21-3
数日後の午前、ガルディア公国の国際空港には、平時の華やかさを塗りつぶすような、鋭利な緊張感が漂っていた。滑走路に並んだのは、アルヴェリア王国、ヴァルゼン帝国、そしてサハリス砂漠王国――迷宮を保有する三つの強国が連名で派遣した「合同外交団」の特別機である。三機の魔導航空機が、それぞれ異なる国章を機体に刻んだまま、規則正しい間隔で滑走路へと滑り込んでいく様は、平和的な訪問というよりも、むしろ軍事演習に近い威圧感を放っていた。
表向きは友好訪問を謳っているが、タラップを降りてくる特使たちの背後には、いずれも大陸に名を馳せる特級魔軌士たちの姿があった。彼らが無意識に放射する濃密な魔力圧は、秋の澄んだ空気を物理的な質量を持って圧迫し、出迎えた官僚たちの指先を凍りつかせている。滑走路脇に整列した歓迎の儀仗兵たちでさえ、その圧力に耐えかねるように、僅かに肩を強張らせていた。
「……目的はアレン殿との直接交渉。そして――」
宮殿の執務室。開け放たれた窓から外交団の車列を見下ろしていた公女王エリシアが、静かに振り返った。窓の外を流れる秋の風が、彼女の淡い金の髪を柔らかく揺らしている。その青い瞳には、政治家としての冷徹な観察眼が宿っていた。
「国際社会の均衡を乱す『No.0』の実力が、制御可能なものかを見極める『実力査定』よ」
壁に背を預けていたアレンは、こめかみを指で強く押さえ、苛立たしげに鼻を鳴らした。指数関数的に増大し続ける魔力は、今や彼の内側を灼熱の陽炎となって焼き焦がし、精神を絶え間ない激痛で磨り潰している。かつての静謐な凪は、制御を失いかけた力の暴走を抑え込むための、薄氷のような焦燥へと変わっていた。彼の周囲の空気は、目には見えぬながらも、確かに重く沈んでいるように感じられた。
「査定だと? 面倒なことを。……俺がこの国にいるのが不満なら、今すぐ他へ行くだけだ」
突き放すような、温度を欠いた声だった。その周囲では、溢れ出した黒い魔力圧が物理的な重みを持って空間を歪ませている。窓辺に置かれた花瓶の水面が、ごく僅かに、しかし確かに波打っていた。
「アレン様、そうもいきませんわ。これは我がガルディアの、そして何より『零番』を冠するあなた様の威信に関わる問題ですわ」
セリスが凛とした声で釘を刺した。彼女はすでに、ヴァレンティア辺境伯令嬢としての隙のない気品を纏い、青色の瞳に不退転の覚悟を沈めている。彼女の隣に立つリィナもまた、アレンの背中にそっと視線を送り、自身の魔力波長を微細に揺らして主の苦痛を分かち合おうとしていた。銀髪の隙間から漏れる光属性の魔力が、部屋の中に淡い燐光となって漂う。
魔軌士局からアレン隊に下された任務は二つ。「儀礼護衛」および、会場内の魔力動態を完全に掌握する「魔力監視」。書面には無機質な公文書の文字が並んでいたが、その裏に潜む政治的な思惑を、部屋にいる誰もが痛いほど理解していた。
「……あの、アレン様」
沈黙を守っていたサツキ・ハートフィールドが、意を決したように一歩前へ出た。修理を終えたばかりの愛槍《朧月》を背負った彼女の瞳には、武人らしい生真面目な決意が宿っている。窓から差し込む光が、彼女の茶系のポニーテールをわずかに橙色に染めていた。
「私も、勉強のために同行させていただけないでしょうか。……政治と武が交錯する場を、この目で見ておきたいのです。アレン様の戦い以外の『顔』を……知っておきたいのです」
アレンは、内側からせり上がる魔力の疼きに耐えながら、漆黒の瞳をサツキへと向けた。その視線は剃刀のように鋭く、一切の情を削ぎ落としている。数瞬の沈黙が、部屋の空気をさらに張り詰めさせた。
「勝手にしろ。……ただし、足だけは引っ張るなよ。今の俺には、お前を庇う余裕などない」
「はいっ。感謝いたします!」
サツキは、その言葉の裏にある「警告」の重さを理解しきれぬまま、深く頭を下げた。彼女の胸中では、アレンの言葉に含まれる棘よりも、同行を許されたという事実への高揚が、まだわずかに勝っていた。
「リィナ。お前は魔力監視に集中しろ。不穏な動きがあれば、思考読解を回して即座に俺へ叩き込め」
「分かりました、アレン様。……会場のすべての魔力、私が見守っています」
リィナの淡い青の瞳が、静かに、けれど鋭く光った。その表情には、これまでの迷宮探索とは異なる種類の緊張――目に見えぬ人間の悪意を相手取る、静かな覚悟が滲んでいた。
エリシアは執務机の向こうから、その一連のやり取りを静かに見守っていた。窓の外には、既に外交団の車列が宮殿の正門へと迫りつつある。彼女は手元の書類を軽く整えながら、独り言のように呟いた。
「三か国が同時に、しかもこれほどの規模で乗り込んでくるのは初めてね。……よほど、あなたの存在が目障りなのでしょう、アレン殿」
「知ったことか」
アレンは短く答えると、腰に差した銀色の脇差《白緋》の柄に、無造作に指を這わせた。その仕草には、これから始まる政治的な駆け引きへの興味よりも、内側で蠢く魔力の疼きを紛らわせるための、無意識の動作という色合いが強かった。
ガルディア公国を舞台にした、血の流れない戦争。強国たちの剥き出しの野心と、崩壊の予兆を孕んだ「No.0」の力が、ついに晩餐会の円卓で正面から衝突しようとしていた。窓の外では、三か国の紋章を掲げた車列が、宮殿の白亜の正門をゆっくりと潜り抜けていく。その光景を、エリシアはしばらくの間、微動だにせず見つめ続けていた。
やがて彼女は視線を室内へと戻し、控えていた侍従に短く指示を飛ばした。
「晩餐会の準備を急がせなさい。……そして、警備は決して緩めないように」
侍従が一礼して退出すると、執務室には再び静寂が戻った。窓辺の花瓶の水面は、もう波打ってはいなかった。だが、アレンの内側で燻り続ける魔力の焔だけは、いまだ静まる気配を見せていなかった。夕刻に控えた晩餐会という名の戦場に向けて、宮殿全体が、目には見えぬ緊張の糸を張り巡らせていくのを、誰もが肌で感じ取っていた。




