第5話『杉原君は遠い場所にまた引っ越していった。』
待ちに待った土曜日の朝が来た。
この日の為に色々と準備をしてきたが、遂にこの日が来たのである。
里菜ちゃんには既に伝えているし、ジョージ君とコソコソ話している事も増えたから、きっと杉原君の計画通りに進んでいるんだろう。
ならば、私はこのデートをいかに完璧にするかという所なのだが、朝の時点で既に波乱は始まっていた。
髪が上手くまとまらないのだ。
「う、ん? ちがう。こうじゃなくて……うーん」
「朝陽ちゃん。そろそろ起きないと、って、もう起きていたんですね」
「あ。お母さん。うん。起きてたよ」
「あぁ、なるほど髪を弄っていたんですね」
「それで、その、上手く出来なくて。こんなになっちゃった」
私は半泣きでお母さんにぐちゃぐちゃになった髪を見せた。
お母さんは私に座るように言って、櫛を通しながら、優しく髪を整えてくれる。
「朝陽ちゃんはいつまでも不器用ですねぇ。大人になってから大丈夫でしょうか」
「えー。でもでも、お母さんが直してくれるし」
「ふふ。しょうがない子ですねぇ。朝陽ちゃんは。いつまでも私が居る訳じゃないですし。しっかりと覚えましょうね」
「はぁーい」
お母さんは楽しそうに、嬉しそうに私の髪を触りながら笑っていた。
そして、いつもの様に色々な話をするのだ。
「でも、こうして朝陽ちゃんが誰かの為に可愛くなろうとする日が来るなんて、お母さん感動です」
「そうなの?」
「はい。朝陽ちゃんはお姫様が主役の絵本より、桃太郎とか金太郎とか、男の子が主役の本を好んでましたからね」
「だって格好良いんだもん。あー。でもねー。最近はちょっと好きじゃ無いんだー」
「やっぱり可愛い服を着る方が良いって思う様になりましたか?」
「ううん。全然」
「あ、そうなんですね。では、どうして最近は桃太郎さんが好きじゃなくなってきたんですか?」
「あのね。鬼が可哀想だなって思ったの」
「……」
「鬼は何か悪い事をしたのかもしれないけど、それでも桃太郎が何かされた訳じゃ無いし。それでやっつけちゃうのは、可哀想かなって」
「そうですか」
「私、変かな?」
「いいえ。そんな事はありませんよ。朝陽ちゃんがただ優しい女の子というだけですね」
「そうかな」
「えぇ、そうですよ」
「そっか。それでね。最近は私、かさじぞうが好きなんだー」
「まぁ」
「誰もやっつけない。ただ、誰かを想う気持ちだけがそこにあって、みんなが幸せになるの。だから、好きなんだ」
「そう、ですか。朝陽ちゃんらしいですね」
「……お母さん? 泣いてるの?」
「いいえ、泣いてませんよ」
「でも、悲しそう」
「……朝陽ちゃん」
「なぁに?」
「きっとこれから多くの人が朝陽ちゃんの傘に救われる事でしょう。朝陽ちゃんの傘は、冷たい雪からその人の身も心も守ってくれる。だから、朝陽ちゃんはそのままの朝陽ちゃんで居て下さい。貴女の優しさで。いつか。この世界に大きな希望を」
「よく分からないけど、分かった! 私、困っている人が居たら、助けになる! 何が出来るか分からないけど、出来る事をやる。それで良いのかな?」
「えぇ。素敵な事です。私も朝陽ちゃんに出会えて、良かったです」
「へへ。私も。お母さんの子供で良かった」
「……! 朝陽ちゃん!」
お母さんに後ろから抱きしめられて、私は何だか嬉しくなり、頬が緩んだまま笑みを浮かべる。
楽しい時間が始まる前の嬉しい時間だ。
とても幸せな気持ちになる。
この気持ちが、世界中のどこまでも広がっていけば良いなと私は思うのだった。
そしていよいよ全ての準備が終わり、私は家から出ようとしていた。
「じゃあ、行ってくるねー」
「あぁ、待ちなさい。朝陽。これは御守りだ。持っていきなさい」
「え? うん。分かった」
「駄目ですよ。あなた。邪魔しちゃ」
「邪魔じゃない。ただの御守りだよ」
「じゃあ聞きますけど。御守りになんでこんなにいっぱい呪いを込めてるんですか?」
「害虫駆除だ」
「もう。朝陽の好きな子に何かあったらどうするつもりなんですか」
「朝陽の好きな子だって!!? そ、そんな奴が居る訳無いだろう! 居るなら、今すぐ西宮院の本家に連絡して、駆除作戦を」
「落ち着いてください。あなた。私たちは表面上駆け落ちした身なんですから。本家に連絡なんて出来る訳が無いでしょう?」
「大丈夫だ。朝陽を見て害意を抱ける者なんて西宮院には居ない」
「いえ。私が心配しているのは朝陽ちゃんや私ではなく、あなたですよ」
「そ、そういえばそうだったな」
「お兄様も、お父様も、親戚の方々も居場所が分からなくても使える呪いを研究中らしいですし。怖い事になりますよ」
「なんと」
「ですから。私たちは静かに見守りましょう。こんな御守りも置いて行って。さ。朝陽ちゃん。楽しんできて下さいね」
「うん!! じゃあ、行ってきます!!」
私は元気よく玄関から飛び出して、駅前の広場へと向かった。
ここから少し離れているけれど、映画館があるのは隣駅だし、電車を使わないといけないのだ。
だから、私はやや急ぎ足で駅前を目指した。
駅前に着くと、既に杉原君が待っていて、私に手を振っていた。
「お待たせ!」
「いや。今来たところだよ。それに」
「それに?」
「向こうも、ちょうど君に付いて来て、今後ろの方に居るね。っと、見ないでくれ。バレる」
「わ、分かった」
「さて、ここからは何も気づいていないフリをして、二人をデートコースに誘おうじゃないか」
「うん。じゃあ、今日はよろしくお願いします!」
「こちらこそ」
それから杉原君と様々な所を歩いて、映画を見て、美味しい物を食べて、色々なお店を見た。
途中に何度か里菜ちゃんがどうなってるか気になって探そうとしたが、見つかると作戦が駄目になっちゃうぞ。と杉原君に言われて泣く泣く断念する。
でも、きっと向こうも上手くやっているよね。と私は楽しそうに過ごしている二人を想像するのだった。
そして、一日だけでは効果が薄いかもしれないからと、何度か私と杉原君はデートを繰り返していた。
そんな中で、杉原君に告白されて、ドキドキした気持ちのまま頷いて、恋人同士になって。
私は何だか落ち着かない様な気持ちで幸せな日々の中に居た。
水の中を揺蕩う様な気持ちだろうか。
しかし、そんな幸せな日々もちょっとした切っ掛けで壊れてしまうのだった。
そう。それは何でもない日常のある日。
杉原君とのデートの帰り道。私は杉原君と一緒に家までの道を歩いていたのだが、途中にある山道から何かが私を見ている事に気づいた。
それはおそらく見えないお友達であった。
だから私は見えないフリをして、杉原君と家に向かう事にした。
それが間違いであったのかもしれない。
その山道に居た何かは猛烈な速さで私たちの所へ走ってくると、私に触れようとして弾かれて、そのまま地面に転がったのだ。
突然の事態に私が目を見開いて止まっていると、その何かはゲラゲラと笑いながら呪詛を振りまき始めた。
『綺麗な魂! 俺の物だ! 俺のにする! でも男が邪魔だ! 殺す殺す殺す殺す』
「……っ、な、何が」
「ん? どうした。朝陽」
『しねしねしねしねしねしね』
「っ、なんだ。頭が」
「杉原君!」
「すまん。朝陽、何だか。頭が痛くて」
『呪った! 呪った呪った呪った! 俺の女の近くに居たら死ぬ呪い掛けた!』
「な、何てことを!」
私は見様見真似で、お父さんがやっているみたいにその何かを祓おうとした。
しかし、何の意味も為さず、そいつは影の中に消えていった。
遺されたのは地面に這いつくばって荒い呼吸を繰り返している杉原君と何も出来なかった私だけ。
私は、急いで杉原君を家に連れて行った。
お父さんとお母さんなら何とかしてくれると思っていたから。
でも、現実は残酷だった。
「これは……山神の呪いか。残念だけど、僕じゃどうすることもできない」
「そんな……お母さん! どうにか出来ないの!?」
杉原君は既に意識を失っていて、それでも苦しそうな息を吐いていた。
お母さんは軽く息を吐くと、真っすぐに私を見つめて、口を開いた。
「朝陽ちゃん。杉原君を助けるために代償が必要だと言ったら、どうしますか?」
「大丈夫! 私が何とかする!」
「そうですか。では、助けましょう。その代わり、杉原君と朝陽ちゃんの関係性はここで永遠に絶たれます」
「……え?」
「杉原君に与えられた呪いは、貴女に関係する物。朝陽ちゃんと杉原君が想い合っているからこそ発生している呪いです。であれば、それがどれほど強い呪いであろうとも、貴女と杉原君の縁を絶てば、呪いは杉原君の命を奪う事はしません」
「……」
「朝陽ちゃん。もう一度聞きます。覚悟はありますか?」
私は唇を噛み締めながら、杉原君と過ごした日々を想う。
今日まで過ごした思い出は今までのどんな物よりも輝いていて、楽しくて、明日が待ち遠しい程だった。
でも、それは、それは、杉原君の命を奪ってまで私が得続けても良い物だろうか?
答えは否だ。
「お母さん……お願い」
「分かりました」
寝ている杉原君と私の間に、お母さんは右手を真っすぐに振り下ろした。
まるで何かを断ち切るように。
そしてそれは、目に見える変化を与えはしなかったが、確かに何かが断ち切られる様な感覚を私は受けるのだった。
ただ、涙が溢れる。
これで私と杉原君は終わりなのだと、否が応でも理解して、ただ感情が零れ落ちた。
でも、断ち切られたその瞬間から杉原君の呼吸は安定して、ただ眠っている様になった。
「では、彼は僕が送って来よう」
「……うん」
「朝陽ちゃん。いらっしゃい」
「……っ!」
私はお母さんに抱き着いて、泣いた。
堪えきれない感情を、どうしようもない現実に突然終わらされてしまった初恋を。
身が引き裂かれそうな喪失感に私はただ、涙を流すのだった。
それから少しして、杉原君は遠い場所にまた引っ越していった。
私はお母さんに少しだけ縁を繋いでもらって、お別れの挨拶だけする事が出来たのである。
その夜。私は枕に顔を押し付けながら泣いて過ごし、翌日からは何とかまた普通の生活に戻れるようになっていた。
しかし、私を襲う呪いの様な不幸はまだ終わっていないという事をこの数日後に想い知る事になる。
そう。それは、お母さんとお父さんがお仕事で外に出かけていた日の翌日。
朝の準備をして、家を出ようとしていた私は、玄関先で見慣れない服を着た人たちに会った。
そして、彼らの言葉に私は、その場に崩れ落ちてしまうのだった。
「藤堂朝陽さん。お父さんとお母さんが事故に遭われました」




