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晩餐会の喧騒は、毒を含んだ蜜のように甘く、そして重かった。
公国宮殿の大広間。贅を尽くした料理の皿が次々と運ばれ、各国の重鎮や特使たちが交わす談笑の合間には、それぞれの国の思惑が透けて見える視線が幾重にも交錯していた。魔導シャンデリアの光が、磨き上げられた銀食器の縁に反射し、テーブルクロスの白さをいっそう際立たせている。楽団が奏でる穏やかな旋律が、緊張を纏った空気に、かろうじて優雅さの衣を着せていた。
セリスは、アレンの隣で優雅にグラスを傾けながら、ふと表情を険しくした。彼女の青色の瞳が、会場の端――給仕たちが控える一角に立つ、一人の特使の姿を捉えていた。
「アレン様。……一人、魔力波長が不自然な者がおりますわ」
セリスの声は、周囲に悟られぬよう極めて小さく、しかし確かな緊張を孕んでいた。彼女の視線の先で、その特使は先ほどから何度も襟元に手をやり、額に浮かんだ汗を隠すように俯いている。
リィナもまた、淡い青の瞳を細め、思考読解を静かに走らせた。彼女の意識が、会場を満たす無数の魔力波長の中から、その一点だけを丁寧に拾い上げていく。
「魔力の流れが、内側から逆流しています。……制御が、壊れかけている?」
リィナの声には、これまでの落ち着いた分析とは異なる、微かな焦りが滲んでいた。彼女がこれまで感知してきたどの魔力の乱れとも異なる、内側から食い破るような不気味な脈動。それは、術式によって意図的に引き起こされたものではなく、何か抑えきれない衝動が、その者の魔力回路そのものを蝕んでいるかのようだった。
その報告を受けたアレンは、無表情のままワイングラスにそっと口をつけた。その視線は、獲物を狙う猛禽のように鋭く、冷徹だった。会場の華やかな喧騒の中にあっても、彼の意識は既に一点へと絞り込まれている。
「監視を強めろ。……何かあれば、俺が潰す」
アレンの短く、絶対的な指示が、二人の誓導者の間に静かに落ちた。だが、その予兆はアレンの予想を上回る速度で「現象」へと変わった。
「――っ!?」
会場の空気が、不自然に震動した。先ほどの特使が、自身の喉をかきむしり、獣のような咆哮を上げる。周囲にいた特使たちが驚愕に息を呑み、談笑の声が瞬く間に凍りついた。彼の身体から、どす黒い高密度の魔力が溢れ出し、空間そのものを歪め始めた。その魔力は、まるで生き物のように蠢き、周囲の光を吸い込むかのように暗く沈んでいく。
「魔力暴発……!? 嘘、術式すら介していないのに!」
セリスが驚愕に目を見開いた。彼女の知る限り、魔力の暴発とは通常、術式の構築ミスや過剰な負荷によって引き起こされるものだ。だが今、目の前で起きている現象には、そうした「理」の痕跡が一切見当たらない。まるで、何か外側からの意図的な干渉によって、内側から強引に引き裂かれたかのような、不自然な破綻だった。
男の肉体が、理外のエネルギーに耐えきれず限界を迎えた。
凄まじい衝撃波が、大広間を蹂躙する。吹き飛ばされるテーブル、砕け散るクリスタル、そして悲鳴。着飾った貴婦人たちが悲鳴を上げて崩れ落ち、護衛の騎士たちが慌てて剣の柄に手をかける。会場全体が、一瞬にして修羅場と化した。
爆風の余波は、中央に取り残された一人の子供へと牙を剥いた。晩餐会に同伴していた要人の家族の一人であろうその小さな体は、突然の混乱の中で親の手を離れ、逃げ場を失って立ち尽くしていた。恐怖に見開かれたその瞳が、迫りくる黒い奔流を映し出す。
「危ないっ!!」
サツキ・ハートフィールドの身体は、思考よりも先に動いていた。一七二センチのしなやかな肢体が、風を切って石床を蹴る。会場を包む混乱の中、彼女の意識は既に、その小さな命ただ一点へと集中していた。
しかし、ここは戦場ではなく、外交の場だ。彼女の魂とも呼べる家伝の魔導薙刀《朧月》は、今、手元にはない。壁際で控えていた彼女の腰には、儀礼用の細身の飾り剣が下げられているだけだった。
サツキは反射的に、逃げ遅れた子供の小さな体を抱き寄せた。自身の背中を盾にし、来るべき衝撃に備えて歯を食いしばる。周囲の悲鳴と怒号が、遠く霞んでいくように感じられた。彼女の視界には、ただ、迫りくる死の気配だけが克明に映し出されていた。
(間に合わない……!)
背後に迫る、死を孕んだ魔力の奔流。無防備な武人の背に、不可避の破壊が叩きつけられようとしていた。その一瞬、サツキの脳裏には、これまで積み重ねてきた鍛錬の記憶と、まだ言葉にできぬまま胸の奥に沈めていた想いとが、同時に閃光のように駆け巡っていた。守りたいという強い意志だけが、恐怖を上回って彼女の身体を突き動かしていた。
会場を包む混乱と絶叫の中、黒い奔流はなおも勢いを増しながら、サツキと子供の背へと迫り続けていた。




