フォーグレンの神官80
「久しいな」
カネリは部屋に訪れた中年の女性を見ると微笑んだ。
女性の名はミル。八年前に結婚をするということで神殿を退殿した元上級神官だった。退職後、すぐに結婚し、子供を身ごもった。退殿するときに『神石』のかけらは返却し、今まで学校を開く夫の傍ら、普通の市民として暮らしていた。
数刻前、王より市民に避難命令が出された。ミルは子供と夫と共に街外れに避難しようとしていた。その矢先、神殿より知らせがあった。ミルは神殿よりも家族を優先することを決めていたのだが、夫の言葉もあり、神殿の命を受け取り、大神官のカネリに面会に来ていた。
「ミルよ。座るがよい」
カネリは部屋の入口に立ったままのミルにそう声をかけた。ミルは頭を軽く下げるとカネリが勧めた椅子に腰かける。
八年ぶりに再会だった。
八年前、退殿の意志を伝えると悲しそうに微笑んだカネリの表情を覚えている。カネリは時期大神官としてミルのことを考えていたようだった。しかし、ミルは自分以外にも有望なものがいる、神官以外の道を歩みたいと強く懇願し、退殿にこぎつけた。
それ以来、神殿と関わることはなく、過ごしてきた。したがって、数刻前に受け取った神殿の知らせは驚き以外何物でもなかった。
「ミル。神殿とは関わりたくないのはわかっておる。しかし、今回はお前の力が必要なのだ」
カネリは、戸惑いの表情を浮かべるミルに微笑むとそう言った。
「わしは現在宮殿から動けない状態だ。しかし、シュイグレンが攻めて来る今、火の神官を統率する必要がある。お前にその役目を任せたい」
「わ、私がですが?!センはどうしたのです?」
ミルはカネリの言葉に驚き、眉をひそめた。十年前にシュイグレンに表敬訪問した外務大臣の護衛のため、新米だったセンと共に行動した。その際ミルは、センが時期大神官としてカネリの後を継ぐことを予期した。
そのセンを先置いて、一般市民になった自分に火の神官の統率を頼むことは、信じられないことだった。
「センか、今はフォーグレンにはいないのだ。事情があってな。この件が落ちついたらお前にも話そう。それよりも今大事なのは攻めて来るシュイグレンを食い止めることだ。相手は水の女神の力を使うものだ。火の神官でないと太刀打ちできないだろう」
「水の女神?!ではこちらでも火の神の力を使って……」
「……そうなのだが……。ミル、タリザを覚えているか?」
「タリザ?」
ミルは久々に聞く、同僚の名前に目を開く。
シュイグレンの王子に加担した罪で神殿を追放された神官……。
『神石』を生み出した神官の家柄でありながら飾らない性格の神官だった。
年齢も近いこともあり、仲良くしていた。
「十年前、センが見つけた子供はタリザの娘だ」
「……そんな、あの子が……」
ミルは十年前、センが国境添いで連れ帰り、神官として育てるべく入殿させた子供の顔を思い出した。
大きな青い瞳が印象的な子供であった。
「その娘、ターヤが現在火の神をその身に宿し、眠っている」
「そんなことが?!」
「……考えられないことだが、事実だ。何を考え火の神がターヤに宿っているのかわからないが、現時点で火の神の力を期待することはできない。わしはターヤに問いかけ、その覚醒を促すつもりだ。それまで、火の神官の力で水の女神の力を防いで欲しいのだ。わかるな?」
「……」
ミルはカネリの言葉に声を発せなかった。信じられないことだった。神が人に宿るなんて、あのタリザに娘がいたなど、一気にもたらされた情報はミルを混乱に陥れる。
「水の女神の力は強大だ。街に入る前に、食い止めるのだ」
しかしそんなミルにカネリはそう言葉を続ける。
ミルはカネリの真摯の視線を受け止め、考えをまとめるため、宙を仰ぐ。
驚くべきことばかりであったが、愛すべき家族の街、フォーグレンの街を破壊させるわけにはいかなかった。
街を、人を、家族を守りたい。
「……了解いたしました」
ミルは大きく深呼吸するとそう答えた。
「ミル。お前にこれを託そう。大神官の印だ」
カネリは微笑むと、ミルに赤い『神石』のかけらが煌めくティアラを渡した。
「私が……?」
ミルは受け取った光り輝くティアラを見つめる。
「お前も知っての通り、火の神官は頑固な者が多い。そのティアラを見せれば、火の神官もお前の指示に従おう」
カネリの言葉にミルは苦笑すると、ティアラを頭に載せる。するとかけらが光り、ミルの服が大神官の正装となった。
「さあ、大神官。頼んだぞ」
「お任せ下さい」
ミルは眩しそうに自分を見つめるカネリにそう答えた。