フォーグレンの神官78
城の近くまで来ると、ネスはティアナを連れて地面に降り立った。そして城の様子を窺う。
変わった様子はなかったが、門のところでつまらなそうにしているツゥリの姿が見えた。
「姫様、ここでお待ち下さい」
ネスはティアナに木陰で待つように言うと、ゆっくりと城門へ近づいた。そしてツゥリが背中を向けた瞬間、回り込み鳩尾に拳を入れた。気を失ったツゥリの体を担ぎ、ネスはティアナの待つ木陰に戻ってくる。
城門を再度確認するが、ツゥリのほか、門を警備するものはいないようだった。
「姫様参りましょう」
ネスはツゥリの体を草むらに貸すとティアナの手を取り、城の中に跳んだ。
城は静まり返っていた。
兵士が寝泊りをしていた部屋はがらんとしていた。
ネスは廊下を歩く、年老いた給仕を見つけると、ティアナに柱の陰に隠れるように合図をして、給仕に近づく。そして口を塞いだ。
「静かに。マシラ王たちがどこにいるかわかるか?」
ネスの問いに給仕は頷いた。そしてネスが水の神官だとわかると怯えた表情を緩める。
「お前に危害を加えるつもりはない。わかったな?」
ネスは給仕が頷くのを見て、その口から手を離した。
「ティアナ姫!」
給仕は柱の陰に隠れていたティアナ姫の姿を見ると、涙をこぼさん限りに喜んだ。
「よく御無事で……」
「メイラ、あなたもよく無事で」
ティアナは涙ぐむ歳を取った給仕をそう言いながら抱きしめた。メイラはマシラ王の父の代から城で働く、給仕だった。ティアナは小さい時からメイラを実の祖母のように慕っていた。
「……メイラよ。時間がない。マシラ王達のいる場所へ連れて行ってくれるか?」
メイラは涙を拭いながらティアナの腕から離れると頷いた。
「ネス?!」
地下の牢獄に降りると、ズウの姿が見えた。ズウは壁によりかかり牢番をしていた。ネスはズウに反撃の余地を与えないように素早く動くと、『神石』のかけらを使い、ズウを凍らせた。
「ネスか!」
ふいに凍りついたズウの姿に怯えながらも、牢獄の鉄格子の向こう側から、嬉しそうな声が聞こえた。それはマシラの息子達だった。二人の息子に離れて力なく座っているマシラの姿も見える。
「母上!」
ティアナは別の牢獄にいた女性に近づくとそう呼んだ。
「ティアナ、戻ってきたのね。無事でよかった」
女性――マシラの妻リエナはそう言うと、鉄格子の外から中に出されたティアナの手を掴んだ。
リエナの服は薄汚れ、表情は疲れ果てていた。しかし、怪我などがない様子にティアナは安堵する。
「下がっていてください」
ネスはそう言うと、鉄格子を次々と凍らせ、砕き始めた。マシラの息子達――二人の王子は マシラの肥った体を支えると牢獄から出てくる。ティアナはリエナの側に走り寄り、その身に抱きついた。
「兄上…―兄上はどうしたんだ?」
「フォーグレンに向かったようです」
力のないマシラの言葉にネスはそう答えた。
メイラからラズナンが何千ものの兵士を携え、何百隻もの船と共に空を飛んでいったと聞いた。行く先は聞くまでもないフォーグレンだ。
「兄上め。馬鹿なことを」
マシラは忌々しげにそうつぶやく。
「まあ、いい。これで兄上がフォーグレンと共に消えてもらえば、すべては片付く」
「王よ。私は無駄な戦いを止めるつもりです。ラズナン殿下のことは私におまかせください」
ネスは、兵士となり戦場に駆り出された民衆の事よりも自分の利益を考えるマシラに落胆しながらそう言った。
腐りきった王族、マシラはまさにその頂上にいる王だった。
ネスはマシラの返事を待つつもりはなかった。
戦いが起きる前に、デイから水の『神石』を奪う。
ネスはそのつもりだった。
水の『神石』を奪回すれば、心が奪われたラズナンを再び元に戻せる可能性があった。
元のラズナンであれば、この国は再び救われる。
ネスはそう決断すると、マシラに背を向けた。
「ネスよ。兄上を、ラズナンを生かしておくな」
マシラは去りゆくネスにそう言った。
しかしネスが返事することはなかった。