16話 温かい支援
3月12日 水曜日 朝6時10分。 天候:曇
まだ朝日が出て間もなく、朝が苦手な僕は2度寝をしようかベッドの上でゴロゴロしながら考えたが,、外から聞こえてくる足音に気づいて部屋からリビングに移動し、パジャマのまま玄関から外に出た。
外を見るとクロがすでにジャージに着替えて芝コースを走っていた。
朝練など指示もしていないのに自分から自主練をしている。
「おはよう、クロ。朝早いな。」
「トレーナーこそね。レースが近いし。それに芝のコース走るの初めてだから。」
クロに声をかけるとすでに額から汗が噴き出しており、今トレーニングを始めたわけではないのが一目で分かった。
「5時からやってる。私バイトあるから午後トレーニング出来ないし。それに、負けたくないから、もう。」
水分補給しながらクロが本音を打ち明ける。
2週間後の3月22日土曜日の第7レースに芝1400mの9頭立てレースに出走が決まっている。
クロにとっては約1カ月ぶりのレースとなる。
6戦0勝。一度も勝ったことが無い。
それにツクヨミが水沢の地方重賞チューリップ賞でユキノビジンを下して重賞を制覇した。
だからこそ自分も勝ちたいんだろう。
僕は今日は関係各所に連絡してユキヒメの出走依頼をするつもりだ。
ユキヒメは2週間前、僕が転移?転生?する前に名古屋で走ったのが最後らしい。
それと来月頭には年に一度の公開模擬レースが東京競馬場で行われる。
貧乏厩舎なので良い子は契約金の都合上取れないが指名漏れの子、契約切れの子達ならクロのように契約できる可能性がある。
ただ懸念しているのがクロは元々この厩舎のユキヒメとほぼ身内同然であり、契約に至った。
「この厩舎」が契約を持ちかけても契約してくれるかどうかが課題である。
ちなみにユキヒメ、ツクヨミは中央で走れないが、クロ、これから先のナナ、そしてこれから先新規契約するウマ娘に関しては中央で走れる。
だが、この厩舎が中央の出走登録を依頼して「受けてもらえるか」に関しては別問題だ。
地方ならウマ娘が不足しているのか出走登録はわりと受けて貰えるが、というか向こうから出走依頼が来るが、中央はウマ娘がかなり多い。
トレセン学園でエアグルーヴも言っていたが約2000人が在籍している。
ただ、通用せずに地方に戻ったり、落とされることも多いのは推察できるが。
それに加えて僕は中央のライセンスを持っていないのが問題だ。
盛岡に行った際に帰り際、わんこそばを食べ過ぎた僕らは近くの書店に歩いて向かい立ち読みをしながら(ナナのおねだりで結局ツクヨミにはお菓子のレシピ本、ナナには絵本を買ってしまったが)中央ライセンスに向けた参考書を見たら相当な勉強が必要だと感じた。
とにかく分厚い。広辞苑かと思った。
司法書士や弁護士の勉強とさながら変わらない。
なので現状はライセンスを持っていないので「中央での出走が不可能」である。
こうなると非常に契約が困難となる。
僕のせいで【最初から中央で走れない事を前提】に契約になる。
中央を目指す彼女たちにとってそれは受け入れがたい現実である。
試験も何年かかって突破するかもわからない。となると取れる方法は一つ。
ユキノビジンやオグリキャップのように中央からのスカウトが来た時点でトレーナー契約を破棄し、他厩舎への移籍だ。
ずっと苦楽を共にしてきたパートナーと別れる事は、きっと・・・辛い。
ユキノビジンのトレーナー及川さんも移籍の日は寂しい思いをした事だろう。
岩手から東京は約1000キロも離れている。
簡単に会える距離ではないし、あまり他厩舎のトレーナーとの接触は中央委員会から推奨されていない。
主に情報漏洩の防止理由がある。馬娘券(お金)が絡む以上仕方のない事だとは思う。
「なに辛気臭い顔してんの、アンタ。」
「色々考え事があるんだよ。てかあんまり無理すんなよ。そういえば今週末埋め合わせどこ行きたい?」
「温泉。マジ身体バキバキなんだよね。けど楽しいよ整備の仕事。私がバイク好きになった理由なんだけどさ、好きな所に好きな時に行けてさ自由なんだよね~。バイク飛ばしてこんな朝早くに風を感じたりさ、入ったことないラーメン屋に入ってラーメン食べたり。ねえ、ちょっと乗ってみる?」
「え?今から?」
「大丈夫周り一周するだけだから、多分10分くらい。あ、ちなみに私の愛車SⅤ650だよ。」
「まあ、それなら・・・。」
正直あまりバイクはうるさいだけでどちらかと言えば好きではないが(後ろに)乗って見なければ分かんない魅力もあるのかもしれないし、なによりクロが楽しそうなので仲を深めるべく乗る事にした。
厩舎の倉庫に入れていた愛車を持って来てクロが乗り、声を掛けられる。
「私の腰掴んでて、ヘンな所触ったら振り落とすからね☆」
後に乗って遠慮がちに腰に手を回すとがっちり捕まるようにクロが身体を預けてきた。
正直に言おう。この体勢は色々と最高だった。
あとこのバイクめちゃくちゃうるせえ。
大声でセルフ何とか式とか排気量が6・・・なんちゃらって言ってたが聞こえん。
早朝6時にバイクをかっ飛ばして約15分の短いツーリングを終えて厩舎に戻り、バイクから降りると耳が壊れたかと思った。
「どう、バイク。気持ちいいっしょ?」
満面の笑みで降りてきたクロに「耳栓が必要だな」と言いたくなったが無難に「まあ、また今度乗せてくれ」と社交辞令を口にしたら、多分あれはマジの目で「もちろん!」と元気に答えていた。
朝7時前、厩舎に戻るとバイクの爆音で起こされたであろうナナ、ユキヒメ、ツクヨミがすでに起きていた。
「朝ごはんにしましょうか」と笑顔のツクヨミだったが目で人を殺せそうだった。
「うるさいにゃぁ・・・」と子供らしく本音を口にしたナナ。
「時間を考えて下さいね?」とこちらも笑顔で切れている寝癖の凄いユキヒメ。
何故なら今日はツクヨミはレース後の脚部疲労と旅行・夜行バス疲れで昨日今日と休みにしているのだ。
朝食も本来なら適当に各自済ませて、今日はクロとユキヒメのトレーニングである。
ナナは春休みで宿題もないのでゆっくり寝るはず・・・だったのだが。
朝7時過ぎ、トーストとサラダとインスタントの春雨スープを飲みながら結局全員で朝ごはんを済ませてからツクヨミは「じゃあ私は部屋でゆっくりしてますね?(起こすなよ?また)」と圧をかけてから2階の自室に戻って行った。
ナナは友達の家に遊びに行くにゃ!との事で朝8時頃家を出て行った。
「じゃあ、やるか。トレーニング」
朝8時30分からトレーニングが始まった。
今日はクロは芝コース、ユキヒメはダートコースを走らせた。
トレーニングをしていると知らないトラックが止まって降りてきた男性に声をかけられた。
「精が出ます。初めましてですね。商店街で佐藤精肉店をやってます。佐藤征吾と言います。」
「こちらこそ初めまして。河城雪人と言います。訳あってトレーナーをしてます。」
お互いに頭を下げ挨拶をしているとユキヒメがトレーニングを中断し声をかけてきた。
「いつもすみません、助かります。」
「いやいや、こっちこそいつも元気と励ましもらってるよ。それに勝ったんだろツクヨミちゃん」
「ええ、ツクヨミ姉さんは強いですから!」
「まあラジオで実況聞いてたけど結構厳しいレースだったみたいだな。まあ、よくやったと言っておいてくれ。それより・・・」
トラックの荷台の後ろを目で示した。
「降ろすの手伝ってくれ、量あるからな」
トラックの荷台に積まれた野菜を僕、ユキヒメ、クロにも声をかけて降ろしていく。
かなりの量がある。日持ちしない野菜から食べたら10日は持ちそうだ。
荷下ろしを手伝いながら話してみる事にした。
「どうしてこんなに良くしてくださるんですか?」
そういうと「何度も同じことを聞かれる」と笑いながら話してくれた。
10年前、この厩舎が立ち上がった当初、今の状況よりも資金繰りは難航していたらしい。
金がないからウマ娘も取れない。
レースの出走登録料すら払えない。
レースでも結果が付いてこない。
ろくに体を作る飯どころか彼女たちに3食まともに飯も食わせてやれない。
そんなトレーナーの涙ながらに土下座して懇願するあまりにも正直すぎる告白に、自分の事のように胸を痛め、自分の畑で作った店で出せない野菜、傷んでもそこだけ取れば食える野菜を差し入れした時に・・・。
「私と出会ったのよね、ふふ。全く、恥ずかしいわ。」
助手席から黒髪のウマ娘が声をかけてきた。
「ま、まぁな。恥ずかしいなユカリ。それで・・・。」
恥ずかしそうに頭を掻いてから佐藤さんは話を続ける。
ユカリさんに一目惚れした佐藤さんは、それはそれは猛烈なアタックを続けた。
野菜の差し入れの時に彼女と話をして仲良くなり、連絡先を交換し、仲を深めていったのだが、【万が一妊娠するとレース出走が出来ない】のもあって、中々難しい恋愛でもあったようだ。
現役時代のユカリさんはこの厩舎の期待を背負って立つウマ娘であり地方でもそれなりに成績を上げて、この厩舎立ち上げから数年。
ついにこの厩舎初めての中央出走招待が届いた。
言うまでもなく地方と中央の賞金は天と地ほど違う。
招待されたのはL福島民報杯だった。
(リステッド競争=リステッド競走とは、競馬の競走体系において、GⅠ・GⅡ・GⅢのグレード競走に次いで重要な位置づけにある、国際基準の非重賞競走の事)
福島民報杯の賞金は1着2800万、2着1100万、3着700万、4着420万、5着280万円。
地方重賞で一着を取ったツクヨミでさえ400万円だ。
地方の一般戦ともなると勝っても数十万円、入着でやっと数万円である。
3食まともに食べられなかったこの厩舎にとってのユカリさんの中央出走は厩舎、この街、市長まで巻き込み、ユカリさんの出身地の北海道の地方紙にも切り抜かれるとんでもない騒ぎになり、そのままその重圧はユカリさんにのしかかる事となった。
初めての芝コース、2000m、地方とはまるで違う数万人の観衆、強いライバル、そして夢の舞台。
ユカリさんは佐藤さんに出走の話を告げると、佐藤さんは居ても経ってもいられず、前日から店を閉めてトラックで東京から福島まで走ってレースに駆け付けたらしい。
「まったく、バカなんだから。アンタ。」
笑いながらユカリさんはそう言っているが当日は普段と慣れない環境に、雰囲気に飲まれ、地方では盛岡競馬場以外芝コースが無い為初めての芝の感触に苦戦していたが、当時のトレーナーの乾坤一擲の調整と佐藤さんのそれはそれは熱烈な声援もあって5着にギリギリ入着。
数年間苦楽を共にしたユカリさんが5着とはいえ中央の掲示板に乗り、レースの確定ランプが点灯した瞬間のトレーナーと抱き合って流した嬉し涙は今でも鮮明に覚えているらしい。
もちろん征吾さんも人目も憚らずに号泣したのは想像に難くない。
しかし力を出し切ったのかそのレースの後、ダントツ一番人気も大井競馬で10人立て9着と惨敗。
「その時に私は走れなくなったって悟ったの。自分の身体だし分ってしまったわ。痛いくらいにね。」
「ピークアウトってやつですか。」
僕も思わず口に出した。
「ええ、それでトレーナーと話をして引退を決めたの。引退を機に征吾さんと正式に付き合って、今では子供もいるわ。ヒカリっていうの。」
ユカリさんが助手席から降りて膝の上に乗せていた幼稚園ぐらいの女の子を見せる。
恥ずかしがり屋さんなのかユカリさんの後ろに隠れてこちらをじっと見つめている。
「そうですか。可愛いお子さんですね。」
ヒカリちゃんを見ながら彼女たちの引退後の将来についても考えておかないとなと考えを巡らせていた。
いずれ彼女らも引退したら次の人生が待っているのだ、それと同時に子供についても何一つ知らないので調べておく事にした。
まさか直接どうやって子供生まれました?人間と子供を作ったらウマ娘になるんですか?
人間になるんですか?なんてセンシティブな話を聞けるわけがない。
「ええ。来年初等部に入学が決まってるの。ナナちゃんの一個下になるわね。」
「初等部って何年間なんですか?」
「あら?知らなかったの?6年よ。人間の子と何ら変わりはないわ。」
なるほど。という事はナナは現在小学1年生という事か。
え・・・じゃあ大分レースは先じゃん・・・とがっくりする。
「よし、これで終わった。じゃあ俺たちは店に戻るとするよ。また来るぞ。今度は店で買ってくれよな野菜。ユカリの後輩なら安くしとくからさ!」
「それじゃあね。ほら、ヒカリ。ばいばいは?」
「・・・・はずかしい。」
トラックに乗って三人は帰って行った。
「なんていうか、いいな。家族って。」
「子供ですか、考えた事なかったな。あたし。」
「私もです。まあ告白された事もないんですけど・・・。」
「いいからトレーニング再開するぞ。そういうのはトレーニング終わりにガールズトークしとけ。」
たとえ400万円入ったとて安泰ではないのだ。
レースが無い月や思うように結果が出なかったときはクロがバイトをしているとはいえ赤字に転落する時もある。
それに【家計が安定すればお前たちにお小遣いを渡すつもりでいる】と言った途端現金なもので目の色が変わってトレーニングを始めた。
僕は呆れながらも彼女たちのトレーニングを監督するのだった。
【午後1時頃 場所 芝コース】
ナナからスマホに連絡が入った。
午後から話の流れで別な友達と遊ぶ予定なのだが、何故かウチに来るらしいのでよろしくにゃ!
ご飯はお友達の家で食べて帰るにゃ!との事だった。
案外人気者なのだろうか、うちのアイドルは。
「今からナナが友達連れて来るらしい。お菓子とジュース買って来るから一旦トレーニング辞めて昼飯にしとけ。カレー作ってあるから」
寸胴鍋に用意しないとこの子らは満腹にならないので多めに作って置いた。
カレーなら明日まで持つし、夜もカレーにしておけば料理を作らないで済む。
「わかったー。いってらー。」
クロらしい送り出しを受けて僕は買い物に行くのだった。




