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「――シッ!」
迷宮の静寂を、鋭い風切り音が切り裂いた。サツキ・ハートフィールドが地を蹴り、その手に握られたアダマンタイト製の薙刀《星凪》が、不気味に脈動を続けていた魔力抽出装置の導管を一閃の下に両断する。切断面から、行き場を失った蒼紫色の精神系魔力が火花となって飛散し、暴走した魔力の奔流がアレンへと殺到した。導管の断面からは、まるで傷口から血が噴き出すように、不純な光の粒子が幾筋も宙へ跳ねた。
「これでお終いですわ! 《爆炎砲》!」
セリス・ヴァレンティアがレイピア《煌光穿》の先を突き出した。放たれた極太の火柱が、残された不浄な機械群を無慈悲に瓦礫へと変えていく。焼け焦げた金属の破片が石床に転がり、乾いた音を立てて跳ねた。
――パリン、パリン。
リィナ・フェルウェンが維持する《三重魔導護膜》が、飛散する毒素をアレンの体表一センチで正確に弾き飛ばした。膜が弾ける度に、微かな燐光が空中に散り、暗い室内をわずかに明滅させる。リィナは淡い青色の瞳に強い決意を滲ませ、主の傍らでロッドを握り直す。彼女の額にはうっすらと汗が浮かんでいたが、その表情には迷いの色はなかった。
拠点は制圧された。だが、アレンは無機質な石床に広がる残骸を一瞥し、漆黒の瞳を冷徹に細めた。そこにあるべき主要な魔力容器は、すでに運び出された後だった。空になった架台だけが、無言のままそこに並んでいる。
「主要な物資は地上へ……。足跡すら残さないとは、徹底していますわね」
セリスが悔しげに唇を噛む。彼女の視線は、空になった架台の一つ一つを丁寧になぞっていたが、そこにはもはや、辿るべき何の手がかりも残されていないように見えた。だが、アレンは無造作に右手を虚空へ伸ばした。
「いや。魔力の残滓はまだここにある」
《魔力直接操作》
アレンの指先が、空間に漂う微細な“揺らぎ”を物理的に掴み取った。それは、運び出されたばかりの魔力容器が空気に刻んだ、不純な魔力の道標だ。目には映らぬはずのその痕跡を、アレンの権能は確かな質感として捉えていた。アレンが掌を強く握り込むと、霧散しようとしていた痕跡が力ずくで“固定”され、迷宮の出口へと続く細い光の線となって浮き上がった。淡い光の糸は、天井の暗がりへ向かって、緩やかに弧を描いていた。
「サツキ、生き残っている奴らをまとめろ。一度ここを出るぞ」
「承知。速やかに拘束いたします」
サツキが、自我を失い人形のようになった運搬員たちを無造作に捕縛した。彼らは抵抗する素振りすら見せず、ただ機械的に手足を動かされるがままになっている。その様子を横目に見たリィナは、複雑な表情を浮かべながらも、感情を押し殺すように口を閉ざしていた。魂を持たぬ器と化した彼らへの憐憫と、この地に潜む狂気への嫌悪が、彼女の胸中で静かにせめぎ合っていた。
アレンは三人の誓導者に触れると、転移座標を記憶した。
「離れるな。……跳ぶぞ」
《空間転移》
視界が陽炎のように歪み、一行は一瞬で迷宮第一階層の安全地帯へと降り立った。地上へと出た瞬間、サハリスの熱い砂風が一行を迎え撃ち、吹き抜ける風が砂の粒子を肌に叩きつける。地下の湿った空気とは対照的な、乾いた熱が肺を満たし、リィナは思わず一つ深呼吸をした。アレンたちは拘束した運搬員を魔軌士局のサハリス支局へと預けると、即座に追跡を再開した。支局の職員たちは、意識を持たぬまま運ばれてきた男たちの異様な様子に絶句し、慌ただしく担架を運び入れていった。
アレンは固定した魔力の「糸」を再び注視した。地上の風景と重なったその光跡を見た瞬間、アレンの眉が僅かに動いた。
「……奇妙だな。この『糸』、迷宮の出口で一度波形が人の手によって整えられている」
「見人形(廃人)たちに運ばせ、地上では正常な精神を持つ工作員が受け取ってリレーした……ということでしょうか」
リィナが表情を曇らせる。彼女の脳裏には、あの培養槽の中で微かに脈動していた迷宮魔獣たちの姿と、瞳から光を失った運搬員たちの姿が重なっていた。誰かが、意志を持たぬ者たちを駒として使い、この痕跡を意図的に整えたのだ。その事実の冷酷さに、リィナは自身の胸元をそっと押さえた。
「セリス、地図を出せ。俺が固定したこの『線』を同期させる」
「お任せください。高速解析を開始しますわ!」
セリスが《アーク・リンク》を展開し、宙に浮かぶ青白いホログラムのパネルを高速で叩いた。彼女の指先は迷いなく動き、アレンが掴み取った魔力のベクトルを核に、地上での魔導車両の軌跡を並列演算していった。パネルに映る数値と光点が、めまぐるしく入れ替わりながら収束していく。
「……捉えましたわ! この魔力の流れ、最短ルートの先にあるのは――未踏領域『死の砂丘』ですわ!」
セリスが投影した地図上に、一点の紅い光が灯った。そこは、サハリスの公的な地図にも載っていない「死の砂丘」と呼ばれる未踏領域。アレンの追跡とセリスの解析が、砂漠に眠る巨大施設の存在を完璧に証明した。地図上に灯るその紅点は、まるで血の一滴のように、周囲の砂漠の白い輪郭の中で不気味に浮かび上がっていた。
「アーラム機関の施設か。各国要人を蝕む汚染の心臓部だな」
アレンの声には、感情の起伏こそ薄いものの、確かな確信が滲んでいた。セリスは即座に解析データと特定座標をサハリス王宮へと転送した。彼女の指先が最後のキーを叩くと同時に、送信完了を示す小さな電子音が響いた。
直後、アレンとセリスの《アーク・リンク》が、最優先秘匿回線の着信を告げる鋭い電子音を鳴らした。セリスが操作すると、空中に国王サイファ・サハリスとの共有回線が展開された。
『アレン殿、セリス殿、報告は受け取った。……座標の特定、実に見事だ。一刻を争うゆえ、我が国が秘匿する緊急移動手段の使用を許可した。現在、王宮の地下ドックにて離陸準備を整えさせている』
サイファの重厚な声が、砂漠の熱風に混じって響く。その声には、王としての焦燥と、事態が急転していることへの緊張が滲んでいた。
「承知いたしました。すぐにそちらへ向かいますわ」
『頼む。……我が国の至宝を、そして世界の正気を、貴殿らに託す』
通信が切れると同時に、アレンは三人を促した。王宮の地下ドックに姿を現したのは、砂漠迷彩を施した最新型の軍用魔導ヘリであった。砂塵を巻き上げるローターの重低音が、周囲の空気を物理的な質量で震わせている。整備兵たちが慌ただしく最終点検を行う中、アレンたちは無言のまま機体へと歩み寄った。
「行くぞ。砂漠の底に眠る狂気を叩き潰す」
理外の零番と三つの楔を乗せた鉄の翼が、爆発的な勢いで離陸した。高度を上げ、黄金の砂の海へと突き進むその機内には、新たなる断罪の地へと向かう、冷徹な静寂が満ちていた。窓の外に広がる砂丘の稜線が、朝の光を受けて淡く金色に輝いている。その美しい景色の底に、どれほどの毒が眠っているのかを、この機内にいる誰もが、痛いほどに理解していた。




