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バルバラは鞘に収まった銀の刃を眺め、ふんと鼻を鳴らした。彼女の視線には、これまで守り続けてきた家訓を果たし終えたという確かな安堵と、まだ何か言い足りないという気配が混じっていた。
「さてな。これで終わりじゃねえぞ、アレ。……いや、アレン」
彼女は工房のさらに奥、裏庭へと続く重厚な石造りの扉を顎でしゃくった。その扉には、これまで見てきた魔導封印とはまた違う、単純ながら頑丈な閂が掛けられている。
「あんたが来るまで、この『かたな』を渡せねえ理由は家訓だけじゃねえ。……厄介な居候を一人、抱えててな」
アレンは眉間に微かな皺を寄せた。腰に収まったばかりの《白緋》の重みを確かめるように、彼の指先が鞘の縁を軽く撫でる。
「居候だと?」
「ああ。そいつは、この刃を手に入れるために、あたしとある約束をしちまっててな」
バルバラは不敵に笑い、扉の閂を外した。金属の擦れる音が、静かな空間に硬く響く。
「『もし本人が現れたら、立ち合って決める』……。悪いが、一度庭に出てやってくれ」
扉の向こう側には、峻険な岩壁に囲まれた、驚くほど広い裏庭が広がっていた。アイアンフォージの冷たい風が吹き抜け、薄く積もった雪が舞い上がる。工房の熱気から一転、外気の冷たさが肌を刺すように感じられた。空を仰げば、切り立った岩壁の隙間から、ゼルハルト特有の鈍色の雲がゆっくりと流れていくのが見える。
その中心で、一人の女性が「風」を振るっていた。
「……っ、はあぁッ!」
鋭い気合と共に放たれたのは、全長二メートルを超える巨大な薙刀だ。その一撃一撃が空気を切り裂くたび、雪の結晶が周囲に散った。茶系の長い髪を高い位置で結び、巫女服を改造したような軽装を纏ったその女性は、重厚な獲物をまるで自らの手足のように操っている。
薙刀の石突が石床を叩き、鋭い刃が空気を切り裂くたびに、キィィンと高い衝撃音が岩壁に反響した。その音の一つ一つが、寸分の狂いもなく規則正しいリズムを刻んでいる。無駄のない動きの連続が、まるで一つの舞踏のようにも見えた。
アレンはその場に立ち止まり、女性の動きを注視した。彼の黒い瞳は、その一挙手一投足を見逃すまいとするかのように、鋭く細められていた。アレンの長身が放つ魔力圧に気づいたのか、女性は演武を止め、静かにこちらを振り向いた。
身長は百七十二センチほど。凛とした武人の佇まい。無駄のない筋肉がつくしなやかな身体。その深い茶色の瞳には、一切の迷いがない。彼女の視線は、まずアレンの全身を一瞬で見定め、それから腰に収まる白銀の鞘へと移っていった。
「……あなたが、注文主本人か」
女性が低く、澄んだ声で問うた。その声には、これまで幾度となく反芻してきたであろう問いを、ようやく本人に向けられるという緊張が滲んでいた。彼女の足元には、家伝の魔導薙刀《朧月》が静かに横たわっている。
「アレン・ヴァルグレイだ」
「サツキ・ハートフィールド。……この工房で、その『かたな』の持ち主が来るのを待っていた者だ」
その名乗りには、単なる自己紹介以上の、確かな決意が込められていた。
サツキは薙刀を構え直し、アレンの腰に差されたばかりの銀の脇差を見つめた。彼女の瞳には、単なる興味以上の、燃えるような熱意が宿っている。
「バルバラ殿から聞いているはずだ。本人が現れたなら、立ち合いでその資格を問うと」
「……立ち会う、じゃなくて『立ち合う』かよ」
アレンは呆れたように息を吐いた。彼の肩から、僅かに力が抜けたのが見て取れた。だが、その表情の奥には、確かな興味の色も混じっていた。
単なる見届け人ではない。互いの技をぶつけ合い、魂を削り合う「武の儀式」。現代の魔術師たちが忘れ去った、古臭くも純粋な決闘の響きだ。
「その刀は、私が長年望んできたもの。……だが、ドワーフの家訓は絶対だ」
サツキの周囲の空気が、一瞬で鋭利な刃物のように張り詰めた。彼女の重心が僅かに沈み、薙刀の切っ先が微かに震える。それは緊張ではなく、これから解き放たれる力の予兆だった。
「あなたがその主に相応しいか。私のすべてを懸けて、検分させてもらう!」
リィナが心配そうに身を乗り出し、セリスがその「武の気配」に鋭く目を細める。二人は工房の入り口付近で、静かに成り行きを見守っていた。リィナの手は、いつでも防御魔術を展開できるよう、既にショートロッドへと伸びていた。
セリスの琥珀色の瞳は、サツキの佇まいを鋭く分析していた。彼女の重心の置き方、薙刀の握り方、視線の配り方。それらすべてが、並の戦士とは一線を画す洗練された動きであることを、彼女は瞬時に見て取っていた。
(この方は……。……これは楽しみですわ)
セリスの内心の分析をよそに、アレンは無言で一歩踏み出し、新しく手に入れたばかりの鞘に手をかけた。彼の動作には、これまでの戦闘で見せてきたような冷徹な計算はなく、むしろ、二千年前の自分自身がどのような戦い方をしていたのか、それを確かめようとするかのような、静かな期待が滲んでいた。
鉄と火花の街で、今、理外の騎士と孤高の武人による「立ち合い」が始まろうとしていた。裏庭を吹き抜ける風が、薄く積もった雪を巻き上げ、二人の間に舞い散っていく。峻険な岩壁に囲まれたその空間は、外界からの一切の音を遮断するかのように静まり返り、ただ二人の呼吸だけが、その静寂の中に確かな存在感を刻んでいた。
バルバラは工房の入り口に腕を組んで立ち、その光景を静かに見守っていた。彼女の口元には、これから始まる立ち合いへの期待と、長年守り続けてきた家訓がついに果たされるという確かな感慨が浮かんでいた。
「さあ、始めな。この立ち合いこそが、二千年の答え合わせだ」
その呟きは、風の音に紛れて誰の耳にも届くことなく、静かに裏庭の冷気に溶けていった。アレンとサツキ、二人の視線が交錯する。互いの間合いを測るような沈黙が、僅かに続いた後、その均衡は静かに、しかし確実に崩れようとしていた。




