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エンド・オブ・ザ・江戸・ピリオド  作者: ありんこ。


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14/14

静まる昼下がり、集う幹部たち



 


昼下がりの壬生屯所は、じりじりと照りつける陽射しの中、ひっそりと沈黙していた。


障子越しに差し込む光が、畳の上に淡い影を落としている。普段なら隊士たちの足音や笑い声、誰かが竹刀を振るう音がどこかしらから聞こえてくるはずなのに、今日ばかりはそれらが遠いもののように感じられた。


遠くで蝉が鳴いている。


暑さに溶けるようなその声だけが、やけに長く、耳の奥に残った。


 


今日、ここで開かれる会議が、どれほどの重みを持つのか。


その予感が、空気そのものを変えているようだった。


 


私は襖を静かに開け、広間へ足を踏み入れた。


既に何人かは座していた。


上座には、局長ふたり。


芹沢鴨と、近藤勇。


その両脇には、副長職の我々が向かい合うように座る。


土方歳三。そして私、山南敬助。


さらに脇には、新見錦、平間重助、諸隊の隊長たちが並んでいた。


一人ひとりが無言で座しているだけなのに、襦袢の下にじっとり汗が滲むほどの緊張が漂っている。


 


私の座る反対側の列には、沖田総司の姿があった。


珍しく、はっきりと仏頂面をしている。


昨晩は夜通しの見廻りだったはずだ。ろくに眠れていないのだろう。


けれど、その不機嫌の理由が寝不足だけではないことくらい、私にも分かっていた。


 


月夜魅さんのこと。


 


無理をして笑い、「もう大丈夫」と沖田くんへ告げたあの子の、あまりにも細い声。


あの声を、沖田くんが見過ごせるはずがない。


 


……少し、心配だな。


 


そう思った、その時だった。


 


「さて……そろそろ、お前らにも通しておくか」


 


芹沢局長の低い声が、広間の空気を裂いた。


その瞬間、室内の緊張がさらに一段、鋭さを増す。


 


「長州、土佐、薩摩を含む尊攘派の動きが激しくなってきている」


 


芹沢局長は目を細め、杯を指先で弄びながら続けた。


 


「八月十八日――御所を守るため、我ら壬生浪士組にも出動命令が下されることになった」


 


八月十八日。


出動の噂は、既に隊士たちの間でも密かに囁かれ始めていた。


だが、こうして局長の口から正式に告げられた以上、それはもう噂ではない。


我々にとっても、大きな分水嶺となる。


 


「これが成功すれば、我らの立場も一変するだろう」


 


近藤さんが静かに言葉を継いだ。


 


「我らはもう、ただの寄り合い浪士ではない。幕府に名を知られる組織となる」


 


浪士の集まりから、正式に認められた武力組織へ。


その一歩が、今まさに目の前にある。


 


「今夜より、準備を始めよ。配置と役割については、改めて命ずる」


 


土方さんの声は静かだった。


しかし、その背には並々ならぬ決意が滲んでいた。


 


「ただし――御所へ出る以上、屯所は手薄になる」


 


その一言で、場の空気がわずかに変わる。


誰が出るのか。


誰が残るのか。


それは単なる役割分担ではない。


この組の中で誰がどこに立つのかを示す、ひとつの選別でもあった。


 


私は、一つ呼吸を整えた。


ここからが、本当の会議だ。


 


静かな応酬の中で、誰が何を守り、誰がどこへ向かうのか。


言葉の裏で、思惑と覚悟が交錯する。


 


芹沢局長は、ぐいと酒を煽ると、乱暴に杯を置いた。


 


「……まずは、留守番組を決めるとしようじゃねぇか」


 


誰も声を発しない。


全員が、次の言葉を待つ。


 


「屯所を空にするわけにはいかねぇ。だが、手勢はできるだけ御所に回す」


 


芹沢局長の視線が、列をなぞるように巡る。


 


「手数の少ねぇ屯所を任せるんだ。器用で、融通の利く奴がいい」


 


私は小さく息を吸った。


察するに、私に声がかかる。


 


「……山南。貴様、屯所を預かれ」


 


案の定だった。


 


「承知しました」


 


私は静かに一礼した。


顔を上げると、土方さんが一瞬だけこちらへ視線を寄越した。


無言の中に、ごくわずかな信頼と、そして――すまない、という色が滲んでいた。


 


土方さんも、本音を言えば私を御所へ連れて行きたかったのだろう。


だが、屯所を守るのは戦場へ出ることとは別の、重要な責務だ。


それを、私に託してくれた。


 


任せてください。


 


私は胸の内で、そう応えた。


 


次いで、出陣組の人選が進んでいく。


腕の立つ者たちが順に名を連ねた。


沖田総司、永倉新八、斎藤一、藤堂平助――。


若く、勢いのある剣士たちが中心だった。


沖田くんは、不機嫌そうな顔を隠そうともしない。


見廻り明けで疲れているところに、また最前線へ駆り出される。


それでも命令とあれば背くことはない。


そんな彼らしい矜持が、沈黙の中に滲んでいた。


 


一通り名が出揃い、これで終わるかと思った時だった。


 


「……それから」


 


芹沢局長が、ぐいと顎をしゃくった。


その目の奥に、妙な光が宿っていた。


 


「月夜魅も、連れて行こうじゃねぇか」


 


その言葉が広間に落ちた瞬間。


空気が、ぴたりと凍りついた。


 


何を言っている。


 


一瞬、皆の思考が止まった。


私も、そして沖田くんも、すぐに立ち上がらんばかりに身を乗り出していた。


 


「……それは、さすがに」


 


最初に声を上げたのは、沖田くんだった。


普段の穏やかな声ではない。明らかな怒りが滲んでいる。


 


「月夜魅さんは、隊士ではありません。そんな場に立たせるべきじゃない」


 


私もすぐに続いた。


 


「そうです。鬼とはいえ、その前に女子ではありませんか。戦場に連れて行くなど、論外です」


 


ふたりの声が重なる。


けれど芹沢局長は、涼しい顔で笑った。


 


「屯所に置いておいて、万が一暴れたらどうするんだ? 手薄な守りじゃ収拾がつかねぇだろうが」


 


その言葉に、場の空気がわずかに揺れた。


確かに、屯所はほぼ空になる。


そんな時に、万が一“鬼”が暴走したら。


その危険を考えれば、芹沢局長の言い分にも一理ある。


 


……だが。


 


私は歯を食いしばった。


あの子は、そんな存在ではない。


今までずっと、苦しみながらも必死に人の世界に馴染もうとしてきた。


血に怯え、自分の力に怯え、それでも誰も傷つけまいと耐えてきた。


それを、“もしも”で裁くなど。


 


「……」


 


土方さんが、腕を組んだまま黙考している。


やがて、低く言った。


 


「一理ある」


 


息を呑んだ。


沖田くんも、信じられないものを見るような顔をしていた。


 


「別に血が出る戦場じゃねぇだろ」


 


芹沢局長がにやりと笑う。


 


「御所周辺に連れて行け。鬼を手元に置いておけば、何かあった時にすぐに“使える”。お前らは甘い顔をしているが、あの女は“人”じゃねぇんだ」


 


その言葉に、胸の奥が冷たくなった。


 


道具。


 


芹沢局長の目に、月夜魅さんはそのようにしか映っていないのだ。


 


御所周辺は、今や攘夷派と佐幕派の思惑が入り乱れる、極めて神経質な場所だ。


不穏な空気が満ちる中、もし鬼の存在が民衆や敵対派に知れ渡れば、何が起こるか分からない。


 


「危険すぎます!」


 


沖田くんが席を打って立ち上がった。


 


「周囲には攘夷派もいるでしょう。民衆が巻き込まれれば混乱します。月夜魅さんが騒ぎの標的にされたら……!」


 


「かえって好都合じゃねぇか」


 


芹沢局長は酒を舐めながら、嘲るように言った。


 


「そこで妙な動きを見せたら、それだけで判断材料になる。牙を剥けば、その場で斬るだけのことよ」


 


「……そんな“試す”ような真似が、許されると思っているんですか」


 


私の声にも、抑えきれない怒気が混ざっていた。


 


「月夜魅さんは物ではありません。ましてや、仕掛けのように使うなど……!」


 


だが、土方さんは黙ったまま、冷静な目でこちらを見ていた。


そして、静かに告げる。


 


「だが、屯所が手薄になるのは事実だ。御所の警護中に何があるか分からん。万が一に備えるのは当然だ」


 


「土方さんまで……」


 


沖田くんが声を荒げる。


 


「あの子は、やっと少しずつここで生きようとしてるんです。そんな仕打ちはあんまりだ」


 


近藤さんは苦々しげに目を伏せた。


 


「……万が一に備えることと、差別することは違う。だが、今は組としての行動が最優先だ」


 


その言葉に、私は胸の奥がじくじくと痛むのを感じた。


組としての行動。


全体のための判断。


理屈は分かる。


分かるからこそ、何も言えなくなる。


 


私は静かに息を吐き、口を開いた。


 


「……ならば、月夜魅さんを前線の要所には出さないでください」


 


皆の視線がこちらへ向く。


 


「彼女は、鬼である前に女子です。混乱の火種にされる前に、できるだけ人目の少ない詰所に配置していただきたい」


 


土方さんは、長く沈黙した。


やがて、短く頷く。


 


「……分かった」


 


その言葉に、私はようやくわずかに息をついた。


しかし、芹沢局長がふんと鼻を鳴らした。


 


「なら、今ここに呼んで、本人にもその役目を説明してやれ。断るようなら、ここで処遇を決めようじゃねぇか」


 


座敷の空気が、また重く沈む。


 


……ここまで来てしまった。


 


月夜魅さんを呼ぶしかない。


彼女にすべてを伝える時が来た。


 


「月夜魅を呼べ」


 


芹沢局長の命令に、私は思わず膝の上で指を強く組んだ。


彼女をこの場に立たせ、幹部たちの前で「連れて行く」と告げるのか。


どれほど屈辱だろう。


どれほど、恐ろしいだろう。


 


「おい、誰か行け」


 


芹沢局長が面倒くさそうに言うと、応じたのは野口健司だった。


 


「俺が連れてきましょう」


 


野口はにやにやと笑いながら立ち上がる。


その態度に、腹の底が熱くなる。


ふざけるな。


 


沖田くんも膝の上で拳を握りしめている。


顔は笑っていない。


 


「……待て」


 


土方さんが、低い声で制した。


 


「野口、貴様が行く必要はない」


 


「へぇ、なんでです?」


 


不満げな野口へ、土方さんは冷たく言い放つ。


 


「呼びに行くのは、俺たちの役目だ」


 


俺たち。


近藤派の人間。


 


「……そうだな」


 


近藤さんも重々しく頷いた。


 


「月夜魅さんに、無用な不安を与えるな」


 


その言葉に、わずかに救われる思いがした。


 


土方さんは、ちらりと私を見た。


 


「……山南」


 


鋭い声が、座敷に落ちる。


私は静かに顔を上げた。


 


「お前が、月夜魅を呼んでこい」


 


命じるような、冷たい口調だった。


 


「……承知しました」


 


わずかに躊躇ったが、私は深く頭を下げた。


沖田くんは俯いたまま動かない。


拳を固く握りしめ、畳を睨んでいる。


 


行きたくない。


月夜魅さんを、こんな場に引きずり出したくない。


 


その気持ちは、痛いほど分かった。


けれど今は、誰にもどうすることもできなかった。


 


私は静かに座敷を後にする。


障子の向こうから、強い日差しが差し込んだ。


夏の昼下がりらしい蝉の声が遠くで響いている。


じっとりとした熱気が、着物の襟にまとわりついた。


 


壬生屯所の奥、女中部屋の一角。


そこに、月夜魅さんはいた。


小さな膳の上に手縫いの布を広げ、静かに針を動かしている。


耳を澄ますように、一針一針、慎重に縫い進めるその姿は、この場所の誰よりも儚く、けれどどこか強かった。


 


……こんなものに、無理矢理手を伸ばして、何になる。


 


胸の奥に湧き上がる怒りを、私は必死に押し込めた。


 


「月夜魅さん」


 


声をかけると、彼女はぱたんと布を畳み、顔を上げた。


その瞳には、ほんの少しの驚きと、微かな不安が滲んでいる。


 


「はい」


 


小さく答える声は震えていない。


けれど、膝の上の手が布をぎゅっと握りしめたのが見えた。


 


「……今から、幹部会議に来てもらいたい」


 


なるべく穏やかに、やわらかく告げる。


月夜魅さんは、わずかに目を見開いた。


けれど、それ以上は何も聞かなかった。


ただ静かに頷く。


 


「分かりました」


 


私は胸の痛みを堪え、彼女へ道を開いた。


 


これは、巻き込んではいけないものだ。


そう思う。


それでも、壬生浪士組の監視下に置かれた存在として、彼女は今、試されようとしている。


 


守らなければ。


 


静かに、心に誓った。


 


昼下がりの陽射しの中を、二人で並んで歩く。


軒先に吊るされた風鈴が、かすかに揺れた。


影はひどく長く伸びている。


座敷へ続く廊下の向こうには、冷たい視線が彼女を待っている。


そんな気がして、私は無意識に彼女の肩へ視線を落とした。


 


畳の間の空気は、ひどく重かった。


座敷へ一歩足を踏み入れた途端、月夜魅さんの肩がぴくりと小さく震える。


 


無理もない。


並み居る幹部たちの鋭い視線が、一斉に彼女へ向けられたのだから。


 


上座には、芹沢鴨と近藤勇。


その左右には、土方歳三、新見錦。


脇を固めるように、各隊長たちと平間重助。


月夜魅さんは一瞬だけ立ちすくんだ。


けれど、すぐに表情を引き締め、座敷の中央まで静かに進み出た。


 


私は彼女の後ろに控え、膝をつく。


 


芹沢局長が、愉快そうに目を細めた。


 


「ほう。なかなか肝が据わっているじゃねぇか」


 


月夜魅さんは何も言わない。


ただ背筋を伸ばし、その視線を受け止めていた。


その姿に、胸が詰まる。


 


頑張れ。


 


心の中で、そう祈ることしかできなかった。


 


「月夜魅」


 


土方さんが低く名を呼ぶ。


月夜魅さんが、そっと顔を向けた。


 


「これから話すこと、よく聞いておけ」


 


その声は冷たく、容赦がなかった。


 


「壬生浪士組は、会津藩からの依頼を受け、八月十八日、御所周辺の護衛任務に就くこととなった」


 


説明が座敷へ落ちる。


月夜魅さんは目を伏せ、じっと聞いている。


 


「本来なら、こうした任務に、隊士以外を関わらせることはない」


 


土方さんの視線が、月夜魅さんに刺さる。


 


「だが――」


 


そこで言葉を切った。


続く言葉は、芹沢局長に譲られる。


 


芹沢局長が、にやりと笑った。


 


「だがよ、屯所に鬼を置き去りにして出陣するわけにはいかねぇ」


 


悪意の滲む声だった。


 


「手薄になった屯所で、もし鬼が暴れでもしたら、誰が止めるんだ?」


 


ぐるりと座敷を見渡す芹沢局長。


誰も、それをはっきり否定できなかった。


 


私も拳を握った。


沖田くんは、顔を上げることすらできずにいる。


 


そんなわけ、ないのに。


 


月夜魅さんは、誰よりも自分の力を恐れている。


血の匂いに弱い。


それでも必死に人と共に生きようと足掻いている。


 


芹沢局長の言う「鬼が暴れる」などという想像が、どれほど彼女を侮辱しているか。


けれど、この場では。


その言葉が、正論として扱われる空気があった。


 


土方さんが、静かに頷いた。


 


「……屯所に不安要素を残すべきではない」


 


近藤さんも、苦々しげに目を伏せながら頷く。


 


もう、決まってしまった。


 


土方さんが無表情で口を開く。


 


「月夜魅」


 


その声に、彼女はびくりと肩を揺らした。


 


「次の出陣、お前も同行することに決まった」


 


私は、喉がからからに乾くのを感じながら、月夜魅さんを見た。


 


「……はい」


 


かすれた声。


けれど、それ以上、何も問わない。


何も逆らわない。


ただ、静かに受け入れようとする姿が痛々しかった。


 


土方さんは続ける。


 


「だが、本隊の警護任務には就かせない。詰所で待機し、不測の事態が起きぬよう留意してもらう」


 


ほんの僅か、彼女の肩の力が抜けたのが分かった。


私はそっと、拳を膝の上に置く。


 


こんな役目を押し付けられたことを、彼女はどれほど理解しているのだろう。


あるいは、理解したうえで、何も言わずに飲み込もうとしているのか。


 


ちらりと沖田くんを見る。


彼は座敷の端で腕を組み、深く壁にもたれていた。


顔は伏せがちだが、明らかに不機嫌な気配が滲み出ている。


 


あの子にこんな理不尽を呑ませるのが、どれほど悔しいか。


沖田くんも、私と同じ気持ちなのだろう。


 


「それから」


 


芹沢局長が、にやりと口端を歪めた。


 


「もし万が一、てめぇが逃げ出す素振りを見せたら、その場で首を掻っ切る」


 


冷たい声。


月夜魅さんは一瞬だけ顔を上げたが、すぐに視線を落とした。


 


「……承知しました」


 


わずかに震える声。


その姿を見て、私の心はどうしようもなくざわめいた。


 


君は、本当に。


どれだけ何も背負わずに済む世界に生まれていたら、幸せだったのだろう。


 


「それでいいな?」


 


芹沢局長が周囲を見回す。


誰も声を上げない。


土方さんも、近藤さんも、無言で頷いた。


 


誰も、彼女を守れない。


私たちの無力さだけが、座敷の空気を重く沈めていた。


 


月夜魅さんは、ぴたりと膝を揃えたまま、深く頭を下げる。


その小さな背中が、酷く遠くに感じた。


 


ちりん、と風鈴の涼しげな音がした。


けれど、その音でさえ、この場の重さを和らげるにはあまりに弱かった。


 


月夜魅さんが座敷を下がったあと、私は立ち上がった。


誰も彼女を引き止めない。


誰も、声をかけない。


畳に残る彼女の気配だけが、痛々しく漂っていた。


 


私が座敷を後にすると、ふと背後から足音がした。


振り返らずとも、分かる。


沖田くんだった。


 


縁側を渡り、広い廊下を抜ける。


月夜魅さんの姿が見えなくなった頃、低く押し殺した声が私を呼び止めた。


 


「――山南さん」


 


私は足を止め、振り向く。


沖田くんが、わずかに荒い呼吸をしながら、こちらを睨むように見ていた。


 


「……どうして、あんなこと、通したんですか」


 


絞り出すような声。


その目は、怒りと悔しさに揺れている。


 


私は一瞬だけ言葉に詰まった。


 


「……私だって、納得しているわけではない」


 


静かに告げる。


 


沖田くんは歯を食いしばった。


 


「じゃあ、なぜ……!」


 


声を荒げかけて、寸前で飲み込む。


廊下に、重苦しい沈黙が落ちた。


 


私は小さく息をつき、縁側の先に視線を落とした。


 


「君だって、分かっているだろう」


 


ぽつりと呟く。


 


「あの場で反論を続けても、無駄だった」


 


幹部たちの意志は、すでに固まっていた。


土方さんも、近藤さんも。


あの場で声を荒げ続ければ、月夜魅さんの立場をさらに危うくするだけだった。


 


沖田くんは拳を握りしめたまま、じっと私を見ている。


その瞳には、抗いようのない悔しさが滲んでいた。


 


「……分かってますよ」


 


やっとのことで、低く答える。


 


「でも、悔しいんです」


 


声が震えていた。


 


「僕たちが、守ってやるべきだったのに」


 


私は何も言えなかった。


 


私もだ。


私も、同じだ。


 


守れなかった。


救えなかった。


それでもあの子は、静かに何も言わず、ただ受け入れた。


 


あの小さな背中を思い出す。


私はそっと目を伏せた。


 


「――必ず、守ろう」


 


静かに、けれど確かな声で言った。


沖田くんが顔を上げる。


 


「どんなことがあっても」


 


私は、しっかりと沖田くんを見つめた。


 


「今度こそ、絶対に」


 


しばらくの沈黙。


そして沖田くんは、ゆっくりと、力なく頷いた。


 


「……はい」


 


かすれた声で、それだけを言う。


 


静かな夕暮れの光が、縁側へ差し込んでいた。


その光の中に、私たちは黙って並んで立っていた。


今度こそ守る。


そう誓いながら。


けれどその誓いさえ、時代の大きな流れの前では、あまりにも小さく頼りないものに思えた。



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