夜会 (2)
濃い月色の髪をした青年は、リヒャルト・ケルナーと名乗った。
彼のきつい眦からはやや冷たい印象を受けるものの、明るい琥珀色の虹彩がそれを和らげている。
その瞳といい高い鼻梁といい、リヒャルトはクローネ人らしい特徴を幾つも兼ね備えていた。
思わずマリーに視線を留めさせた彼は、青年らしい誠実な態度で口を開く。
「ご覧の通り、クローネ連邦の軍人です。お噂はかねがね。レイデンの華、ローズマリー・ミュートス嬢。その紫水晶の瞳に魅入られない者はいないとか」
「……大げさです。実物は得てして人をがっかりさせるものですわ」
照れと彼の纏う軍服に対する拒否感とで横を向くと、リヒャルトがくすりと笑いを零す。
(何がおかしいのでしょう)
マリーがむっとした事に気づいたのか、青年は慌てたように謝罪した。
「申し訳ありません。軍人は好まれないようだ」
「……いいえ、とんでもありませんわ」
そうは言っても、マリーがその軍服を歓迎していないのは明らかだった。
彼の側にもそれが分かったのか、琥珀の瞳に微苦笑を浮かべる。
「いえ、こちらとしても分かっているのです。無骨な軍服がこの場にそぐわない事は。自分も折を見て抜けるつもりでしたが……つい、見とれてしまって」
不意に笑顔を向けられ、胸の鼓動が早まる。
彼は何に見とれたのかまでは言っていないのだが、マリーは何故か顔が熱くなるのを感じた。
頬がうっすらと染まっているのを気付かれないよう、慌てて話題を作り出す。
「あ、あの、それより連邦の中尉さんが私に何か御用ですか?」
マリーがそう尋ねた途端、リヒャルトは落ち着かない様子できょろきょろと辺りを気にし始めた。
誰もこちらに視線を向けていないことを確かめると、何事か決心したように真面目な顔で口を開く。
「ローズマリー嬢……失礼、そうお呼びしても?」
「ど、どうぞ」
その雰囲気に半ば気圧されるようにマリーは答える。
するとリヒャルトは古式ゆかしく、騎士のように身をかがめてマリーの手を取った。
「いかがですか、ローズマリー嬢。自分と一曲踊っていただけませんか?」
「それは……」
一瞬、マリーは戸惑いを隠しきれない。
無論この場で舞踏に誘われるのは至極当然のことなのだが、彼の纏う制服がそれを躊躇させた。
相手が迷っていることに気づいたのか、若い中尉は慌てたように付け足す。
「無論、身分違いは承知の上です」
「そ、それは関係ないのです。そんな無礼なこと、思いもしませんでした。ただ……何故私に? 他にお綺麗な御婦人はいくらでもいらっしゃいますのに」
無粋とも取れる素直な疑問を口にすると、困ったようにリヒャルトの目尻が下がる。
元が端正な顔立ちであるせいか、その姿は物語の中の青年が恋に悩む様子を思わせた。
その表情に、マリーはまたどきりとさせられる。
銀髪の青年が悩ましげなため息をついた。
「わざわざそんな事を聞くとは、ローズマリー嬢はなかなか意地悪ですね」
「な、何かお気に障ることを言いましたか?」
「いいえ。ですが、意外とこういった駆け引きにも長けていらっしゃるようだと思いまして」
何を言われているのか分からずマリーが首を傾げると、彼は再びその顔に微苦笑を浮かべた。
「美しい女性と一時を過ごしたいと願うのは、ローズマリー嬢にとってはおかしな事なのでしょうか?」
「あの、私……」
もうこうなっては、赤く染まった顔を隠すことも出来ない。
「よ、喜んで」
不覚にも心揺れた事を誤魔化すかのように俯きながらそう答え、彼の手に触れる。
琥珀色の瞳をかすかに細めたリヒャルトに連れられ、マリーは大広間の中央へと進んで行った。
***
マリーの予想より、彼は遥かにリードが上手かった。
二人は流れるように足を踏み出しながら会話を交わす。
話はそこそこに弾んだものの、リヒャルトの纏う軍服だけがマリーを憂鬱にさせていた。
相手の表情に暗いものを読み取ったのか、リヒャルトが思い出したかのように口を開く。
「夜会にはよくご出席を?」
「ええ、以前はよく両親と……」
そう、両親と。
隙あらば忍び寄ってくる陰気な思考を追い払おうと、マリーは慌てて明るさを取り繕った。
「最近はあまり。ですが、シャンデリアの明るさが恋しくなって舞い戻りました」
「そうでしたか。あなたのような麗らかな女性には、華やかな場がよくお似合いになります。
華の前ではどんな宝石もただの引き立て役に過ぎません」
リヒャルトがさらりと言ってのけた世辞で体が固まり、マリーの足元がぐらりとかしぐ。
少女の体を青年はそつなく支えた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい」
女性に恥をかかせない為か、リヒャルトは囁くように問うてきた。
その気遣い自体は良いのだが、自然顔と顔が近づいてしまうのでマリーは頬を紅く染める。
幾度となく踊ってきたのに、何故か今夜は調子が狂う。
きっとそれは、しばらく夜会に縁がなかったからだけではないだろう。
ほとんど麻痺寸前の思考で、マリーは足取りを守る事に必死だった。