第50話:「最終話」諸先輩の死を乗り越え、RB産業のが東証1部へ
これで2007年6月までに、リハビリ用歩行補助装具を2種類、10機ずつ合計20台が完成して、RB産業では、2億円の資金を使ってしまった。しかし、リハビリ用歩行補助装具を2種類は、全国の要望あるリハビリセンター20施設にテストに出した。しかしリース料金が3年リースで月10万円では、導入する施設が限られた。
やむを得ず8万円に下げる事にせざるを得なくなった。これにより、リハビリ用歩行補助装具の製造原価と同じ利益を得るのに50ヶ月、4年と2ケ月かかる事になり、他の筋力補助のロボット装具が36ヶ月の方が利益回収期間は早い。更に、営業部の3人の努力で2006年8月までに新しく60台のリース契約をとった。
その後も一気に、関東地区の工業地域をしらみつぶしに訪問し年内、累計100台のリース契約の料金を3年契約で月9万円と8万円に下げた。それにより2006年中に100台、2005年10月の40台を合わせると、合計140台の重量物運搬用ロボットのリース契約とった。
2006年の重量物運搬用ロボットの価格を200万円に抑えたので収益が2008年には、筋力補助用ロボット装具の製作費用の総合計6億4千万円、2008年12月には、全て回収できて、毎年4億円近い営業利益を産むことになった。そのため、2008年には、新たにサービスエンジニアを10人増員。
その後、サービスエンジニアを13人にして日本全国に営業活動できるようにした。その後、2009年には、サービスエンジニア20人を採用し、30人体制で日本全国で営業活動を展開し、ロボット装具の製造累計が300台になった。しかし、リハビリ用のロボットは、厚生省の医療補助がもらえず、患者さんの負担が大きく増える事はなかった。
それでも年間、2008年度中に営業利益が10億円を超えるようなり、この業界では、圧倒的シェアのナンバーワン企業に成長していった。特に、その利益率の高さは、日本の中でも3本の指に入る高収益企業という評判が高まった。2009年に東証ジャスダック市場に株式を上場した。翌2010年2月、布施社長が脳梗塞で退職し社長の座を常本肇に、ゆずった。
2011年、夏、池辺営業部長が炎天下の昼間、移動中に熱中症になって、救急病院に、運ばれたが、帰らぬ人になった。そのため、常本優一が営業部長に昇格した。2011年、12月、富士川さんがつくばの本社で1人で事務作業中に倒れて、女子事務員が発見し、救急車を呼んだが、心筋梗塞で、既に息絶えていた。
そして常本優一が副社長に昇格し常本優也が営業部長に昇格した。この年、RB産業が東証1部に上場を果たした。2012年5月の連休に、常本肇が長男の常本優一と次男の常本優也を伴って、車で木下先輩、布施社長、池辺さん、富士川さんのお墓をまわって、現在のRB産業の成功を応援してくれたことに感謝した。
そして、それぞれのお墓を順番に回った。そして花を手向けて、3人で、お礼を言いながら順番に墓参りをした。木下先輩の墓で、お参りしたとき、生前の屈託のない笑顔で祝福してくれた。次に布施社長の所では、自分の夢を果たしてくれてありがとう言われた気がし池辺さんと所では、まだ、まだ、世界に進出しろと励まされた。
最後の富士川先生には、今後も、社員達を大切にして、RB産業をもっともっと素晴らしい会社に育成してくれと言われた気がした。帰り、息子の運転する車の後部座席で、眠ってしまい、昔のコンピュータ研究会の夢を見た。
その夢は、長野県の栂池スキー場でのコンピュータ研究会で、池辺さんと富士川先生と仲間達とビールを乾杯して、これからコンピュータが世界を席巻する大声を上げている夢を見て、思わず、乾杯と言ってしまった。すると子供達が、驚いて、お父さん、大丈夫ですかと起こされた。
「すると何を思ったのか、大丈夫です。RB産業は、永遠に不滅ですと言い大笑いされた」
【完結】




