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第10話 槍を持った火星人

 ぎらつく太陽に、梅雨開(つゆあ)けした、()(わた)った青空。と、()っても、()だる様な暑さ(ゆえ)か、空も何処(どこ)(かす)んだ印象(いんしょう)である。其処(そこ)へ、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)白南風(しろはえ)が、強烈(きょうれつ)熱波(ねっぱ)()()れて、()(もの)顔でやって来る。往来(おうらい)電信柱(でんしんばしら)(すさ)まじい暑さの(ため)か、海底の海藻(かいそう)の様に大気の中を()らいで見えた。愈々(いよいよ)、夏本番である。正太郎は右の(かいな)(ひたい)の汗を一擦(ひとこす)りすると、自転車に(またが)り、学校に向かって、自転車を()ぎ出した。(あま)りにも、いつも通り過ぎる日常である。()れは、(あたか)も、正太郎が童貞(どうてい)を落としたからとて、()地球(ほし)は回っているのだ。と、()わんばかりの(おもむき)であった。そして、渋川橋東(しぶかわばしひがし)の交差点に()し掛かった時、(はか)らずも、祐子を見つけた。正太郎は、一瞬(いっしゅん)戸惑(とまど)ったものの、(ゆう)()して、思い切って祐子に声を掛けた。

「…あの、祐ちゃん。…おはよう」

 何時(いつ)もの様に、祐子の()れ以上無い笑顔が(はじ)けた。祐子は振り向き(ざま)に、

「あっ、正ちゃん。おはよう」

 祐子は、とびっきりの笑顔で正太郎に(こた)えた。正太郎は驚いた。此方(こちら)(あま)りにも普段(ふだん)どおり過ぎる反応である。()れは、(あたか)も、祐子が破瓜(はか)したからとても、()れまた矢張(やは)り、()地球(ほし)は回っているのだと、天の啓示(けいじ)があったかの様である。正太郎は、(あま)りに、祐子の普段(いつも)どおり過ぎる反応に、少々(しょうしょう)毒気(どくけ)()かれた形であった。(なん)()っても、()描写(びょうしゃ)、清水巴川(ともえがわ)灯篭(とうろう)流しの翌日(よくじつ)描写(びょうしゃ)なのである。(すなわ)ち、昨日(きのう)今日(きょう)の話なのである。


 祐子は、夏服の白のブラウスに、通学用のデイパックを背負(せお)っている。背嚢(バックパック)(おび)に手を掛け(なが)ら、笑顔を浮かべて歩いている。正太郎はそんな祐子の横で自転車を引き(なが)ら、歩き出した。側道(そくどう)立葵(たちあおい)が、ゆらゆらと、白南風(しろはえ)()れている。赤と緑の対比(コントラスト)が美しい。正太郎は、ぼんやりと、立葵(たちあおい)(なが)(なが)ら、昨日(きのう)のあの事は(ゆめ)(うつつ)かと、(いぶか)しんだ(ほど)である。昨日(きのう)の経験は、自身の今迄(いままで)の人生を振り返って、何処(どこ)女性(じょせい)敬遠(けいえん)して来た彼の人生からして、(ほぞ)()を切って以来(いらい)、初めての経験であり、彼的(かれてき)物申(ものもう)せば、天地開闢(てんちかいびゃく)以来(このかた)椿事(ちんじ)だったのである。(しか)るに、祐子は、見た(かぎ)り、昨日(きのう)以前と(まった)く変わりは無い。(むし)ろ、(わず)(なが)ら、美しくなった様にすら思う。正太郎は、少々(しょうしょう)(あき)れた様な思いで、祐子を(なが)めた。祐子は本当(ほんとう)に、(まった)普段(ふだん)どおりに見える。男と女では、()くも物事の感慨(かんがい)(こと)なる物なのか? そんな事を思ったりした。()(ほど)(まで)に、祐子は普段(ふだん)どおりに見えたし、また、()の様に振舞(ふるま)っていた。


(いや、違うな)


 正太郎は、ゆっくりと、首を振り(なが)ら、()れらの考えを否定(ひてい)した。(おそ)らくは、(やさ)しく、正太郎思いの祐子の事だ。余計(よけい)な心配を掛けまいと、無理(せのび)をしている(ところ)も有るのだろう。正太郎は祐子の横顔を(やさ)しげに見守り(なが)ら、自転車から降り肩を並べて歩き出し、昨夜の破瓜(はか)の痛みを気遣(きづか)った。

「…祐子ちゃん。…昨日(きのう)は、()の、大丈夫(だいじょうぶ)だった?」

 祐子は、にこやかに振り向くと、

「うん。平気だよ。」

「そう。…あのね、()れからも、よろしくね」

 にっこり笑った祐子が、力強く(うなづ)いた。

「うん」

 眼前(がんぜん)(そび)えるのは、夏の入り口の、大きな大きな入道雲(にゅうどうぐも)。後は、終業式(しゅうぎょうしき)を残すのみであり、()の後に(ひか)えるは楽しい夏休みだけなのである。


 の、(はず)だった…。


 (しか)し、豈図(あにはか)らんや、いつの世もそうそう楽しい事ばかりでは無い。()れはいつの時代にあっても、万古不易(ばんこふえき)(ことわり)である。と()うのも、先日の期末テストが、そろそろ返却されつつある。()の教科も、結果が非常に(かんば)しく無い。正太郎と祐子は、例の精神的動揺(どうよう)()れは高志により七夕(たなばた)騒動(そうどう)命名(めいめい)された)のせいで、惨憺(さんたん)たる状況(じょうきょう)にあった。特に、英語が赤点すれすれの正太郎にとっては、今回、英語が平均点に届くかどうかが、赤点か如何(どう)かを分かつ、(きわ)めて重要な分水嶺(ぶんすいれい)となっていた(はず)なのである。(以前に聞いた、1度でも平均点に達した者は、赤点にならないと()う謎の都市伝説を信じていたのである)(しか)るに、()(てい)たらくである。平均点から、10点以上も乖離(かいり)している。正太郎にして見れば、(はり)の上の(むしろ)とは、(まさ)に、()の事であろう。もう一方の当事者である祐子も、矢張(やは)り、今回の結果は(かんば)しく無い。普段(ふだん)であれば、学年10番以内を目指せる成績であった彼女も、今回に関しては、50番前後と、大変、(ふる)わ無かった。(かろ)うじて、花道(はなみち)(300番台)の一歩手前で踏み止まっている正太郎からすれば、(うらや)ましい(かぎ)りの話なのではあるが、矢張(やは)り、祐子にして見れば、()の成績はショックだったのであろう。正太郎、祐子、高志の三人組は、重い足取りで部室に向かっていた。部室でも一様(いちよう)に、肩を落としたボストンティーパーティーの面々(めんめん)が、(くさ)っている。一体(いったい)に、正太郎と敬介を(のぞ)いた彼らは、清水高校内にあっても、優等生の部類(ぶるい)である。(しか)るに、今回、彼らも、前回の中間テストに(くら)べ、大幅(おおはば)に成績を落としていた。彼らも七夕(たなばた)騒動(そうどう)(あお)りを受け、(だい)なり、(しょう)なり、成績を落としていたのだ。正太郎や祐子の様に、(おお)いに心を()(みだ)された者、親友と意見がぶつかってしまった者、(はか)らずも、喧嘩(ケンカ)をしてしまった者、人それぞれであるが、(みな)一様(いちよう)に頭を(かか)えていた。


畜生(ちくしょう)、ボコボコにされた」

 明彦が、今日返って来た32点の数学の答案(とうあん)を見て、自嘲(じちょう)する。だが、平均点が14・6である事を考慮(こうりょ)すれば、(むし)ろ、()部類(ぶるい)であるのだが、中学時代、数学は常時(じょうじ)45点以上であった明彦にして見れば、屈辱(くつじょく)以外の何物でも無かったのであろう。()れに対し、

「おい、ふざけんな。贅沢(ぜいたく)にも(ほど)があるだろ」

 12点の正太郎が不平を()れる。

(まった)くだ。32点の何処(どこ)が不満なんだ? ふざけえやがって」

 5点の敬介が(いき)り立つ。

「そうだな。(おれ)なんか…、見ろ。()(てい)たらくだ」

 何故(なぜ)か、吹奏楽部(ブラバン)の部室に居合(いあ)わせた一平が白紙(はくし)答案(とうあん)(さら)す。(ほとん)どが白紙(はくし)で、記入した形跡(けいせき)が2箇所(かしょ)(ほど)しか無い。物の見事(みごと)(まで)に0点の答案(とうあん)である。

()のバカと同じ点数というのが、(まった)()って、納得(なっとく)が行か()え」

 いろいろ、書き込んだ形跡(けいせき)は有るものの、一平と同じ点数の六助が、如何(いか)にも釈然(しゃくぜん)としないと()った顔付(かおつ)きで、採点(さいてん)批判(ひはん)する。高志がニヤつき(なが)ら、

「おお、(まさ)伯仲(はくちゅう)の戦いだな。仲が良いというか、丙丁(へいてい)つけがたいと()うか…。ところで、如何(どう)でも()いが、(なん)で、おめえらが、うちの部室にいるんだ?」

 一平が、(とぼ)けた口調(くちょう)で、切実(せつじつ)(おも)いを口にする。

「おお、()れだ。答案(とうあん)の返却の時に、敬介の点数が見えたからな。追試会場での、助力(じょりょく)(たまわ)ろうと思ってな…。()れで付いて来た。」

「わー、ふざけんな、ばかやろう。()だ、赤点と決まった(ワケ)じゃあねえや」

 ひろみが妙な(ところ)に感心する。

(しか)し、見事(みごと)なもんねえ。あたし、0点の答案(とうあん)って初めて見た。(まさ)に、前途遼遠(ぜんとりょうえん)って感じね」

 今回、若干(じゃっかん)苦手(にがて)な数学で平均点割れを経験して、14点であったひろみが、六助の答案(とうあん)をまじまじと見ている。

「わっ、こら、人の答案(とうあん)勝手(かって)(のぞ)くんじゃねえ。(まった)く、油断(ゆだん)(すき)も、あったもんじゃあ()え」

 六助が(あわ)てて取り上げる。一方(いっぽう)、一平は平然(へいぜん)答案(とうあん)をひろみに(さら)し、

「ふふふ、見たけりゃ、いくらでも、見せてやるぞ」

「やい、一平。てめえにゃ(はじ)って言葉は()えのか」

 横で不敵(ふてき)に笑う一平を(しか)りつけ、六助がぼやいた。

()れにしても(しか)し、本当(ほんとう)に、()の学校のテストはえげつ()えなあ。(なに)より、点取(てんと)り問題が、全然(ぜんぜん)()え」

「えーっ、そんな事無いよ。最初の問題は解の公式に当て()めるだけだったよ」

 祐子が異論(いろん)(とな)えるが、一平も六助に同調(どうちょう)する。

「いや、祐子ちゃん。六の()うとおりだ。点取(てんと)り問題はだな。もっとシンプルにだな。(たと)えば、AとBと二人の男が居ます。Aが飴玉(あめだま)4個、Bが飴玉(あめだま)5個、持ってます。(あわ)せていくつかな?、(てき)な」

 高志が(あき)れる。

「おい、ふざけんな。小学校1年レベルの点取(てんと)り問題じゃねーか」

「何い!」

(まった)くだ。おまえがそんなんだから、サッカー部がバカの集まりみたく()われるんだ。()いか? ()()うのは如何(どう)だ? Aさんは秒速37キロのスピードで、歩いて北へ52キロ。Bさんは1時間掛けて東へ34キロ。Aさんは途中(とちゅう)飴玉(あめだま)を7個、Bさんは飴玉(あめだま)を8個食べました。二人(あわ)せて何個の飴玉(あめだま)を食べたかな?」

「おお、()れだ! 頭、()いな、おまい」

「わー、ふざけんな。先刻(さっき)と同じだろ、ばかやろ。繰り上がりが入っただけで、小学校1年レベルの足し算じゃねーか? 大体(だいたい)、速度だの、距離(きょり)だの、方角の(くだり)は、丸々(まるまる)いらねーじゃねーか」

 高志が()()になって()える。明彦も、苦笑(にがわら)いし(なが)ら続く。

抑々(そもそも)、秒速37キロメートルで歩いてって何だよ? Aさんって、絶対(ぜったい)、地球上の生命体じゃねーだろ?」

「何か、シュールな設定の点取(てんと)り問題ね」

 凛子も(あき)れた様に、ニヤニヤし(なが)ら口を(はさ)む。高志が二人に対して、引導(いんどう)を渡す。

「さあ、お前ら、そろそろ、練習だろ。バカ()ってないで、行ったら如何(どう)だ? また、白坂さんにどやされるぞ。」

 時計を見た六助が、(あわ)てて、スポーツバッグを肩に掛け、立ち上がった。

「おっと、いけねえ。一平、行くぞ」

「おお、そんじゃあな。敬介。追試会場では、(たの)んだぞ。必ず、(おれ)の隣に座るんだぞ」

「わー、ふざけんな。だから、赤点と決まった(わけ)じゃあねえや」

 憤然(ふんぜん)とする敬介を尻目に、でこぼこコンビは去って行った。(しか)し、まだ、敬介がぶつくさ文句を()っている。

「くっそーっ、でこぼこコンビめ。俺を仲間に引き入れようとしやがって…。ふざけんなってんだ。まあ、(しか)し、(たし)かに、あいつらが()うとおり、()の学校って、本当(ほんとう)点取(てんと)り問題が無いよな。今日帰って来た現国も…」

 ()れに対して、正太郎が異議(いぎ)(とな)える。

「何、()ってんだ。現国は漢字の読み問題が、略々(ほぼほぼ)点取(てんと)り問題だったじゃねーか?」

 敬介が気色(けしき)ばむ。

何処(どこ)がだよ! 何か(やり)を持った火星人みてーな漢字もあったし…」

(やり)を持った火星人?」

 高志が(まゆ)(ひそ)めて聞き返す。

「何かまた、シュールな表現ね? そんな字あったっけか?」

 凛子も首を(かし)げる。突然(とつぜん)、祐子がニコッとすると、大きく叫んだ。

「あー、わかった。『(かん)』の字だ。ほら、『(かん)(かん)(がく)(がく)』のフリガナをいれる問題の」

「おー、そう()えば、そんな問題があったな。敬介、()れの事か?」

 正太郎が愛用の漢字辞典で該当(がいとう)ページを開き、敬介に提示しようとした処を、祐子が横から()(さら)う様に手許(てもと)に置くと、(かん)の字の口の中に、(つぶ)らな(ひとみ)を二つ書き込んだ。

「ねっ、()うすれば、火星人に見えるでしょ」

 凛子が(のぞ)き込んで感心する。

「あら、意外(いがい)可愛(かわい)いらしいわね」

「でしょ?」


 (しか)し、愛用の漢字辞典に落書(らくが)きされた正太郎は(たま)らない。祐子の暴挙(ぼうきょ)に対して、

「わー、何すんだよ。祐ちゃん。(おれ)の愛用の辞典に」

「えへへ、ごめんごめん」

(しか)し、(やり)を持った火星人かあ…。かなり、独特(どくとく)感性(かんせい)だよなあ…」

 素直(すなお)感嘆(かんたん)する明彦に、高志もニヤ付き(なが)追随(ついずい)する。

「おう、斬新(ざんしん)だ。(まった)く、常人(じょうじん)(ばな)れした発想(はっそう)だぜ」

 敬介が()()になって()える。

「何、()ってんだ。()の野郎め。(さて)は、てめーら、(おれ)をバカにしてやがんな」

「いや、そう()(わけ)でも無いんだが…、まあ、多少(たしょう)、そういった(ところ)も、無いでも無いが…」

 と()いつつも、多少(たしょう)、ニヤつく正太郎に対して、

「ムッキー、ひどい、眼鏡、高志、正ちん。いずなはケースケの味方だからね。よーし、()の火星人に、おリボンをつけちゃえ」

「い、いずなちゃん」

 感激(かんげき)して、目を(うる)ませる敬介。一方、いずなはそう()うと、先程(さきほど)の正太郎愛用の漢字辞典に、蝶々(ちょうちょ)形のリボンを書き足した。そして、(ふたた)び、(のぞ)き込む凛子。

「あら、何だか、益々(ますます)可愛(かわい)らしくなってきたわね」

「あー、何て事すんだ、いずな。又、落書(らくが)きなんぞしやがって…、(しか)も、今度はボールペンで」

 正太郎が小学校時代から愛用していた漢字辞典には、リボンをつけ、(やり)(たずさ)えた火星人が(おど)っている。

「くっそー、みんなして(おれ)をからかいやがって…」

 一人、ぶそくる敬介に、ニヤ付いた高志が話し掛ける。

「まあ、落ち着け、敬介。漢字の成り立ちを考えてみろ。抑々(そもそも)、漢字は表意文字(ひょういもじ)だ」

「?」

(かん)の字の成り立ちを考えてみろ。つまりだな。4千年前の中国で、(かん)の字みたいな情景(じょうけい)目撃(もくげき)した(やつ)がいるって事だ」

()れって…、つまり?」

「そうだ。つまり、(やり)を持った火星人を、古代中国人は目撃(もくげき)していたって事だ」

「うおおー、やっぱり」

 ひろみが溜息(ためいき)混じりに、(あき)れる。

(まった)く、ばかばかしい」

 目を()り上げたいずなが()()になって、()える。

「ムッキーッ、ケースケ。()に受けちゃあ駄目(だめ)。高志はバカなんだから。こら、高志。ケースケは純粋なんだから、()まんない事、()わないの。敬介、あのね、あれは(やり)じゃなくてニンベンなんだよ」

「誰がバカだ。ペチャパイの(くせ)しやがって」

「ムッキー、何、失礼な事()ってんの! 本当(ほんとう)に、もう」

 結局(けっきょく)、テスト結果其方(そっち)()けで、何時(いつ)ものドタバタとなる一同であった。(しか)し、()の夜、高志は、(やり)を持った火星人に追い掛けられる夢を見て、(うな)されたとの事だった。


 あくる日の、終業式(しゅうぎょうしき)の日の1年4組。正太郎と高志は萎靡沈滞(いびちんたい)して項垂(うなだ)れていた。祐子が心配して声を掛ける。

一体(いったい)如何(どう)したの? 正ちゃんも、高志くんも?」

 正太郎は力なく応じる。

「ああ、祐ちゃんか…、今日は成績表(せいせきひょう)が返って来るからな。くっそー、死刑判決を待つ囚人(しゅうじん)の心境だよ。かなりの高確率で、英語がやべえ。赤点の可能性が80パー位だ」

「そんな、()だ赤点と決まった(わけ)では…。高志くんも? ってそんな(わけ)無いか」

 高志は、(おおむ)ね、学年でも50番以内の優等生であり、(しか)も、どの教科も(かたよ)り無く満遍無(まんべんな)出来(でき)る、祐子やいずなと同様(どうよう)、全教科対応型。所謂(いわゆる)、オールラウンダータイプである。正太郎と違い、赤点に(おのの)く姿などは、流石(さすが)に想像など出来無(できな)い。

「ああ、昨日(きのう)夢見(ゆめみ)がちょっと(ひど)くてな」

「?」

 ()だ、(やり)を持った火星人を引きずっている模様(もよう)である。


 清水高校の成績表(せいせきひょう)は、中学と異なり10段階(だんかい)評価(ひょうか)である。10、9が5段階(だんかい)評価(ひょうか)の5に当り、それぞれ5%と成っている。続いて、8、7であるが()れは4に該当(がいとう)する。比率(ひりつ)に直せば10%づつである。6,5,4,3が一番多い階層(カースト)で5段階(だんかい)評価(ひょうか)の3に該当(がいとう)し、比率(ひりつ)は各10%づつであり、最後の3だけ20%となっている。そして、2は2に当り比率(ひりつ)に直せば10%。1も1であり、同じく10%。(ただ)し、1は赤点であり、朱筆で1と表記され、追試で合格しない(かぎ)り、進級権が無く、合格すると、1を訂正され2と表記されるのである。5段階(だんかい)評価(ひょうか)の3の比率(ひりつ)は合計で50%となっており、()の様な、アンバランスな構成比率(ひりつ)となっているのは、推薦(すいせん)時に不利益を生じさせない為であろう。それでも、6、5は『良い3』とか『エラ3』と呼ばれており、4,3は『駄目(だめ)3』とか『バカ3』と呼ばれていた。まあ、所詮(しょせん)、3は3であり、3に()いもクソも無い様に思うのだが、学生達の休みに()ける生活が大きく左右されて来る。主要(しゅよう)5教科については、各休みに、補助学習、所謂(いわゆる)補習(ほしゅう)として、追加の7月一杯(いっぱい)の授業、(およ)び宿題が割り当てられるのであるが、対象生徒は、所謂(いわゆる)駄目(だめ)3以下。(すなわ)ち、10段階(だんかい)評価(ひょうか)()ける4以下が対象となって来るのである。補習(ほしゅう)は英・数・国が午前中、午後を社会系、理科系の一部の教科となっており、補習(ほしゅう)の無い教科には、問題集の宿題が割り当てられる。(したが)って、生徒の中で、7月の20日過ぎから休みを満喫(まんきつ)出来(でき)る者は、

 ①主要(しゅよう)5科目の成績が全て5以上で

 ②休みに倶楽部(クラブ)活動が無い

 者に限定されており、以上の2項目を(まっと)うする様な生徒は、意外(いがい)と多くは無かったのである。


 そんな、正太郎にも1学期の成績表(せいせきひょう)が帰って来た。事前(じぜん)懸念(けねん)とは裏腹(うらはら)に、赤点は一つも無かった。正太郎の有頂天(うちょうてん)振りは、()うには(およ)ばず、まるで、お祭り騒ぎであった。とは()うものの、決して良い成績であった(わけ)では無い。英語、物理の2を皮切(かわき)りに、3と4のオンパレードであり、正太郎の比較的好きな国語や社会も5が最大であり、ぱっと見には5段階(だんかい)評価(ひょうか)の成績と()っても、誤魔化(ごまか)せる(ほど)である。抑々(そもそも)、2と()評価(ひょうか)は、赤点を取った生徒であっても、追試の結果、2に書き換えて(もら)える(わけ)であり、そう考えれば、赤点と同格。()わば、教師陣から送られた出来(でき)の悪い御世辞(おせじ)の様な物であり、出世コースから外れたサラリーマンの評価(ひょうか)と近いものが有るかも知れない。それでも、正太郎は英語が赤点で無かった事が、余程(よほど)(うれ)しかったのだろう。子供の様に(はしゃ)いでいた。(しか)し、敬介は、現国と世界史で赤点を食らっていたし、でこぼこコンビに(いた)っては、六助が赤点6個、一平が赤点9個。と、成績表(せいせきひょう)自体(じたい)色彩(しきさい)豊かであり、体育以外の教科は全て3以下、全帯么三色(チャンタサンシキ)(ねら)える様な成績表(せいせきひょう)だったのである。


 部室に行ってみても、()えない顔が並んでいる。皆、一様(いちよう)各々(おのおの)の勉強不足を、()いていた。とは()っても、でこぼこコンビや敬介の様に、赤点をとった者など居る(はず)も無く、ひろみが唯一(ゆいいつ)、物理で4(駄目(だめ)3)となり、お土産(みやげ)(宿題)を(もら)った程度(ていど)である。ひろみや凛子は、どちらかと()うと、文系科目特化型であり、理系科目に()いては若干(じゃっかん)苦手(にがて)としていた(きら)いがあった。とは()え、中学時代はオール5に近い水準(レベル)の成績を取っていた連中(れんちゅう)である。流石(さすが)に良い3とかは、自尊心(プライド)(いちじる)しく傷つけるものであり、()してや、駄目(だめ)3などは、(すべ)てを否定(ひてい)された位の衝撃(しょうげき)があったのであろう。何時(いつ)も、活発(かっぱつ)で、溌剌(はつらつ)としているひろみが似気(にげ)も無く、どんよりと、黄昏(たそがれ)ている。()(となり)では凛子が、得意な(はず)の英語で10を(いっ)した事に、(ささ)やかな自尊心(プライド)(ひど)く傷つけられていた。()(さら)(となり)で高志も(ひど)く浮かない顔をしている。明彦がニヤニヤし(なが)ら声を掛ける。

「よう、高志。如何(どう)した? (ひど)く、浮かない顔をして…。(さて)は、てめーも補習(ほしゅう)か?」

「そんな、くだらねえ事じゃあ()え。実は、昨日(きのう)夢見(ゆめみ)がな…」

先刻(さっき)も、教室で、そんな事をほざいていたな。(なに)かあったのか?」

 正太郎も心配して、話に首を突っ込む。

「ああ、昨日(きのう)の夜、ひどい夢を見て、(うな)されてな…。(やり)を持った火星人に、追い掛け回される夢だ…」

「また、()の話か? どっちがくだらねえんだよ。(まった)く」

 明彦が(あき)れて()える。居合(いあ)わせた女子は、噴出(ふきだ)しそうなのを、懸命(けんめい)(こら)え、神妙(しんみょう)面持(おもも)ちを(よそお)い、耳を(かたむ)けている。(しか)し、いずなは(すで)にニヤ付き(なが)ら、

「ムッキー、なんか、小学生でも見ない夢だねー。()の夢の何処(どこ)(こわ)いの?」

(こえ)えだろ! 普通に。(しか)も、()(やり)で突かれると、ラザニア人間になっちまうんだぞ」

「らざにあ人間だあ?」

 明彦が眉間(みけん)(しわ)を寄せ、聞き返す。

「何か、美味(おい)しそうな人間だね」

 祐子がニコニコし(なが)ら、相槌(あいづち)を打つ。丁度(ちょうど)、お腹も減って来たのであろう。明らかに、ラザニアを連想している。

「うわあ、何、()ってんだ、祐子ちゃん。ラザニア人間だぞ。宇宙吸血(きゅうけつ)ゾンビだぞ。そんなもん食べようものなら、あっと()う間に、ドロドロに溶けて、たちどころにラザニア人間にされちまうんだぞ。(しか)も、ラザニア人間に吸血(きゅうけつ)されても、同じ様にラザニア人間になっちまうんだぞ」

 正太郎がニヤニヤし(なが)ら、

「何か、マタンゴみてえな展開(てんかい)だな。()れで、如何(どう)した?」

如何(どう)も、()うも()えよ。(おれ)襲撃(しゅうげき)されたのは、県総合運動場駅なんだが、ホームに向かう地下道には、ラザニア人間どもが(ひしめ)いてやがる。奴らを振り切って、何とかホーム(まで)、駆け上がったが、ホームもラザニア人間で一杯だ。()くなる上はと、線路へ飛び降りたんだが、其処(そこ)へ入って来た、急行電車にはねられて、目が覚めた」

 切々(せつせつ)(うった)える高志を、(あき)れた様に見据(みす)えたひろみが(つぶや)いた。

「ふーん、(あき)れた。何か壮絶(そうぜつ)な夢ね。あんたも、相当(そうとう)特殊(とくしゅ)発想(はっそう)してるわよ。(まった)く、バカバカしい」

 凛子も(あき)れて続く。

本当(ほんとう)よねえ。大体(だいたい)、何よ。うちの近所じゃないの? うちの近所を、そんなくだらない夢に使わないで欲しいわね」

 明彦も、

大体(だいたい)、何なんだよ、らざにあ人間って」

 と、散々(さんざん)である。いずなに(いた)っては、腹を(かか)えて大爆笑(だいばくしょう)挙句(あげく)に、

「ムッキー、高志。かわいいー。丁度(ちょうど)いいから、今日はみんなでラザニア食べに行こうよ。屹度(きっと)、夢のお告げって(やつ)だよ」

「うわー、ふざけんな、いずな。大体(だいたい)昨日(きのう)(おれ)を追い掛け廻した火星人の中には、リボンをつけた奴も一体(いったい)混じっていたぞ。ありゃ、てめーの仕業(しわざ)だろ。抑々(そもそも)()れも、()れも、敬介がくだらねえ事を()い出したからだ。やい、こら、敬介。てめえのせいだぞ。てめえがあんなバカな事を()い出すから、あんなおっかねえ夢を…」

「うわあ、ふざけんな」

 わいわい()い合う高志達。ボストンティーパーティーの面々(めんめん)にも、夏休み特有の気楽さが(あふ)れている。結局(けっきょく)補習(ほしゅう)・追試が無い者も、お盆後のコンクールの練習の為、毎日、学校に通う事にはなるが、(むし)ろ、一同、()陽気(ようき)な仲間達と一緒に居られる事が楽しいと思っている。祐子はニコニコし(なが)ら、楽しそうに正太郎達を(なが)めている。思えば、祐子は()(まで)の人生、人付き合いが決して上手(じょうず)な方では無かった。生来(せいらい)の内気さが(わざわ)いし、クラス内でも、中心で輝く様な事は決して無かった。学校に行きたく無いと思った事も、少なからずあったのだ。だが、今は違う。(たと)え、休み中であっても、学校に登校したい。そう思っているのだ。不思議な変化である。それは、何も正太郎との事だけでは無い。()愉快(ゆかい)な仲間達と一緒(いっしょ)に居る事が、(すこぶ)る、心地(ここち)良いのだ。これは、何も祐子だけに限った事では無い。いずなにしても、同様(どうよう)である。小中学校時代、壮絶(そうぜつ)ないじめを受けていたいずなにしてみれば、居心地(いごこち)の良い友人(なかま)()うのは、()る意味、永遠の(あこが)れでもあった。そんな楽園が、今、(まさ)に目の前にあるのである。そんな、いずなの心持(こころも)ちが、以心伝心(いしんでんしん)したのか、祐子がいずなに(やさ)しく語り掛けた。

「いずなちゃん。本当に楽しみだね。夏休み」

「うん」

 いずなは、ニッコリすると、祐子に笑顔を返したのだった。


 そして、待ちに待った夏休みが始まった。(もっと)も、補習(ほしゅう)の方は、昨日(きのう)の午後から(すで)に始まっており、正太郎と敬介は、英数の補習(ほしゅう)に参加していた。吹奏楽部(ブラバン)は、7月中は補習(ほしゅう)授業も考慮(こうりょ)して、練習は午後からであったのだが、祐子は、朝、8時には部室に来て居た。夏休みの宿題を部室でやるつもりであったのだ。(しか)し、宿題をやるのであれば、冷房の効いた自宅でやった方が、充分に能率的であったであろうし、いろんな教科の宿題に着手出来(でき)る自室の方が合理的であったのは、()(まで)も無いのである。()れでも、()の時間に登校して来たのは、勿論(もちろん)、正太郎との出会いを期待しての事ではあるが、先にも(しる)した様に、学校に行くのが楽しくて仕方(しかた)が無い、そんな思いも、心の何処(どこ)かに少なからずあったものと思われる。部室には、ひろみを(のぞ)く、ボストンティーパーティーの面々(めんめん)が、蝟集(いしゅう)していた。其処(そこ)へ、活発なひろみが、元気良く入って来た。

「おっはよー、あら、あんたたち、早いわね。練習は午後からよ」

(おれ)は、今から補習(ほしゅう)だ」

 正太郎が、多少(たしょう)(むく)(なが)ら答える。

「私は、夏休みの宿題を…」

 と、祐子。

(おれ)達はナポレオン大会だ。丁度(ちょうど)良かった。ひろみもやるだろ?」

「うわあ、やるやる」

「ねえ、ちょっと、待ってよ。()れって、抑々(そもそも)、あたしもメンバーに入っている(わけ)?」

 凛子が驚く。

当然(とうぜん)だろ。折角(せっかく)、5人(そろ)ったんだから…」

「もう、勝手(かって)に…」

「ムッキー、て事はいずなも?」

「当たり前だろ。やんねえのか?」

「ムキ、…やる」

 いずなが、渋々(しぶしぶ)(なが)ら、同意をするが、満更(まんざら)でも無い様子(ようす)だ。

「くっそー、()いなあ」

 と、若干(じゃっかん)(さみ)しげな正太郎。今から、補習(ほしゅう)()う身の上なれば、トランプなぞに(きょう)じている(わけ)には行かない。


 ナポレオンと()うのは、ジョーカーを含めた53枚のトランプで行なう、ポイントテイキングゲームで、切り札を使うコントラクトブリッジやホイスト、ツーテンジャック(など)と似たゲームである。ナポレオン側(ナポレオンと副官(ふくかん))と連合軍側で獲得(かくとく)した王族(ロイヤルファミリー)(A~10)の数を競うのである。各自、10枚の札を配り、3枚を伏せてゲーム開始である。ゲームに先立ってセリを行なう。その際に、ハート13とかクラブ14と言った具合である。これはハートを切り札にして王族(ロイヤルファミリー)を13枚取る。(ある)いはクラブを切り札にして王族(ロイヤルファミリー)を14枚取る。と()う宣言であり、セリの際のルールとして、強いスートの宣言が優先される。スートの優先の度合いはスペード、ハート、ダイヤ、クラブであり、()(あた)りは、コントラクトブリッジと同様(どうよう)である。(さら)に、切り札を指定しないノートランプがあり、スペードよりも(さら)に優先される。札には強さがあり、3役。(すなわ)ち、マイティ(スペードのA)、表(切り札のJ)、裏(切り札と同色のJ)の順となっており、続いて、切り札のA~2、そして、台札のA~2となっている。台札のスートが手札にあれば、必ず出さねば成らず(ジョーカーは例外)、全て、同じスートであった場合は2が最強というセイムリー2と言うルールがあるが、但し、3役には通用しない。ジョーカーは台札として使用する場合は、スート指定、その他の場合は、デコイとして、使用する。ノートランプの場合は、切り札は無いのだが、3役(4役)は存在する。()の場合、マイティ(スペードのA)以下、表(スペードのJ)、裏(ハートのJ)、カエサル(ダイヤのK)となっている。マイティ以外は全てワンアイ(片目の絵札)であり、ノートランプの場合それらが勝負の鍵を(にぎ)る事となる。セリ落とした人間がナポレオンとなる(わけ)であるが、此処(ここ)副官(ふくかん)を指名する。指名と言っても、名指しでは無く、(たと)えば、副官(ふくかん)マイティと()った具合(ぐあい)にである。(したが)って、副官(ふくかん)の正体は副官(ふくかん)自身しか知りえず、副官(ふくかん)は、ゲーム中、影になり、ナポレオンをサポートするのである。副官(ふくかん)指名が終わった(ところ)で、場の3枚をナポレオンが(もら)い、()わりに、3枚の札を捨てて、ゲーム開始である。勝負はナポレオンが競った枚数を獲得(かくとく)するか(いな)かなのであるが、獲得(かくとく)した場合、ナポレオンには7点、副官(ふくかん)には5点、連合軍には-4点づつとなり、逆に獲得(かくとく)出来無かった場合は、先程の得点の+-が逆転する事となる。(さら)に、ナポレオンが単独で戦い勝利した場合、(ぞく)()う、一人立ちの場合、ナポレオン勝利は20点、逆に敗北の場合は連合軍が5点づつとなっている。又、一つの陣営(じんえい)(すべ)ての王族(ロイヤルファミリー)獲得(かくとく)した場合、(ぞく)()うグランドスラムが発生した場合、上乗せで総額60ポイントの放流(ほうりゅう)となる。


 ()のナポレオンと()うゲームは、非対称戦である事、高度な戦略性がある事、人狼(じんろう)ゲームの様な副官(ふくかん)の存在、そして、先に述べた様にレーティングがゼロサムゲームである事が好まれ、清高内では、滅茶苦茶(めちゃくちゃ)流行(はや)っており、清高生であり(なが)ら、ナポレオンを知らない者は、偽清高生(モグリ)と呼ばれる(ほど)で、学校側でも、()の対策には苦慮(くりょ)しており、トランプの持ち込み禁止としていた。とは()っても、学業以外の生活指導に淡白(たんぱく)()の学校の事であり、大抵(たいてい)の場合、教師陣は見て見ぬ振りをしていた。()れでも、一昨年(おととし)、運動部の生徒達が、授業をサボって部室でナポレオンを(きょう)じていた事が発覚し、当該(とうがい)生徒は停学3日間、全員、丸坊主にされ、反省文を書かされた事件は記憶に新しい(ところ)である。


 いざ、勝負開始と成るべき(ところ)、凛子が、

「ちょっと、待って…」

 と声を発した。明彦が、

「何だ? 如何(どう)した?」

 と(のぞ)き込む。凛子の前の机には、マッチ棒が並べられている。

「いや、昨日(きのう)クラスの子に出されたんだけど…、答えが判らないのがしゃくの種なのよねえ」

「?」

 テーブルには、一番左に、マッチが縦に2本繋げて並べられており、数字の1、()しくは、アルファベッドのIに見える。()の右(となり)にマッチ4本で□、位置的にはIの底部に底辺が来ており、()の右(となり)同様(どうよう)に□、()の右(となり)(さら)に□。全体を俯瞰(ふかん)すると、(さなが)ら、数字の1000に見える。

「マッチ棒を3本動かして、0にするんだって」

 凛子が説明する。高志がボソッと(つぶや)く。

「…無理だろ」

 明彦が、

「何だ。だらしが()え、こんなのは最後の0に乗じる様な形に持ち込めば良いんだろ」

 (しか)し、如何(どう)上手(うま)くいかない。祐子も頭を(ひね)っている。ひろみが、

此処(ここ)をスラッシュに見える様にして、0で割るとか…」

 高志が(あき)れた様に、

「0で割って如何(どう)する? そんなバカ()ってると、敬介や正太みたく、数学が赤点になるぞ。ぐえぇ…」

 顔を赤くしたひろみの渾身(こんしん)の正拳突きが、高志の鳩尾(みぞおち)にめり込んでいる。

「ばかやろう赤点じゃねえ。(おれ)は4だ」

 高志の台詞(せりふ)を聞き(とが)めた正太郎が()える。敬介も、

(おれ)は2だ」

「チャース、おい、正太、敬介、迎えに来たぞ。補習(ほしゅう)に行こうぜ。補習(ほしゅう)の1限は数学だったな」

 其処(そこ)へ、でこぼこコンビが正太郎達を呼びに来たのだ。彼らは朝錬の直後である。何時(いつ)の時代も、サッカー部、野球部は補習(ほしゅう)対象者が多過ぎて、朝錬をするのが(なら)わしと成っている。高志の持っているトランプを目敏(めざと)く見つけた一平が、不見識(ふけんしき)な一言を発する。

「何だ? ナポか? (おれ)も混ぜろよ」

 六助が、(さけ)ぶ。

「てめえ、状況(じょうきょう)が判ってんのか? 此処(ここ)を突破しねえと、留年なんだぞ」

「判ってるよ。冗談だって。()れで、其方(そっち)は何だ、マッチ棒で1000て書いてあるが?」

 祐子が説明する。

「3本動かして0にするんだって…」

 一平はまじまじとマッチ棒を見つめると、(おもむろ)(つぶや)いた。

「ふーん…、簡単じゃねーか」

「えっ?」

「ええ?」

 事の意外(いがい)さに、居合(いあ)わせた多数の人間が愕然(がくぜん)として、息を()んだ。何しろ、あの、一平の台詞(せりふ)なのである。一平の言葉に反応した六助も(のぞ)き込んで、勝鬨(かちどき)()げる。

本当(ほんとう)だ。楽勝だな」

「ええー?」

 (さら)に驚く、高志。そして、何と、正太郎と敬介も(さわ)やかに、()れに追随(ついずい)する。

(さて)と、(おれ)達も行くか、敬介。確かに、六助(ロク)()うとおり、簡単だよな」

「ああ、スーッとした。へへへ、おめえら。ざまーみやがれ。()れで、ちったあ、溜飲(りゅういん)()りたぜ」

 そう()うと、4人組はスッキリした顔付(かおつ)きで部室を出て行った。高志が茫然自失(ぼうぜんじしつ)(てい)(つぶや)く。

「何で、赤点四人衆(カルテット)が…」

「バカな、嘘…だろ」

 明彦も、(にわか)には信じられ無い模様(もよう)である。自尊心(プライド)を痛く傷つけられたらしい。

「ムッキー、信じられない。ゆーちん、如何(どう)思う?」

 祐子は、(ほそ)めた目で思慮深(しりょぶか)げに、マッチで出来た1000を見つめている。そして、(おもむろ)(つぶや)いた。

多分(たぶん)本当(ほんとう)だと思うよ。(なん)(くや)しいなあ。正ちゃんのあの顔。演技(ハッタリ)じゃ無かった。()れに、六助くんや一平くんの顔も自信に(あふ)れていた。サッカーの試合の時の顔だったよ」


 結局(けっきょく)、祐子以外は、(あきら)めてナポレオンを始めた。祐子は、少し(はな)れたテーブルの(すみ)で、宿題そっちのけで、マッチ棒の1000とにらめっこである。(しば)し、考えていた祐子であったが、(やが)て立ち上がると移動し、窓を全開にした。(せみ)の声の大合唱が部室に飛び込んでくる。眼前(がんぜん)、左側には校舎があり、正太郎たちも、今頃、頑張(がんば)っている(はず)だった。祐子は窓際(まどぎわ)に立ち、窓枠(まどわく)に手を掛けて、校舎の方を見つめている。暑い(なが)らも、夏の朝のそよ風が清清(すがすが)しい。祐子も自信に満ち(あふ)れた顔付(かおつ)きである。そして、不意(ふい)に、ボソリと(つぶや)いた。

「そうかあ、だから、()けたんだ…」

 いずなが聞き(とが)めて、祐子に声を掛ける。

「ゆうちん、()けたの?」

「うん…、多分(たぶん)。かなり、スッキリするよ」

 いずなはテーブルの上のマッチ棒をまじまじと見つめていたが、(やが)て、

「あーっ」

 と声を上げると、祐子の横顔、そして、()の視線の延長上にある校舎に目をやり、そして、しみじみと嘆息(たんそく)した。

「そっかー、成程(なるほど)。だから、ケースケたちが()けたんだ…」

 いずなも、祐子と同じ台詞(せりふ)を口にする。明彦が目敏(めざと)く、

「何だ、()けたのか。(おれ)にも、答えを教えろよ」

「ムッキー、秘密だよー」

「あー、てめえ、けち(くせ)え事言ってんじゃねえ。教えろよ」

 高志も身を乗り出すが、いずなは応じ無い

「ムッキー。駄目(だめ)だよー。でも、ゆうちん。ISO 80000-2の12・6に準拠(じゅんきょ)するのなら、□を一つ減らさなきゃ…、ネ」

 祐子もニコニコし(なが)ら、

本当(ほんとう)だね」

 と、応じる。相変わらず、答えを教える様な気配(けはい)は無い。仕方(しかた)無く、高志はトランプを配り始める。祐子は()だる様な暑さの中、目を(つむ)って、(しば)し、先程(さきほど)の風がそよ吹くのを待っていたが、其処(そこ)にあるのは(せみ)の声ばかりである。(やが)て、祐子は席に戻ると、マッチ棒を片付け、宿題を始めたのだった。


 一方、冷房の効いた教室で、数学の補習(ほしゅう)が行なわれていた。どの教科にも()える事であるが、補習(ほしゅう)対象者を計算してみると、成績表(せいせきひょう)評価(ひょうか)分布(ぶんぷ)から、学年の50%に(のぼ)る事が判る。つまり、穿(うが)った見方をすれば、補習(ほしゅう)の名に(かこつ)けた夏休みの侵食(しんしょく)であり、結局(けっきょく)(ところ)、半数の学生は7月一杯(まで)授業がある(わけ)である。そんな、状況(じょうきょう)下にて、補習(ほしゅう)授業は2日目のカリキュラムへと進んで行った。数学教師である薬缶(やかん)が、突然(とつぜん)、大声を上げた。

「こらー、サッカー部のでかいの。初っ端(しょっぱな)から、ガーガーと(いびき)()いているんじゃ無い。其処(そこ)のお前だ。よーし、()度胸(どきょう)だ。昨日(きのう)の復習だ。①の問題の答えは何だ?」

 横の六助が鉛筆(えんぴつ)小突(こづ)いて、一平を起こす。そして、小声で、

「おい、薬缶(やかん)に、当てられてるぞ。①の問題だ」

 一平は寝ぼけ(まなこ)で、問題を一瞥(いちべつ)した。

 ① log1

 一平は(あわ)てて、(よだれ)をふき取ると、(おもむろ)に答えた。

「えーと…、0です。」


 外には、()だる様な暑さの中、(すだ)蝉達(せみたち)の声が(あふ)れ返っている。


 (まさ)に、神は天に御座(おわ)しまし、世の中(すべ)て事も無し。である。

こんちは。高志だ。やっぱ、浴衣って良いよな。浴衣姿の女の子は、どんな子でも綺麗に見えてくるから不思議だぜ。次回は、清水の夏最大のイベント、清水みなと祭りを舞台に俺様が大活躍をするぜ。『第11話 清水みなと祭りの夜』。見てくれよな。

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