の土間に散らばった。みうみうは慌てて拾い集めるも、コーラ飴とソーダ飴が一つづつ見当たらない。
「ふえーん」
「わっ、馬鹿かテメーは。こんな、くだんねー事で泣くんじゃ無え!俺が探してやっから…」
白坂は透かさず、前店の薄暗い土間に這い蹲ると、飴玉を探し始めた。
みうみうは思い出した。小学校1年の時分の話である。子供会の行事で船越堤へ行った事があった。新入生の歓迎の催しであり、丁度、桜が見頃である。其の時の事である。堤の桜が見え出した頃、子供たちが、一斉に走り出したのだ。みうみうも負けじと走りだしたのであるが、昨夜の雨のせいで出来た泥濘に足を取られ派手に転倒してしまった。其の際に、みうみうのお気に入りの浅葱色のカーデガンが泥だらけになってしまい、其のカーデガンの胸の辺りに猫のアップリケがあったのだが、其の猫も、石竹色と黄色の縞々模様の毛糸のタイツも泥だらけになってしまった。其のタイツのお尻の部分には、此れまた、みうみうのお気に入りのウサちゃんのアップリケが施して有ったのだが、此れも泥だらけになってしまった。当然、みうみうは大泣きである。そんな中で、一人、近所のお兄ちゃんだけは、みうみうを一生懸命介抱し、其の日、一日、みうみうの傍を片時も離れなかった。其のお兄ちゃんは、半ば怒った様なぶっきら棒な物謂いであったが、終始、みうみうの気を引く様に喋り続け彼女を労り続けた。今にして思えば、其の頃から白坂の優しい心根は、全く変っていなかった。
「おっ、みうみう、有ったぞ。コーラ飴とソーダ飴一個づつ…」
立ち上がった白坂を。みうみうは呆れた様にまじまじと見つめる。白坂のジャージは埃だらけである。
「しらさかって、本当に昔から優しいね」
白坂は真っ赤になると、
「コラッ、先輩をからかうんじゃねえ」
と、吠える。だが、みうみうは真顔で答える。
「本当だよ。しらさか、昔っから優しかったもん。町内会のお花見の時だけじゃないよ。幼稚園の鬼ごっこの時も…」
白坂自身も忘れていた様なエピソードを思い出した。幼稚園の鬼ごっこなどでは、当たり前の話であるが、当然、どん臭い子から狙われる。此れもまた、或る意味、社会の縮図であって、仕方が無い処ではある。最初のうちは満面の笑みで参加していたみうみうであったが、其の内、自分だけが狙われていると気が付くと、頓て其の笑顔が消えて行った。本来であれば、此の様な児童は『みそっかす』、此の地方にあっては『アメンボ』(鬼にはならない保護)を受けるのであるが、此の場合は、そうでは無かった。そしてみうみうは、今にも泣き出しそうな顔付きで追い掛け始めるのである。然し、みうみうが鬼になった時は必ず、彼女の前には、何故か逃げ遅れたしらさかが、常に居るのである。如何やら白坂当人も其の事を思い出した様である。
「そんな事もあったっけな…」
白坂は嘯く。だが、みうみうは続ける。
「偶然じゃ無いよ。何時だってしらさかは、みうみうがピンチになると現れるんだ。みうみうが泣いていると目の前に居るんだよ」
「偶然だよ」
白坂は決め付けた。子供の頃の話は兎も角、今日の此れは、紛う事無き偶然であろう。白坂は思った。
(此奴、なりは大きくなっても、中身は全然変らんなぁ)
白坂は意を決すると、大きく呟いた。
「えーい、判ったよ。家迄送ってってやらあ」
「?」
「鈍い奴だな。後ろに乗せてってやるっつってんだよ」
「良いの?」
「ああ…。だけど、本当は二人乗りは絶対にやっちゃあいけねーんだぞ。道交法違反だからな」
白坂は右手人差し指を立てて警告する。
「ねえ、しらさか、一体、誰に向って喋ってるの?」
「読者にだよ!」
なんとも、訳の分からぬ件をつけていた二人であったが、19時過ぎには帰路についた二人であったのである。
二人が通った道は大手町通りの一本裏の道、所謂通学路である。此の道は、以前にもいずなが仔猫を拾った時に描写したが、学生達の通学路として良く利用される道路である。然し、流石に此の時間ともなると人通りも疎らであり、少々心寂しい道路でもある。頓て、旧国道1号を横切って小芝神社のこんもりとした森を左手に見やり乍ら、旧江尻宿の方へ向っていく。みうみうはしらさかのがっしりした胴回りに腕を回し乍ら、顔と其の豊満な胸を押し付けている。みうみうは悲しい気持ち乍らも、少し救われた気持ちになった。そう思うと再び涙が込み上げて来た。目の前にはしらさかの暖かい背中がある。しらさかには申し訳無かったが、再び声を殺して少し泣いた。悲しさと謂うよりは、しらさかの優しさが妙に心に沁みたのだ。白坂はみうみうを乗せて爆走する。頓ては清水銀座に達すると、白坂は後ろでみうみうが涙を流している事に気がついていた。
(然もありなん)
そうは思ったが、如何ともする事が出来なかった。清水銀座は旧江尻宿である。今でこそ、心寂しいシャッター街と化した此の通りも、其の昔は、屹度、栄華を極めた往来であったのだろう。みうみうの遣る瀬無い心情が伝播したのであろうか、白坂は交差点で信号待ちをしている時、ふとそんな事を思ったりもした。銀座の入口を過ぎると直に巴川である。稚児橋を渡ると入江地区に入る。旧東海道も江尻宿から直角に折れ、入江方面に向かい現在の入江2丁目の三叉路で西に折れ、追分方面へと向うのである。白坂とみうみうは旧東海道に別れを告げると、久能路、即ち、入江岡駅方面へと向った。入江岡駅は切り通しの様な地形の橋上にあり、此の辺りから西へ2km程であろうか、JRと静岡鉄道が併走する形となる。つまり、切り通した地形を鉄道路線が抜けて行く形となっている。余談ではあるが、昭和の初期には静岡鉄道の路線は今と違っていたと謂う。清水方向から見ると、今の入江岡付近で、切り通しを抜けずに岡を駆け上がり、今の入江町、即ち白坂たちが今来た道を下り東海道を経て、追分方面に抜けていたと謂う。静岡鉄道の静岡清水線は極めて愚直に東海道を踏襲していたと謂うから、此れは有り得る話である。斯く謂う筆者も、其の昔、祖母から其の様な話を聞いた事があった。祖母に因れば、今の追分踏切の辺りで再合流していたらしい。入江岡から追分踏切迄、如何謂った経路を辿っていたかを調べようともしたが、其れは徒労に終わった。ネット上にも其の様な痕跡は発見出来なかったが、唯一、ウィキペディアに嘗て其の区間に、入江町駅と追分駅があったと謂う記載があるのみである。想像を逞しゅうすれば、此の追分街道こそが其の跡地では無いかと筆者は推測する。昔の軽便鉄道の跡地が、其の地方の街道として残る。此れは普通にある話であり、庵原の庵原軌道の跡地である庵原街道。静岡の安倍鉄道の跡地、或いは、静岡鉄道の静岡市内線の跡地、そして、清水市内線、清水港線。何れも今は廃線となってしまった鉄道であり、今となっては往時を偲ぶ物は何も無い。全ては時代の波に飲まれ、歴史の中に埋もれ、時間の経過と共に風化していってしまっている。然しそんな中で、不必要な迄に一直線な道路や、不自然な形状の道路であったりと、僅か乍らの痕跡を留める処がある。斯う謂った発見こそが、退屈な人生に一服の清涼剤となる発見でもあるのだ。
扨、閑話休題。筆者の妄想を他所に、白坂は嘗て軽便鉄道が駆けていたと思しき入江岡の坂道を懸命に駆け上がって行く、サッカー部切っての脚力を持つ男でもある。此の程度の坂道なぞ屁でも無い。頓て、頂上でもある入江岡の駅の横を颯爽と駆け抜けると、一気に下りだした。其の刹那である。
パーーン。
凄まじい破裂音と共に、白坂とみうみうは激しく道路に投げ出された。驚いた白坂はすぐにみうみうに声を掛けた。
「大丈夫か?みうみう」
みうみうは道路に尻餅をついた格好で、宛ら、木から落ちた仔猫の様な相好できょとんとしていた。
「平気だよ。しらさかこそ怪我しなかった?」
「ああ、俺は大丈夫だ…」
白坂はそう謂い乍ら、自転車の後ろの方に回ってみる。
「あーっ、破裂してやがる」
「うわぁ、破裂してるねー」
みうみうも同意する。タイヤはチューブだけではない、車輪の方までざっくりと裂けていた。白坂はがっくりと肩を落すと項垂れていたが、頓て、みうみうの方を振り返ると、遥か下の大通りを顎でしゃくり乍ら謂った。
「此処迄来れば、直其処はバス通りだ。此の時間だ。未だバスもあんだろ。みうみう、お前はバスで帰れ」
「しらさかは如何すんの?」
「俺は此奴を引き摺って帰らなきゃなんねえ。後は俺一人でやんよ」
しらさかが謂うバス通りとは南幹線の事である。清水区役所から延びる、片側2車線の大通りである。此の道はJRや静岡鉄道静岡清水線の南側を略並行して走り、静岡迄繋がっている。余談ではあるが、此の先の狐ヶ崎と謂う処に、狐ヶ崎ヤングランドと謂う静岡鉄道直営の遊園地があった。当時は静鉄電車の駅名も狐ヶ崎ヤングランド前と謂い、其の名前からも一種の光芒を放っており、当時の子供達の憧れの的であったが、時流の流れには抗えず。已矣乎、30年程前に閉園してしまい、今では大型商業施設に置き換わってしまっている。此の遊園地、抑々の歴史は古く、開園は昭和の2年となっている。彼の北原白秋が此の遊園地のCMソングとして『ちゃっきり節』を書いた事が良く知られている。遊園地と謂っても、大した規模ではなく、夏はプール、冬はスケートリンクがあり、他にジェットコースターと数点のアトラクションがある程度である。然し、当時の子供達の羨望の的であった事には変わりが無く、此のヤングランドか、万世町にある花菱百貨店の屋上の大観覧車に乗ったと謂えば、子供達の間で賞賛を集めたのは間違い無かったのである。
扨、閑話休題。白坂の提案にみうみうは真っ向から反駁した。
「いやだ。帰らない」
「ふぁっ?」
「大体。しらさかは如何すんの?」
「だから、俺は自転車を引き摺って…」
「だったら、みうみうもお手伝いするよ。こんなの一人で引き摺って行ける訳無いじゃない。自転車、本当に壊れちゃうよ…」
「でも、此の時間だし…」
「いーくーのー。みうみうもしらさかと一緒に、いーくーのー」
みうみうは頑として耳を貸さない。白坂は諦めた様に肩を竦めた。
「わーい」
そう謂って喜ぶみうみうの顔は、本当に嬉しそうである。淡い月明かりの中。其の屈託の無い笑顔は宛ら天女様の様に見えた。
(あれっ、此奴って、こんなに可愛かったっけか?)
白坂が訝しんだ程である。
白坂とみうみうは南幹線を右折する事無く、真直ぐに横切った。みうみうがハンドルを握り、白坂が後輪を持ち上げ乍ら歩く。二人は桜ヶ丘の通りに出ると右に折れ、病院の方へ向った。頓て二人が通った中学校の前を通り抜け、家路を辿った。割と呑気な道行である。二人は学校の事、中学時代の思い出、子供の頃の思い出を語った。白坂一人では苦行だったかもしれない家路が、みうみうと一緒に居たお陰で何の無聊も感じる事無く過ごせた。
「そう謂えば、しらさかに謝らなきゃなら無い事があるんだ…」
「何だ」
「先刻、自転車に乗せてもらった時、背中に体液つけちゃった…」
白坂はみうみうが背中で泣いていた事を思い出した。
「薄気味悪い謂い回しをしてんじゃねぇ。其処は素直に涙でいーだろ」
「ううん。鼻水なの…」
「どわぁ、ばっちい」
一事が万事、こんな調子であった。
「そう謂えば、俺もひとつ気が付いた事があるぜ。お前を表した先刻の四字熟語。肝心なのが抜けてらぁ」
「?」
「天真爛漫。此れが一番しっくり来んだろ」
「えへへ。そうかもね」
頓て、北矢部のコンビニの処迄来た。長い旅路も漸くに終焉である。
「此処迄来ればもう平気だろ」
「だーめ。しらさかのおうち迄行くの。でも、ちょっと待っててね」
そう謂うと、みうみうはコンビニの店内に消えて行ったが、直に、
「お待たせー」
と出て来た。
頓て、白坂の家である。
「何か悪かったな」
「私の方こそ…。あの、白坂……さん。今日はありがと」
白坂はすかさず謂った。
「無理すんな。しらさか、で良いよ」
みうみうはホッとした様ににっこりすると、
「じゃあ、しらさか。此れは今日のお礼。今日は男の人に甘い物贈って良い日だから…。でもちゃんと食べた後は歯を磨くんだよ」
「謂われなくとも磨くわい」
みうみうはコンビニで買ったと思しき白いビニール袋を、白坂に渡すと辞して行った。白坂が自室で中を明けてみると、大福、草大福、豆大福。明彦に贈ったものより一つ多い3つの大福が入っていた。
「大福?」
白坂は訝り乍らも、一つを口にした。
「うまい。矢張り今日のは、特別な味だな」
そう謂ってお茶を啜る白坂君だったのである。
大変長らくお待たせしました。愈々、怪談『第4話 幽霊ピアノインシデント』事件の真相が明らかとなる。って謂っても、もう忘れちゃっていますよねー。次回、『第53話 ピアノ・マン』お楽しみに。




