第47話:試験機の完成と常本兄弟がテスト係
やっと、暇になったので、伊香保温泉で、5月20日過ぎ、2日ほど、温泉療養してくると言い出かけて行った。6月に入り、YK電機では、試作機の製造を始め完成しては、寸法とモーターが作動するか確認しながらつくるので、週に4台しか作れなかった。一方、常本兄弟、常本優一と常本優也はYK電機に予想していた仕事と違うと理由で、退職願を出した。
6月30日付けで夏の初ボーナスをもらった後、退職した。この話をRB産業の富士川副社長にすると、9月に試作機が完成すると忙しくなるから、9月1日付けで採用するから、つくばの本社に来てくれと言われた。夏休みの初日、8月12日の晩に、常本優一と常本優也がお盆休みだと言い、実家に帰ってきた。
夜に、中華街へ行き、夕食を食べたり、父の車を借りて、富士山山麓の高原をドライブしたりして、夏休みを満喫した。その後も8月は、家の手伝いをしたりした。そのため母のソフィアは、毎日、楽しそうに食事を作って、元気そうな、常本兄弟を眺めていた。そんな感じで、8月があっという間に過ぎ、9月を迎えた。
9月1日、橫浜の実家を出て、橫浜駅から東京を経て秋葉原から「つくばエクスプレス」で終点のつくば駅に到着して、タクシーで数分のRB産業の本社に行って、布施社長から試用の辞令をもらった。その時、既に、製造した2種類のロボットの装具の実物を見て試したが、30キロ、50キロ、100キロの重さの砂袋を持ち上げることができた。
これなら売れると常本兄弟は、売れる自信を持った。その後、リハビリ用の装具について、信州大学医学部の関連施設で試してもらう確約を富士川先生が整形外科の先生方と話をつけた。そして、その装具を運ぶことになった。一方、布施社長と常本優一と常本優也は、重い物を持ち上げるためロボット装具のテストを依頼された。
橫浜の日本の株式市場に上場していない大企業にテストの依頼をして4人乗れるトラックで、つくばから、橫浜まで運搬した。15時に、その会社の本社に到着して試作機を報道陣なしで社内の体育館で秘密裏にテストした。数名の男性社員が、交代しながら100キロの重さの砂袋を持ち上げることができた。
その感想を聞くと、こりゃ使えるとか、すごいとか、早く、工事現場で使いたいと良い反応ばかりが、戻って来た。原価はと、聞かれ300万円というと、高いと言われ100万円以上では、購入しにくいという感想が多かった。すると現場責任者がリースとかレンタルにした方が安いので、使いやすいとアドバイスした。
それを聞いた布施社長が、そうか、販売することばかり考えて、リースやレンタルすることをすっかり忘れていたと言い、これは良いことを聞いたと喜んだ。何日間、無料レンタルかしてくれるのかと聞かれ、2週間ですと答えた。わが社のアンケート用紙に試用した感想や10ヶ所の質問答えてもらえれば、無償で試用できる契約になると伝えた。
すると、こう言う機械が普及してくれると何時間でも重たい物を運ぶ仕事が簡単にこなせて日雇いアルバイトには、理想的だと言った。布施社長と富士川副社長が、常本優一と常本優也は、RB産業のサービスエンジニアとして働いてもらおうと考えた。まず最初、ロボット装具の機械製品の保守・メンテナンスをマスターしてもらう。
その後、納入、リース先の要望に応じて、客先に出向き、導入時の機械の使い方を説明し、定期的に訪問して、その機械の保守・点検や部品の交換、修理、障害発生時の原因究明や復旧作業などを行なってもらう事にした。その結果、会社の休日つまり、土曜、日曜、祭日に仕事をすることになる。
また、機械の特性、メンテナンスの必要順位などをしっかり勉強する必要がある。7月から、まず、最初の仕事として、その会社が休みの時にロボット装具の点検をする事になるのその機械の勉強を1ヶ月かけてみっちりをしてもらうことにした。そこで、本社の、倉庫の隅に2段ベッドを入れ、寝泊まりしてもらう事にした。3ケ月に及ぶ勉強と研修を終了すると2005年10月1日になった。




