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バルムート王国、交易都市アルカ・マリティマの喧騒を遠く離れた、国際同盟事務局。厚い防魔壁に囲まれた「円卓の間」には、四大陸十五か国の代表たちが顔を揃えていた。室内に流れるのは、穏やかな海風ではなく、背筋を凍らせるような静寂と、高性能の魔導空調が吐き出す無機質な冷気だけである。
円卓の中央には、カザリア王国の三次元地図が青白く投影されていた。そこにはアレン・ヴァルグレイが引いた新たな自治境界線と、「五つの和平条項」のログが、既存の国際秩序をあざ笑うかのように点滅している。
「魔軌士局は、本来我々の管轄外だ。だが、その一員である『零番』が成した結果は、世界の均衡に無視できない歪みを生んでいる」
事務総長が重々しく口を開いた。彼の前にある魔導端末には、各国から寄せられた膨大な抗議声明と、それ以上に切実な「戦慄」が記録されていた。議題は二つ。魔軌士局による政治介入の是非、そしてカザリアの「部族自治強化」が他国の少数民族や属領に与える連鎖反応への懸念である。
「魔軌士は傭兵だ。政治の調停者ではない」
ヴァルゼン帝国の代表が、鉄を叩くような硬い声で断じた。彼の鋭い眼光は、円卓を囲む他国の代表たちを威圧するように射抜く。
「一人の特務官が、一国の主権と統治構造を個人の判断で書き換える──。これは明確な規範抵触であり、国際社会に対する重大な挑戦だ。このまま放置すれば、既存の統治システムそのものが否定されかねん」
「……だが、カザリアで一滴の血も流れなかったという事実は重い」
アルヴェリア王国の代表が、穏やかながらも芯のある声で反論を試みた。
「あの状況で内戦が始まっていれば、死者は数万に達していたでしょう。アレン・ヴァルグレイ殿が示したのは、不毛な連鎖を断ち切るための、法を超えた慈悲ではありませんか?」
円卓の一角、カザリア王国の代表は、青ざめた顔で自身の指先を見つめたまま、重苦しい沈黙を貫いていた。他国の代表たちから向けられる視線には、同情と、それ以上に「怪物に膝を屈した弱者」への侮蔑が露骨に混ざっている。
「……カザリア代表。当事国として、今回の『零番』の介入をどう総括される」
事務総長の問いに、代表は震える声でようやく口を開いた。
「……我が国にとって、あの和平は選択の結果ではありません。あれは、アレン・ヴァルグレイという『天災』が、我々の法を力ずくで書き換えた結果です」
彼の言葉は、救世主への感謝ではなく、理不尽な暴力によって自尊心を剥ぎ取られた者の悲鳴であった。
「彼が提示した『五つの和平条項』を拒むことは、即ちカザリアという国家の消滅を意味していた。……我々は平和を手に入れたのではない。理外の存在によって、自国の『理』を奪われたのです」
その絞り出すような発言は、理事会に漂う「No.0」への不信感に、決定的な現実味を付加することとなった。一人の男の意志によって、一国の主権が容易く塗り替えられる──。その恐怖が、円卓を囲む各国の指導者たちの背筋に、拭いきれぬ冷気を走らせていた。
会議は即座に「非公開」へと移行。記録官も随員もすべて退室させられ、防魔壁が完全に閉じられた後、議題はより本質的な一点へと絞り込まれた。
──アレン・ヴァルグレイを、どう扱うか。
その名が出た瞬間、円卓の温度がさらに数度下がったかのような錯覚が一同を襲った。各国の評価は、鏡を叩き割った破片のように鋭く、バラバラに割れていた。
「彼は平和の象徴です。ガルディアやカザリアで彼が示したのは、圧倒的な力ゆえに可能な救済ですわ」
ガルディア公国の代表が、エリシア公女王の意志を代弁して主張した。だが、その言葉の裏には、ノルディア戦争時に沈黙を貫いた国際同盟が、今回のアレンの功績だけを「問題視」して騒ぎ立てることへの、激しい憤りが隠されていた。代表の指先は静かに震えていたが、その瞳には、故郷を守った男への確かな信頼が宿っていた。
「違うな。奴は、既存の魔術文明の前提を根底から破壊する『理外の爆弾』だ」
ヴァルゼン帝国の代表が再び声を荒げた。
「利用価値は認めるが、国家という枠組みに従わぬ力は、排除すべき脅威でしかない。あれは人間ではない。人の形をした『天災』だ」
平和の象徴か、排除すべき脅威か。国際同盟という名の巨大な天秤は、一人の男が持つあまりにも重すぎる「理」に耐えかねて、悲鳴を上げながら軋んでいた。
議論が膠着し、重苦しい沈黙が円卓を支配したその隙間──。
どこかの国の代表が、顔を伏せたまま、誰にともなく低い声で囁いた。その声には、不信感を煽るための毒が巧妙に仕込まれていた。
「……皆様、一つお忘れでは? 彼が今日、カザリアの自治を独断で認めたように──。明日、皆様の玉座の正当性を《消去》で消さぬと、一体誰が保証できるのですかな?」
その一言が、疑心暗鬼の冷気を瞬く間に円卓へ蔓延させた。代表たちの脳裏に、自慢の王冠や玉座が光の粒子となって消え去る、悍ましい光景が浮かぶ。発言主の顔は、明滅するホログラムの影に隠れて見えない。だが、その言葉が撒いた「不信」という名の火種は、確実に諸国の指導者たちの心に根を張った。
誰かが小さく息を呑む音がした。それが誰のものかは、分厚い防魔壁に包まれた薄暗い室内では判然としなかった。ただ、円卓を囲む面々の間に、それまでとは異なる種類の緊張──互いを疑い合う、湿った恐怖の気配だけが確かに広がっていった。理性を重んじるはずの国際会議の場が、今や疑心という名の毒霧に侵されていくのを、誰一人として止めることができなかった。
アレンが黄金の草原で止めた戦火。それはカザリアにひとときの平穏をもたらしたが、同時に世界の中心に、より質の悪い争いの種を撒き散らしていたのである。
国際同盟理事会は、結論を出せぬまま、底知れぬ揺らぎの中に沈んでいった。理外の零番がもたらした「戦わぬ勝利」は、皮肉にも世界を、新たな分断と暗闘の深淵へと駆り立てる引鉄となっていたのである。夜も更けぬうちから閉ざされた円卓の間には、誰の発言でもない沈黙だけが降り積もり、その静けさこそが、次なる嵐の予兆であることを、この場にいる誰もが薄々察していた。




