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リィナ・フェルウェンが維持する《空間隔絶結界》の淡い蒼光に包まれながら、一行は「黒鋼の放送基地」の深部へと足を踏み入れた。砂漠の焦熱は鋼鉄の隔壁によって完全に遮断され、代わりに肌を刺すような人工的な冷気と、循環する冷却水の低い駆動音が通路を満たしている。天井には無数の配管が這い、その継ぎ目からわずかに漏れる蒸気が、青白い照明の下で細く尾を引いていた。
「……ひどい魔力の匂いですわ。まるで、魂を腐らせて発酵させたような不快感……」
セリス・ヴァレンティアがレイピア《煌光穿》の柄をきつく握り締め、忌々しげに周囲を睨んだ。彼女の青色の瞳には、美しき魔術の理を、ただの「電波」へと貶める黒鋼派の設計思想への、峻烈な軽蔑が宿っている。壁を伝う結露が、まるで施設そのものが冷たい汗を掻いているかのように、ぽつりぽつりと石床へ滴り落ちていた。
通路の両壁には、血管のように太い魔導ケーブルが這い回り、不気味な蒼紫色の脈動を繰り返していた。そのすべての導管が一点へと収束する最奥の円形広場。そこに、事態の元凶が鎮座していた。
「──誰か、います」
サツキ・ハートフィールドが足を止め、低い構えを取った。彼女は魔力による感知ではなく、武人としての生存本能で、広間の中心から放たれる「致命的な殺意の重圧」を捉えていた。彼女の指先が薙刀《星凪》の柄をわずかに握り直し、呼吸が自然と浅く、しかし静かに整えられていく。
正面の広間。無数の魔導ケーブルによって空中へと吊るし上げられ、十字の座標に固定された一人の女性の姿があった。サハリス砂漠王国の伝統的な魔導織布を纏ってはいるが、その瑞々しかったはずの肌は死人のように青白く、露出した四肢からは、神経系に直接食い込むような不気味な端子が突き出している。彼女の髪は力なく垂れ下がり、頭部から垂れる幾筋もの細いケーブルが、まるで彼女自身の意志を吸い上げる根のように、天井の機構へと繋がっていた。
「嘘……。魔軌士No.6、セラフィナ・アルシェル様……!?」
セリスの驚愕の声が、金属の壁に反響した。行方不明となっていたサハリスの至宝。だが、現在の彼女にその威厳はない。彼女の魔力系統は基地の基幹回路に強制接続され、その卓越した魔力適性そのものが、精神汚染波を全世界へ「放送」するための「増幅器」として使い潰されていたのである。
セラフィナの胸元には、あの琥珀色のラペルピンが、地上の要人たちを縛り付けるものとは比較にならないほどの、悍ましい光を放ちながら埋め込まれている。ピンの周囲の肌は変色し、そこから放たれる脈動が、彼女の呼吸のリズムとは異なる、不気味に速い律動を刻んでいた。
「彼女の魂を……回路の部品にしているというのですか……っ!」
リィナは、あまりの冒涜に息を呑み、自身の両手で口元を覆った。その淡い青色の瞳からは、堪えきれない怒りと悲しみの魔力が、微かな燐光となって零れ落ちていた。彼女の脳裏には、これまで出会ってきた誓導者や仲間たちの顔が一瞬よぎり、目の前の光景が決して他人事ではないという痛みが、胸の奥深くを締め付けた。
その時、意識を失っていたはずのセラフィナが、ゆっくりと顔を上げた。だが、開かれた琥珀色の瞳に知性の光はない。そこに宿るのは、ただシステムを維持するためだけにプログラムされた、機械的な殺意の残滓のみ。瞳の奥で明滅する蒼紫色の光が、彼女がもはや自分自身の意志を持たぬ存在であることを、無慈悲なまでに物語っていた。
『──侵入者、確認。排除。……出力を最大へ』
彼女の口から漏れたのは、感情の剥落した無機質な「音」であった。かつて誰かを「お姉さま」と慕われるほどの優しさを持っていたはずのその声は、今や機械の合成音のように平坦で、聞く者の背筋を凍らせた。
直後、広場全体の空気が物理的な質量を伴って爆発した。セラフィナの背後にある巨大な魔導炉が、過負荷を告げる真っ赤な光を放ち、彼女の細い指先が、空中で複雑な幾何学模様の術式陣を一瞬にして多重展開していく。指先の一つ一つがまるで別の意志を持つかのように、精密に、しかし冷たく動いていた。
火、風、光──三つの属性が高密度に圧縮され、幾重にも重なる「光輪」へと編み上げられていく。それは現代魔術の到達点の一つ、上級複合魔術《閃光砲》の同時・多角展開。展開される術式陣の数は、通常の熟練魔術師が一度に扱える限度を遥かに超え、広間全体を埋め尽くすほどに膨れ上がっていった。
「いけませんわ! あの密度……理論的な飽和攻撃ですわ! まともに受ければ結界ごと消し飛びます!」
セリスが悲鳴に近い警告を上げた。彼女は咄嗟にリィナの前へと踏み出し、自身の身体で庇うような姿勢を取ったが、目の前で膨れ上がる光輪の規模に、その足がわずかに竦むのを感じずにはいられなかった。
広場を支配したのは、白銀の色彩と、空間を焼き尽くすほどの高熱の予兆であった。展開された光輪の一つ一つから、ジジ、と大気を焦がす微かな音が漏れ始め、それが幾重にも重なり合って、耳をつんざくような不協和音へと膨張していく。天才が放つ、抗いようのない「死」の奔流が、いま、理外の零番へと向けて解き放たれようとしていた。
サツキは薙刀を構えたまま、一歩も動けずにいた。武人としての直感が、目の前の光の奔流が自分の技量で防ぎ得るものではないと、明確に告げていたからだ。彼女の視線は、無言のまま前へと進み出るアレンの背中へと注がれていた。あの背に、この場のすべてが託されている。その確信だけが、サツキの胸の内で静かに揺るぎない支えとなっていた。
リィナは震える指先で《澄光星環》を握りしめながらも、視線だけはセラフィナの虚ろな瞳から離さなかった。あの瞳の奥に、まだ本当の彼女が残っているのではないか──そんな祈りにも似た思いが、リィナの胸の中で消えることなく灯り続けていた。
膨大な光輪が最後の収束を迎え、白銀の閃光が今にも解き放たれようとする、その刹那。広間に満ちていた重苦しい静寂を破るように、アレン・ヴァルグレイの足音だけが、確かな一歩を刻んでいた。




