フォーグレンの神官38
「タリザ、愛してる」
ラズナンはそう囁き、タリザの唇を自らの唇で強引に塞いだ。
抵抗しようと思えばできた。
ラズナンはシュイグレンの王となる者だった。
そして妃でもある、正妻もいた。
頭ではだめだとわかっていた。
ずっと恋はしてはいけないと言い聞かせてきた。
神官である自分は女ではないと。
しかし、ラズナンから囁かれる情熱的な言葉、その行為にその意志は砕けた。
「ラズナン様、わたしも愛してます」
タリザはそう答えると、ラズナンの首に手を回した。
柔らかな銀色の髪が腕に触れ、きらきらと光った。
自分を見つめる瞳は蒼く、深い海のようだと思った。
「タリザ……」
ラズナンはタリザをタンポポの綿毛を扱うようにふわりと抱くと、寝室に運んだ。
「母さん!」
「ターヤ!逃げなさい!早く!」
数匹の狼がうーっとうなり声を上げながら、今にでもこちらに跳び掛ってきそうだった。
日が沈んだ山の中で、吹雪が吹き荒れ、視界は完全に閉ざされていた。タリザは自分達がどこにいるのかわからなかった。
この吹雪の中、幼いターヤを一人で逃がすのは危険だとわかっていた。
しかし、ここで一緒に狼の餌になるよりは一人でも逃したほうが生き残る可能性があった。
「ターヤ!」
タリザはどんとターヤを自分の後ろの方へ追いやると、狼に向かって走り出した。
きゃいんときゃいんと、狼の悲鳴が聞こえる。
しかし、狼は攻撃を辞めようとしなかった。木の棒を振り回すタリザに狼が襲い掛かる。
「ターヤ!行きなさい!」
母タリザの怒声を聞き、ターヤは泣きながら走り出した。
狼のうなり声、鳴き声、母の怒鳴り声が後ろのほうから聞こえた。
母さん、母さん!
ターヤは泣きながらも、走り続けた。
「!」
ふいに視界が開ける。
そしてターヤはそのまままっ逆さまに谷に向かって転げ落ちた。
「セン?」
上級神官のミルは、ふいにセンが隊から外れ、谷間に向かって走っていったのを見て顔をしかめた。そして兵士に声をかけると隊から離れ、センを追った。
ミルはシュイグレンを表敬訪問した外務大臣を警護しており、フォーグレンに帰還する途中だった。センは見習いから神官になったばかりの新米神官だったが、その力を買われ、ミルの補佐としてついてきていた。
「セン……その子は?」
ミルの元へ戻ってきたセンが抱いていたのは、年頃が六歳ほどの少年だった。
「谷間で見つけました。ミル様、神殿に連れて帰りましょう」
「……わかった」
大臣の警護をしているミルは本来であれば身元不明のものを隊に連れて帰る訳にはいかなかった。しかしこの吹雪の中、少年を山の中に捨て置いていくことは死を意味することだった。ミルはセンに少年を連れていくことを許可し、大臣と兵士が待つ隊に戻った。
センは寒さで冷たくなった少年の頬に触れると、自分の胸元で輝く赤い『神石』のかけらを掴む。そして少年に手をかざした。すると青白くなっていた少年の頬が少し赤らんだのがわかった。
男の子?
女の子か……。
六歳くらいの年齢はまだ男女の区別が難しかった。その身なりから少年だと思ったのだが、少女かもしれないとセンは思った。
「か、母さん……」
少年、少女――ターヤがセンの腕の中でそうつぶやいた。
センがターヤを拾った場所を振り返る。
しかし荒れた天候の中、何も見えなかった。
「セン、行くぞ!」
ミルの怒声が隊の方から発せられる。センはターヤを抱く手に力を込めると、ミル達が待っている場所を急いだ。