3人でいたかっただけなのに
健はリュックを床に投げ捨て、ベッドに倒れ込む。
(俺の部屋…)
家までどう帰ってきたか、全く思い出せない。
(2人を好きにならなきゃよかった)
(でも…まだ好き)
涙が一筋、頬を伝って流れる。
聡一郎との弁当作り、翔太とのキャンプ。
楽しかった思い出が蘇る。
(もう、戻れないんだ)
(…いやだ…いやだよ)
「ふっ……う、う……」
橙色に染まっていた空が、ゆっくりと冷たい色に変わる。
窓の外の空が沈むにつれて、部屋の中の温度も奪われていく。
やがて最後の光が床から消えると、残されたのは、形をなくした家具と、息を潜めるように啜り泣く声だけだった。
ーーーー・・・
母はドアを静かに開ける。
カーテンは開いたままで、月の淡い光が部屋の輪郭を映し出す。
「…健?」
母の声にベッドの膨らみがわずかに動く。
「ご飯食べる?」
沈黙が続く。
「…ごめん…今日は食欲なくて…」
「そう…」
母は様子を伺うように見つめる。
「お風呂は?」
「今日はいい…」
「じゃあお湯流すね」
母は静かにドアを閉める。
ドアの前で小さくため息を吐くと、階段を静かに降りる。
(…何もしたくない)
布団を深く被り、小さくうずくまる。
母の声が聞こえたが、答えるのがやっとだった。
ぼーっとした頭と妙に軽い身体に違和感を感じる。
何度も2人の顔を思い出す。
(ごめん…ごめんね…)
うずくまった身体をさらに縮こませる。
徐々に意識が暗闇に溶けていく。
健の体温が移った布団は優しく包み込むように沈み込む。
その暖かさに身を委ねながら、健は静かな夜をひとりで過ごした。
ーーーー・・・
瞼が開く。
暗闇。
小鳥の小さな鳴き声が聞こえる。
マットレスに手をつき、身体を起こす。
パキパキと骨の鳴る音が体内に響く。
外の気配を連れてくるように、朝の光が窓から流れ込む。
空腹で胃が少し痛む。
(こんな時でも腹は減るよな…)
ベッドから足を投げ出し、立ち上がる。
部屋のドアをそっと開けると、階段を静かに降りた。
リビングは誰もおらず、閉め切られたカーテンから微かに外の光が漏れている。
カーテンを開けると、白いレースがさらりと手を撫でた。
振り向くと普段通りの見慣れたリビング。
健は冷蔵庫を開けると、ラップのかかった深皿を1枚取り出す。
(唐揚げだ)
別皿に取り、電子レンジで温める。
音が鳴ると皿を取り出し、椅子に腰掛ける。
唐揚げを小さくかじる。
(…うま)
肉汁の旨みが口の中に広がる。
ぽっかりと穴の空いた身体に、暖かさが沁みる。
リビングのドアが開く音がした。
「起きてたの?」
「うん」
母は軽く目を見開きながら健のそばに歩く。
そっと隣に立つと、健の手元を覗き込む。
「唐揚げ食べてたのね」
「うん、お腹空いて」
「そう、よかった」
母はキッチンに移動すると、蛇口から水を出し、手を洗う。
2人の間に水の流れ出る音が響く。
「ご飯も食べる?もうちょっとで炊けるから」
健は口を動かしながら頷く。
母は頬を緩める。
「健」
「ん?」
「何があったか知らないけど、これだけはちゃんとしな」
母の力強い視線が向けられる。
「ご飯は3食きっちり食べること」
「うん」
「お風呂も毎日入ること」
「あとでシャワー浴びる…」
「夜になったら寝て、朝が来たら起きること」
「うん」
「学校にはちゃんと行くこと」
「……」
“学校”
その言葉に表情が曇る。
思わず視線を落とした。
母は小さくため息をつく。
「嫌でも行ってこい!根性!気合い!」
「…はい」
母の言葉が少しおかしくて、小さく笑う。
ピー
甲高い音。
炊けたお米の匂いがリビングに漂う。
「はい、ご飯」
「ありがと」
テーブルに置かれたお椀からは白い湯気が立っている。
一粒一粒のお米が輝いて見えた。
「いただきます」
お米を口に運ぶ。
炊き立てのお米はほんのり甘くて、優しい味がした。
視界が少し歪む。
母の存在に、恥ずかしさが募る。
一気にかきこみ、唐揚げを平らげると、急いで皿をシンクに置く。
「ごちそうさま!シャワー浴びてくる!」
「はーい」
健は駆け足でリビングを出ていく。
母はその姿に笑いながら、手元に視線を移す。
ーーーー・・・
机に塾のテキストを開く。
紙と紙が擦れる音がした。
ノートを広げ、右手にシャーペンを持つ。
静寂。
「……はあ」
シャーペンを机に置く。
聡一郎は机に肘をつき、両手で顔を覆う。
頭に何も入ってこない。
何も話さない健を思い出す。
(俺じゃだめなのか)
衝動的に教室を出てしまったが、後悔はしていない。
ただ、
(…思ってたよりくるな)
ーーー健に好きな人ができた。
その事実に、胸をえぐられる。
健の顔が頭から離れない。
(誰だよマジで)
思わず顔をしかめる。
まっさらなノートを撫でる。
『一緒にいたいから…だから言えないんだよ…』
健の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
「っああああ!もう!!」
机に手をつき、乱暴に椅子から立ち上がる。
身体が机にぶつかり、椅子が大きな音を立ててずれる。
(俺だって3人でずっと…)
今の状況が悲しくて、悔しくて、どうしようもなく寂しい。
(わかんねえよ…健…)
聡一郎の顔が苦しそうに歪む。
瞳は鋭く、光を帯びていたが、不安の色が濃く揺れていた。
ーーーー・・・
玄関のドアを開けると、小さな足音が近づいてくる。
「ママー!お兄ちゃん帰ってきた!」
「お兄ちゃんおかえり!」
「…ただいま」
小さな女の子と男の子が笑顔で駆け寄ってくる。
靴を脱いで廊下に上がると足に抱きついてきた。
「ちょ、歩けないって」
2人は身体を離さない。
その可愛さに少し口角があがる。
「こら、お兄ちゃんの邪魔しないの!」
母の声に肩を揺らす子供たち。
リュックを下ろし、手に持ちながら母に視線を向ける。
「母さん、先に風呂入っていい?」
「いいよ、ほら!ご飯食べるよー!」
「はーい!」
「ごはーん!」
3人はリビングに消えて行く。
賑やかな雰囲気が今日は眩しく感じる。
思わず目を細めた。
廊下に1人残った翔太は部屋に着替えを取りに行くと、浴室に向かう。
部活中、帰り道、今服を脱いでいるこの瞬間も同じことを考えてしまう。
(健…聡一郎…)
大好きな2人。
ずっと一緒にいたかった。
浴室に入り、レバーをあげると、シャワーヘッドから暖かいお湯が出る。
高めの位置に固定し、頭から浴びる。
水が髪や頬を伝って、ぽたぽたと落ちていく。
(健の好きな人…誰だろ…)
驚く姿を思い出し、顔をしかめる。
いつから?
誰?
ーーーなんで避けられてる?
健への疑問や嫉妬、悲しみが溢れ出す。
いつか3人に何かが起こると思っていた。
(でもこれは…違うじゃん)
まだ気持ちも伝えてない。
なのに離れてしまった。
(好きなのに…苦しい)
視界が歪み、目が熱くなる。
頬を伝う水滴が自分の涙なのか、ただの水なのか、翔太にはわからなかった。
ーーーー・・・
健は自分の机に向かい、宿題を進める。
(よし…)
(…これ解いたらおわり)
沈黙が流れる。
手がピタリと止まる。
(うわー…どう考えてもわからん)
…聡一郎なら。
一瞬浮かんだ名前をすぐに消す。
(連絡…できるわけないじゃん)
あれから学校へは毎日通えている。
でも2人とは挨拶すらしていない。
たまたま廊下ですれ違っても、視線を逸らすだけ。
昼食は教室で1人。
顔を合わせるたびに胸が痛む。
(でも)
(離れてわかった)
一度、小さなため息をつく。
(俺、ずっと前から2人のこと好きだわ)
(超鈍感すぎる)
健はシャーペンを机の上に置く。
机に肘をついて、スマホを手に持つ。
写真フォルダを開き、画面に並ぶたくさんの写真や動画を眺める。
ほとんどが3人で過ごした思い出ばかり。
(寂しいな…)
机の上に広げたプリントを端に寄せ、頬を机に置く。
(寂しいけど)
瞼を閉じる。
(俺、1人でも大丈夫)
最初はこの先どうしたらいいかわからなかった。
2人に会いたくて仕方なかった。
でも今は、1人で学校にいる。
一日3食しっかり取って、睡眠も十分に取れてる。
(でもこのまま離れるのは嫌だな)
(ちゃんと全部話したい)
手に持っていたスマホの画面を開く。
メッセージアプリの上に指を置く。
(でもこれってただの自己満?)
(いや、でもなあ…)
きっとこれが2人と話せる最後の日。
自分の話を聞いたら、2人は離れる。
(よし、決めた)
健はメッセージアプリをタップし、3人のグループトーク画面を開いた。




