信頼の崩壊と暴動
2049年ーー。
世界各地で政府機能が次々と麻痺していった。
最初に倒れたのは、人口密集地を抱える沿岸諸国だった。海面上昇による避難民の殺到、異常気温によるインフラ崩壊、そして食料不足による暴動。
街の夜は、もはや闇ではなく、炎の色に染まっていた。
ある大国の首都。
議事堂の正面玄関は、割れたガラスと黒煙に覆われていた。
群衆は怒号を上げながら突進し、金属のゲートを押し倒す。
「何十年も前から危機は分かってたはずだ!」
「俺たちを見捨てたんだ! お前らだけ安全な避難シェルターに入って!」
女の声が泣き叫ぶ。
「子どもたちは、もう何日も水を飲めてないのよ!」
兵士たちは必死に制止しようとしたが、民衆の目は恐怖と怒りで真っ赤に染まっていた。
その中には、かつて政府を支持していた老人までもが混ざっていた。
「もう信用できん! どの口で “国民のため” なんて言った!」
世界のあちこちで、同じ光景が繰り返された。
人々の中で「裏切られた」という言葉が唯一の共通言語となっていた。
そして唯一、その絶望の炎に包まれなかった国があった。
独立国家サチ。
国家サチでは、夜でも街灯が灯っていた。
それは、発電所が機能していたからだけではない。人々の心の灯が消えていなかったのだ。
国民は、カイト夫妻を信じていた。
夫妻の研究所の門には、毎朝長い列ができた。
白髪の老人が杖をつきながら言う。
「博士、ワシにできることは何でもする。溶接だって手伝える」
小学生くらいの少年が、汗だくで駆け寄ってくる。
「これ、昨日拾った部品! 何かの機械に使えるかも!」
農家の男が、自分の作物の最後の収穫を抱えて来る。
「博士、食ってくれ。研究は腹が減っちゃ進まないだろ」
研究所の中は、専門家と市民が入り混じる不思議な光景だった。
老舗の鍛冶屋が金属パーツを叩き、若い学生が顕微鏡を覗き込む。
漁師が海から持ち帰った奇妙な鉱物を机に置き、パン屋が焼きたてのパンを配る。
白衣は必ずしも新品ではなく、時に染みや破れがあったが、それはサチ国民の誇りの証だった。
深夜、研究所の屋上。
サチが月を見上げながら呟く。
「……不思議ね。他の国はもう絶望しているのに、この国はまだ笑える人がいる」
カイトが苦笑する。
「笑えるんじゃない。信じてるんだよーー俺たちを」
その言葉に、サチは胸を締め付けられるような痛みを覚えた。
「……その信頼を、絶対に裏切れない」
外の世界は、火と煙に覆われ、互いを責め合い、奪い合い、崩れていく。
だが、国家サチの小さな街の片隅では、人々が肩を並べ、未来を信じる作業音が夜通し響いていた。
それは、世界最後の希望の音だった。